2021年12月に始動した「ONN’ON STUDIOS」(オナノンスタジオ)は、東映アニメーションVRChatで展開する新規事業だ。これの新しいワールドとして、2023年2月に「ノスタルジア1999」が公開された。本ワールドでは東映アニメーションとソニーのコラボによって、ノスタルジー溢れる1999年7月のオタクの六畳部屋が再現されている。本ワールドに込めた遊び心や、プロならではの制作手法について、開発を担当したライノスタジオに聞いた。

記事の目次

    interviewee

    谷口勝也氏

    ライノスタジオ
    CTO/アートディレクター

    田代浩章氏

    ライノスタジオ
    シニアアーティスト/ディレクター

    ‟90年代のオタク部屋” がVRChat上に出現!?

    VRChatのワールド「ノスタルジア1999」の全景。ユーザーは手の平サイズの小人になって本ワールドを探索できる

    「ノスタルジア1999」の開発を担当したのは、リアルタイムのCG制作に特化したライノスタジオ。東映エージェンシーとソニーが2021年に開催したVRイベント『VRデビルマン展~悪魔の心、人間の心~』の制作全般を担当した実績が評価され、抜擢につながった。

    『VRデビルマン展』との大きなちがいは、オリジナルのプラットフォームではなくVRchatで展開したことだろう。「ONN’ON STUDIOS」は当初からグローバル展開を視野に入れており、国内外のユーザーに楽しんでほしいという思いがあった。そのため世界的に認知され、ユーザー数の多いプラットフォームであるVRChatが選ばれた。

    「ノスタルジア1999」の制作は、「1999年7月のオタクの六畳部屋を再現する」というコンセプトの基でスタートした。90年代は日本が世界に向けて躍進した時代で、ソニーをはじめとする日本企業の製品が世界を席巻したり、日本のアニメが ‟ANIME” として世界進出を始めたりした。ちなみに1999年7月は『ノストラダムスの大予言』(1973)で人類が滅亡するとされた月で、当時大きな話題となった。

    六畳部屋の中はアニメのグッズやソニー製品で溢れている
    押し入れの中にはコンセプトの軸となった『ノストラダムスの大予言』を特集した、月刊『ムー』1999年8月号が置かれている。表紙は当時刊行されたものを完全再現

    VRChatのユーザーの主な年齢層は18~35歳で、90年代に学生時代を過ごしていない人も多い。だが本ワールドを通じて、体験したことのないはずの1999年の ‟ノスタルジー” に興味をもつ人は少なくないという。「ノスタルジア1999」が再現しているのは、90年代のオタクの六畳部屋であると同時に、当時の男子高校生の部屋でもある。時代はちがえども、誰もが過ごした18歳という通過点には、共通のノスタルジーを感じるのだろう。

    また、日本のアニメが好きな海外ユーザーにも好評のようで、体験していないからこそ、興味をそそられるという側面もあるようだ。90年代を過ごしてきた世代には懐かしく、そうではないユーザーには目新しい刺激的な空間として楽しめるワールドとなっている。

    マンガやアニメのグッズの中に混じっている早稲田大学の赤本。こういったアイテムの存在が「高校生の部屋」という設定の説得力を高めている

    『おジャ魔女どれみ』や『銀河鉄道999』も登場。随所に90年代を感じさせる工夫が

    本ワールドをつくるにあたりライノスタジオが最初に注力したポイントは、「とにかくモノで埋める」ことだったという。当時を感じさせるモノをたくさん配置することで、情報量を増やし、昔懐かしいオタク部屋の雑多な雰囲気が出るようにした。どこにいても90年代の雰囲気が感じられる、こだわりの詰まったワールドとなっている。

    窓際の棚にはソニーのラジカセ「CFD-D77」(1986年発売)をはじめ、『カウボーイビバップ―Wild Man Blues』(1999年発売)、『機動戦艦ナデシコ―ルリ AからBへの物語』(1999年発売)の文庫本などが置かれている

    本ワールドのメインイベントは90年代に放映されたアニメ作品のウォッチパーティなので、全体構造は劇場を模しており、TVがスクリーン、その手前のテーブルがアリーナ席、周囲の棚やベッドが階段状の座席という位置づけだ。ウォッチパーティは、2月25日(土)の第1回を皮切りに、毎週土曜日に開催されている。「ウォッチパーティをやるなら、劇場こそが最適の構造だと思いました」と谷口勝也氏(アートディレクター)は語った。

