長野県小布施町岩松院に現存する葛飾北斎筆の天井絵『八方睨み鳳凰図』。畳21枚分の大きさに描かれ、170年以上経った今も1度も塗り替えを行わず鮮やかな色を残している。今回は、ウルトラモデラーズ所属の若手造形師吉本大輝氏による『鳳凰図』の立体化に密着した。

※本記事は月刊「CGWORLD + digital video」vol. 244(2018年12月号)からの転載となります。

TEXT_佐藤平夥
EDIT_斉藤美絵 / Mie Saito(CGWORLD)、山田桃子 / Momoko Yamada

気鋭のアーティスト集団「ウルトラモデラーズ」の挑戦

ここ数年で3Dプリンタは目覚ましい普及を見せている。最大約30×50×50cmの一括出力サイズに対応し、クリア素材を含む1,000万色以上の色表現ができる、ミマキエンジニアリングのUV硬化インクジェット方式フルカラー3Dプリンタ「3DUJ-553」の登場は、デジタル造形界隈に様々な可能性を示した。高いモデリング技術で、その3Dプリンタの限界に挑戦するのが、ウルトラモデラーズである。

  • 左:吉本大輝氏(造形師・デザイナー)、Twitter:y_a_f1226
    右:ワクイアキラ氏(3Dクリエイター)
    wakuiweb.com

ウルトラモデラーズは、今年4月に3Dアーティストのワクイアキラ氏が発起人となってローンチした、デジタル原型師・モデラーのアーティスト集団だ。ワクイ氏は、2Dデザイナーやアナログの立体造形作家などを経たのち、将来性を感じて3D造形に通暁するようになったという。「いろいろなジャンルで仕事をしてきたので、たくさんの出会いがありました。それをひとつのかたちに集結したかった。それがウルトラモデラーズで、これ自体が、自分の作品という感覚です」とワクイ氏。ウルトラモデラーズは、高い技術を有するデジタル原型師・モデラーたちのコミュニティとして、また知識共有のプラットホームとしても機能しはじめている。そして9月にはクラウドファンディングに成功し、11月23日(金)から3日間、大阪で展示会が開催された。「フルカラー3Dプリンタによる造形アートの展示会としては、これまでにない大規模なものではないでしょうか。3Dプリンタを用いて、今すでにこれくらいの作品をつくれるという、これからの時代の造形の、ひとつのかたちを提示したいですね」とワクイ氏は意気込みを語る。

展示会の目玉のひとつに、葛飾北斎筆『八方睨み鳳凰図』の立体化作品がある。言わずと知れた、長野県は小布施町の古刹・岩松院 本堂大間の天井に描かれた、葛飾北斎晩年の大作だ。今回は、この『八方睨み鳳凰図』の立体化について、岩松院に特別にご許可いただき、鳳凰の睨む視線の下にて、制作のお話を伺った。

ウルトラモデラーズ
展示会「ウルトラモデラーズ」開催!
期間:11月23日(金)~25日(日)
場所:ボークス 大阪ショールーム 8階
www.ultramodelers.site
協力:ホタルコーポレーション htc.hotaru-printing.com
協力:ミマキエンジニアリング japan.mimaki.com

曹洞宗梅洞山 岩松院
長野県上高井郡小布施町雁田本堂中央(大間)の天井に描かれている『八方睨み鳳凰図』のほか、俳人 小林一茶が「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」という句を詠んだ「蛙合戦の池」などのみどころがある。11月の拝観時間は9:00~16:30、12月の拝観時間は一部をのぞいて9:30~16:00
www.gansho-in.or.jp

Topic 01
2Dの天井画から3Dの造形物へ

デジタルのメリットを最大限に活かして天井絵のカッコ良さを立体物に落とし込む

作品のモチーフに『八方睨み鳳凰図』を選んだ理由について、ワクイ氏は「ピカソや葛飾北斎のように、すでに価値が認められた絵画の3D化は、一般の方々にとって、入り口としてのわかりやすさがあります。私自身長野県出身で、幼い頃にこの"鳳凰図"を見て印象に残っていたこともあり、立体化はずっとやりたいと思っていました」と話す。

実制作を担当したのは、造形師・デザイナーの吉本大輝氏だ。吉本氏はもともと、大学で油絵を専攻しており、アナログでの造形にも意欲的に取り組んできた。在学中、ワンダーフェスティバルでデジタル造形に触れたことを契機に、独学でZBrushを学び始め、後にウルトラモデラーズに参画、前任者から引き継ぐかたちで本作を担当することになったという。最終的にはイチからつくり直すことになり、全体の制作期間は4ヶ月ほどかかったそうだ。使用ツールはZBrushをメインに、UV展開の補助としてBlenderを、テクスチャの描画にPhotoshopを使用している。

