『SIREN』シリーズ、『GRAVITY DAZE』シリーズなどを手がけた外山圭一郎氏が2020年に起ち上げたBokeh Game Studio。同社の第1作となる『野狗子(やくし): Slitterhead』は、90年代の香港を思わせる猥雑な都市を舞台に、不特定多数のキャラクターに憑依し、操作しながら敵と戦う新感覚のアクションホラーだ。
新生スタジオがUE5でつくる斬新なアクションホラー
本作は90年代の架空の東アジアを舞台に、「猥雑な都市と廃墟」、「青年誌コミックSFバイオレンスの系譜」、「90年代的香港映画エキゾチズム」をコンセプトとする世界観の下、記憶と肉体を失った「憑鬼」となって人間に擬態する怪物「野狗子」を殲滅するというバトルアクションゲームだ。
特に、不特定多数のモブキャラクターに「乗り移りながら」プレイするという斬新なゲームシステムが大きな注目を集めている。
開発を手がけたのは、2020年に外山氏とプロデューサーの佐藤一信氏、ゲームディレクターの大倉純也氏の3名が設立したBokeh Game Studioだ。
初期のチームは過去にSIE JAPANスタジオで開発を共にしていたスタッフ約20名で構成されていたが、プロジェクトが進むにつれて社内スタッフは約60名に拡大し、外部協力会社のスタッフ約40名とも連携して進められた。2021年1月に開発が始まり、2024年6月の完成までのほとんどがリモート環境で行われた。
「今回の開発では、作業を上流から下流へリニアに進めるウォーターフォール式ではなく、計画、設計、実装、テストを反復しながら進めるアジャイル方式を採用しました。
ゲーム開発ではクラッシュ&ビルドが必然的に発生し、スケジュール調整にも時間を取られてしまうので、優先順位の高いタスクにまず取り組み、目に見える成果を継続的に出すことで効率的な開発が可能になりました」と、佐藤氏は語る。
本作にはUnreal Engine 5が採用されており、独自のツール開発にも注力された。例えば、UE5のカラー調整機能をカスタマイズしたり、エディタを拡張してパラメータの一元管理を可能にするなど、様々な工夫が施されている。それでは、本作のメイキングについて、次項から詳しく紹介する。
画づくりを実現するためのエンジン拡張
ゲームに依存しない多彩な描画機能を実装
コンセプトのひとつとして掲げられた「90年代的香港映画エキゾチズム」を体現するビジュアルの実現にあたり、参考にされたのがウォン・カーウァイ監督の作風だ。
『恋する惑星』などで知られるウォン監督の作品は、シーンごとに多様なカラーグレーディングが施されており、同じ場所を異なる目的で何度も訪れる本作の構造と親和性が高かった。そのため、多様なカラーグレーディングが本作の画づくりの要となっている。効率的なカラーグレーディング管理を目的に、描画プログラマーやツールプログラマーと連携し、専用ツールが開発された。
本作ではUE5を使用し、必要に応じてエンジンの機能拡張や定期的なバージョン更新を行いながら開発が進められた。グラフィックスプログラマーの近藤聰明氏は、「エンジン拡張は、特定のゲームに依存しない汎用的な機能として実装しています。ゲーム部分の実装とエンジン機能の実装は完全に分離して進めました」と語る。
実装された描画機能として、GIの分散ビルドツール、ライトリーク問題を解消する機能、ライトが照射される物体の裏側に発生するRinging問題の解消、カプセルシャドウの品質改善、カラーグレーディングのカーブ調整機能とLUTのHDR対応、Halo効果を表現することができるレンズフレアエフェクト、カスタムトーンマッピング関数、プレイヤー周辺の水面シミュレーションをGPUで実行する機能、Alembicファイルから直接VATデータを生成するツール、レイヤーブレンドの機能強化などが挙げられる。
特にカラーグレーディングは本作の肝となる要素であり、開発初期から重点的に取り組まれた。しかし、描画担当プログラマーが近藤氏一人であったため、一部スケジュールに遅れが生じる場面もあったという。
アートディレクターの藤井貴裕氏は、「描画機能の開発は初期段階から進めていましたが、近藤の一人作業だったので調整が必要な部分もありました。それでも中盤以降は機能が整い、以降はスムーズに進行しました」とふり返る。
