分業制であるハリウッドのVFX現場では、Fur(毛)の生えたクリーチャーの毛並みや、デジタル・ダブルの髪を専門とするGroom Artistというポジションがある。今回は本連載では初となる、このGroom Artistとして活躍中の武田瑛璃氏にご登場いただいた。日本でエンジニアとして働き、その後にVFX業界に転身された武田氏の、現在に至るまでの道のりを紹介していく。

記事の目次

    Artist's Profile

    武田瑛璃 / Eri Takeda(Groom Artist / Image Engine)
    神奈川県出身。上智大学理工学部を卒業後、NTTでエンジニア・サービスプランナーとして勤務。ハリウッド映画に携わるアーティストになりたいという想いから、カナダ・バンクーバーのCG専門学校Think Tank Training Centreへ入学。2024年9月に卒業後、カナダでの就職活動に苦戦しながらもポートフォリオを磨き続け、2025年9月にVFXスタジオImage EngineへGroom Artistとして入社。映画『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』でハリウッド作品デビューを果たす。最近の参加作にドラマ『アバター:伝説の少年アン』シーズン2(Netflix)などがある
    image-engine.com

    ストライキの影響が残るハリウッド、厳しい環境の中でも諦めず続けた就職活動

    ――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。

    幼稚園の頃から、絵を描いたり何かをつくったりすることが好きでした。今でも覚えている一番最初の作品は、小さなパグのマスコットを座らせるために、洋服などから集めた毛玉を糊で固めてつくったソファです。身の回りから使えそうなものを見つけ、つくりたいものを形にする楽しさを、この頃から知っていたように思います。

    一方で科学への好奇心も強く、生物学者の父の影響で、顕微鏡でメダカの発生を観察したりしていました。家ではサイエンスチャンネルがよく流れていて、自然と科学への知的好奇心を刺激される環境で育ちました。

    中学・高校では美術部に所属し油絵を描いたりしていましたが、アートを仕事にするには飛び抜けた才能が必要だと思い、自分には難しいと考えていました。一方、アートの次に好きだったのが物理で、そのまま理系へ進み、大学ではコンピューターサイエンスを学びました。

    ――日本でお仕事をされていた頃の話をお聞かせください。

    大学卒業後は、当時のNTTコミュニケーションズにエンジニアとして入社しました。Webサイトやアプリの開発から始まり、3年目までは主にAIに関わる仕事を担当しました。AIモデルの構築や学習データ収集のプロジェクトマネジメント、AI技術をNTTグループ社員へ伝える講師なども経験しました。

    特に印象に残っているのは、画像認識AIの教師データを増やすシステムの開発です。様々なノイズを加える数式を英語論文から探し、チームで独自のシステムを一からつくりました。毎日夜遅くまで会社に残って作業していましたが、とても楽しかったため全く疲れず完成させることができました。

    4年目にはネットワーク・セキュリティ分野のサービス企画職へ異動。エンジニアと企画の両方を経験し、自分は専門性を深めながら、手を動かしてものをつくる仕事にやりがいを感じるのだと気づきました。

    また、社会人になってから約5年間、書道を続けていました。特にかな文字が好きで、一本の線がつくる流れや美しさに惹かれていました。書道を続ける中で少しずつ自分の感覚や表現にも自信が持てるようになり、アートに対する自信を取り戻すきっかけにもなったと思います。この経験は、後のGroomにもつながっていきます。

    ――留学された時の話をお聞かせください。

    コロナ禍を経て、「このまま好きなことを封印して生きていくのだろうか」と考えるようになりました。After Effectsをきっかけに3DCGに興味を持ち、Blenderでキャラクター制作に挑戦。工程の多さに圧倒されながらも、不思議と「これ、私できるな」と思い、3DCGの道を本気で目指し始めました。

    学校選びでは各学校の卒業生のポートフォリオや就職先を調べ、卒業生にも話を聞いた上で、映画向けキャラクター制作とMentorship制度に惹かれ、バンクーバーのThink Tank Training Centreを選びました。

    当初から髪をつくる工程が好きで、書道で好きだった「線や流れをつくる」感覚とGroomには共通するものがあると気づきました。さらに入学直後にLAのSIGGRAPHへ行き、Wētā FXのアーティストから「髪をやりたいなら、髪を専門にした方がいい」とアドバイスをいただきました。最終学期ではDNEGのLead Groom Artistをメンターに選び、4ヵ月間マンツーマンで指導を受けました。

    日本人がほとんどいない環境でしたが、英語力を伸ばし、コネクションをつくるため、予定より一学期早くカナダへ渡りました。友人たちからホームパーティーなどに誘われることもありましたが、「ここで必ず夢を掴む」と決め、全て断って制作を優先していました。

    ――海外の映像業界での就職活動について体験談をお聞かせください。

    卒業当時はハリウッドのストライキの影響が残り、VFX業界全体の求人が少なく、特に新人には厳しい時期でした。

    それでも学校に通い続け、そこで別の生徒をメンターしていた大手VFX会社のAsset Supervisorに自分からフィードバックをお願いし、毎週作品を見ていただきながらポートフォリオを磨きました。

    業界のミートアップにも多く通い、多くのアーティストにデモリールを見てもらいました。ビザでも予想外のトラブルがあり、また就職が決まらないまま帰国する友人たちを何人も見送りました。精神的にはかなり苦しい時期でしたが、「自分には日本という帰る場所もある」と考え、今できることを続けました。

    卒業から約1年後、大手ゲーム会社や大手アニメーション会社など複数社の選考が同時に進みました。3社の選考が同時期に重なったのは、業界の波だったのか、たまたま運が巡ってきたのかは今でも分かりません。

    最後に面接を受けたのがImage Engineです。これまでの面接経験もあり、映画やキャラクター、Groomへの想いを英語でしっかり伝えることができ、その日のうちにオファーをいただきました。

    卒業後も毎週作品を見てくださっていたそのAsset Supervisorにオファーを貰った旨を報告すると、“You could have stopped showing up, but you didn't.”(途中で学校に来なくなることもできたのに、君は来続けた)と言ってくださいました。その瞬間、それまでの感情が一気に込み上げ、泣いてしまったことを覚えています。

    ▲Assetチームの同僚と

    「戦略」は気持ちを曲げることではなく、目標へ近づくためのもの

    ――現在の勤務先は、どんな会社でしょうか。

    Image Engineは、バンクーバーを拠点に映画やドラマなどのVFX制作を手がけるスタジオです。とてもアットホームでチーム同士の距離が近く、VFX Supervisorも含め皆で一緒にアセットやショットをつくり上げている感覚があります。

    また、興味のあることに挑戦する機会もあり、私自身もGroomだけでなく、シミュレーションを使ったモデリングやプロシージャルモデリングなどにも挑戦しました。穏やかな環境とショットのクオリティの高さが共存しているところも好きです。

    ――最近参加された作品で、印象の残った作品は?

    まず外せないのは、映画『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』です。関わった部分は決して多くありませんが、自分の名前を映画館のスクリーンで見る最初の作品になりました。エンドクレジットでは母が先に私の名前を見つけてくれて、それを見た瞬間、思わず泣いてしまいました。

    ▲『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』日本版本予告

    実務で特に印象に残っているのは、現在制作中の作品で、初めてクリーチャーのGroomを1から任せていただいたことです。実在する俳優の髪を制作する場合は写真という「正解」がありますが、現実には存在しないクリーチャーでは、コンセプトアートからさらにリアルな存在へ落とし込む必要があります。

    完成形のイメージは基本的にVFX Supervisorやクライアントの中にありますが、同時に私たちからの提案を求められることもあります。そのため、コミュニケーションを重ねながら何が求められているのかを探る必要がありました。つくって見せ、フィードバックをいただき、またつくる。その繰り返しの中で、徐々に求められる方向性が見えてきました。「正解を再現する」のではなく、「正解そのものを探しながらつくっていく」という経験が、とても印象に残っています。

    LookdevのアーティストともGroomで使用した情報を共有し、担当の垣根を越えて一緒にキャラクターをつくれたことも嬉しかったです。まだ制作中なので、完成した映像を見る日を楽しみにしています。

    ――現在のポジションの面白いところは何でしょうか。

    Groomの面白さは、アートとテクニカルが融合しているところだと思います。

    最初は数百本のヘアガイドを動かし、髪の流れやシルエットをつくる非常にアーティスティックな作業です。一方、そのガイドからHoudini上でプロシージャルかつ効率的に狙った見た目へ仕上げるには、テクニカルな思考が必要です。ヘアガイドだけをずっと触っていたら、たぶん気が狂います(笑)。私自身テクニカルなことも大好きなので、このバランスがとても合っています。

    また、見た目だけでなく、その後の工程で扱いやすい「クリーンなGroom」をつくることにもこだわっています。CFXがシミュレーションしやすいよう、マニュアルな変更を加えた場合にもIDや属性情報を整理してデータの整合性を保ち、後工程で問題になりそうな部分を事前に取り除くよう心がけており、これも私にとってGroomの大事な仕事です。

    ――バンクーバーでの生活ぶりはいかがでしょうか?

    就職してしばらくするまでは、カナダに住んでいる実感すらないほど学校と家の往復ばかりでした。しかし今年の夏は外に出るように心がけ、そこで気づいた一番の魅力は、自然との距離の近さです。

    車で20〜30分ほどの距離で大自然に触れられ、Deep CoveやUBC周辺、ウィスラーなどにも行き積極的にハイキングをしました。生活の便利さでは日本には敵わないと感じますが、都会と大自然の距離の近さはバンクーバーの誇れる所だと思います。

    ――英語や会話のスキル習得はどのようにされましたか?

    私は語学留学をしたことがなく、カナダでも語学学校には通っていません。

    幼い頃から家ではハリウッド映画や英語のドキュメンタリーが流れ、両親は吹き替えには絶対にしてくれませんでした。洋楽も好きだったのでおそらく英語の音には多少慣れており、大学受験で学んだ文法の基礎も役立ったと思います。

    一番大きかったのは、「英語を勉強する」のではなく、「英語でCGを一から勉強した」ことです。オンライン授業ではトランスクリプトを翻訳し、CGの専門用語を自分でリストにしました。専門用語が分かれば、そこから文脈を推測して理解できるようになります。

    その後は日本人がほとんどいない環境で過ごし、英語を使わざるを得なくなりました。現在VFX業界で働いて感じるのは、必ずしも完璧な英語が必要なわけではないということです。良い作品をつくる力と自分の意見があり、それを伝えようとすることの方が大切だと感じています。

    ――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。

    思い立ったら海外に出てしまっても良いと思います。ただ、同時に「戦略的に行動すること」をおすすめしたいです。

    特にワーキングホリデービザは、海外でキャリアを始める上でとても貴重な機会です。その機会をどう使うかをしっかり考えることが大切です。

    例えば私の場合、学校に入ったばかりの時期からSIGGRAPHへ行くなど、早い段階でゴールを知り、戦略を立てるようにしていました。実際にそこでGroomを専門にするきっかけを得ました。また、デモリールの作品でも「何を求められているのか」、「何をつくれば自分の強みを見せられるか」を考えてからテーマを選んでいました。

    昔は、戦略を立てることをどこか「チート」のように感じ、「心の思うままに動けばいい」と考えていました。しかし様々な経験を通じて、戦略とは自分の気持ちを曲げることではなく、本当に達成したい目標へ近づくためのものだと学び、今回の海外挑戦ではそれを意識して行動してきました。戦略を立てるには、まず情報を集めること。いろいろな人に話を聞き、自分でも調べ、「自分の強みをどう活かせるか」、「何が好きなのか」をよく考え、仮説を立てて行動する。その繰り返しだと思います。

    そして海外での就職活動では、人とのコネクションもとても大切だと感じました。ただ知り合いを増やすのではなく、良い作品をつくり、自分がどんなアーティストなのかを知ってもらった上で築くつながりに意味があると思っています。私からお願いしたわけではないのに、会社に推薦してくださっていた方が何人もいました。

    もちろん、ビザやストライキのように、自分ではどうにもできない出来事もあります。もし思い描いた結果にならなかったとしても、その経験が将来どんな形で生きるのかはまだ分かりません。それでも、自分で考え、挑戦し、頑張った経験は、自分自身の成長につながると思います。

    ▲ご自宅でのリモートワーク風景

    【ビザ取得のキーワード】
    ①上智大学理工学部を卒業後、NTTで勤務
    ②学生ビザを取得し、カナダのCG専門学校Think Tank Training Centreへ留学
    ③1度目のワーキングホリデービザを取得し、カナダで就職活動を経てImage Engineへ入社
    ④2度目のワーキングホリデービザを取得し、現在もカナダで就労中

    連載「新・海外で働く日本人アーティスト」では、海外で活躍中のクリエイター、エンジニアの方々の海外就職体験談を募集中です。

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    TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada