©いのまたむつみ ©藤島康介 ©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
プログラマーとアーティストをつなぐテクニカルアーティスト(TA)。企画職からキャリアアップした異色のTAが、バンダイナムコスタジオの小濵 智氏だ。どういった経緯でTAに就任したのか。企画出身ならではの強みとは何か。これまでのキャリアをふり返りつつ、話を聞いた。
INTERVIEW&PHOTO_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)、山田桃子 / Momoko Yamada
開発の大作化が新しい役職を創り出す
AAAゲームとインディゲームの二極化が止まらない。個人でも手軽にゲームを開発・販売できてしまう中、企業にとって最大の差別化要因となるのが開発規模だ。それにともない職種の細分化や新しい役職の創出が進行中で、アーティスト(デザイナー)とプログラマーの橋渡しをするテクニカルアーティスト(TA)はその好例だ。今やゲーム開発に必須の職種となっており、プログラマーやアーティストからキャリアアップする例が多い。
こうした中、ゲームデザイナーからTAにキャリアアップした、ユニークなクリエイターがいる。バンダイナムコスタジオの小濵 智氏だ。ナムコ・テイルズスタジオでイベント制作を手がけつつ、スクリプトチームのリーダーに就任。社内再編などを経て2016年から現職となった。そのキャリアは国産RPGの大作化の歴史にも重なる。その渦中を体験した小濵氏に、「企画出身ならではのTA」の強みをふまえつつ、これまでの経緯をふり返ってもらった。
なお、TAの位置づけや業務内容は企業によって異なる。バンダイナムコスタジオにおいても同様で、DCCツールやプラグインのテストなどを行う「アーティスト寄りのTA」と、ツールやパイプラインの整備などを行う「プログラマー寄りのTA」に分かれており、同社でTAといえば前者を意味する。これに対して後者は「テック」と呼ばれており、小濵氏もその一人だ。そこで以後はTAではなくテックという呼称で統一するので、注意してほしい。
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小濵 智/Satoru Kohama
バンダイナムコスタジオ 技術開発統括本部 技術本部 コアテクノロジ部アテクノロジ2課
www.bandainamcostudios.com
1978年生まれで、東京都出身。幼少期に一番影響を受けたゲームがファミコン版の『ドラゴンクエストIV』(1990)だったという小濵氏。中学受験を経験した小濵氏にとって、ゲームは子どもの頃から「親から禁じられた遊び」だった。ドラクエ初体験もゲームではなく、公式ノベライズだったほどだ。小説であれば親も目くじらを立てなかった。活字を追いながら、頭の中でイメージを膨らませていった。
もっとも中学・高校ともなると、家庭用ゲーム機を普通に楽しむようになり、その過程でいっぱしのゲーマーに育っていった。中学生の頃に『ロードス島戦記』でテーブルトークRPGを初体験。高校生になるとゲームセンターで『ストリートファイターシリーズ』を始め様々な格闘ゲームにハマった。ガンダムに対する思い入れも強かった。いわば、同世代の平均的なゲーム好きだったといえる。
現在のキャリアにつながるきっかけとなったのが、ゲーム専門学校に進学したことだ。旧エニックスが設立した「エニックスゲームスクール」を前身にもつ「デジタルエンタテインメントアカデミー(DEA)」(1991~2006)だ。中学受験までして進学した先が専門学校だったことに、父親は不満げだったという。しかし卒業後、一部上場企業に就職したことで、態度が一変した。カプコンに企画職で就職したのだ。
DEAでは、その後の人生を左右する大きな出会いもあった。テーブルトークRPG『トーキョーN◎VA』などで知られるゲーム制作会社、ファーイースト・アミューズメント・リサーチ(F.E.A.R.)代表の鈴吹太郎氏が教鞭を執っていたのだ。鈴吹氏にかわいがられた小濵氏は、在学中に同社でアルバイトもしていた。余談だが、鈴吹氏との親交は現在も続いているという。
カプコン退職後に東京に戻った小濵氏が頼ったのも同社だった。鈴吹氏の口利きで、TRPGライターとして専門誌に寄稿を始めたのだ。その後、小濵氏は数年間のライター人生を通して、アナログゲーム界で活躍していく。2004年に発売されたアフターホロコーストものTRPG『ニルヴァーナ』(ゲーム・フィールド)は代表作。小濵氏の名前が、ゲームデザイナーとしてクレジットされている。
その後、あらためてデジタルゲーム業界に復帰した小濵氏。旧ナムコ・テイルズスタジオ(現バンダイナムコスタジオ)で、派遣社員からのスタートだった。担当者から「RPGが好きなら......」ということで、派遣企業から推薦された企業が同社だったのだ。DEAの同期が何人もいることも決断を後押しした。学生時代の縁はここでも健在だった。その後、小濵氏は本採用を経て、チームに不可欠の存在になっていく。
イベントチームのリーダーとして開発の効率化に貢献
テイルズスタジオの面接で小濵氏は気になる質問を受けた。「マクロでイベントが組めるか」というのだ。「Excelのマクロ程度だろう」と考えた小濵氏は、深く考えることなく「イエス」と回答。ところが、配属先のイベント班で待っていたのはC言語ベースのスクリプト制作だった。当時、RPGの開発ではイベント制作にスクリプト言語の導入が進んでいた。同社ではこれを「マクロ」と呼び、イベント班のプランナーが担当していたのだ。2000年代後半のことで、PS2晩期のことだ。
『テイルズ オブ シンフォニア-ラタトスクの騎士-』(2008)
C言語は専門学校で1年間勉強しただけだったが、高校時代から数学や物理が得意で、特に勉強しなくても高得点を取れたことが幸いした。カプコン時代の業務はスクリプト制作とは縁が遠かったが、もち前の吸収力の高さでものにしていく。『テイルズ オブ シンフォニア-ラタトスクの騎士-』(2008、Wii)のイベント班に配属されると、仕様に基づきマクロを組む日々が始まった。しかし、次第に効率の悪さに疑問を感じるようになったという。
「最初は基本的な命令をシナリオに従って並べるだけでした。ただ、キャラクターが歩くとか走るとか、基本的な命令しか用意されていませんでした。例えば、ジャンプをさせたいと思ったら、ジャンプの開始モーション・ループモーション・着地モーションなどを、重力を考慮しながら手動で設定する、みたいなことをやる必要があったんです。そうしないと自然な動きにならないですからね。これが、もう面倒くさくて」。
そこで、次第に自分でスクリプトを組んで、複雑な動きを関数化するようになった。ジャンプの例で言えば、ジャンプ専用関数に始点と終点を設定すれば、誰でも均質なジャンプができるようにしたのだ。これらの関数群によりイベントの生産性がぐっと高まった。『-ラタトスクの騎士-』は『テイルズ オブ シンフォニア』(2003)の続編で、エスコートタイトル(外伝作品)だったこともあり、開発チームはアクティブメンバーが20名程度。当時としても小規模のチームだったことも幸いした。自分の提案で効率化を進められる自由な環境があった。
「こんなふうに、チームメンバーが楽になるような環境を、自然と整備するようになっていきました。もちろん、通常のイベント制作の業務もこなしながらです」。そうした作業ぶりは、根性論をふりかざすプランナーが多い中で、異質の存在だった。「下手に頑張るよりも、もっと便利な方法がある。自分でできないなら、すぐに知らせてくれと、よく言っていました」。そんなふうに、周りから一歩下がってチームに貢献することが、自分の性分にも合っていたことに気づいたのも、この頃のことだ。
もっともテイルズスタジオでは、プランナーがスクリプトを直接触ると、バグの温床になるとして敬遠する向きもあった。実際、スクリプト起因のバグも多かった。そこで次第にプログラマーによるイベントツールの整備が進んでいった。最初に行われたのがExcelを用いたスクリプト作成だ。Excelのプルダウンメニューでキャラクターとアクションメニューを選べば、自動的にスクリプトが完成する環境が整備され、イベント班に提供された。
最初のうちは基本的なアクションの組み合わせしかできず、イベント班で不評だった。『ラタトスクの騎士』の開発が終了し、直接採用となった小濵氏は、イベント班のリーダーに就任。小濵氏がスクリプトで作成した関数群をプログラマーに渡し、Excelのツールに組み込んでもらうようにした。これにより、開発の手間を抑えたままで、演出の幅がぐっと広がった。イベント制作のワークフロー改善につながったのだ。
テイルズスタジオではイベントだけでなく、ゲーム内ギミック(マップ上でアイテムを動かすなど)の一部もスクリプトで制御することが多かった。プログラマーがスクリプト環境を整備し、その上でプランナーがコンテンツを実装する、といった具合に開発の分業化がなされていたが、ここでもイベント同様にプランナーがスクリプトを直接触ることを敬遠するながれが出てきた。だが、そんな中でも小濵氏はプログラマーに「大丈夫だろう」と認定されており、従来通りプランナー側からスクリプトを触り続けていたのだと言う。PS3世代におけるRPGの膨大な物量をこなすには、効率的にかつ安全に実装が可能なプランナーは貴重な存在であったことは想像に難くない。
ちなみに、当時はシェーダの導入と共に、日本のゲーム開発現場でテクニカルアーティストが定着し始めた時期にあたる。小濵氏はこれになぞらえて、自分の仕事を「テクニカルプランナー」と自称していた。プログラマーとプランナーの橋渡しをする仕事という意味だ。同じような動きは業界内で静かに始まっていた。プランナーが管理するデータ量が飛躍的に増加したためだ。アセット管理ツールや工程管理ツールの導入と共に、プロジェクトマネージャー職が誕生したのも、この時期に相当する。
このようにPS3世代にかけて、日本のゲーム開発環境は大きく変化した。汎用ゲームエンジンの導入が試験的に行われるようになったのも、このころだ。このようにトップダウンによるパイプライン整備と、ボトムアップによる開発効率化があわさって、開発スタイルが大きく変化していった。テイルズスタジオでも同様で、内製ゲームエンジンが整備され、テイルズエンジンへとつながっていく。小濵氏もこうしたながれにプランナーの立場からかかわっていった。
『テイルズ オブ ゼスティリア』(2015、PS3)、『テイルズ オブ ベルセリア』(2016、PS4/PS3)開発で用いられた、テイルズエディタ上のツール群。イベント班向けに特化したツールはほとんど小濵氏が開発したものだ
『テイルズ オブ ゼスティリア』におけるフィールド画面でのギミック(マップアクション 火 - 白銀の焔(左)とマップアクション 風 - 瞬転の迅(右))。レベルエディタ上で配置後、Luaスクリプトが関連付けられ、制御されている
同じく『テイルズ オブ ベルセリア』におけるフィールド画面でのギミック(ジャンプ(左)とレアボードによるジャンプ(右))。このように汎用的なギミックはレベルエディタ上でギミック配置スクリプトを動作させ、一括配置できるように工夫された
『テイルズ オブ ゼスティリア』(左)と『テイルズ オブ ベルセリア』(右)のイベントシーン。いずれもイベントエディタ上で作成されている
「Excelでのイベント作成も、Excelからイベントスクリプトを出力しているだけで、エディット結果を確認するには、結局スクリプトのコンバートが必要でした。つまりは、Excelでエディット、スクリプトを出力しコンバート、実機でプレビュー、というトライ&エラーの繰り返しです。このコンバートを省き、プレビューしながらイベント作成を行えるトライ&エラーの少ない環境構築が最終目標でした。テイルズエンジンが整備されていく過程で、満を持して専用のイベント制作ツールもつくられました。ただ、プログラマーが用意するツールが、プランナーにとって使いやすいとは限らないんですよ。ときにはそれがヒューマンエラーの温床になることもあって」。
プランナーの要望を吸い上げて、プログラマーがツールを制作する。得てしてそれは「ひとつひとつは単機能なツールを複数個、組み合わせた処理」になりがちだ。プログラマーの言うとおり「これと、これと、これと、これを、この手順」でやれば、確かに望んだ結果は得られる。しかし、そうした所作はときとして「人間は間違える動物である」という原則を無視することにもつながる。自動処理の概念が業界で普及するのは、この数年後のことだ。当時は人力で行うのが一般的だった。
PS3世代を迎えて、物量のさらなる増加に伴い、開発の進捗も遅れがちになっていた。そうしたしわ寄せを受けるのがイベント制作だ。キャラクター・背景・アニメーション・エフェクト・ボイスといったアセットが揃わなければ、イベントは完成しない。そんなとき「これと、これと、これと、これを、この手順」なんて悠長なことは言っていられない。少しでも手順を自動化したいということになる。そろそろ根性論では乗り切れなくなってきていた。
「こうした作業をまとめてやりたいという話をすると、じゃあお前がやれよって言うことになるわけです」。幸いにもテイルズエンジンのイベントエディタはPythonでカスタムツールをつくることができた。そこでPythonを独学した小濵氏は、『テイルズ オブ ゼスティリア』(2015、PS3)と『テイルズ オブ ベルセリア』(2016、PS3/PS4)でイベントツールを開発。ここでも開発の効率に大きく貢献した。「Pythonに触れたのはこれが初めてでしたが、とても素直な言語で、短期間で習得できました」。
『ゼスティリア』『ベルセリア』開発で使用されたテイルズエディタ
イベントツールと並行して、ゲーム内ギミックの効率化も進めた。背景班と連携して、マップ上のギミックを一括で配置できるように、専用のスクリプトを組んだのだ。
はじめに背景デザイナーが、Mayaシーン上に適切な座標と向きで、各種ギミックに応じた命名規則のロケータを仕込んでおく。次にレベルエディタ上で背景のシーンデータを開いて、配置ボタンをクリックする。すると、仕込まれたロケータの名称に基づき、自動的にどの種類のギミックをどの位置にどの角度で配置するべきかを判断し、それぞれのギミックが一括で自動配置されるしくみをつくり上げたのだ。
もともと背景デザイナーは仕様書に基づいて背景を作成しており、どうギミックが配置されるかを把握してマップを作成している。以前はそこからさらにプランナーが、広大な背景シーン上で仕様書とにらめっこしながら配置場所を探して、1個1個手作業で配置する必要があった。この手間を極限まで減らしたのだ。配置ボタンをクリックすれば、あとは配置されたギミックが仕様書通りにあるか確認するだけで済むというわけだ。
もっとも、そこまで来るとプランナーの範疇から業務内容が逸脱する。その結果、開発の効率化には貢献しても、自身の評価につながりにくいジレンマが生まれた。黎明期のTAと同じく、プログラマーとプランナーの橋渡しを続けた結果、人事評価のエアポケットにはまってしまったのだ。
そんなおり、いち早くTAとなった同期がいた。背景デザイナー出身でテイルズエンジンのライブラリ制作に携わり、社内でTAセクションの立ち上げにもかかわった人物だ。そこで小濵氏は、TAではなくテックに移籍することを勧められる。「テックという部署が存在していたことすら、知りませんでした。業務内容について聞いたら、『今やっているようなことだ』と言われて。だったら自分でもできるんじゃないかと」。
会社も変革期を迎えていた。2012年にバンダイナムコゲームスがテイルズスタジオを吸収合併した上で、バンダイナムコスタジオとして分社化した。その結果、旧テイルズスタジオのながれを組むテイルズ部が社内に設立され、『ゼスティリア』、『ベルセリア』の開発が行われた(現在は部署としては再編成され、その名は残っていない)。その過程でTAとテックを担当する部署が必要とされたのだ。シリーズが一段落したところで、小濵氏もまたタイトル開発から離れて、テックとしてのキャリアを歩むことになった。
[[SplitPage]]人と人をつなぐ......小濵氏流のテック術
左から小濵 智、伊藤澄夫、山本 圭、沼上広志、宮津章好、加藤裕之(敬称略)
現在、小濵氏が在籍するコアテクノロジ2課には、6名のテックが存在する。業務用から家庭用、そしてモバイルまで、バンダイナムコスタジオが手がけるゲームの開発支援を包括的に手がけるチームだ。いずれもゲーム開発のベテラン勢で、最新のビジュアル技術やDCCツールなどに関心のある者ばかり。言い換えれば既存のゲーム開発ラインに収まりきらなくなった、「はみ出し者」の集まりだともいえる。