GI周りの機能拡張
GI生成には、Epic Gamesが提供するGPULightmassを使用している。このツールはまだベータ版であり、不具合が発生する部分は独自実装で対応しているが、高品質なGIを生成可能だ。GIのビルドを効率化するために、分散ビルドのシステムも内製されている。
カーブによるカラーグレーディング機能
本作の特徴でもあるカラーグレーディングの多様さを実現するため、LUTをHDRに対応させるための処理が実装されている。
90年代香港映画を思わせる猥雑な都市の制作
コンセプトモデルで最終的なクオリティ基準を共有
本作の舞台は、90年代の架空のアジアの街で、かつて香港に存在した九龍城砦のようなスラム街がモチーフとなっており、主要レベルとしては、繁華街2レベル、九龍城2レベル、宗教施設1レベルの計5つのレベルが用意されている。
「背景アセット制作にあたり、実在する街をいくつか参考にしましたが、完全な再現を目指したわけではありません。また、意味もなく誇張されたオリジナル要素を加えることも避け、素材がもつ魅力を最大限に活かしつつ、失われた街への敬意を込めて丁寧に制作しました」と背景リードアーティストの茂木大典氏は語る。
開発は、茂木氏を含む社内スタッフ2名で始まり、その後フリーランスや中途採用のスタッフ、外部協力会社2社が加わり、最大で5名のスタッフで進められた。
DCCツールとしては、プロトタイプ制作時にはBlenderが主要ツールとして使用され、その後、Maya、ZBrush、Substance 3D Painterなどが駆使された。UEを使用した開発は初めてだったため、最初の3ヶ月間でコンセプトモデルを作成し、UEの操作に慣れながら背景アートの方向性を探っていったという。
「コンセプトモデルを作成することで、当初はあいまいだった問題が明確になり、課題を残しつつも最終的なクオリティの基準をスタッフ間で共有することができ、量産に向けた第一歩を踏み出すことができました」と茂木氏はふり返る。
背景制作の工程は、コンセプトモデル制作を進めた初期、ラフモデルを作成し、部屋の広さや段差、レベル全体の規模感などを検証した中期、本格的なアセット制作が始まり開発ペースが加速した後期と、各タームごとに明確な制作プランが立てられた。
本作の背景には多くの建物が配置されており、マテリアルはアーティストが仮組みしたUEのノードを描画プログラマーが制作・管理し最適化を行うことで、機能性と最適化のバランスがとれたビルのマテリアルが効率良く作成されている。ビルの配置においてもポリゴンの最適化が行われており、ゲームのパフォーマンスを意識した設計がなされている。
本作の雰囲気をつくり上げる要素は建物のマテリアルだけでなく、ライティングの効果によるところも大きい。ライティングは、現実世界の照明環境を忠実に再現することを目指し、光源の配置やカテゴリ分けなどを細かくリスト化し、それに基づいて調整が施されている。
3段階で進行した制作
背景制作は初期、中期、後期の3段階で進行した。
マテリアルによる窓の点灯表現
夜のシーンが多いため、ビルの窓の表現には工夫が施されている。
レイヤーブレンド機能を活用したビルのディテール
ビルのマテリアルは、タイリングした異なるサーフェス素材をマスクマップでブレンドして使用されることが多いが、マスクマップの解像度が低いとディテールが損なわれる場合がある。この問題を解決するため、アルベドは素材を表す属性と考え、色空間の距離をハイトマップの距離の差分として処理することでディテールを保持している。
ビルの最適化
ステージには大量のビルが配置されるため、開発中盤から最適化作業を実施。最適化の検証は、要素が出揃う前から小規模なテストをくり返しつつ進められた。
現実世界を再現したライティング
ライティング作業は、描画プログラマーと共同で進められ、機能追加や不具合修正をプログラマーが対応しながら行われた。
高品質と効率性を兼ね備えたキャラクター制作
2つの制作フローで効率的に物量を確保
本作のキャラクターは、メインキャラクター、エネミーキャラクター、モブキャラクターの3カテゴリに分類され、その制作フローは大きく2つに分けられる。
