>   >  新・海外で働く日本人アーティスト:人とのつながりに導かれニュージーランドへ 第27回:畑中 誠/Makoto Hatanaka(Weta Digital / Senior Crowd TD)
人とのつながりに導かれニュージーランドへ 第27回:畑中 誠/Makoto Hatanaka(Weta Digital / Senior Crowd TD)

人とのつながりに導かれニュージーランドへ 第27回:畑中 誠/Makoto Hatanaka(Weta Digital / Senior Crowd TD)

今回はニュージーランドからお届けしよう。ハリウッドのVFX業界におけるキャリア構築では、人と人との繋がり、つまりコネクションがとても大切である。今回、ご登場いただいた畑中氏も「オーストラリアで働く先輩の元に遊びに行ったことが、すべての始まりになった」と語る。それでは、畑中氏の人脈がどのようにキャリア構築に繋がったのか、話を伺ってみることにしよう。

TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

Artist's Profile

畑中 誠/Makoto Hatanaka(Weta Digital / Senior Crowd TD)
愛知県出身。デジタルクリエイターカレッジWAO!名古屋校(現在は閉校)Maya 3DCG映像クリエイション専攻を2002年に卒業。地元愛知県や都内のスタジオで3年間経験を積む。その後2006年にシドニーのPostmodern Sydney(現Method Studios)に移籍しTVCMなどのCG全般を担当。そこからオーストラリアの各スタジオをプロジェクト毎に渡り歩く。2017年にニュージーランドのWeta Digitalに移籍し、現職。最近の参加作に映画『ランペイジ 巨獣大乱闘』『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』などがある。

<1>CGの仕事を諦めかけたときに訪れたオーストラリア

――日本では、どのような学生時代を過ごされましたか?

少中高と学業の目的を見出せなかったため、勉強はあまり好きでなく、大学受験も甘く見ていて、その当時では珍しいメディア系の学科があった志望校に落ちました。かといって他の大学に行く気も浪人する気にもなれなかったので、高校卒業後は専門学校に入学しました。

デジタルクリエイターカレッジWAO!名古屋校(現在は閉校)へ入学したのですが、そこではクラスの中で最年少だったこともあり、先生やクラスメイトから可愛がっていただきました。授業ではデッサンを学んだり、アートスキルの教育にも力を入れていたんですが、僕はデジタル技術ばかりに興味が行ってしまい、結果、技術自慢のような作品をつくっては、よくダメ出しされていました。......当時お世話になった先生方には報告しづらいのですが、僕の傾向は現在もあのときから全く変わっていません。むしろ悪化しています(笑)。

――日本でお仕事をされていたころのお話をお聞かせください。

専門学校を卒業後、上京してゲームのシネマティクス用モデル、CGアニメのショット制作などをしていましたが、初めての制作現場ということもあって上手く立ち回ることができず、1年ほどで挫折し愛知に戻りました。愛知では建築パースなどを制作する会社に勤めたり、印刷店のWebサイトや3D素材の制作担当として働いていて、CGの仕事にギリギリ携わってはいましたが本格的とは言えず、当時はCGの仕事を諦める寸前だったかもしれません。

――その後、オーストラリアへ渡るわけですが、就職活動について体験談をお聞かせください。

最初に勤めた会社で知り合った先輩とずっと交流があり、その方がオーストラリアのシドニーにある会社で働いておられたので「ゴールデン・ウィークを使って、遊びにいきます」と先輩を訪ねたのが全ての始まりでした。

旅行が決まってから少しだけ駅前留学で英語を勉強してからオーストラリアに行き、先輩の働いている会社を見学させてもらいました。そこで、日本とは違った働き方に感動し「こんな会社でCGをやってみたい」と感想を漏らしたところ、後日先輩から「空きがあるので応募するだけしてみたらどうか」と提案をいただきました。

そこからトントン拍子に話が進み、電話面接となりましたが、英語を少し勉強した程度では、やはり上手く聞き取れませんし喋れません。大変不安な状況でしたが、なんとVFXスーパーバイザーの奥様が日本人で同時通訳をして下さり、面接を通過することができました。当時は就労ビザ取得にIELTSスコアが必要なかったため、そのままビザも取得でき、無事就職というとても幸運なながれでした。

そこでの経験を元に、次のスタジオへとキャリアをつなげていった訳ですが、思い返すと、働いたスタジオほぼ全て、過去に一緒に働いた方に紹介してもらったので、コネクションには本当に恵まれていたと思います。

オーストラリアでは最初の会社で3Dゼネラリストとしてモデリングからテクスチャ、アニメーション、ライティングなどをひと通り担当しました。Massiveは別のシニアアーティストの方が担当していたのですが、その方が別の会社に移る際に担当を引き継ぐことになり、そのときに初めてMassiveに触れました。そのときから群衆シュミレーションに興味を惹かれ、Weta Digitalへの憧れをもつようになりました。もう10年も前のことになりますが、今こうしてWeta Digitalで働いていると思うと感慨深いですね。


Weta Digital Crowdチームとのランチ風景

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<2>大規模スタジオならではの充実した環境

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