「実際の作業は、絵画から立体に落とし込むことに7割以上を割いています」と吉本氏は言う。最初にスケッチを描き、頭の中で構図が決まったらパーツを配置し、UV展開に備えて綺麗なトポロジーを意識し、造形していく。3Dプリンタの精度が高く、ポリゴンが粗いと角が目立ってしまうため、可能な限りハイポリゴンで造形された。2Dは物理的な矛盾を無視してカッコ良くできるが、3Dは正確なため、それが許されない。「元の絵に負けずに、全方面から見てもカッコ良く仕上げるために、どこを拾って、どこを捨てるか、とても悩みました。特に、線のカッコ良さを3Dで再現することを意識しています」と吉本氏。実際にデジタル造形をやってみて、吉本氏は、アナログにはない恩恵を感じたという。「まず粘土の費用がかかりません。デジタルもツールの費用はかかりますが、無限につくることができます。また、デジタルなので、どんな大物でも挑戦できますし、重力の制約がないのも大きな利点です。粘土を乾かす時間も必要ないので、その時間を造形に充てられることもメリットですね」(吉本氏)。なお、最終的なデータは約3.5GBとのこと。

実在する葛飾北斎の天井絵『八方睨み鳳凰図』

『八方睨み鳳凰図』は岩松院 本堂大間の天井に描かれた葛飾北斎晩年の作だ。3D化するにあたっては、この平面画から、どこから見ても成立する立体像に落とし込むことが最大の難所となった。書籍や葉書、ポスターなどの資料を精査し「特に葉書は解像度が高く、良い資料になりました」と吉本氏。もっとも、一番良かったのは、直接本物の天井絵を見たことだったという。「海外から帰国した次の日に兵庫(居住地)から8時間かけて長野へ来ました。写真で見るのと実際に本物を見るのとでは、印象が全然ちがいます。天井絵の下のどこにいても睨まれる、という話は知っていましたが、こういうことなんだと実感しましたね。体感したことをつくらなくてはと、制作のモチベーションがすごく上がりました」(吉本氏)

実際の岩松院 本堂大間の天井画



  • 資料用書籍のうちの1冊



  • 同じく資料用の葉書の一部

デジタルの恩恵を活かした制作:投影

本作で頻繁に使われたCGならではの制作方法に、投影がある。もともとはZBrushのテクスチャ転写機能だが、本作では、元の絵を3Dモデルに投影して、齟齬がないかのチェックに使用された



  • ムービーのタイムライン。初期はシンメトリーを使って造形していたため、まず絵と視点を合わせた。タイムラインを保存すれば、次回以降もZMOファイルを選択することでタイムライン情報を使える



  • 投影画像(テクスチャのインポート画像)の選択。オレンジ色で表示された[on off]を選択した後、右の[+/-]で調整する

3Dモデルに『八方睨み鳳凰図』が投影された状態

画面に出ている円状のツールで透明度や大きさを調整する。[Z]と[shift+Z]で表示・非表示の切り替えが可能。スポットライト読込を保存すれば、タイムライン同様に記憶することもできる

鳳凰モデル完成までの変遷

形状試作【A】。最初にスケッチで構図を決め、クロッキーを描くように大まかなパーツをZBrush上で配置してつくり込んでいく【B】。そしてZModelerを使いながら、板ポリゴンで飾り羽の大まかな形状をつくる【C】。羽のながれや、どこから見ても構図がおさまるように、その都度3Dモデルを回転させながら、いろいろな方向からチェックされた。出力を考えてハイポリゴンで制作しながらも、後の彩色に備えて、UV展開できるギリギリのポリゴン数が意識されている。今回は造形合わせのテクスチャにするため、後でテクスチャを描くことも見据えてモデリングされた。ある程度のかたちになったら仮出力で形状を確認しつつ、3Dモデルを調整していく。【D】は中期の鳳凰モデル。そして完成した鳳凰モデルが【E】だ

天井絵から立体への読み解き

3D化にあたり、2Dならごまかせる物理的な矛盾を解決しなければいけない。特に鳳凰の右翼は、立体にすると左翼と長さが合わない。全体の印象にも関わる目立つ部分のため、天井絵の印象からも離れないようにしながら、手前に翼を折ることで辻褄を合わせた。【A】は右翼と左翼の大きさ比率の参考で、【B】は右翼の曲折の程度

