約4年の大規模改修を経て今年3月に再開した江戸東京博物館では、3階〈江戸東京ひろば〉で、巨大天井と柱を活かしたプロジェクションマッピングを展開。ここでは、浮世絵の世界観を描いた『Traditional GRID』を取り上げ、クライマックスを飾る鰐鮫と波のメイキングについて聞いた。
※本記事は月刊「CGWORLD + digital video」vol. 337(2026年9月号)からの転載となります。
江戸の“鑑賞”から“体感”へ
江戸東京博物館は、大規模リニューアルにともない、これまで主に来館者の動線として使われていた3階〈江戸東京ひろば〉を、新たな体験空間として活用することになった。100mを超える広大な吹き抜けを有するこの場所で、巨大な天井面と柱に映像を投影し、屋内展示へ向かう前段階から来館者を江戸の世界へ誘う試みである。
LILは、この空間に展開される5つの映像コンテンツのうち3作品を担当。その中でも『Traditional GRID』は、江戸東京博物館の所蔵資料や展示資料を基に構成された、プロジェクトの方向性を示す象徴的なコンテンツとして位置づけられた。
©東京都江戸東京博物館/LIL
全体の演出と企画構成、Vコンテ制作、アートディレクションを担ったLILの橋本大佑氏は、共通するテーマについて「江戸の世界を鑑賞するのではなく、江戸を体感する」ことだったと語る。『Another Sky』では江戸と現代の空が時空を越えてつながり、『Moving Picture』では巨大な絵巻の中を歩くような感覚が目指された。
そして『Traditional GRID』では、浮世絵や相撲、江戸の文化資料がグリッド状の建築空間へ流れ込み、現代の観客を江戸のイメージの只中へ包み込む。建築構造を活かした映像配置により、空間全体で物語性を伝える設計がなされた。
一方で、そのクライマックスにあたる鰐鮫から北斎の波へとつながるパートは、技術的にも大きな挑戦となった。原典である浮世絵の印象を崩さずに3D空間へ落とし込み、かつ実空間での迫力を担保するという難題に対し、技術的な解決策と制作体制を組み立てたのがGUNCY'Sである。
代表の野澤徹也氏は「やっぱり一番難しいのは波」とふり返り、波表現に強みをもつinbetween、鰐鮫まわりのレイアウトやディテール設計を担うGUNCY’S、さらにプロシージャルな鱗や版画的ルックのR&Dを担うMINO氏らを招集。
Houdini Copernicus/COPを用いたルック開発など、最新の技術アプローチを交えながら、LILが描いた空間演出の構想を、それぞれの専門性によって実現していった。
<1>100mを超える広大な空間への投影を成立させる映像設計
巨大投影ならではの難しさと現地での調整
『Traditional GRID』の制作では、江戸東京博物館3階〈江戸東京ひろば〉の巨大な天井面と柱を、単なる投影面ではなく、一体の映像空間として設計することが重視された。リニューアルにあたり新たな体験空間として活用されることになった同エリアは、天井に格子状の構造をもつ大規模な吹き抜け空間である。この形状を活かし、浮世絵や江戸の文化資料がグリッド状の空間へ流れ込み、やがて鰐鮫や北斎の波へと展開していく映像体験を構想した。
制作にあたっては、まずVコンテやプリビズによって、映像全体のながれやレイアウトを検証した。特に本作は、一般的な平面スクリーンに向けた映像ではなく、天井面と柱面をまたいで展開するプロジェクションマッピングである。
そのため、制作時にはチャートと呼ばれる投影面のテンプレートを基準とし、各社が同じ空間構造を前提に作業できるようフォーマットが整えられた。最終的には20台を超えるプロジェクタへ映像を切り分けて実装するが、制作段階では天井と柱を一体のスクリーンとして扱うことで、波や鰐鮫の動きが空間全体に連続して見えるよう設計されている。
巨大投影ならではの難しさもあった。実際の天井には格子やタイルの目地があり、映像の位置が数ピクセルずれるだけでも違和感につながる。そこでチャートに沿って細かな位置合わせを行い、テスト投影を通じて見え方を調整していった。また、制作画面上では十分な迫力があるように見えても、実際に100m規模の天井空間で見ると印象が変わる。
