2023年12月、筆者はCGWORLD.jpの企画で「東南アジアで働く。新しい地平線:東南アジアで活躍する、日本人3DCGクリエイターのリアル」という記事を担当した。今回は、その記事にも登場いただいたMix Design Malaysia代表取締役の草野貴志氏に、マレーシアで会社を設立された経緯や、現地での仕事ぶりについて話を伺った。

記事の目次

    Artist's Profile

    草野貴志 / Takashi Kusano(Mix Design Malaysia / CEO)
    東京都出身。2003年に駒澤大学経営学部経営学科を卒業後、タレントのマネージャーとしてキャリアをスタート。旅行代理店や広告代理店の営業部署を経て、2007年に株式会社ミックスを立ち上げた。2021年12月にはマレーシアにて Mix Design Malaysia SDN. BHD.を設立し、株式会社ミックスの代表取締役を兼任しつつマレーシアに移住、現在に至る。
    mix-design.my

    <1>タレントのマネージャーから始まり、波乱万丈の社会人経験を経て起業

    ――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。

    子供の頃からアニメ・ゲームは好きでしたが、それと同じくらい海外ドラマが好きでした。友達と遊んでいても、好きなドラマが始まる前に帰るほどで、特に好きだったのは『ナイトライダー』、『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、『特攻野郎Aチーム』などです。子供の頃の夢は、大人になったらナイト2000(※ナイトライダーに登場する人工知能を搭載した車)に乗ることでした。

    好きなドラマの放送がない日は、外で友達と遊び倒す日々を過ごしていました。なかでもカブトムシとクワガタが好きで、一時は病的に森へ林へと採集の旅に出て、「夏祭りで売れるんじゃないか!!」と思えるほどの種類と量を採集していました。

    大学に入学後は、知人などの会社の立ち上げや事業の立ち上げに参加する機会が増え、会社経営に興味を持つようになりました。予算が限られている中で事業を始める難しさ、他の人に頼れないことで何でも自分でやる苦労、そして商品やサービスが思ったようには売れないことの悲しさ(笑)、意見の食いちがいで人が離れていくベンチャー企業の辛さ、などを経験しました。

    何でも自分でやってしまう器用貧乏なところは、この大学生活で養われたのだと思います。そして何より、この過酷な大学生活のおかげで、ストレスとトラブルに対する耐性が身につきました。今では大切な財産と考えています。

    この時期に心に決めたのは、「どんな困難からも逃げない」ことで、その精神で何事にも取り組んできました。逃げると、また同じ問題が起きた時に解決しないので……。

    大学卒業後は、在学中から続けていたバンド活動が楽しくなり、起業活動を中断して音楽活動に打ち込みました。月に5~6回のライブをこなしながら、アルバイトで生計を立てていましたが、バンドが解散したタイミングで、当時お世話になっていた方の会社でタレントのマネージャーとして働き始めました。

    自分の好きな時間に好きなことをする生活から、決まった時間で働くことになり「窮屈だな~」と思いながら働いていましたが、当時の上司と反りが合わず、ちょっとしたきっかけで腹を立て、半年もしないうちに退職してしまいました。

    退職後すぐに、学生時代にお世話になった旅行会社から誘いがあり、学校や塾の合宿を担当する団体客の送客業務に携わることになりました。人手が足りず、いつの間にか上司が送客するお客様の担当業務もあてがわれ、現地対応はもとより、時にはキッチンに入って料理をつくったりお皿を洗ったり、敷地内の草刈りをしたりと「営業職の仕事じゃないなぁ」と思いながらも、楽しい毎日を過ごしていました。

    入社から数年後、会社がつぶれて未払い給与がある中、無職になってしまいました。全くもって順風満帆とは言えない社会人生活でした。

    その後、広告関連の会社へ入社して働いていたところ、幼馴染から「CGの会社をやらないか」と誘われました。当初は、私が社長をやる予定ではありませんでした。

    ある日、突然幼馴染から「会社をやらないか?」、「社長は俺がやる、資本金も俺が用意する」、「お前は営業だけやってくれれば良いから」と言われ、幼馴染の頼みだし、これが最後の転職にしようと思い、広告会社を退職しました。

    ところが幼馴染に「俺が会社を設立しとくから、資本金を用意しておいて」と伝えたところ、「ごめん、実は金がない」という恐ろしい返答があったんです。

    私はすでに広告会社を退職していたので後戻りもできず、急いで金策をして何とかお金を集め、その報告を幼馴染にすると、「金を集めたのはお前だし、社長はお前がやりなよ」とまるで謀られたような展開に。

    確かにお金を集めたのは自分だし、返済も自分でするんだから社長というのも当たり前か……と思い直し、会社を設立することになりました。設立後も「今のプロジェクトが終わったら参加するよ」というマイペースで無責任な幼馴染に振り回され、波乱万丈なスタートを切った会社も、現在で18期目です。

    当時はCGプロデューサーとして様々な仕事に携わらせていただきました。幼馴染(現役員)から渡された3年分の「CGプロダクション年鑑」を見ながら、「あ」から順番に営業の電話やメールをしていきました

    業界の右も左も分からず、社長&プロデューサーになった私は、XSI、Maya、3ds MAX、Lightwave、のちがいも良くわからないまま、とにかく毎日電話してアポイントを取っていきました。ちなみに弊社は、会社設立時はXSIを使用していました。

    営業電話をしても皆さん素人の私の話を聞いていくださり、その好意に甘えて多くの仕事をいただき、たくさんの経験をさせていただきました。

    ――担当されたプロジェクトの中で、思い出に残る作品はありますか?