立体作品にするには、台座が必要となる。そこで原画には描かれていない両足を造形することとなった。「そこに自分の作家性を出したいと思いました」(吉本氏)。本作では、鳥の祖先の恐竜や鶏、猛禽類の足を参考にしつつ、シワ感やゴツゴツした印象を出して、神聖さと臨場感とを出している。ちなみに、鳳凰は聖なる泉の水を飲むという逸話から、泉の岩を台座にする予定とのこと。【C】は鳳凰の足の位置を下から見た状態で、【D】は足の3Dモデル

とさかの向き

鳳凰のとさかも、立体化するにあたって苦心した部分のひとつだ。原画では正面を向いているが、そのまま立体化すると、別の角度から見たときに違和感が出てしまう。正面からの印象を壊さず、別の角度から見ても成立するように、ベストなバランスが細かに調節された。何度もトライ&エラーをくり返した部分なのだとか

原画に合わせた状態

シンメトリーにしたもの

調整後の完成版

八方を睨む目を立体で再現する

『八方睨み鳳凰図』は「八方睨み」という通り、どこから見ても鳳凰の目に睨まれているように見える。この目の造形も、試行錯誤がくり返された。白目の部分を若干すり鉢状にして、そこから上に凸モールドで目を付けたタイプや、人間の目のように白目から角膜部分がえぐれているタイプなどを試作したという。最終的には、ドールの目の表現で使われているような、黒目の部分をすり鉢状にして色を付けてクリアで閉じ込める手法が採られた。クリア素材も一括で出力できるからこその手法である。「熱溶解積層式などの3Dプリンタでよいので、仮出力してみて、実物をチェックすることが必須でした。モニタ上では違和感がなくても、出力物を見て初めて気づくことが多かったです」(吉本氏)

目の造形案

仮出力したもの

最終的な目の造形。どこから見ても睨まれている感覚を実現している

色が付いた最終版

造形の厚みと透け具合

出力する際に気をつける点として、3Dモデルの厚み・細さがある。現状1mm以下だと造形物として不安定になり、0.5mmを切ると光が透過してしまうため、1.5mm以上に調整された。「デジタルだと、髪や布などを細く・薄くしてしまいがちですが、出力品は実在する"もの"なので、厚さや細さ、重さなどの感覚が大切です」(吉本氏)

参考用の別作品における立像のムレータ(赤い布)。この作品では、薄い部分でも1.2mm以上の厚さが確保された



  • 厚さ調整前の同作品を仮出力したもの。0.5mmの部分は光が透過し、厚い布の質感がなくなってしまっている



  • 1.2mmの厚さにしたもの。光の透過が起こらず、布の厚みが感じられるようになった

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Topic 02 フルカラー3Dプリンタならではの色のつくり方

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Topic 02
フルカラー3Dプリンタならではの色のつくり方

3Dプリンタの特徴を知り求める色彩に近づける

今回使用した3Dプリンタ「3DUJ-553」は先述の通り、1,000万色以上に対応し、発色の良さを大きな特徴とする機種だ。そこで吉本氏は、色づくりまでデジタルでやることをひとつの命題にしたという。この機種は、テクスチャもPolypaint情報も扱えるということで、本作ではPhotoshopで描いたテクスチャをメインに、一部はZBrushのPolypaintで描いている。「着色に関しては、今はまだアナログの手塗りが主流ですが、デジタルによる彩色も今後は増えていくことでしょう。今回、塗りまでZBrushでやりたかった理由には、ZBrushだけで塗りまで完結できれば、より多くの人がフルカラー出力を前提としたデジタル造形に参入しやすくなり、もっと造形界隈が盛り上がるのではないか、という思いがありました」(吉本氏)。もっとも、フルカラー3Dプリントのノウハウ自体は、まだ確立されていないのが現状だ。ウルトラモデラーズでは、機械の特徴を知るところから始めて、出力テストをくり返し、ノウハウを蓄積している。例えばフルカラー3Dプリンタは、一括で出力とカラーを済ませるため、継ぎ目を後から彩色で消せないことや、後で分割するとトポロジーが変わってUV情報が消えてしまうことがわかったため、本作では先に分割を決めることで対応したという。また、積層痕などは、逆にそれを活かした表現に利用することで利点に変えることもできる。

塗りの作業は、Polypaintで仮の色付けをし、UV展開後、Polygroupを分けて、さらに描き込んでいく。Polypaintは立体にリアルタイムでペイントでき、テクスチャは高解像度で描けるため、それぞれの利点に応じて、鳳凰の体はPolypaintで、松の鱗はテクスチャで描かれた。Polypaintの際には、ハッチングというアナログの描画技術を使ってグラデーションや影を表現しており、吉本氏のアナログ技術の高さが、そのままデジタルにも活かされている。なお、Polypaintの出力はPLY形式が綺麗に出せるのでオススメとのこと。