鰐鮫の登場シーンでも、初回のテスト投影後に画面内へ収めるだけでは迫力が足りないことがわかり、頭部をより手前へ出す方向に調整された。こうした検証を重ねながら、映像としての完成度だけでなく、現地で見上げたときのスケール感と没入感を高めていった。
立体空間におけるプリプロダクション
『Traditional GRID』のVコンテ。平面映像ではなく、天井面と柱面を一体のスクリーンとして設計するため、各モチーフが空間内をどのように移り変わるかをこの段階で検証した。天井面は広く遠くからも視認できることから、どこからみても見せ場があるように意識されている。相撲から鰐鮫、北斎の波へとつながる場面転換や、視線誘導の流れもこの段階で整理している。
巨大投影のための設計資料
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▲実際の展示空間をCG上に再現し、観客の目線や特定の角度から天井を見上げた際の見え方をシミュレーションしている。平面的な制作画面では把握しにくい天井と柱面をまたぐ映像の連続性、巨大空間ならではのスケール感を事前に確認・調整するためのしくみとして活用された -
▲実際の展示空間で実施されたテスト投影の様子。テスト投影が可能となった1月中旬以降、100mを超える広大な天井空間における映像の検証が行われた。PCモニタ上での確認とは異なり、実空間では視界の広さによる遠近感や、周囲の環境光による明るさ・発色の印象のちがい、波のスケール感やディテールがチェックされた。現地で見上げた際の迫力と没入感を目指したアップデートが重ねられた
<2>浮世絵の怪魚を巨大な3DCGへ
見えない造形を解釈し、鰐鮫を動かす
『Traditional GRID』のクライマックスに登場する鰐鮫は、歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」を基に制作された。原典に描かれた鰐鮫は強烈な存在感をもつ一方、あくまで浮世絵として成立している静止画であり、3Dモデルとしてそのまま立体化できる情報が揃っているわけではない。GUNCY’Sの長田晃輝氏は「顔つきや身体の形状には左右非対称な部分もあり、映像内で回転したり水面から姿を現したりするためには、見えていない裏側や腹側を解釈して補完する必要がありました」と語る。
そこで、原典の印象を保ちながら、生物としての説得力をもつ造形へとデザインを再構築した。ローモデルで全体のバランスを検証した後、MayaやZBrushなどでハイモデルを作成。口や目、体表のディテールをつくり込むと共に、左右非対称の造形や演出用の背びれなども取り入れ、映像として動かせる造形へと仕上げていった。
特に重要な要素となったのが鱗である。テクスチャとして描くのではなく、1枚1枚をポリゴンとして配置することで、巨大な投影空間に耐える密度と、身体の動きに伴う立体的な変化を実現した。R&D段階ではBlenderのGeometry Nodesを用いて、鱗の配置や回転、サイズのランダム性を検証。さらに渦巻き状の鱗模様やUV展開、部位ごとの密度調整を行い、原典に近い有機的な体表を再現した。
ルック制作ではCOPが用いられた。「ポスタリゼーションでは画として良いものにはならず、本来の版画の表現を踏襲し、COPでも版画の色版を重ねるように複数の色面やマスクを合成しました」とMINO氏は語る。また、鱗は1枚ずつ立体として制作されているため、そのまま色版を適用すると凹凸に色が引っ張られ、浮世絵らしい平面的な印象が損なわれてしまう。そこで鱗なしのプロキシモデルを別途レンダリングし、その情報を利用して色面を重ねることで、立体物としての存在感と、浮世絵らしいルックを両立している。
原典の解釈をデザインに活かす
本作の原典の歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」。一見すると巨大な怪物が人間を襲っている構図に見えるが、実際は、絶望して自刃しようとする源為朝を崇徳院の眷属である烏天狗が制止し、海へ投げ出された為朝の嫡男らの命を鰐鮫が救おうとしている場面である。この「人を助けている」という本来の背景を共有し、迫力を出しつつも、人を襲っているようには見せない動きのニュアンスを意識して制作された歌川国芳/画「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」(江戸東京博物館)。
出典:Tokyo Museum Collection(museumcollection.tokyo/works/6233385)
浮世絵を3Dモデルに落とし込む
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▲鰐鮫のローモデル。ベース形状の策定に加え、初期のレイアウトやアニメーションの検証に活用された。本作の狭い海面空間の中で奥行きのある複雑な動きをさせる際、1匹のモデルだけでは構造上の整合性がとれず破綻が生じることが判明。そのため、内部的にトータル3匹のモデルを用意してシーン内で入れ替えながらアニメーションをさせ、出番のないモデルや見えてしまうと不都合な部位は海の中に隠すようにした -
▲ハイモデルは、MayaやZBrushによって緻密に構築されていった。原画で視認できないヒレの構造には、魚に詳しいという小長井氏の知見を活かして、シーラカンスなど魚類の資料を参考に独自の肉付けを実施した。ジョーズ風の演出を実現するため、出現時のみ原典にはないダミーの背びれを背中に配置。画面に飛び出す瞬間にはそのヒレを外すことで、原典のルックや印象を損なうことなく、監督の求める演出との両立を果たした
カスタムツールで鱗の作成を効率化
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▲本作では、BlenderのGeometry Nodesを用いてプロシージャルに鱗を生成・配置するツールを開発。テクスチャではなくメッシュとして配置することで、水滴のシミュレーションにおける緻密な干渉表現を可能にした。このツールでは、通常の鱗と背中の「渦巻うろこ」など4種のテンプレートをウェイトで切り替える仕様が実装されている。顔周りなど局所的な密度調整には、メッシュをカーブ化して容易に頂点数を増減できるモードを構築した。さらに作業を効率化するため、ウェイトを増減できる自作アドオンなども開発された -
▲質感については、Substance 3D Designerで独自に開発した「渦巻テクスチャジェネレータ」をSBSAR形式でコンパイルし、Substance 3D Painterへ導入して検証が行われた。浮世絵特有の手描き感を再現するため、線の抑揚や間隔、かすれ、にじみをパラメータ制御できるように設計。線の接合部が不自然に太くなる「インクだまり」問題を解決するため、あらかじめ5段階の基本線幅を選択した上で微調整するしくみを構築した。約3,600枚(16のUDIMタイル)におよぶ膨大な鱗に対して、デジタル感を排除したアナログ的な版画の質感を効率的に落とし込んでいる
版画の手順をCOPで再現する
COPを用いた浮世絵ルックの構築プロセス。多色刷り木版画のしくみを模倣し、CryptomatteやIDマップから抽出した各色版マスクをベースに、刷り跡や木目ノイズ、墨版(輪郭線)などの要素を分解して出力。単純な減色処理ではなく、個別のマスクを介して減法混色アプローチで重ねていくことで、3Dの立体感を抑え、原典が持つ独特な質感と版画特有のシャープな色の境目を再現している。
テスト投影して見えた迫力の課題
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▲鰐鮫が画面内に収まるよう制作されたテスト投影前のアニメーション。実際の会場で行なったテスト投影では、想定よりも動きが縮こまって見え、「迫ってくる感覚」が弱く感じられるという課題が浮き彫りになった -
▲テスト投影を踏まえ、迫力を優先するために最後のジャンプの飛距離を頭ひとつ分長く調整。一部見切れを許容したことで、縮こまって見えていた問題が解消され、ダイナミックな演出として仕上げられている
<3>写実と浮世絵の中間を模索した波の表現
COPで構築する浮世絵の海
鰐鮫の登場シーンを印象づける重要な要素が、周囲を取り巻く海面と波である。波はinbetweenによって作成された。CEOの柳生大志氏は参加した経緯について、「もともと別の作品で、リアルな北斎の波をつくった経験もあり、難度も自由度も高く面白そうだったので、ぜひと参加させていただきました」とふり返る。
波についても、リアルな水の動きと浮世絵らしいルックを両立する表現が追求された。「別作品でつくった北斎の波からスタイライズド表現を落としていき、浮世絵すぎず、リアルすぎない良い塩梅の表現を探っていきました」とinbetweenの近藤日明氏は語る。
鰐鮫が登場するシーンでは、まずFLIPシミュレーションによって鰐鮫との接触で生じる大きな水の反応を作成し、その後SOPで海面の凹凸を追加した。さらにOcean Deformerやインハウスツールを活用し、プロシージャルに海面全体の波を構築している。全てをシミュレーションに頼ると、波の形状や白波の位置を調整するたびに大きな手戻りが発生してしまうため、水滴や白波はParticleシミュレーションやSOPで作成。自然な水の動きと画として狙った波の形を両立している。
しかし、シミュレーションでは写実的な印象が強く、浮世絵らしい世界観にはなりにくい。そこでルック制作では、COPを用いて、浮世絵らしい質感へと調整していった。また、波は流体シミュレーションによって形状が絶えず変化し、鰐鮫のようにUVへ直接模様を描き込むことが難しい。
この制約をクリアするため、多数のAOVや各種パスを利用し、COP上でルックを構築していった。影についても、AOVをコンポジットで調整しながら立体感を補い、バランスのとれたルックになるように全体を整えていった。
3Dの波と浮世絵のタッチを調和させる
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▲海面のルック検証画面。立体的な波のうねりや白波の表現に対して、浮世絵としての線や面の見え方をどのように馴染ませるか、検証が行われた。この段階ではまだリアル寄りな質感が強く残っており、キャラクターとの世界観の統一に向けて調整されていった -
▲調整を重ねて構築された最終的な海面ルック。ダイナミックな波の動きや迫力を活かしつつ、ルック自体は原典である浮世絵のタッチを意識した平面的な表現へと寄せている。波の線幅やアウトラインを微調整することで、3Dと浮世絵を調和させた
SOPとシミュレーションを使い分ける
鰐鮫の動きに合わせた波のシミュレーション。総ポイント数が約530万となったメインSimの計算には、分散Simで18時間50分を要した。終盤のアニメーション更新に対応するため計算を前後に分けるSwitchingを採用し、部分的な再計算に抑えることで、半日がかりの手戻りを回避した。
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▲水の反応をFLIPシミュレーションで計算しメッシュ化した画面 -
▲FLIP流体の回転や速度変化の強さを示すアトリビュート「vorticity(渦度)」を抽出し、カラーランプを用いて泡が発生しやすいエリアを視覚化している。この物理的な指標をベースにParticleシミュレーションを行うことで、白波や飛沫の発生源を的確にコントロールする。表情を隠さないよう顔にかかる水滴のサイズをPscaleやシェーダ側で間引く微調整も施された
多様なAOVとCOPで波のルックを組む
北斎の海面を構成する要素別素材。海面、白波、飛沫などを分けて出力し、後段のCOP処理で色面や白波、飛沫の見え方を調整していった。個別にレンダリングした各素材に対して、ディストーション、クオンタイズ、アウトライン処理を適用。その後レンダリング時のアルファを使って合成している。
波の形状に沿った線画表現を構築するための要素別素材。波のラインは、あらかじめジオメトリの段階である程度の形状をモデリングして仕込んでおき、ベース素材としてレンダリングしている。これらのデータをCOPにインポートし、マスク、ポジション、ノーマルパスといった各種レンダーパスを利用して波頭や斜面のラインを的確に抽出。続くコンポジット工程で、抽出したラインの幅を削ぎ落とすように詰めたり、エッジから新たなアウトラインを再生成して繊細な線画へと整形していく。こうして調整したラインを海面のベース素材と組み合わせることで、最終的な波の画面を完成させている。
CGWORLD 2026年9月号 vol.337
特集:『価値を創造する3DCG』
判型:A4ワイド
総ページ数:112
発売日:2026年8月10日
価格:1,540 円(税込)
TEXT_CGWORLD
EDIT_高橋拓也/Takuya Takahashi(CGWORLD)、山田桃子/Momoko Yamada