    また、TVに向かって左側に立てかけてあるギターを登っていくと、押し入れの中には『おジャ魔女どれみ』(1999〜2003)のポスターやグッズが飾られた秘密のスペースもあり、やや妖しげなクラブのような雰囲気になっている。「本当は『どれみ』が大好きだけれど、このポスターは外には貼れない」という男子高校生の心理を反映しているのだという。当時『どれみ』を見ていた男性の中には、共感する人も多いのではないだろうか。オタクの部屋ではあるが、同時に普通の男子高校生の部屋でもあることが伝わるよう、空間デザインの匙加減に注意したそうだ。

    ウォッチパーティでアニメ作品が上映されるTV
    押し入れの中。奥に『おジャ魔女どれみ』のポスターが貼られている
    『おジャ魔女どれみ』に登場する変身アイテムである「ペペルトポロン」が、押し入れの中を照らす光源となっている

    ワールドを実際に歩いてみると、細かいこだわりがたくさん散りばめられているのがわかる。部屋の住人は松本零士ファンという設定なので、映画『銀河鉄道999』(1979)のキャラクターが勢揃いしたポスターや、メーテルのフィギュアなどが飾られている。1999年に放送開始した『デジモンアドベンチャー』のポスターも確認できる。

    左から、アルカディア号、大空魔竜ガイキング、メーテル
    うさぎのぬいぐるみはオリジナルでつくったもの。当時流行したパンダのキャラクターをイメージしたとのこと。階段の代わりにプラモデルの箱が積まれている空間デザインが秀逸だ

    本ワールドは細かいところまでつくり込まれており、それらを発見する楽しさもある。ベッドの下に転がっている丸められた答案用紙は、田代氏のお子さんのものをスキャンしてつくっているという。使い込んだカラーボックスの天板が歪んでいたり、変わった名前の日本刀のレプリカが置かれていたりといった細部のこだわりや遊び心を上げていくとキリがない。

    • 丸められた答案用紙の点数は、実は52点
    • 使いすぎて歪んでしまったカラーボックスの天板も、オタクの部屋を再現する上でのこだわりポイントだ
    オリジナルの「祖仁威(そにい)刀」。室内には「90年代っぽさ」を意識してつくられたオリジナルのモノも数多く配置されている

    開発の途中でアイデアが出され、「ONN’ON STUDIOS」公式キャラクターのメモリちゃんが当時大流行したパラパラのダンスを踊るイベントも追加された。

    日本時間で正時と30分になると、軽快な音楽と共にメモリちゃんが登場してパラパラダンスを踊る

    フォトグラメトリーで当時のソニー製品を完全再現

    本ワールドの制作にはソニーも協力しているため、部屋の随所に当時のソニー製品が配置されている。これらの3Dモデルの多くは、現存する実物をソニーから借り受け、ライノスタジオの社内でフォトグラメトリーすることで生成した。海外向けのVAIO「PCV-90」や初代のAIBOは実物を調達できなかったため、仕様書を基にイチからモデリングしている。

    フラットで硬質な工業製品のフォトグラメトリーは意外と難しく、形状を読み取りにくい領域にマスキングテープを貼ることで対応している。読み取れなかった領域のテクスチャは、Substance 3D Painterで制作することで補完した。

    • ソニーのデジタルカメラ「MVC-FD7」(1997年発売)
    • ソニーのカセットテープ「BHF60」(1978年発売)
    ソニーの初代ウォークマン「TPS-L2」(1979年発売)。部屋のいたるところで当時のソニー製品を発見できる
    ソニーのベータマックス「SL-8100」(1977年発売)のフォトグラメトリーの様子。形状を読み取りにくい領域に白色のマスキングテープを貼っている
    「ノスタルジア1999」に配置されたベータマックス「SL-8100」。隣にあるベータマックスのテープも当時のものを再現している

    VHSとベータマックスのビデオデッキが揃っていたり、VAIO「PCV-90」を立ち上げるとインターネット黎明期のWebデザインを再現したページが表示されたりといった細かいこだわりは、ソニーとコラボしたワールドならではと言える。

    製品の多くはソニーが選定しているが、AIBOは東映アニメーションの要望で追加されたそうだ。

    • ソニーのVHS「SLV-R5」(1999年発売)
    • ソニーのVAIO「PCV-90」(1996年発売)は、海外で販売されていたモデル。立ち上げると当時のWebデザインを再現したページが表示される
    ソニーのエンターテインメントロボット「AIBO」(初代、1999年発売)。実物を調達できなかったため、仕様書を基にイチからモデリングしている

    本ワールドに置かれたソニー製品は当時の人から見ても高価なものが多く、子供部屋らしからぬ側面もあるため、部屋の住人には ‟ソニーの偉い人の息子” という裏設定もあったという。それを聞くと、部屋の住人と家族との関係性まで想像できて面白い。

    90年代のソニー製品は歴史に残る名品ばかりなので、当時を知る人には懐かしく、当時を知らない人の目にもカッコ良いガジェットとして映るのではないだろうか。

    部屋のあちこちに散らばっているソニーのフロッピーディスクやMDには、謎が書いてあり、すべてが解けると秘密の部屋が……!?

    メイキング1:VRChatの検証とレベルデザイン

    本ワールドの企画は2022年6月に始動し、コンセプト立案やレベルデザインを経て、9月から12月にかけて細部がつくり込まれた。さらにデバッグや調整を行い、2月に公開となった。制作スタッフは延べ8人程度だ。

    ライノスタジオは本ワールドの本格的な制作に先立ち、テスト用のワールドをつくり、そこに既存のアセットを配置してVRChatの検証を行なった。「VRChat上での制作は初めてだったので、どこまで表現できるか、どのようなつくり方が適しているかを知る必要があったんです。1週間ほどかけて、最適な品質の見極めを図りました」と田代浩章氏(ディレクター)は語った。

    VRChatの機能を検証するために制作したテスト用のワールド

    VRChatの検証と並行してレベルデザインも進められた。「ノスタルジア1999」のコンセプトや、ウォッチパーティの機能を実現できる空間設計を目指し、簡易モデルを使った試行錯誤が重ねられた。

    開発初期のレベルデザイン。ウォッチパーティの機能を実現するため、劇場を模した空間設計が行われた
    初期より進んだレベルデザイン。移動経路となる棚やキーボードなどが配置されている。当初は押し入れへの道としてキーボードが置かれていたが、「キーボードは立てかけたくない」という理由からギターに変更された
    完成した「ノスタルジア1999」
    完成した部屋の端からTVを見た場合の光景。TVにいたるまでの家具が階段状に配置されており、劇場後方の座席からスクリーンを観るような構造になっている

    メイキング2:Quest版対応のためのデータサイズ圧縮

    ワールドの本制作に用いた主なツールはMaya、Substance 3D Painter、Unityで、比較的多くのデータ容量を使えるPC版から着手した。後日データ容量の制限が厳しいQuest版にも対応する予定だったので、ポリゴン数はQuest版に合わせて抑えられ、視界内に入るポリゴン数が常時25万程度に収まるように設計されている。ワールド内の陰影情報の大半はライトマップにベイクすることで軽量化を図った。

    「PC版とQuest版のポリゴン数やトポロジーを共通化しておかないと、後日の修正対応が煩雑になるため、最初からQuest版に合わせました。Quest版は主にテクスチャの解像度を落とすことでさらにデータ容量を抑えています」(谷口氏)。PC版のワールド全体のデータサイズは480MB、Quest版は80MBなので、1/6まで圧縮されている。

    テクスチャはAlbedo、Metalicness、Normal、Occulusionなどを使っており、大きなポスターなどのAlbedoは解像度を落としすぎると見映えを大きく損なうので、可能な限り高い解像度を維持している。一方で目立たない部分の解像度は思い切って落とすことでバランスをとっており、特にMetalicnessとNormalは限界まで抑えられた。Occulusionは使っていないモデルも多く、使う場合には谷口氏と田代氏の間で解像度の落とし所についての意見交換が重ねられた。

    PC版とQuest版の比較

    • PC版
    • Quest版
    近くで見たPC版のポスター
    PC版の1/4まで解像度を落としたQuest版のポスター。近くで見るとPC版に比べて文字がぼやけている。これ以上解像度を落とすと文字が読めなくなるという、ギリギリの落とし所を見極めている
    左がPC版、右がQuest版のうちわ。Quest版のAlbedoは1/2、比較的見た目に影響しないMetalicnessは1/32まで解像度を落としてある

    本ワールドはライティングのクオリティが高く、これには東映アニメーションの担当者も驚いたという。「元のライティングを綺麗に設計しておけば、綺麗なライトマップをつくれます。この部屋はモノが多いので、様々な影を落とすことでリッチな画にできました」と田代氏は語った。ライトマップは適用してみないと良し悪しを判断できないため、何度もベイクを繰り返してクオリティを上げていった。なお、ベイクにはUnityのプラグインであるBakery - GPU Lightmapperを使っている。

    ライトマップ適用前
    ライトマップ適用後
    • PC版のライトマップ
    • Quest版のライトマップ。PC版の1/4まで解像度を落としている

    本ワールド内には太陽光としてディレクショナルライト、押し入れ内などの照明としてポイントライトやスポットライトが20個ほど設定されており、ライトマップのベイクに使った後も、後日の修正対応ができるようにUnity内に残してある。テーブルの直上の電灯にはスポットライトが設定されており、リアルタイムに影を落としたり、ウォッチパーティの際に部屋を暗くしたりできるようになっている。

    テーブルの直上の電灯にはスポットライトが設定されている
    ベイク用のライトは20個ほど設定した

    プロならではのユーザビリティを重視した設計

    VRChatのワールドは個人で制作しているものが多く、「ノスタルジア1999」のようにプロが商業目的のワールドを制作するケースは少ない。「われわれの強みは、様々な分野のプロフェッショナルの共同作業によってクオリティを上げられる点だと思います。コンセプト立案から、レベルデザイン、アセット制作、レイアウト、ライティング、デバッグにいたるまで、チームで取り組めるので、物量の面でも、ユーザビリティの面でも、高いクオリティを追求できます」(谷口氏)。

    ワールド内のオブジェクトは、ユーザーのアバターとの衝突を回避するためにコライダーを設定する必要があり、「ノスタルジア1999」はその設定にも細やかな配慮が行き届いていると東映アニメーションの担当者は語った。個人のワールド制作者はオブジェクトのメッシュに正確に一致するメッシュコライダーを使用するケースが多いが、処理負荷が高くエラーが発生しやすい。そのためライノスタジオでは、処理負荷の低いプリミティブなコライダーを組み合わせる複合コライダーを採用している。「アセットよりひとまわり大きいコライダーを設定しておくと、ユーザーは快適に移動できます」(谷口氏)。

    押し入れに登るためのギターのコライダー。ストレスなく移動できるように、ギターのメッシュよりもひとまわり大きい複合コライダーが設定されている
    祖仁威刀にもひとまわり大きいコライダーが設定されている。「ここに行けると面白い」という場所までモノを辿って到達できるように、レベルデザインやデバッグなどの各工程でチェックが繰り返された

    ウォッチパーティの開催時には事前の想定よりもアクティブに部屋中を走り回って楽しむユーザーが多かったとのことで、プロならではの絶妙なコライダーの設定による効果も大きいだろう。

    今後の「ONN’ON STUDIOS」の展開

    「ONN’ON STUDIOS」は現在も新ワールドを準備中で、大泉学園や秋葉原をモデルにした400メートル四方の街を企画している。ワールドのデザインは東映アニメーションが行い、制作はライノスタジオが担当する。引き続きプロ目線のレベルデザインやワールド制作を提案しているとのことで、今から公開が楽しみだ。

    「ワールド内での大規模なアニメイベントの開催を計画しており、ソニーさんも引き続き協力してくださいます。AIを活用したアバターも登場します。5月以降の公開を予定しているので、続報をお待ちください!」(谷口氏)。

    『銀河鉄道999』©松本零士・東映アニメーション/『おジャ魔女どれみ』©東映アニメーション/『デジモンアドベンチャー』©本郷あきよし・東映アニメーション/『大空魔竜ガイキング』©東映アニメーション

    TEXT_石井勇夫/Isao Ishii(ねぎデ)
    EDIT_柳田晴香Haruka Yanagida(CGWORLD)、尾形美幸Miyuki Ogata(CGWORLD)、李 承眞Seungjin Lee(CGWORLD)
    PHOTO_弘田 充/Mitsuru Hirota