デジタル造形の将来について「今後、技術が向上していくのはまちがいありません。ひとりでも多くの人が、デジタル造形に取り組んでくれたら、もっと楽しいことができそうだと実感しています」と吉本氏。ワクイ氏は「デジタル化によって物流が変わりますし、輸送中の損壊も恐れなくてよくなります。デジタルなので、縮小してグッズ化することも容易だし、アニメーションやVR・ARに発展できる潜在力もあります」と可能性を語った。

アナログの技法をヒントにしたPolypaintの描画

Polypaintのマテリアルは、色が綺麗に出るSkin Shade 4が使用された。3D上にオブジェクトを置き、油彩と同じようにパレットをつくり、色のストックや擬似的な調色を行う。グラデーションのかかり具合は、Smoothブラシでパレット上の色と色の境界をぼかして確認された。また、ZBrushのPolypaintは頂点カラーで、ポリゴンの頂点数に依存するため、彩色のためにもポリゴン数を上げる必要がある。「出力するための推奨最大ポリゴン数は、1パーツで300万ポリゴンです。場合によってはこれを超えても成立するため、Polypaintでも十分な解像度が出せました」と吉本氏

Polypaintの設定・作業画面

ハッチングを用いた例。ZBrushでもグラデーションを綺麗に描けている

パレットの作業画面。様々な色が調色された

カラー出力を考慮したUV展開



  • テクスチャを描く部分は、まずPolypaintでアタリを付ける



  • UV Masterを使用し、なるべく多い頂点数でUVを展開。必ずクローンで作業を行う。UVマスターのPolygroupにチェックを入れてアンラップすると、Polygroupに合わせて展開してくれる



  • Polypaint情報が消えた場合は、クローン元のサブツールを使い、Polypaintを投影する



  • テクスチャマップでPolypaintからテクスチャを作成してPSDに書き出し、Photoshopでテクスチャを描き込む

インポートからテクスチャを読み込むと、テクスチャマップが使用できる

ZBrushではUV情報を残したままポリゴン数を減らすことも可能だ。【画像左】の頂点数は98,306、【画像右】は49,153

ZBrushのUV展開で思うような結果が得られない場合はOBJで書き出し、補助的にBlenderで作業する。ただし、クリース情報などが消えてしまうので注意が必要だ

1枚を丁寧につくった松の鱗

原画の鳳凰の翼は、めでたい植物である松の鱗で表現されている。翼は全体の中でも占める割合が多く、印象を左右する見せ場のため、テクスチャで細かく描き込まれた。3Dモデルありきのズレのないテクスチャにするため、3Dモデルに鱗を配置し、黄色い松葉の部分を作り込んでから、その造形に合わせてテクスチャを制作している。この鱗部分も、ハッチングの技術で絶妙な質感が出された。「当初は5パターンの鱗を用意しましたが、配置してみるとうるさい印象になったので、最終的には1パターンにしました」(吉本氏)。統一感が出たことで、鳳凰の毅然とした厳かな雰囲気を出ている。吉本氏は「色も造形もできる3Dプリンタは言い訳ができないので、細部まで詰めました」と覚悟を語ってくれた



  • 松の鱗の単体



  • 松の鱗を配置した状態

最終的な全体像

展示会「ウルトラモデラーズ」にて出展された『八方睨み鳳凰図3D』

モニタと出力品との色のちがい

モニタの色彩と出力品の色彩との差は、出力する際に問題となることのひとつだ。吉本氏は「モニタにも依存しますが、おおむね出力品は、モニタと比べて明度が30%程度、彩度が15~20%程度下がる感覚です」と話す。そのため、モニタではややビビッドに彩色している。このあたりの色彩感覚は、洋画を描いていた吉本氏の地力だ。ただし、仮出力して見ることは必須とのこと。このようなノウハウの開発について、ワクイ氏は「3Dプリンタの技術者の方も限界に挑んでくれ、アーティストと技術者のせめぎ合いという感じがあります。かつて葛飾北斎と木版画職人が、互いに限界に挑んでいた姿と重なって、不思議な巡り合いを感じますね」と話してくれた



  • モニタでの色彩(iMac Retina 5K、27-inch、Late 2015)



  • 出力品の色彩



  • 月刊CGWORLD + digital video vol.244(2018年12月号)
    第1特集:映画『HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』
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    定価:1,361(税込)
    判型:A4ワイド
    総ページ数:144
    発売日:2018年11月10日