    NYにあるプロダクションから初めて海外案件を受注したプロジェクトで、Macy’s NYのクリスマスの展示映像の制作をしました。制作途中からはNYに行って完成まで対応しました。

    実際にMacy’sの店頭で映像が流れるのを観て、初の海外案件だったこともあり、とても感動したのを覚えています。その後もGoogle Play Awardの映像制作など多くの作品に携わらせていただきました。

    国内の案件では、熊本支社を設立した際に熊本県からいただいた「くまモン」を使用したムービー制作が思い出深いです。これは熊本県のPR動画をつくるというものでした。その当時、くまモンは未だ3D化されたことがないということで、立体になることで皆さんのイメージと合わなくなるようなことがないよう、注意を払いながら制作しました。予算的な制約もあったので、音声収録もナレーターも全部自前で行い、デザイナー1人と私、という手づくり感が面白く、音声収録の編集などはバンド時代の経験を活かし、夜な夜な私が1人で作業しました。

    大変なこともありますが、物づくりの仕事は本当に楽しく、色々と転職しましたがこの仕事は自分に合っていると、今も思っています。

    ▲社員との全体ミーティング

    <2>海外で働くには、「自分の特別な武器」を持つことが重要

    ――現在の勤務先は、どんな会社でしょうか。

    Mix Design Malaysiaは、設立から2年目の会社です。現在、私も含めて23名の社員が働いています。この会社ではゲームキャラクターのアニメーション制作を主に行なっています。マレーシアではゲーム開発経験者が少なく、アニメ制作会社からの転職者が多いので、ここ2年間はデザイナーの教育に力を入れ、良質な作品をつくるための体制をつくってきました。

    今後はモデラーやプログラマーなどの採用も進め、本社と同じ制作環境と体制を構築し、マレーシア単独での開発ができるように成長させていきます。モデラーは鋭意募集をかけていますが、応募がなく、現地での人材獲得は難航しています。

    今現在、海外営業を行う海外事業部はマレーシアにあります。マレーシアでは英語だけではなくマンダリン(中国語)を話せる人も多く、たくさんのクライアントとコミュニケーションを取ることが可能なためです。

    マレーシアにおける就労ビザは、大学卒業者であれば、特に問題なく取得可能です。専門学校卒ですと、会社への勤務年数が問われました。私の場合、初年度は1年間のビザを取得し、その後2年間のビザへ更新しました。

    ――スタジオ経営者としての面白さは、何でしょうか。

    弊社は4名からスタートした小さな会社でしたが、現在は60名弱になりました。ビジネス上、社長という肩書でアポイントを取らせていただくと、部長さんや役員さん社長さんなど、多くの経験と多くの苦難を乗り越えた方と直接お話をすることができることが多く、若い私にはとても刺激的で勉強になりました。

    クライアント先で現場の方と打ち合わせした際には、「社長と、話したことないです!!」という話もよく聞きました。社員の方でも話す機会がないのに、27歳で起業したばかりの若造が、飛び級で多くの経験ある方とお話しできたのが、この役職の面白いところだと思います。

    ――現地での言語の習得は、どのようにされましたか?

    いまだに話せません(笑)。いま一生懸命勉強中です。

    弊社のマレーシアスタッフは明るくて親しみやすい社員が多いので、遊びに行ったり食事に行ったり、日常的に接する機会を増やして、英語習得の促進を図っています。

    また、英会話の先生に週3回来てもらって2時間のレッスンを受けています。日本と比べると費用が安いので、レッスン時間を多く取ることができます。SNSなどで募集すると、ものすごい数の先生が応募してきます。想像以上に多かったので面接回数を減らすため、自己紹介の動画を自撮りして送ってもらい、発音の良い先生を片っ端から面接しました。私はこのやり方で、良い先生と出会えました。

    マレーシアでは英語は第2言語なので、いい加減に話す人も多く「英語がうまく伝わらないこと」に慣れています。なので間違った英語を話すのが、怖くない国でもあります(笑)

    それ以上に、生活習慣や宗教感など日本文化とのちがいから、そもそも彼らが話している内容がうまく理解できないことが多くあります。ですから「英語だけできれば良い」というものでもないかもしれません。

    今では多くのことを経験して、そうしたことも、少しづつ理解できるようになってきています。

    ――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。

    「働きたい国や会社があるのか?」、「何処でもいいから海外で働きたいのか?」など、理由は人それぞれですが、まずは旅行でも何でも、行ってみることが大事だと思います。

    できれば、現地で会社訪問をすると良いと思います。自分の目指す場所のイメージを明確にした方が、仕事にも学習にも力が入り、準備が進みます。

    また最後になりますが、「自分の特別な武器」を持っておくことも重要だと思います。その他大勢にならないために、自分にはこの能力があるという自信のもてる「何か」が、海外で働く上で大切になると思います。

    ▲社内イベントでペイントボールへ

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    ①日本の大学を卒業
    ②日本国内で実務経験を積む
    ③マレーシアにて会社を設立
    ④マレーシアで就労ビザを取得

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    TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada