>   >  新・海外で働く日本人アーティスト:渡米から約30年、デジタル移行期のディズニーからWeta Digitalまで第一線で活躍し続ける。 第35回:鈴木松根(Weta Digital / Modeler)
渡米から約30年、デジタル移行期のディズニーからWeta Digitalまで第一線で活躍し続ける。 第35回:鈴木松根(Weta Digital / Modeler)

渡米から約30年、デジタル移行期のディズニーからWeta Digitalまで第一線で活躍し続ける。 第35回:鈴木松根(Weta Digital / Modeler)

今回は、長年ハリウッドで活躍されているベテラン・アーティストに登場いただいた。ハリウッドの日本人関係者の間では「マットさん」という愛称で親しまれている鈴木松根氏だ。ディズニーでの長年に渡る活躍を経て、現在は『アバター2』の制作に参加している鈴木氏に、今日に至るまでのキャリアパスをうかがってみた。

TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

Artist's Profile

鈴木松根 / Suzuki Matsune(Weta Digital / Modeler)
東京都出身。1990年にアートセンター・カレッジ・オブ・デザイン卒業後、ハリウッドの中堅VFXスタジオ、イントロビジョン・インターナショナルに入社。1994年にドリーム・クエスト・イメージズに移籍。『ザ・ロック』、『クリムゾンタイド』ほかを手がけた後、1997年ウォルト・ディズニー・スタジオと契約。ディズニー在籍中に許可を得て2年程ニュージーランドのWeta Digitalに移籍、『アバター』の制作に参加。その後ディズニーに戻るも、現在は再び『アバター2』制作のためにWeta Digitalと契約し、現職
www.wetafx.co.nz

<1>1990年に工業デザインを学ぶため渡米、そして映画業界へ

――日本での学生時代のお話をお聞かせください。

私立成蹊学園の中、高、大学へ通いました。学生時代は、好きなことがあり過ぎ、プラモデル・SF読書・自転車組み立て・オーディオ・鉄道模型・映画・パソコンなどに打ち込み、おかげさまで学業成績は残念な結果に。しかし、この頃に身についた様々な雑学が、今でも役に立っていると思います。

また、学生時代は時間があったので場末の2本立て映画館に通い映画を観まくっていました。タイトルを選ばず、質より量を重視し月に20本ペース。このときに、映像テクニックとして「やってはいけない」手法など、映画から学ぶことも多かったです。

――日本で仕事されていた頃の話をお聞かせください。

大学卒業後は、AXISの企画部に勤務しギャラリー運営や雑誌編集の仕事に携わりました。ここで日本工業デザインの重鎮、林 英次氏と出会い、まだまだ学生気分の抜けていなかった私を、懇切丁寧に導いていただきました。AXISでは仕事のやり方や厳しさなど、仕事に対する基本姿勢を学びました。

――その後、アメリカに留学されたそうですね。

ロサンゼルスのパサデナにあるアートセンター・カレッジ・オブ・デザインへ留学し、工業デザインを専攻しました。アートセンターの課程は本当に厳しく、シゴかれました。在学中にはILMでインターンとして働く機会もありました。当時のILMは『スター・ウォーズ』最初の3部作(4・5・6)が終わり、『スタートレックIV 故郷への長い道』の制作が終わった時期で、ニロ・ロディス、フィル・ノーウッドやジョー・ジョンストンなどが在籍していた、絶頂期とも言えるころでした。

この頃に自分が触れたCGとしては、学校にやっとSGIが入った時期で、演算も遅く、質感もプラスチックのようで「まだ使い物にはならないかなあ......」と言うのが率直な感想でした。

――海外の映像業界での就職活動について体験談をお聞かせください。

一番最初に就職したのは、イントロビジョン・インターナショナルというハリウッドの中堅VFXスタジオでした。ここには正攻法――つまり大学を出て履歴書を出して、ポートフォリオ面接での合格でした。アメリカでは通常、大学を卒業後、OPT(※)の期間中に職を得て、雇用主にH-1Bなどの就労ビザをスポンサーして貰うというシステムです。現在のアメリカはトランプ政権の影響もあって、就労ビザの審査が大変厳しくなりましたが、私が渡米した当時はもう少し楽だったと思います。

※OPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング):アメリカの大学を卒業すると、自分が専攻した分野と同じ業種の企業において、実務研修を積むため1年間合法的に就労できるオプショナル・プラクティカル・トレーニングという制度がある。専攻分野によっては1年以上の就労が認められるケースもあるので、留学先の学校に確認してみると良い

通常、アメリカで就労する外国人は、アメリカの会社に属して、そこからビザを出してもらうのが前提です。しかしハリウッドプロダクションは作品ごとに組織を解散していたので、自由に動き回れる柔軟性が必要でした。この頃は、まだ個人でもO-1ビザが取得できた(※)ので、そのお蔭で自由に動くことができました。O-1は審査が厳しく取得が難しいのですが、その後に申請した永住権は通常5年以上のところ、1年半で発給されました。

※個人でのO-1ビザ申請:最新のアメリカ合衆国移民法では、O-1ビザは勤務先となる企業かエージェントによるスポンサーが必要とされ、個人での申請はできない。最新のビザ事情は書籍『ハリウッドVFX業界就職の手引き』でも詳しく紹介されている

就職した後は狭い業界ですから、気に入ってもらえれば人づてに仕事チームが形成されて、そんなグループに2~3絡んでおくと、1年中仕事が回る、そんな時代だったのです。

――これまでに、どんなVFXやアニメーション・スタジオで勤務されたのでしょうか。

工業デザイン専攻だったので、映画制作の知識がなく、最初の就職先だったイントロビジョン・インターナショナルで映画制作のイロハから学びました。ここで、映画界最初の師ビル・メサ氏と出会いました。

中規模のスタジオでしたので、最初はコンセプト・アーティストとして就職しましたが、すぐにストーリーボード、マット合成、セットデザイン、プロップデザイン、セット図面、セット構築、セットドレッシングなどをやらされ、全般に渡る知識を身に付けた後にアートデイレクターに昇格しました。そういう意味で、はじめに中規模の会社で働けて良かったと思っています。このくらいの会社規模ですと、映画産業の労働組合(I.A.T.S.E.全米ユニオン)の範疇外ですので、好きな職種にうつれるメリットもありました。ここでは映画『逃亡者』、『沈黙の戦艦』などを手がけ、VFXアートディレクターになりました。

続いて、1994年に当時ハリウッドVFXスタジオ4強の1つだった、ドリームクエスト・イメージズに移籍しました。ここでは映画『ザ・ロック』『クリムゾン・タイド』『コン・エアー』などを手がけました。そして次の師デービッド・ゴールドバーグ氏と出会います。ドリームクエストでは「ビジネスとしての映画制作」、つまりギリギリどこまで質を追って、しかも採算を出すかを習得しました。結局これができないとビジネス自体が存続できません。当時ここではディズニー系映画(ハリウッド・ピクチャーズ/タッチストーン・ピクチャーズ)の仕事が続いて私もだんだんとディズニーに名前を知ってもらえるようになりました。

その後、1997年からウォルト・ディズニー・スタジオ(以下、ディズニー・スタジオ)と専属契約を結び制作部に入ります。そして間もなくドリームクエストもディズニー・スタジオ傘下に入ったことを知りました。さすがにディズニーは体力があります。

――デジタルへの移行期でもあったディズニー・スタジオでのお仕事は、いかがでしたか?

どの作業でも、アーティストが「できた」と言ったときが完成となります。妥協して仕上げることは、まずありません。エフェクト・ハウスですと厳然とした〆切があります。しかしディズニー・スタジオでは、配給も自社でもっているという大規模なプロダクション会社ならではの余裕を目の当たりにしました。ですから、社内の雰囲気はある意味「アート・スクールのデカいの」のような感じでした。ただ伝統のある会社ですから、それぞれの部署に昔からいるベテランの方も多く、私のように多部署を渡り歩くのは簡単ではありませんでした。

当時のディズニー・スタジオはデジタルへの移行期でもあり、アナログVFXからデジタルへの川(しかも急流)を渡ることになりました。昔ながらの光学処理によるSFXの巨匠たちは、自分達の技術を発揮できなくなった時点で、少なくなっていきました。「映画制作技巧が好きな人」に比べて「映画製作自体が好きな人」の方が、その手段や技術を選ばないため、生き残る確率が高かったようにも思えます。

以降、約20年間に渡りディズニー・スタジオでビジュアルデベロップメント、モデラー、エフェクトアニメーター、プリビズ、レイアウトなど主に映画制作の前半部分を担当しました。映画『アンドリューNDR114』などの実写のコンセプトを手がけつつ、次第にウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ(以下、ディズニー・アニメーション)へと移籍しました。

――ディズニー・アニメーションでも、さまざまな大作に参加されていますね。

ここでは、長編アニメーション映画『塔の上のラプンツェル』『アナと雪の女王』『ベイマックス』などのビジュアル・デベロップメント/プリビズを手がけました。

ディズニー・アニメーション在籍中に、ニュージーランドのWeta Digitalに2年間ほど移籍を許されました。これは、映画『アバター』の制作に参加したかったためです。映画が完成した後、再びディズニー・アニメーションに戻りましたが、今現在は映画『アバター2』のために再びWeta Digitalと契約し、ニュージーランドに移り現在に至っています。


ディズニー・アニメーション時代に『シュガーラッシュ』の開発チームと
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