>   >  新・海外で働く日本人アーティスト:アメリカから日本のゲーム会社に就職、そしてまたアメリカへ......。第18回:小島研人(Animation Director 兼 Vlogger)
アメリカから日本のゲーム会社に就職、そしてまたアメリカへ......。第18回:小島研人(Animation Director 兼 Vlogger)

アメリカから日本のゲーム会社に就職、そしてまたアメリカへ......。第18回:小島研人(Animation Director 兼 Vlogger)

今回はアメリカのゲーム業界で活躍中の小島研人氏を紹介する。父親の海外赴任のため13歳のときに渡米し、アメリカの美大在学中に日本のゲームの魅力に目覚めたという小島氏。卒業後、帰国して日本国内のゲーム業界で実績を積み、後にアメリカのゲーム会社への転職を希望するも、その就職活動は困難を極めたという。

TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

Artist's Profile

小島研人/Kento Kojima(Animation Director 兼 YouTuber)
兵庫県出身。父親の仕事の都合で13歳のときにカリフォルニア州へ移住。1993年にアカデミー・オブ・アート大学イラストレーション科に入学。卒業後、帰国し1998年にSCE系のゲームスタジオにキャラクターデザイナーとして入社。2000年にナムコ(現:バンダイナムコ)に移籍し、モーションデザイナーとして働く。2006年に家族を連れて再渡米し、ルーカスアーツへ入社。『Star Wars: The Force Unleashed』シリーズのゲーム開発に携わる。2013年のルーカスアーツ閉鎖後、Hangar 13へ入社。2017年にサンフランシスコ市内にある某ゲームスタジオへアニメーションディレクターとして移籍し、現職。自身のアメリカ生活を紹介するYouTubeチャンネル、KentoonVlogも配信中。

<1>居住経験があったにも関わらず難航したアメリカでの就職活動

ーーアメリカでは、どんな学生時代を過ごされたのですか?

小島研人氏(以下、小島):父親の仕事の都合で13歳のときにカリフォルニア州アルバニー市へ渡米しました。最初は英語がまったく話せなかったので大変でした。アルバニー・ハイスクールに通っていた頃は絵を描くのが大好きで、美術の先生から校内の壁に絵を描いてみないかと誘われ、それ以降はずっと絵を描いて過ごす日々でした。その当時から将来、絵を描く仕事に就きたいと思い、サンフランシスコのアカデミー・オブ・アート大学(以下、アカデミー)に進学してイラストレーションの勉強を始めました。アカデミーのイラストレーション科では主にノーマン・ロックウェルのように伝統的なアメリカのイラストレーション技法や、ジェスチャードローイングなどを学びました。このときに学んだ人体の動きについての画法が、今の仕事にも役立っています。


学生時代に描いたドローイング

ーーゲーム業界を目指したきっかけは、どういったものだったのでしょうか。

アカデミー在学中にPlayStationを購入し、『鉄拳』シリーズに心を奪われて、コンピューターアートのクラスをいくつか受講し始めました。その後「日本でゲーム開発者になる」と決めて、アカデミー卒業後は即帰国。ソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)系の小さなゲームスタジオにキャラクターデザイナーとして入社し、3Dキャラクター制作の仕事に携わりました。その仕事の中で、アニメーション作業が一番好きだったので、後にナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)に移籍し、アメリカ留学時代から夢にまで見た『鉄拳』や『ソウルキャリバー』などのプロジェクトでモーションデザイナーとして働き始めました。当時は、憧れだったゲームの制作に携わることが嬉しくて、無我夢中で働きました。夜遅くまで残って作業する日が続いても、まったく苦ではありませんでしたね。

ーーその後、再びアメリカで就職されてますね。なぜ再渡米しようと思ったのですか?

2001年にMicrosoftがXboxを発売して以降、アメリカでゲームブームが起きました。次第にゲーム業界の主要マーケットが日本からアメリカに移っていくのを感じ、気がつけば僕もアメリカ製のゲームでしか遊ばなくなっていたほどでした。さらに2004年に長女が生まれてから、激務のせいで朝しか娘に会えないという日本での生活に少し疑問を感じるようになり、本格的にアメリカへの移住計画を立て始めました。

移住を決めた当初は、アメリカでもすぐに仕事を見つけられるだろうと甘く考えていたのですが、しばらくの間、ゲーム会社にデモリールを送っても返信すら来ない日々が続きました。しかし運良く、当時EAで働いていた友人の紹介で、ルーカスフィルム内のゲームスタジオだったルーカスアーツのリクルーターからコンタクトをいただくことができたんです。その後はトントン拍子に採用が決まり、再度渡米してアメリカでの生活を実現することができました。

ーーアメリカでの居住経験があっても、いざ就職となると大変だったんですね。

小島:ルーカスアーツでの仕事が決まるまでの間、様々なゲームや映像スタジオにアプライしたのですが、なかなか良い返事をいただくことができませんでした。あまりにも就職先が決まらなかったので「英語が話せてキャリアがあっても、ビザがないとアメリカへの転職は厳しいのかな」と、諦めかけていたほどです。そのビザについては、入社が決まった後にO−1ビザを申請してもらいました。その際に役に立ったのが、海外でも有名なゲームタイトルに携わっていたことと、海外雑誌に掲載されたインタビュー記事などです。当時、僕のビザ申請を担当してくれた移民弁護事務所の方からは「講演会など公的に活躍した実績などがあると、ビザの取得に有利だ」という話も聞きました。

ーールーカスアーツではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

小島:『Star Wars: The Force Unleashed』シリーズの開発に携わりました。しかし2012年にディズニー社がルーカスフィルムを買収した余波で、翌年の2013年にルーカスアーツが閉鎖されたため、その後、上司が立ち上げたスタジオHangar 13へ移籍しました。

Hangar 13に在職中、モバイルゲーム市場規模が家庭用ゲーム市場規模を抜き、今度は気がつくとモバイルゲームでばかり遊ぶようになりました。そこでHangar 13で『MAFIA3』の仕事を終えた後、今度はモバイルゲームをつくろうと思い立ち、2017年の初めにサンフランシスコ市内にある某ゲームスタジオへアニメーションディレクターとして移籍し、現在に至ります。

次ページ:
<2>アニメーションディレクターの仕事をこなしながらVloggerとして情報を発信中

その他の連載