『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で導入された映画制作技術を「体験」へ 「エヴァフェス」ヴァーチャルカメラスタジオの舞台裏とHPのZシリーズが果たした役割
2026年2月21日(土)から23日(月)まで横浜アリーナで開催された「EVANGELION:30+;30th ANNIVERSARY OF EVANGELION」。『エヴァンゲリオン』シリーズ30周年を記念したこのイベントでは、巨大LEDによるセントラルタワーを中心とした展示周遊が可能な「EVA EXTRA 30」エリア、多彩なステージエンタテインメントを提供する「STAGE AREA」にセパレート、エヴァの“これまで”と“これから”を表現する多彩な展示が来場者を迎えた。
そんな中で多くの来場者の注目を集めていたのが「ヴァーチャルカメラスタジオ」だ。来場者自身がヴァーチャルカメラを手に取り、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年3月公開)の世界を実際に撮影できるこの展示は、鑑賞型展示とは一線を画す体験型コンテンツとなっていた。このヴァーチャルカメラスタジオは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』における初号機VS第13号機の戦闘シーン制作で、実際に制作現場で使われたヴァーチャルカメラシステムを基盤に構築されている。体験後には、自身が撮影したカメラワークの映像をダウンロードできる仕組みも用意され、イベント期間中は多くの体験動画がSNSに投稿された。
どのような思想とプロセスを経てこのヴァーチャルカメラスタジオが生まれ、どのようにして映画制作の技術が「体験」へと変換されたのか。ヴァーチャルカメラスタジオが生まれた背景をカラー デジタル部の釣井氏、カラー システム部の阿部氏、BASSDRUM 中田氏に、実装・運用の舞台裏についてBASSDRUM 中田氏、小川氏、村山氏にうかがった。
INTERVIEWEE
阿部氏(後列左):カラー システム部所属。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の制作において、ヴァーチャルカメラシステムの開発・運用を担当。庵野秀明総監督をはじめとする制作陣が使用するシステムの構築から、実際のヴァーチャルカメラでの撮影作業まで幅広く関わった技術スペシャリスト。
中田氏(後列右):BASSDRUM所属。映像とデジタル技術を掛け合わせた体験型コンテンツを得意とする。今回のイベントでは釣井氏、千合氏とともに総合演出をつとめ、ヴァーチャルカメラスタジオにおいては技術と表現の橋渡し役として企画立案から制作全体に関わった。
小川氏(前列左):BASSDRUM所属。AR技術を活用したR&D業務に従事し、ヴァーチャルカメラスタジオではユーザー登録から動画生成・配信までの全体的なシステム開発のテクニカルディレクションを担った。
村山氏(前列右):BASSDRUM所属。展示からアプリまで幅広い領域のシステム開発に従事。ヴァーチャルカメラスタジオでは、iOS用ARカメラアプリ及びPC用3Dレンダリングアプリのシステム開発のテクニカルディレクションを担った。
『エヴァ』の歴史を振り返るだけでなく、「次の作り手」へつなげる
この企画の発端は、イベント開催の2年以上前にまでさかのぼる。イベント全体の総合演出を担当したカラー デジタル部の釣井氏は、イベントのテーマ設定について以下のように振り返る。
釣井氏:「これまでも、これからも。そして、これからへ。」というテーマをクリエイティブチームで最初期に設定しました。このイベントに来ることで、クリエイティブに対する理解や解像度が高まって、たとえば未来の『エヴァンゲリオン』をつくれるような人たちがここから生まれてくるといいよね、という思いを企画当初から話していました。
過去を振り返る回顧展ではなく、次の時代の作り手につなげる場にしたい。その思想を、実際の体験コンテンツへと翻訳する役割を担ったのが、BASSDRUMの中田氏だった。