メインとエネミーは内部アーティストがモデルのルックデヴや仕様書を作成後、外部協力会社にモデルとテクスチャを依頼し、納品データを内部スタッフがUEで調整。キャラクターテクニカルアーティストがボーンやウェイト設定を施し、スケルタルメッシュ化するながれとなっている。
一方、モブキャラクターは社内制作で進行。パーツ制作担当と仕上げ担当に分かれて制作し、スケルタルメッシュ化される。結果として、本作にはメインキャラクター38体(衣装替え含む)、ボス15体、エネミー6体、モブ306体が登場する。
メインキャラクターのルックは、吉川達哉氏によるデザインのイメージを活かすため、当初はスタイライズドスタイルも検討されたが、ホラーやバイオレンス表現との相性、背景との調和などを考慮し、「造形バランスは2Dデザインベース、質感はフォトリアル寄り」に設定された。
また、外部協力会社への依頼においては、翻訳を想定した明確な仕様書やリファレンスの提示方法を試行錯誤し、スムーズな連携を実現。
「外部協力会社には海外の企業も含まれていたため、翻訳されることを想定して曖昧な表現を避けたり、主語のないコメントをしないといった細かなルールを設定しました。また、リファレンスについても、後から細切れに送るのではなく、最初に画像1枚にまとめて提示するなどの工夫もしています」とキャラクターアーティストの村上由宇麻氏は語る。
エネミーキャラクターは外山圭一郎氏がコンセプトを考案し、造形作家の米山啓介氏が最終デザインを担当。攻撃手段の多様性の確保や制作コストとのバランスを考慮し、1つのスケルトン構造から5つの見た目とモーションセットを入れ替えて運用し、バリエーションを増やした。
プレイヤーが憑依して自由に操作可能なモブキャラクターは、社内で男女それぞれ7種類のベース体型と224種類の頭部モデルを作成。これらのデータを組み合わせることで、多彩なバリエーションを効率的に生み出している。
メインキャラクターのルックデヴ
メインキャラクターのルックデヴは、「造形バランスは2Dデザインベース」「質感はフォトリアル寄り」という指針のもと進められた。
メインキャラクターの量産体制
ルックデヴ終了後、メインキャラクターの量産工程へ移行する。外部協力会社への依頼の割合が高いため、詳細かつ簡潔な仕様書が作成されている。また、パーツごとに制作会社を分担し、並行作業で効率化を図った。
野狗子(完全体)
野狗子(完全体)のコンセプトワーク例。野狗子は5つの形態に変化するため、1つのスケルトン構造を活用してバリエーションが生み出されている。デザインコンセプトは外山圭一郎氏、最終デザインは造形作家の米山啓介氏が担当した。
プレイヤーキャラクターとして成立するモブキャラクター
ゲーム中、プレイヤーとして操作可能なモブキャラクターは、「アジア圏の生活感」と「人々の多様性」をコンセプトにデザインされ、性別や年齢、ロケーション、服の着こなしによって個性が表現されている。当初はCharacter Creatorなどの既存ツールでの自動生成を試みたが、アジア人の特徴を再現するのが難しく、アーティストがスカルプトする方法に変更された。
ケレン味とリアリティを両立したモーション
キャラクターの種類に応じた多彩なモーション制作
キャラクターのモーション制作は、プレイヤーキャラクター、エネミーキャラクター、NPC、イベントシーン、モーションテクニカルアーティストに各1名ずつスタッフがアサインされ、専任で担当している。
カットシーンは、ディレクター1名、プロジェクトマネージャー1名、実作業2名の計4名で対応し、インゲームデモ48シーンとプリレンダームービー40本を制作。「少人数ながらもベテランスタッフのスキルで実現できました」とリードアニメーターの並木良夫氏は語る。
メインキャラクターの稀少体8体は、個性を活かしたモーションをアクションの得意なアニメーターが専任で制作。「本作はアクションゲームなので、バトルの手触りを重視して制作してもらっています。待機演出、攻撃、移動などそれぞれのキャラクターの個性を反映させています」(並木氏)。
一方、モブキャラクターはゲーム内での出来事に説得力をもたせるため、ケレン味は残しつつ可能な限りリアルなモーションになるように制作されている。
