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感情を伝える形と音~『Sky 星を紡ぐ子どもたち』を手がけたthatgamecompanyのクリエイターが学生に伝えたかったこと

感情を伝える形と音~『Sky 星を紡ぐ子どもたち』を手がけたthatgamecompanyのクリエイターが学生に伝えたかったこと

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『風ノ旅ビト』(2012)、『Sky 星を紡ぐ子どもたち』(2019)などで知られるthatgamecompanyの日本人クリエイターが来日し、複数の大学で講演を行なった。本稿では1月22日(水)に京都精華大学で行われた講演の模様をレポートする。

TEXT&PHOTO_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)

アメリカで働く日本人クリエイター2名が特別講義

ゲームクリエイターはゲームを作るのではなく、ゲーム制作を通して、プレイヤーの体験を創出する。世界最大級のゲーム開発者会議GDCをはじめとして、近年ではこうした説明が用いられるようになった。それでは、ここでいう「体験」とは具体的に何だろうか。それはプレイヤーの「目」と「指」と「心」を動かすことだ......。ゲーム作家・文筆家として知られる山本貴光氏は、こう説明する。コーエーテクモゲームスで『戦国無双』シリーズなどの開発にプランナーとして携わり、書籍『ルールズ・オブ・プレイ』の翻訳も手がけた理論派だ。なるほどと膝を打つ人も多いのではないだろうか。

このことは、プレイヤーに意図した体験を提供できなかった場合、責任を負うべきはプレイヤーではなく、クリエイター側であることを意味している。ゲーム開発者はプレイヤーにメカニクス(ルール)を用いて仮想世界を提示する。プレイヤーは仮想世界の中でメカニクスに則した行動を取り(=目と指を動かし)、様々な感情を覚える(=心が動く)からだ。もちろん、ゲーム内でプレイヤーは開発者の意図を超えて、様々な行動を取る。しかし、だからといって開発側の責任がなくなるわけではない。ゲームはプレイヤーに対して、一定の感情を生み出すためにデザインされるからだ。

もっとも、体験を提供する要素はメカニクスだけに留まらない。アートやサウンドもまた、同じようにデザインされる存在だ。それどころか、ゲームを構成する要素は全て(パッケージやマニュアルにいたるまで)、プレイヤーに対して特定の感情を想起させる意図をもってデザインされている。言い換えれば、ゲームを構成する素材はジグソーパズルのピースに見立てられるだろう。素材レベルではバラバラのように見えても、組み合わさると隙間なく並び、1枚の絵を構成するのだ。これは一般に「芸術性が高い」とみなされているゲームでも同様で、作り手によって巧みにコントロールされている。

とはいえ、その過程は外部から見えにくい。個々の素材とゲームデザインが別物のように感じられるからだ。こうした中、1月22日(水)に京都精華大学で開催された特別講義「感情を伝える音~thatgamecompanyがゲームというメディアに夢見る世界」は、ゲーム開発におけるアートとサウンドの関連性をつまびらかにするものだった。講演者は米thatgamecompanyでリードオーディオデザイナーをつとめる水谷 立氏と、背景3Dアーティスト&アートマネージャーの吉野令佳氏だ。両氏は最新作『Sky 星を紡ぐ子どもたち』を基に、スタジオのビジョンからゲームデザイン、そしてアセットの制作まで、全ての要素が一気通貫していることを、わかりやすく解説した。

ゲームでポジティブな感情を創出させることがミッション

  • 水谷 立氏
    (thatgamecompany リードオーディオデザイナー)

2010年代に勃興したインディ(独立系)ゲーム・ムーブメントで、thatgamecompanyは重要な役割を担ったスタジオのひとつだ。2006年に米ロサンゼルスで設立され、これまで『flOw』(2007)、『Flowery』(2009)、『風ノ旅ビト』、『Sky 星を紡ぐ子どもたち』の4作をリリース。中でも『風ノ旅ビト』は世界中のゲームアワードを総なめにしただけでなく、サウンドトラックがゲームとして初めてグラミー賞にノミネートされる偉業をなしとげた。『fLOw』がニューヨーク近代美術館(MoMA)、『Flowery』がスミソニアン博物館に永久収蔵されるなど、ゲーム業界のみならず、アート的な文脈でも高い評価を受けている。

もともとスクウェア・エニックスで『ファイナルファンタジーXI』『ドラゴンクエストX オンライン』などのサウンドを担当していた水谷氏が同社に転職を決めたのも、『風ノ旅ビト』がきっかけだった。「今までにない、まったく新しい体験でした。タイトルをきっかけに、会社に対する興味が広がっていきました。サウンドデザイン職を募集していることを知り、転職を決意しました」。それまで大手企業でAAAタイトルの開発を手がけていた水谷氏。一方でthatgamecompanyは開発職が約20名、全社員あわせて約30名の小所帯だ。全員で職種を横断しながら開発するスタイルに、当初は驚かされたという。

その後、改めて気づかされたのが同社のビジョンのユニークさだ。水谷氏は「私たちの心には、感情的に満たされたいという欲求があります。水や食べ物を欲するのと同じ、自然の欲求です。エンターテインメントは心の飢えを満たしてくれるものです」と説明し始めた。ここでゲームと比較するかたちで引用されたのが映画だ。感動・笑い・興奮・関心など、映画は観客に様々な感情をもたらす。これに対してゲームで得られる感情は興奮や爽快感など、若い男性の嗜好に偏りがちだ。アクションゲームやアドベンチャーゲームなど、市場でヒットするジャンルを見れば、そのことは明らかだろう。

映画(左)が視聴者に届ける感情に対して、ゲーム(右)がプレイヤーに届ける感情には偏りが見られる

「もちろん、女性の方でアクションやアドベンチャーが好きな人もたくさんいます。しかし女性や、ある程度年齢を重ねて、落ち着いた感情の起伏を好む方たちから支持を集めやすいジャンルであるドキュメンタリー、ドラマ、ロマンスといったジャンルを、ゲームはほとんどカバーできていないのが実情です」。これは、そうした感情を生み出すメカニクスが、まだまだ未成熟であることを意味している。実際、乙女ゲームではボイス付きノベルの要素が、ロマンチックな感情を生み出す重要な要素になっている点は否定できない。それはメカニクスが創出する感情と、区別して考えるべきというわけだ。

これに対してthatgamecompanyでは、「全ての人たちが一緒に遊ぶことのできるゲームづくり」を目標に掲げている。実際、スマートデバイスの普及で、家族全員が個別のスクリーンを所有できるようになるなど、そのための環境は整いつつある。しかし、実際は家族全員がリビングにいながら別々のゲームをプレイしている光景も珍しくない。その一方でゲームの依存症問題が発生し、それが転じてゲームの遊びすぎを規制する動きも出てきている。水谷氏は「ゲームはもっと多様な感情を満たし、多様な人がアクセスできる、幅広いメディアを目指すべきだと考えています」と指摘する。

羨望・貧食・物欲・怠惰・怒り・嫉妬・高慢。キリスト教における7つの大罪だ。もっとも、ゲーム業界ではプレイヤーに対して、ゲームを遊んでこうしたネガティブな感情を想起させ、それらを解消するために課金させるしくみを、ビジネスの根幹に据える例も少なくない。thatgamecompanyは、それとは対極の立場を取る。ゲームを遊んでポジティブな感情をプレイヤーに想起させることで、売上が上がるようなゲームづくりを進めていくこと。これが同社のビジョンだと水谷氏は説明した。

そのためモバイルゲームの『Sky 星を紡ぐ子どもたち』でも、基本プレイ無料のアイテム課金モデルをとるものの、いわゆるガチャ要素はない。シーズンパックやフレンドとの交流を豊かにするアイテムを販売することで売上を立てるビジネスモデルになっている。

『Flowery』をプレイするダウン症の少年。文章を理解することが難しいこの少年にとって、文字による説明がなく、モーションコントロールで操作できる本作は、人生で初めて楽しめるゲームになった

こうしたビジョンを掲げる同社にとって、作品が美術館や博物館といった公共の場で試遊展示されることは、最も誇らしい気持ちになる瞬間だという。ゲームがアートとして認められたからではなく、老若男女を問わず、大勢の人に触れられている風景が見られるからだ。「私たちはゲームには、映画や他のアートと同じくらい、いやもしかしたらもっと様々な種類の感情を揺さぶることができる、その可能性があると思っています。そのためにはゲームとは性別や年齢、人種を超えて人々をつなぎ、ポジティブな感情体験をもたらすものでならないと考えています」。

もっとも、そうしたゲームづくりは一筋縄ではいかない。ゲームに同社が言う「ネガティブな感情体験」をもたらすものが多い理由に、ゲーム開発におけるハードウェアの制約があるからだ。1962年に米MITで開発された、世界初とされるビデオゲーム『SpaceWar!』が対戦シューティングゲームだったのも、これが一因だと考えられる。一方でハードウェアの進化によって、ゲーム開発の自由度は一貫して広がってきた。thatgamecompanyの作品群も、こうした文脈の上に存在することは言うまでもない。まだまだこの分野は可能性が広がる、ブルーオーシャンなのだ。

『風ノ旅ビト』に見るミッションとゲームデザインの関係

それでは同社のいう「善意のつながりを促すゲームデザイン」の実例とは何か。水谷氏は『風ノ旅ビト』の開発事例を基に説明した(※1)。荒涼とした砂の世界を舞台に、クローク風の外套をまとった「旅ビト」を操作して目的地を目指すアクションアドベンチャーだ。道中でプレイヤーは同じ外見を有するもう1人の「旅ビト」と出会い、協力しながら先に進んでいく。もっとも、チャットなどの直接的なコミュニケーションを取ることはできない。テキストなどの情報も徹底して廃されており、美しいビジュアルと演出だけでゲームが展開していく点が特徴だ。

※1:本内容はGDC2013の講演『Designing Journey』に詳しい。講演ビデオがGDCVaultで無料公開されているので、そちらを参照されることもオススメする

「他人とつながることのできるマルチプレイヤーのオンラインゲームはたくさん存在します。しかし、その大多数は力を競うもの、または力を合わせてより強大な敵を打ち倒すものです。一方でそれらは、競争や暴力を好まない多くのノンゲーマーにとって、必ずしも満たしたい感情ではありません」。そもそも敵と戦うゲームでは、人は敵よりも強力な武器を手にしたとき、他人と協力して敵を倒そうとはしない。そのため大半のオンラインゲームで、敵は他人と協力しなければ倒せないほど、強大な存在として設定される。敵を倒したときに与えられる強大な報酬も欠かせない存在だ。

プレイヤーは武器を持てば互いに戦いたくなるのが常だ(左)。一方で武器のない荒涼とした世界で他者に遭遇すれば、心細さが解消される(右)

もっとも、強大な敵と報酬というサイクル下では、プレイヤーは相手より報酬に価値を置きがちだ。これに対して敵が弱く、報酬も魅力に乏しければ、プレイヤーの関心は他者に向くことになる。しかし、その場合は武器が存在しないことが前提だ。武器があれば殺し合いになることは明らかだからだ。こうした理由によって、『風ノ旅ビト』では武器・敵・エフェクト・アイテムなどの要素をできるだけ排除すると共に、荒涼とした、不安感を覚えるような舞台が設定された。他人と出会う人数や頻度も減らし、心細い環境で人を発見させることで、安心感を創出させるようにしたのだ。

ポイントは「他人とつながりたい欲求を、プレイヤーに自然に抱かせること」をコンセプトに掲げたこと。その上で、最適な舞台とゲームデザインを考案したことだ。「自分という存在は小さく、傷つきやすい。それに対して世界は大きく、畏れを抱く対象である。そのような世界で出会う相手だからこそ、相手とつながりたい、理解したい、ともに歩みたいと強く思うようになるんです」。

もっとも、開発中は「ゲームがつまらなくなるのではないか」という懸念もあったという。しかし、こうしたデザインを選択したからこそ、新しいゲームになったのではないか......水谷氏はこう説明した。

ただし、コンセプトが斬新すぎただけに、開発中は個々のメカニクスデザインで齟齬も生じたという。第一にアイテムの存在だ。『風ノ旅ビト』では通常より高くジャンプできるアイテムが存在する。同じ場所で2人の「旅ビト」が存在し、アイテムを取得できるのが片方だけだったとする。その場合、アイテムを入手できなかったプレイヤーには不満が生じる。そこで産まれたのが「アイテムが消費されて、空高くジャンプした『旅ビト』の足下に、同じアイテムが落ちるようにする」というアイデアだ。これにより、アイテムが得られたプレイヤーの側に、感謝の念が生じると考えられる。

とはいえ、人の感情はそこまで単純ではない。アイテムを獲得する行為が大変だった場合、先んじてアイテムを得た側が、相手に「タダ乗りされた」と感じることもあり得るからだ。「この感情を責めることはできません。人間なら自然にもちうる感情であり、責められるべきはそのような感情をもたらしたゲームデザインにあります」。そこで『風ノ旅ビト』では、最終的にアイテムをステージ上のいたるところに配置し、アイテムを使用してもなくならないようにした。これによってはじめて、プレイヤーが互いに敵意をもつことなく安心した感情が保てるようになったという。

また、開発段階では「旅ビト」同士に接触判定があり、互いに押したり、引いたりできた。これは行く手を阻む障害物を、互いに協力して乗り越えさせるためだった。崖の途中にあるアイテムを協力して入手する、などは好例だ。しかし、テストプレイでは思わぬ結果がみられた。トラップや崖などに相手を追いやって、殺してしまう例が多発したのだ。もっとも、水谷氏は「ここでもプレイヤーを責めることはできない」という。見知らぬ3D世界に降り立ったプレイヤーは赤ん坊のようなもので、その世界における行動規範や倫理観を、ひとつずつ試しながら学習しているにすぎないからだ。

その結果、『風ノ旅ビト』では「旅ビト」同士の当たり判定がなくなった。その一方で、「旅ビト」同士が重なり合うことで、互いに空をジャンプするために必要なエネルギーが回復するようにした。つまりアイテムだけでなく、互いの存在が自分にとってのリソース源になるようにしたのだ(このことは前述した、空高くジャンプするためにアイテムを取り合うという問題の解決にも貢献した)。ここでようやくプレイヤーは、相手の存在が自分にとって好ましいものであると認識し、積極的につながろうとするようになったのだ。

最後に説明されたのが、プレイヤー間のコミュニケーションの問題だ。通常オンラインゲームでは、キャラクターネームが頭上に表示される。しかし、時には名前が世界観とそぐわないこともある。そのため『風ノ旅ビト』ではゲームのエンディング後、オンライン用のアカウントIDが画面上に表示されるだけに留められている。チャット・メッセージ・ボイスチャットが存在しないなど、ゲーム中の交流も極端に制限された。人種や国籍を超えたつながりを生むことで、これらがネガティブに働くことがあるからだ。しかし、だからこそ『風ノ旅ビト』における他者の存在は、非常に印象的なものになった。

この方針は最新作『Sky 星を紡ぐ子どもたち』でも引き継がれている。『Sky』は最大8人まで同時に楽しめるアクションアドベンチャーだが、自分でキャラクターネームをつけることはできない。そのかわり他人の名前のみを自分でつけられるという、ユニークなシステムを採用している。主なコミュニケーション手段もジェスチャやサウンドなど、テキストに依存しないものだ。チャット機能は存在するものの、互いにフレンド登録を済ませなければ使用できない。このようにコミュニケーション手段を制限し、管理することで、ネガティブな感情が生まれにくいように配慮されている。

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『Sky 星を紡ぐ子どもたち』における「意図を伝えるためのアート」

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