中田氏:スタジオカラーが制作してきた『エヴァンゲリオン』シリーズのデジタルアセットは膨大にあるということをかなり当初に聞かされました。そういった中間成果物は本来あまり日の目を浴びないものなんですけど、それを今回のイベントにどう転換できるのかをずっと議論していました。デジタルアセットをフィジカル空間で体験してもらうにはどういう技術を使ったら面白いのか。 「どうすれば余すことなく体験へ転換できるのか」という問いを起点に、50以上の技術アイデアを洗い出していきました。その中にARにまつわるアイデアがたくさんありました。
検討段階では、ARを用いた屋外演出など、大規模なアイデアも数多く俎上に載せられた。たとえば「横浜の街の上空に巨大なAAAヴンダーを出現させる」といった構想も、そのひとつだ。しかし、来場者の安全管理や交通規制といった問題から、屋外演出は断念されることになる。アリーナという限られた空間の中で実現でき、なおかつ来場者にとって濃度の高い体験は何かを逆算した結果、映画制作で実際に用いられていたヴァーチャルカメラシステムに光が当たった。
起点は『シン・エヴァ』制作現場のヴァーチャルカメラシステム
ヴァーチャルカメラスタジオを理解するうえで欠かせないのが、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』制作時に使用されていたヴァーチャルカメラシステムとの連続性だ。カラーでシステム開発を担当した阿部氏は、その開発背景について次のように語る。
阿部氏:無限にカメラアングルを探りたい、という制作チームの要望に応えるためのシステムでした。トラッカーなどのVR機材を使いながらも、その思想はスマートフォンのAR体験に近い。CG空間上を実際に歩き回りながら、CGならではの自由な視点でカメラアングルを探ることができるシステムです。
初期段階では映画用カメラサイズのARコントローラーが用いられていたが、長時間の使用による疲労が問題となり、最終的にはミラーレスカメラ型の軽量なコントローラーへと進化していった。
このヴァーチャルカメラシステムにおいて重要視されたのが、映画における「1フレーム」の重みだった。
阿部氏:モーションは24FPSでつくられています。1コマずれるだけでも印象が変わるので、シャッターを切るタイミングをできるだけ慣れた操作感で合わせられる必要がありました。
釣井氏:阿部さんにはシャッター音も開発してもらいました。シャッターボタンを押すとカシャッという音がする。これがあるのとないのとで、撮影しているときの質感が変わるんですよ。
阿部氏:ゲームと同じくレスポンスとかも大事です。押した時にちゃんと撮ったよ、というフィードバックにもなります。また、カウントダウンを行って動画撮影が始まるというUIも開発しました。こちらは集中する必要があるため、録画開始時には音を鳴らさないようにしました。
釣井氏は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を制作中、ヴァーチャルカメラシステムによって撮影されたカットのサムネイルを目にした時の印象をこう振り返る。
釣井氏:総監督である庵野さんが入っている編集室に、カットのサムネイルがぎっしり並べられたA4用紙の分厚い束があったんです。膨大なカメラワークの中から庵野さんがいいカットだけを選びきれるのは、こういうシステムだからこそできるつくり方だろうと思いました。スタジオカラーにはマッチしているやり方だと強く感じました。
制作技術を「体験」に変えるという挑戦
中田氏:フィジビリティ(実現可能性)を考えた時に、じゃあアリーナという空間の中で体験できるベストなARコンテンツはなんだろうといくつかアイデアを出しました。そうしたら次の会議のときには、釣井さんがヴァーチャルカメラスタジオの原型とも呼べる企画書をつくってきてくださって、あとは細部を固めていく、みたいな流れでかたちづくられていきましたね。
そうして釣井氏をはじめとしたクリエイティブチームとBASSDRUMのテクニカルチームが案を突き合わせながら、「来場者体験として成立するもの」へと収束させていった。
来場者が撮影した映像のエンドクレジットに自分の名前が入る設計、おみくじ形式で『エヴァ』の名セリフが印刷されるレシート、そして体験映像をダウンロードして持ち帰るといった来場者への体験設計もこの段階で生まれている。
釣井氏:アニメ制作が自分ごとになってほしいという思いがありました。クレジットに自分が載っている嬉しさ、クリエイター側での楽しみ方みたいなものも体験してもらえると嬉しいなと思っていました。実際に触ってもらって遊んでいただいた人たちには、そういった実感を持っていただけているのかなと思います。
エンタメとしての楽しさと、クリエイターとしての視点を重ねて体験できる設計が、イベント全体のテーマと接続していたと言える。
映画制作の裏側にある思考や試行錯誤を、観るのではなく、触れて理解する。その試みは、『エヴァンゲリオン』シリーズの世界観を次の世代へ手渡すための、新たなアプローチだったと言えるだろう。
なぜ、この体験は来場者に受け入れられたのか
ヴァーチャルカメラスタジオは、多くの来場者に喜ばれた展示となった。実際に自分が体験していなくとも、後ろから体験者のカメラワークをディスプレイ越しに見て、「いまのアングルいいね!」「斬新な視点だね」「これは庵野さんのようなカメラワークだね!」と笑いながら感想戦をするなど、多くのコミュニケーションを生んでいた。
なぜヴァーチャルカメラスタジオは面白いのか。BASSDRUMの小川氏は、その本質をCGと実写撮影の差異から説明する。
小川氏:従来のCGカメラワークは、キーフレームを打って動かすのが基本でした。AからBへ動かしてその間を補間するやり方です。それに対して、特撮や実写では実際に手でカメラを持って撮る生感がありました。ヴァーチャルカメラスタジオはiPhoneのAR空間認識を使って三次元の動きをリアルタイムに送ることで、その生のカメラの動きをCGの世界の中で再現できることが、このシステムの最大の特徴になったと思います。
実際の体験は、約1/500スケールのミニチュアを空撮するような感覚になったという。
村山氏:少し歩いただけで、もう数百メートルも移動するような感じです。うまく撮影するにはとても難しいものです。カメラの扱いに慣れていない方々も多く体験されるため、いきなり触ってパッと扱えるということも非常に大事です。一方で、初めてカメラを触るような方向けにだけにつくってしまうと、特撮好きの方々には納得してもらえないかもしれない。手振れ補正のような処理を入れてはいるのですが、慣れている方でもそうでない方にとっても同じく楽しめるような調整を目指しました。
この判断には、来場者の多様性への配慮があった。プロのカメラマン感覚に近いユーザーから、映像制作に初めて触れるファンまでを対象にしながら、どちらにも違和感なく楽しんでもらえる水準を探った。
技術以上に難しかったのは「運用」
開発において最も時間を要したのは、イベントとして安定した体験を届け続けるための運用設計だった。トラッキング方式の選定では、精度だけでなく、回転率やキャリブレーション負荷といった運用面の現実性が重視された。
また、ヴァーチャルカメラとして使用されたiPhone Proシリーズは、長時間AR処理を行うことで発熱し、サーマルスロットリングを起こして処理能力が落ちてしまい性能が低下する可能性があった。そのため、カメラのオンオフマネジメントやUI設計段階からの冷却時間確保、さらには冷却装置の取り付けまで、とにかく「運用を止めない」ための準備が必要だった。ARマーカーの精度は利用環境の明るさにも大きく影響を受ける。精度を担保するために、会場照明まで含めて計算し尽くすなど、いかに利用者にストレスを与えず、コンテンツに集中できるかを追求していた。
現場を支えたHP Z6 G5 A Workstation
こうした厳しい条件の中で、バックエンドを支えるワークステーションとして採用されたのがHP Z6 G5 A Workstation(以下、Z6)だ。今回のイベントでは、GPUにNVIDIA RTX™ 6000 Ada、CPUにAMD Ryzen™ Threadripper™ を採用した構成で運用され、長時間の高負荷稼働にも対応できる環境が整えられた。
具体的な構成としては、AMD Ryzen™ Threadripper™ 24コア以上(最大96コア)、メモリ128GB以上、SSD 1TB以上を搭載したマシンに、NVIDIAの協力のもとVRAM 48GBを誇るNVIDIA RTX™ 6000 Adaを全マシンに搭載。スペックの細部は機材によって異なるものの、3日間のイベントを通じた安定稼働を前提とした、高性能かつ長時間運用を意識した機材選定となっている。
また、Z6は高性能を長時間維持するための優れた冷却構造を備えた筐体設計が特徴だが、その分、筐体外部への排気温度が高くなる。マーカーの台に設置する際に熱がこもらないよう、設置方法についても事前に入念な議論が行われたという。
- CPU
AMD Ryzen™ Threadripper™ 24コア以上(最大96コア)
- GPU
NVIDIA RTX™ 6000 Ada
- メモリ
128GB
- SSD
1TB
3日間のイベントを通じて一度も止まることがなく、安定稼働を見せたHP Z6 G5 A Workstation
村山氏:イベント中は丸一日動かし続ける必要があります。ピーク性能が担保されれば良いわけではありません。その処理がやりきれればよいというギリギリのスペックでは不安が残るので、今回はある意味オーバースペックな構成を選び、不安定要素を限りなく抑えたいと考えていました。
実際、イベント期間中に不意なシャットダウンは一度もなく、用意されていたスペア機が使われることもなかった。
中田氏:大体こうしたプロジェクトは、当初に想定していた3Dデータを、いかにリダクションして軽くするかという工程が挟まってきます。精度の高い3Dデータは重いので、実際に出来上がり始めてくると、重くて思うように動かないから、だんだんフレームとかシェーダー、ポリゴン数とか、どこを諦めてチューニングしていくかみたいなワークフローになりがちですよね。
村山氏:今回はそうした調整は全くしませんでしたね。その分、実際の現場の運用をいかにスムーズにできるか、そこに注力できたのも、機材選定のおかげだと思います。
GPUが変えた、体験の回転率
HP Zシリーズの活躍は、単なる安定稼働にとどまらなかった。会場には5つのヴァーチャルカメラスタジオブースが設けられ、各ブース毎にZ6が設置された。更にそれぞれで撮影された映像はネットワーク経由で別のZ6に集約された。ここで体験者に共有する動画データがリアルタイムで生成されている。つまり計6台のZ6が同時にフル稼働するシステムが構築された。
CPU処理では1本あたり約1分かかってしまうところ、GPUを活用した並列処理を行うことで、10秒以下へと短縮されている。これにより、体験後すぐに動画をダウンロードできる環境が実現し、待ち時間を最小限にすることで、体験可能な人数のキャパシティ、個々の体験の質を大きく向上させた。
体験中の映像は正面のディスプレイにも表示され、ラウンジでは完成した映像も上映されたことで、体験できなかった来場者も映像を楽しめる設計となっていた。「人が体験している様子を見るのも楽しい」という視点が、フェス全体の一体感を高めていた。
技術を、次の世代へ
イベント終了後、「CGのカメラワークという仕事があることを初めて知った」という感想も寄せられたという。今後のアニメ制作においてプリヴィズやヴァーチャルカメラの重要性はさらに高まっていくため、制作におけるこうした技術は更に進化していくといえる。
中田氏は「ヴァーチャルカメラスタジオ自体をアップデートしたいとも感じます。今回はワンカットだったが、体験者もカット編集できるシステムなどコンテンツ価値を高める余地はまだまだ大きい。世の中に技術はたくさんある。その技術と表現をいかにマッチングできるか、それによってもっと面白いものが生み出せていけるはず」と進化の可能性について語った。
カラー、BASSDRUM、そしてHP Zシリーズ。三者が一体となって実現したヴァーチャルカメラスタジオは、映画制作技術を未来へつなぐためのスタートラインだった。
イベントダイジェスト動画:HP ワークステーションの利用シーンイメージはこちら