「様々な体型、サイズのモブキャラクターがプレイヤーとして操作されることになるので、それを前提にカットシーンやイベントのモーションを作成するのは非常にチャレンジングな試みでした」と並木氏は話す。
エネミーキャラクターは、様々なモチーフでデザインされているが、それぞれのエネミーが実際に生きている様子を想像しながら、モーションを制作。野狗子の完全体は1つのスケルトンで5つのフォームに変形するが、ひとつのスケルトンに対して複数のモーションを作成する必要があり、大変な作業になったという。
モーション制作はMayaをベースとし、リグやエクスポーター、ピッカーなどは内製ツールで対応。インゲームの主要モーションやカットシーンのモーションは外部スタジオでモーションキャプチャを収録し、追加で必要になったモーションはXsens MVNを用いて社内で収録。
フェイシャルモーションはiPhoneアプリMocapXを使って社内で収録した。従来の画像解析ほど自由度はないが、必要十分なデータを得ることができたという。
各キャラクターのリグ構造
カットシーンの自動構築システム
カットシーン制作では、ヒューマンエラー防止と効率化のため、アセット管理システムを開発。カットシーンごとに使用アセットがリストアップされたCSVデータを用意し、作業者はシーン構築ツールでCSVを読み込み、必要なアセットを自動的に読み込むしくみだ。このカットシーンごとのアセットリストはUEのシーン構築でも使用される。
ホラー表現を加速するビジュアルエフェクト
Niagara Ribbonをはじめ多種多様な手法を駆使
ビジュアルエフェクトは、3名のアーティストによるチームで制作。そのうち1名は外部スタッフがエフェクト専任TAとして参加している。「UEやNiagaraを初めて使う私たちのテクニカルサポート的な役割も担っていただき、大変助かりました」とエフェクトアーティストの河田衣子氏。
使用ツールは、UEのNiagaraを中心に、Blender、Maya、EmberGen、Substance3D Painter/Designerなど多岐にわたる。
本作ではエネミーの芋虫の動きや触手、唾液などの液体表現にUEのNiagara Ribbonが活用されている。一般的に剣の軌跡エフェクトなどに使用されるRibbonだが、芋虫のうねうねとした動きも表現可能で、ユーザーパラメータにより落ちる速度や頻度の細かい調整ができる。
軟体系の野狗子の触手も同様にNiagara Ribbonで制作されており、キャラクターの触手モデルを途中からエフェクトにすることで、ボーンを細かく入れなくともユーザーパラメータで触手の動きを自由にコントロール可能だ。
本作では血をモチーフにした演出が多く、Ribbonをはじめ、スプライト、3Dメッシュ、VAT、Flipbookなど多彩な手法が駆使されている。
「リアルな描写が多いゲームなので、血のエフェクトもファンタジー感を排除し、リアルに寄せることを意識しました」と河田氏は語る。様々な手法を組み合わせることで、密度が高く視覚的に飽きのこないエフェクトに仕上がったという。
リアルタイムデモのエフェクト制作は河田氏を中心に行われ、UEのシーケンサーでNiagaraを用いた素材を配置。メインシーケンサーとは別にエフェクト専用のサブシークエンスを作成することで、アニメーションやサウンドとの並行作業を可能にしている。
さらに、一部のリアルタイムデモのライティングも河田氏が担当。最終的な色味や演出の統一を図りつつ、各カットへの理解を深められるこの工程は非常に有意義だったと河田氏は語る。
Niagara Ribbonの活用
Niagara Ribbonはトレイルエフェクトの生成だけでなく、ホラー表現においても非常に活用範囲が広い。
血をモチーフにした演出
CGWORLD 2025年1月号 vol.317
特集:韓国CGの今
判型:A4ワイド
総ページ数:112
発売日:2024年12月10日
価格:1,540 円(税込)
TEXT_大河原浩一(ビットプランクス)
EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)、山田桃子 / Momoko Yamada
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota