愛知県名古屋市にあるトライデントコンピュータ専門学校のCGスペシャリスト学科では、CG制作に必要な表現力や技術力を3年がかりで基礎からじっくりと教えていく。そんな同校の卒業生は、東京、大阪をはじめ日本各地のゲーム会社やCGプロダクションに就職しており、数多くの採用担当者が一目置く学校となっている。本記事ではそんな同校が注力する「デッサン力」強化にスポットを当て、その意図や教育方法について常勤講師の小島優二先生に語ってもらった。
TEXT_尾形美幸 / Miyuki Ogata(CGWORLD)
上手い人の描き方を真似るだけでは、早々に限界がくる
CGWORLD(以下、C):トライデントコンピュータ専門学校のCGスペシャリスト学科(以下、トライデント)は、デッサン、着彩画、色彩構成(平面構成)、粘土造形など、伝統的な美術教育に注力しており、本格的な指導ができる環境も校内につくっている点が目を引きますね。なぜ美術の基礎教育に注力するのか、それと3DCG教育をどう関連づけているのか、順を追って伺いたいと思います。小島先生は、いつ頃からトライデントの教育に関わっているのでしょうか?
小島優二氏(以下、小島):2004年4月からなので、もう15年近く前になりますね。トライデントの専攻は大きく映像系とゲーム系に分かれており、私はゲーム系のキャラクターや背景の3Dモデル制作の指導から始めました。今はほかの先生たちと連携しながら、美術教育から3D制作まで幅広く指導しています。
▲トライデントの校内にある美術教育用教室。デッサンや着彩画の制作では、モチーフを照らす光のふるまいを観察、理解し、絵の中に表現することが重要となる。余談だが、CG制作においても光のふるまいを理解することは不可欠だ。初学者のうちはモチーフを照らす光源をシンプルにした方が学習効率が高くなるため、上の写真の向かって左上方向からのみ光が入るような位置に、窓や蛍光灯の多くが配置されている
▲【左】在校生の三浦隆生氏が1年次の9月に描いた鉛筆デッサン(自画像)/【右】アクリルガッシュによる着彩画
C:トライデントの講師になる前はコナミデジタルエンタテインメント(以下、コナミ)でゲーム開発に携わっていたそうですが、美術教育とはどう関わってきたのでしょうか?
小島:高校までは我流で好きなように絵を描いていましたが、しっかり絵を勉強したいと思うようになり、美術の予備校でデッサンや着彩画などの美術教育を受けました。ちょうど我流で描くことに限界を感じていた時期で「上手くなりたいけど、どうしていいかわからない」と悩んでいたのですが、予備校でデッサンを習ったことで、物の見方、絵の描き方、考え方の幅が一気に広がりました。その後、愛知県立芸術大学に合格し、デザインを専攻しました。
C:我流時代と、デッサンを学んだ後とで、何がどう変わったのか、具体例を挙げていただけますか?
小島:我流時代は「上手くなるために上手い人のイラストを見て、その描き方を真似する」ことに終始していました。「なぜこの色を選んだのか?」という理由はわからないまま、「この色を使うと、メッキっぽくなるらしい」というような覚え方をしていたので、いつまで経っても応用力がつかず、だんだんと手詰まりになっていきました。デッサンを始めてからは「なぜそう見えるのか」を分析しながら対象を観察する習慣が身についたので、「この絵のこの部分でメッキを表現したいなら、こう描けばいい」といった細やかな判断ができるようになりました。加えて、予備校に通う同世代の人たちの描く絵がめちゃくちゃ上手かったので、ショックを受けたし、視野も広がりました。
C:今も昔も、美術の予備校には2浪、3浪しながら毎日黙々と絵を描き続ける人たちがいますからね。
小島:そうです。加えて、彼らの使う画材の多様さにも衝撃を受けました。画材の使い方に関しても、いろいろな実験を繰り返していて、それまでの自分の視野の狭さを恥ずかしく感じたことを今でも覚えています。だからトライデントで3D制作やキャラクターデザインを教えるにあたり、美術教育は不可欠だと思ったのです。
C:かつての小島先生のように「上手くなりたいけど、どうしていいかわからない」と悩んでいる学生は多いのでしょうか?
小島:トライデントの入学者の多くは我流でイラストなどを描いてきた人たちなので、かつての僕と状況は似ています。現象をよく観察し、その現象が起きる理屈を理解しないと早々に限界がきます。だから1年の間は特にデッサンなどの美術教育に時間を割き、頭をやわらかくしながら絵について考え直してもらうようにしています。
デッサンの優先順位の決め方は、仕事の優先順位の決め方に通じる
C:大学卒業後は、コナミに入社されたのでしょうか?
小島:その前に、美術予備校で3年間ほど講師をしていました。人に教えることの基礎はそこで身についたように思います。一方で、僕には「キャラクターやロボットを自由に描けるようになりたい」という思いが大学入学前からありました。大学時代はそういう絵を描くことから遠ざかっていましたが、卒業を機に再び描きたい気持ちが強くなったのです。ところが最初は全然描けなくてショックでしたね(苦笑)。予備校でも大学でも「目の前のモチーフを見て描く」ことはしていましたが、「目の前にないものを想像して描く」ことはしてこなかったので、自分が思っていた以上に描けなかったのです。だから美術予備校で講師をする傍ら、自宅ではひたすらキャラクターやロボットのデザイン画を描き続けていました。
C:デッサンは大事だけど、デッサンが上手くなったからといって、キャラクターデザインが上手くなるわけではない......という点も重要なポイントですね。
小島:はい。その点もトライデントの学生には伝えるようにしています。美術予備校の講師を始めてから3年が経った頃、コナミのアーティスト募集に応募しました。今まで描き溜めたデザイン画を送ったところ、面接に呼ばれ入社が決まったため、東京に引っ越して7年ほどコナミでゲーム開発に携わりました。当初はゲーム用のイラストや3Dモデルを制作していましたが、後半は主にチームのディレクションを担当していました。
C:そういったキャリアをお持ちであれば、学生たちの気持ちと、会社が新人に期待することの両方に対して、ご理解がありそうですね。
小島:そうありたいと思っています。僕自身、大学受験のデッサンに対するモチベーションがすごく下がった時期もあったので、モチベーションを保てる考え方や描き方を提示するよう心がけています。例えばデッサンをするときには、モチーフ全体の形や陰影を最初にしっかり把握することが重要です。でも「よく見て描きなさい」と言われると、自分が一番興味のある細かい部分にだけ注目してしまい、全体に対する意識がおざなりになる学生が多くいます。
C:「細かいディテールはよく描けているけど、全体の形が崩れている」というのは初心者のデッサンにありがちな失敗ですね。
小島:そうなんです。デッサンでは、まず全体を見て土台をしっかり組み立てることが重要です。そしてこの考え方は、キャラクターデザインやゲーム開発にも共通しています。「どんなお客様に対して、どんな面白さや感動を届けるのか?」という土台を組み立てる前にディテールに手をつけても、そのデザインや開発は迷走してしまいます。デッサンでモチーフを見るときの優先順位の決め方と、仕事の優先順位の決め方は、結構リンクしているように思うのです。
▲【左】在校生の市川拓馬氏が1年次の1月に描いた鉛筆デッサン/【右】1年次の8月に描いた鉛筆デッサン
C:1年次にデッサンを通して「まず全体を見る」習慣を身につけることは、2年次や3年次の作品制作で「まずコンセプトから考える」習慣を身につけることに通じているというわけですね。
小島:そうです。「デッサンを通して仕事の優先順位のつけ方も学んでしまえば、一石二鳥でしょう?」と言えば、学生は「なるほど」と思ってくれます。
C:今やっているデッサンが将来の仕事に役立つことだとわかれば、モチベーションが上がりそうですね。
小島:デッサンのモチベーションが続かない要因のひとつに「将来やりたいこととの関連性が見いだせない」というのがあると思います。でも実際には関連していることを僕は身をもって体験してきました。折りに触れてそれを説明すると、学生はモチベーションを取り戻してくれます。例えば静物デッサンであれば「台に箱すら乗せられないようでは、地面の上にキャラクターを立たせることはできません。どう描けば台に箱が乗っているように見えるのか、現象をよく観察し、目の前の紙に描いてみてください」と言えば、真剣にキャラクターを描きたいと思っている学生ほど目の前の現象を観察しようと努力します。
▲【左上】在校生の田中孝弥氏が1年次の11月に描いた鉛筆デッサン/【左下】1年次の5月に描いた鉛筆デッサン/【右】1年次の11月に描いた鉛筆デッサン
[[SplitPage]]デッサンの上手い学生ほど3Dモデルも上手い
小島:学生の中には、興味の幅がすごく狭くてデッサンのモチーフを選り好みする人もいます。例えば「ロボットを描くのが好きだから錆びた鉄のモチーフは喜んで描くけど、花は描く気がしない」といった具合です。僕自身、昔は「花を描くのは照れくさい」と思っており、後になってすごく苦労しました(笑)。
C:実際の仕事だと選り好みはできませんからね......。
小島:そうなんです。加えて主役はロボットだったとしても、それが朽ち果てた場面を表現したいなら、その周囲に草や花も描いた方がリアリティがありますよね。「自分が感動した作品を思いだしてください。主役の周囲には、いろいろなものが表現されていたでしょう? それら全てが作品には不可欠なのです。何もない空間に主役だけが立っていても、観客は感動してくれません」と説明すれば、「選り好みしていいわけがない!」と納得してもらえます。加えて、どんなモチーフであれ、ちゃんと描ければカッコ良い絵になるのです。絵の良し悪しは、モチーフの好き嫌いではなく、ちゃんと描けているかどうかで決まると気づけば、どんなモチーフにも真剣に向き合えるようになります。
C:デッサンに加え、着彩画や色彩構成の授業にも力を入れていますが、どういった意図があるのでしょうか?
小島:最近の学生はデジタルツールで色を選ぶことに慣れているので、混色のできない人が多くいます。赤色と青色を混ぜると何色になるか、わからない学生がいるわけです。だから絵の具に触れてもらうことで、混色の感覚を養ってほしいと考えています。例えば一見すると空は青色に見えますが、微妙に赤色が混じっていたりもします。それに気づける目を養う上で、絵の具で混色する経験は有効だと思います。
▲【左】田中氏が1年次の11月に描いたアクリルガッシュによる着彩画/【右2点】田中氏が撮影した取材写真
▲【左】市川氏が1年次の7月に描いたアクリルガッシュによる着彩画/【右上】1年次の5月に描いたアクリルガッシュによる着彩画/【右下】1年次の7月に描いたアクリルガッシュによる色彩構成
C:学生の志望業界や職種に関わらず、1年次には全員がデッサンや着彩画を描くのでしょうか?
小島:はい。業界や職種を問わず先々で役立つ経験だと思うので、全員に同じ課題をやってもらいます。近くの商店街や動物園まで取材に行き、資料写真を撮影し、着彩画や粘土造形を制作したりもします。さらに3Dモデルも制作すると、よりいっそう取材や観察の重要性を感じてもらえますね。3Dモデルの制作は1年次の後期に行うのですが、前期でデッサンの上手かった学生ほど、いい3Dモデルをつくるのです。このタイミングで大半の学生が「結局のところ、デッサンの上手い学生ほど3Dモデルも上手い」ということに気がつきます。
C:いろいろな人の作品を比較できるのは学校で学ぶメリットですね。
▲【左】1年次の後期に動物園を訪れ、ゾウを観察しがら粘土造形をする田中氏/【右4点】田中氏が撮影した取材写真
▲田中氏が制作したゾウの粘土造形
▲【左】田中氏が制作したゾウの3Dモデル/【右】ゾウの3Dモデルのためのテクスチャ
▲【左】三浦氏が1年次の後期に動物園で撮影したサイの取材写真
▲三浦氏が制作したサイの粘土造形
▲【左】三浦氏が制作したサイの3Dモデル/【右上】サイの3Dモデルのワイヤフレーム。3Dの勉強を始めて間もない1年次のため、少ないポリゴン数で制作するよう指導されている/【右下】サイの3Dモデルのためのテクスチャ
▲【左】市川氏が1年次の後期に動物園で撮影したシカの取材写真
▲市川氏が制作したシカの粘土造形
▲【左】市川氏が制作したシカの3Dモデル/【右】シカの3Dモデルのためのテクスチャ
小島:「3Dソフトが使えるから、デッサンは必要ない」と思ってデッサンを真面目にやってこなかった学生は、一所懸命にデッサンを描いてきた学生に負けていくので「もっとデッサンをやらなきゃ!」と焦り始めます(苦笑)。さらに2年次になって3D制作の授業が本格化してくると、「もっとデッサンをやっておけばよかったです......」と言いだす学生が毎年でてきますね。
C:プロに取材していても「もっとやっておけば......」という方はいますし、プロになってからデッサンスクールに通い直す人もいますね。実際のところ、デッサン力の向上には際限がないように思います。
小島:そうなんです。「どこまでやればいい」という上限はないですし、どんなに上手くなったと思っても、自分より上手い人が必ずいます。学生には「満足する日は一生来ないからね」と言うようにしています。アーティストになるということは、ずっと勉強し続けることでもあると思いますね。
デッサンは不要でも、「デッサン力」は不可欠
C:商店街や動物園で取材をするときには、モチーフを選ぶところから学生に任せるのでしょうか? あるいは先生が指定するのでしょうか?
小島:基本的には学生に任せますが、例えば動物であれば「ペンギンのような骨格が想像しづらい形の動物は絵として様(さま)にならないし、観察力もアピールしづらいよ」といった話はします。プロを目指すなら「この学生は、ちゃんと骨格まで研究しているな」と感じてもらえるような作品をつくった方がいいですからね。そこまで念頭に入れて動物を選ぶよう伝えています。
C:就職用の作品制作まで視野に入れて指導するわけですね。
小島:そうです。先々でドラゴンをつくりたいなら、爬虫類をモチーフに選んだ方がいいですが、関節のはっきりしないヘビは避けた方がいい。ワニやトカゲなど、肩や腰まわりの骨格がはっきりしている動物の方が勉強になるし、アピールにもなるといった指導をしています。せっかくなら、自分の観察力や表現力を示しやすいモチーフを選んだ方が本人のためですからね。「その作品を通して採用担当者に何を伝えたいのか、考えた上で作品をつくりなさい」という話は1年次からするようにしています。
C:実際のところ、各社の採用担当者はデッサンなどの美術教育をどの程度重視していると感じますか?
小島:会社によって採用方針は様々ですが「すごく描ける学生は採ります!」と多くの方がおっしゃいますね(笑)。
C:やはり画力重視ですか。
小島:時代と共に各社の使用ツールや制作手法は少しずつ変わっていますが、「すごく描ける学生は採ります!」という声は変わらないですね。「しっかり観察して、しっかり描く学生は、安心して採用していただける」ということを、これまでの経験を通して僕らは確信しています。中には「ポートフォリオにデッサンが入っていなくても採用します。3D作品だけでもいいですよ」とおっしゃる会社もありますが、「3D作品を通してデッサン力が感じられなければ、絶対採ってもらえない」と僕は思っています(笑)。
C:デッサンは不要でも、「デッサン力」は必要だと。
小島:そうです。アニメーターの場合はアニメーションのセンスの方が問われると思いますが、キャラクターデザイナーやコンセプトアーティスト、モデラーなどを目指すのであれば「デッサン力」は不可欠です。だから1年次のうちにその重要性を理解し、自分の可能性と視野を広げてほしいと願っています。
C:トライデントの教育方針がよく理解できました。お話いただき、ありがとうございました。