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    今回はサンフランシスコで活躍するデジタルアーティストを紹介しよう。シリコンバレーも近く、IT企業が集中するサンフランシスコ。ここで、モバイルアプリの広告制作に携わっているのが、神崎麻美さんだ。数年に渡る日本での社会人経験を経て、アメリカに留学したという神崎さんに、その体験談を伺った。

    TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
    著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

    Artist's Profile

    神崎麻美 / Kanzaki Asami(Jr. Designer / AppLovin)
    栃木県出身。中学生のときに父親の駐在で渡米。帰国後は日本女子大学を卒業し、一般企業に就職。勤務の傍ら、デジタルハリウッドの週末クラスにてCGを学ぶ。その後サンフランシスコのアカデミー・オブ・アート大学に留学し、本格的にアニメーションを習得。卒業後、AppLovinに入社し、現職。入社2年目を迎える
    mobile.twitter.com/asame424

    <1>米国で出会った映画が、人生の転機に

    ――日本と米国で、どのような学生時代を過ごしたでしょうか。

    絵や工作は昔から好きでしたが、「アーティストになる」というのは全く別の世界の話しだと思っていました。中学1年生のとき、父の仕事の都合でアメリカの学校に転入したのが、私の人生の大きな転機でした。英語がわからず、友達もできず大変だった当時、3つ下の妹と週末に映画館に行くのが1番の楽しみでした。丁度『ハリー・ポッター』や『アイス・エイジ』が上映されていた時期でもありました。「明日も下手な英語で、宿題の発表をしなくちゃいけない」と憂鬱なときも、映画を観れば夢中になれて、嫌なことを忘れられました。

    日本に帰国してからも、変わらず息抜きに観る映画が支えとなっていました。当時はCGが一体何なのか理解できず、『ファインディング・ニモ』の水の表現も、『モンスターズ・インク』のマイクのリアル過ぎる表情も、どうつくってるんだろう? と疑問でした。

    あるとき、偶然何かの雑誌でピクサーという会社が、そういったCG映画をつくっていると知りました。世界中の優秀な人々が集まり、切磋琢磨しているピクサーの存在は、当時高校生の私の価値観を大きく変えました。それ以来「この職業に就きたい」という以上に、「誰と一緒に働きたいか」が私の中のプライオリティになっています。

    ――日本で会社員をされていた経験もおもちだそうですが。

    当時は、海外生活の経験を生かして国際開発に携わることが夢でした。とくに経済・金融の知識をつけたかった私は、大学卒業後は金融機関に就職しました。その頃には絵が好きだったこともすっかり忘れていて、将来はMBA(経営学修士)を取って、世界でバリバリ働こうと思っていました。

    MBA留学の準備をしていたある日、「たくさんの時間とお金をかけて、これが本当に自分がやりたいことなのか?」と突然思うようになりました。これが人生最初で最後のチャンスだとしたら、本当に自分がやりたいことを選びたい。そう思ったとき、真っ先に頭に浮かんだのが3DCGでした。まるでギャンブルのようですが、昔からの興味や疑問を解消できるなら、挑戦してみたいと思ったんです。そして、もしもアーティストになれたときには、アーティストとして社会に貢献することもできるのではないか? と考えるようになりました。

    思い立ったらあまり考え込まない性格なので、自分が譲れない留学の条件をリスト化して、消去法で次の日にはアカデミー・オブ・アート大学(以降、AAU)に留学しようと決めていました。私の場合の譲れない条件ベスト5は以下の通りでした

    • 1位:STEM OPTの申請ができる学校学部であること(卒業後アメリカで働きたかったため)
    • 2位:最短最安で留学できること(1位の条件を踏まえた上で、4年制の私立美大の中でAAUは学費も比較的安めで、入学前のポートフォリオや英語のスコア提出義務がなく、準備に時間をかけなくて良いのはメリットでした。また、在学期間も学費も半分で済ませるために編入学できる学校であることも私の中で重要でした)
    • 3位:日本人の卒業生が業界で活躍していること(出身国によってビザの状況も変わるので日本人の方の成功体験をとくに調べました)
    • 4位:現役のアニメーターから授業を受けられる(実際の現場のことを知りたかったので、この点もこだわっていました。特にAAUはピクサーやILMから近かったので最初から留学先候補の上位でした)
    • 5位:気候が悪くない(雨雪が酷い地域に住んだことがあり、気持ち的に元気が出ない経験があったので西海岸にけっこうこだわっていました笑)

    そして、留学先を決めたらすぐに留学準備に入りました。働きながら週末はデジタルハリウッドへ通い、Mayaを学びました。ここで出会ったクラスメートや先生に大きな影響を受け、アートで食べていくことは実現可能なことなんだと感じることができました。デジハリで出会った皆さんにはとても感謝しています。おかげで、少しだけ残っていた迷いが払拭できたので良い準備期間となりました。もちろん社会人と学生二足のわらじは大変でしたが、目標が明確だったので辛いと感じたことはなかったです。


    同僚と地球上最も過酷なイベントと言われるTough Madderに参加

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    <2>留学後、2度目のチャンスを掴みAppLovinに就職

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    <2>留学後、2度目のチャンスを掴みAppLovinに就職