「メンバーの中には、ディープラーニングが一般化する前に、機械学習を用いたモーションデータの認識技術を研究開発し、ゲーム開発に役立てる構想をプレゼンした者がいます。しかし、内容が新しすぎて誰も満足に理解できなかったほどです。他にDCCツールの黎明期、いち早くパーティクルによるエフェクト表現や、クロスシミュレーションの研究開発を始めたメンバーもいますね」。こうした研究開発を自発的に行なっていたメンバーが集まり、組織化されたのだ。
もっとも、経歴の異色さでいえば小濵氏が最右翼だ。現在メインで担当しているプロジェクトは、グループ会社のバンダイナムコオンラインと共同開発中のMMORPG『BLUE PROTOCOL』。プラットフォームはPCで、ゲームエンジンはUnreal Engine 4となる。開発チームにまじって、MayaやPhotoshopのツール開発などを担当する日々だ。キャラクターモデル・背景・シェーダ・エフェクトなど、依頼に応じて様々なタスクをこなしている。そこにはプランナー出身ならではの強みがある。
「チームで何か問題があるから、テックに依頼があるわけですが、依頼するにも信頼関係が必要じゃないですか。となると、いかに人間関係で壁をつくらないかが重要だと思うんですよね。チャットツールのSlackで会話をするだけでなく、直接机まで行って、顔を突き合わせて会話をするのが大事だと思っています。そうしたことが苦にならないのは、プランナー出身だからですかね」。
こうした日々の信頼関係の積み重ねで、今ではデザイナーだけでなく、プランナーから相談を寄せられるようにもなった。「工程管理ツールを視覚化して、わかりやすくしたい」などだ。他にマネージャークラスへの報告用に、工程管理ツールからExcelへのエクスポータ制作なども手がけるという。テックといえばデザイナーの支援というイメージが強かった同社で、これまで見られなかった動きだ。
「エキスパートではなく、オールラウンダーたれ」......小濵氏の持論だが、これもプランナー視点の考え方だろう。それぞれの専門分野で達人はいくらでもいる。それらをフォローするポシジョンに立ち、点と点をつなぎ合わせることで、新たな価値を生み出していくというわけだ。専門職指向の強いプログラマーやデザイナーとは、異なる考え方だ。
もっとも、これは日本のプランナーが日常業務で、無意識のうちに期待されることでもある。プランナーの役割は企画立案や仕様書制作だけに留まらない。雑用に近い、泥臭い仕事もプランナーの職分だ。プログラマーやデザイナーが専門職化していく過程で、そこから取りこぼされたものを拾ったり(進捗管理はそのひとつだ)、役職を超えた繋がりをつくったりする業務が、プランナーに課せられてきたからだ。
小濵氏が制作した汎用エクスポータ。『BLUE PROTOCOL』開発チームでは、本ツールがキャラクター班だけでなく、アニメーション班や背景班でも使用されている
小濵氏がテックとして最初期に手がけた、MayaからUE4へのエクスポータは好例だろう。当時、Mayaの勉強を始めたばかりで、UE4も未経験だった小濵氏。そこでPythonの知識を活かし、Maya側のエクスポータ開発に注力した。一方でUE4側のインポータは、『BLUE PROTOCOL』開発チームのプログラマーに用意してもらった。両者を組み合わせれば完成だ。誰がどのようにつくるかは、問題ではないというわけだ。
こうして制作されたエクスポータは、その汎用性が評価されて、今では社内の様々なチームで使われているという。中にはチームごとに改良が加えられ、独自の進化を遂げたり、自身があずかり知らぬところで活用され、驚かされたりすることも。小濵氏はそんなふうに使用者の顔が直接見えて、喜ばれる姿を見るのは楽しいという。自分の成果物が貢献している姿をみることは、モチベーションの向上にもつながる。
そのため小濵氏も、次第に『BLUE PROTOCOL』向けにツールを開発しつつ、汎用性を高めるための工夫を並行して進めるようになった。ツールの土台になる部分をつくり、社内サーバで公開。その上でプロジェクト固有のカスタマイズをほどこし、目の前のチームに提供するなどだ。「プロジェクト固有の問題はどうしても出てきます。だったら、そこは各々の現場で独自につくり込んでもらう方がいいですよね」。
キャラクター班向けに開発された自動アルファ設定ツール。本作では衣装同士の着合わせのために、頂点アルファが段階的に設定されている。この設定はツールで自動化している作業のひとつだ
すでに退職したテックやプログラマーが手がけたツールの保守管理や、改善要求に応えることも重要な役割だ。Maya向けの内製モーション編集ツールはそのひとつで、改修を重ねながら、現在も使用されている。小濵氏が手がけたのはジョイント選択ツールにおけるUI/UXの改善だ。「マウス操作だけで直感的に使用できる」、「画面上で行なった修正がすぐにデータ構造に反映される」など、ちょっとした改善で開発効率は大きく変わる。デザイナーの要望と実装のバランスを取ることが重要で、ときには外観はそのままに、ゼロからつくり直すこともあるという。
小濵氏がUI/UXの改修を行ったものや、要望により作成したアニメーション班向けツール群。ジョイント選択ツールや、ジョイントの下層へアニメーションキーを転写するツールなどが含まれる
他に気にかけているのが、ヒューマンエラーを起こさないためのしくみつくりだ。前述したエクスポータでは、フォルダパスや命名規則に基づき、セクションやアセットタイプを自動判別して、エクスポート先やインポート先が自動で設定されるようにした。エクスポート用セットを自動生成する補助機能も、デザイナーがワンクリックで完結することにこだわった。既定のフォルダパスに配置されていなかったり、命名規則に違反したファイルからでは、これら機能が警告を促し、実行されないように処理を追加したほどだ。こうしたことにも、プランナー時代の経験が活かされているという。
今後求められるテクニカルプランナーという新職種
プランナー時代から他人をフォローする立場にいるのが楽しかった。それがテックに移って、自分が所属するチームだけでなく、会社全体をサポートできるようになり、役に立てる範囲が広がった......。小濵氏はこれまでのキャリアをふり返って、このように語った。依頼された課題をこなすだけでなく、現場の潜在的な問題を言語化し、改善につなげていくことも重要な職務のひとつで、ここでもプランナーとの関連性が覗く。顧客の潜在的なニーズを言語化することは企画の本質だからだ。
問題は慢性的な人手不足だ。ゲームの開発効率を高める目的は、アセット量産の効率化にある。そのためには量産前に準備が整っていることが望ましい。しかし量産することで、初めて明らかになる問題もある。ひとつの対応がまた別の問題を呼ぶこともしばしばだ。結果として、なかなか目の前のプロジェクトから離れられない。一方で社内には様々な開発ラインがあり、固有の課題が存在する。そのため、様々な課題に対して、後手後手に回っているのが現状だという。
もっとも、ことはテックだけの問題に限らない。開発規模が大型化すればするほど、役職の専門職化が進む。その結果、役職間で誰も手を着けたがらない、潜在的な問題が広がる。たまたまチームメンバーに、落ち穂拾い的な業務をこなすメンバーがいればいいが、先述したように人事評価のエアポケットに挟まるおそれもある。中でも小濵氏が自称した「テクニカルプランナー」的な役職は、次世代機に向けてAIを活かした新しいゲーム体験が期待される中、ますますニーズが高まることが予測される。
一方で「役職間の落ち穂拾い」では人と人とのつながりが重要で、プランナー的な資質をもつ開発者が向いている......小濵氏はそのように語る。「技術については、自分も入社してからつけたタイプ。現場でもまれれば、いくらでもつくと思うんです。チームをテクニカルな立場からサポートすることに興味がある学生がいれば、新卒でテックというチャンスもあると思います」。もちろん、現役プランナーがキャリアアップする手段としても有効だろう。こうした人材をいかに育て、活用できるかが、今後のゲーム開発で鍵を握るのではないだろうか。