    ――留学時代の話をお聞かせください。

    28歳のとき、仕事を辞めてアメリカへ再び渡りました。私が留学した頃はドルが高めで、社会人時代の貯金で無事卒業できるか、常にハラハラしていました。自分がアメリカ人ならビザの心配もないし「ピクサークラスだけ取るのに......」と、そんなことを思いながら留学生活はスタートしました。でも実際は、全部の授業に良い思い出があります。

    よく聞かれる質問ですが、1番心に残ったクラスは何かと言うと、実はピクサークラスではないんです。AAU最後の年、私が慕っていた外部講師の方が特別にシークレットクラスを開講することになり、そこに私も運良く参加させてもらいました。先生が監督となり、同級生数名と「1学期で2つのショート・フィルムをつくる」と言う、信じられない程タイトなスケジュールのクラスで、制作は困難を極めました。口論になることもありました。それでも何とか完成したときの達成感を、私は忘れることができません。喧嘩しながらも、相手の強い気持ちやこだわりを知ることで、私もいっさい妥協したくないと初めて心から思えました。そのときの皆とは今でも仲が良く、今度はプロとしていつか一緒に仕事をするのが私の夢です。

    ――海外の映像業界での就職活動は、いかがでしたか?

    アメリカでは、2社で働いた経験があります。在学中はTonko Houseでインターンをさせてもらいました。プロのアーティストと一緒に仕事をするのは初めての経験だったので、見るもの聞くもの全てが勉強になりました。AAU卒業後、すぐAppLovinに就職しました。私の場合はラッキーなケースかもしれませんが、どちらも有難いことに先方から「一緒に働いてみませんか」と連絡をいただきました。

    就職したAppLovinはフルタイムのポジションなので、面接前に実技のテストもありました。実は私はテストの時点で1度落ちてしまってるんですね(笑)。内容はAfterEffectsで広告をつくるというものだったんですが、AAU時代はMaya以外のソフトはろくに使えませんでした。

    そんな状態なので1度目は不合格でしたが、その後、再度チャンスをいただき入社できました。慣れないないソフトでテストをパスできるか不安でしたが、アニメーションに関してはプリンシパルを知っていれば、作業自体は同じなので乗り越えることができました。

    ――現在の勤務先は、どのような会社でしょうか?

    AppLovinは、世界中の人々に高品質なゲームを発信するモバイルゲームのデベロッパーを包括的にサポートしている会社です。アーティスト以外にもエンジニアやマーケターなど、異なるスキルをもった人たちが多数在籍しています。

    私自身の主な仕事内容は、モバイルアプリの広告制作です。ユーザーに興味をもってもらえるよう、チームの皆と相談しながら日々作業しています。この業界はスピードが命なので、現場のペースは早く、毎日が一瞬で過ぎます。皆オンオフの切り替えがうまく、段取りの良さやチームワークなど見習うところががくさんあります。

    入社面接で「なぜここで働きたいの?」と聞かれ、「頭のいい人たちと働きたいんです」と答えました。マネージャーには爆笑されましたが、私は大真面目で、頭の中には高校生のときに読んだ、あのピクサーの記事が浮かんでいました。「世界中の天才エンジニアが集まるITバブルの中心サンフランシスコで、優秀なメンバーたちと仕事がしたい。自分もアーティストとして成長したい」と強く思っていました。それが叶って嬉しいと同時に、周りに置いて行かれないよう努力し続けたいと思っています。

    ――英語の習得は、どのようにされましたか?

    英語のレベルに関わらず、CG関連の英語は慣れない方が大半ではないでしょうか。私が日々意識しているのは「完璧」を目指すのではなく「必要分」から吸収していく、ということです。学校や職場での会話の中で、何度も出てくる言葉をメモして家で発音を練習し、翌日なるべく使う。シンプルですが今でも繰り返している方法です。

    ――将来、海外で働きたい人へアドバイスをお願いします。

    よく聞くアドバイスかもしれませんが「行ってみたら、なんとかなる」というのは本当だと思います。海外で働いているアーティスト「全員」に唯一共通することは、「海外に行ってみたい」という気持ちを行動に移した点です。

    当たり前に聞こえますが、意外とここで思い留まっている人は多いのではないでしょうか。行くとさえ決めてしまえば、正直、その後の困難はどれも乗り越えられるものばかりだと思います。優先順位をはっきりさせること、そこに向けて逆算して行動すること、それができればどんな人にも海外で働くチャンスはあると思います。


    サンフランシスコオフィスにて

    【ビザ取得のキーワード】

    ①日本の4年制大学を卒業
    ②留学後、STEM領域の学位取得(※)
    ③OPT、STEM OPTを活用し、現地企業に就職
    ④H-1Bビザを申請準備中

    ※OPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング):アメリカの大学を卒業すると、自分が専攻した分野と同じ業種の企業において、実務研修を積むため1年間合法的に就労できるオプショナル・プラクティカル・トレーニングという制度がある。STEM分野で学位を取得すると、OPTで3年までアメリカに滞在することができるので、留学先の学校に確認してみると良い

    あなたの海外就業体験を聞かせてください。
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    連載「新・海外で働く日本人アーティスト」では、海外で活躍中のクリエイター、エンジニアの方々の海外就職体験談を募集中です。
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