本連載では、CG映像制作におけるテクニカル系スタッフの仕事の現状と課題を、パイプライン開発の専門家である痴山紘史氏(日本CGサービス(JCGS)代表)が探っていく。第12回では、ペンタブレットで世界的に知られるワコムを取材。製品企画、ハードウェア開発、ソフトウェア開発の各担当者への取材を通して、ペン入力技術と「かく体験」を支えるテクニカル系スタッフの仕事を前後編にわたって深掘りする。

記事の目次

    製品企画・ハード・ソフトの責任者が語る、ワコムの開発体制

    秋場啓介氏(以下、秋場):ワコムでポートフォリオマネジメント、いわゆる製品企画部門を統括しています。早稲田大学商学部でマネジメントや経営を学び、卒業後は液晶ディスプレイ業界でプロダクトマネジメントに携わってきました。

    これまで一貫して、「ユーザーにどのような価値を創造し、届けられるのか」を考えながら仕事をしてきました。現在は社内の様々なチームと連携しながら、新しい製品づくりや製品ポートフォリオの設計を進めています。

    ▲秋場啓介氏(ブランドビジネス ポートフォリオマネジメント シニアマネージャー)

    川副裕之氏(以下、川副):Engineering Group EMR Module Product Innovationのシニアディレクターとして、ワコムのハードウェア開発を担当しています。ペン技術やディスプレイ、電気設計といった要素技術のエンジニアと連携しながら、製品企画部門やソフトウェア部門、ODM(※)パートナーと協力し、量産に向けた製品開発全体をマネジメントしています。

    ※ハードウェア開発は一社だけで完結することは少なく、開発や製造の一部、あるいは全体を専門メーカーに委託することがよくあります。こうした開発・製造を担うメーカーをODM(Original Design Manufacturer)と呼びます。

    電気通信大学大学院を修了後、ソニーに入社し、ブラウン管ディスプレイの開発に携わりました。その後は液晶ディスプレイの開発に移り、スマートフォンやPC、デジタルカメラ向けなど、様々な製品の開発プロジェクトを経験しています。ワコムにはその後入社し、現在7年目です。

    ▲川副裕之氏(Engineering Group EMR Module Product Innovation Senior Director)

    鈴木啓高氏(以下、鈴木):ワコムではSoftware Technology and Experience Developmentで、ソフトウェア開発全体を統括しています。UI/UXを含めた“ワコム体験”を、ソフトウェアとしてかたちにしていく役割です。

    慶應義塾大学理工学部で数学を専攻し、その後はコンピュータサイエンスやコンピュータグラフィックスの分野に取り組んできました。修士課程の頃からHIというスタートアップで仕事をしており、携帯電話向けの組み込み3Dソフトウェアレンダリングエンジンの開発などに関わってきました。その後、sdtechという会社を立ち上げ、現在もワコムと兼任するかたちで所属しています。

    ▲鈴木啓高氏(Principal of UX and Service Design/Head of Software Technology and Experience Development)

    秋場:ワコムの事業は大きく二つに分かれています。一つは、ペンタブレットなど、クリエイターの方々に使っていただくワコムブランド製品の事業です。もう一つは、ペン入力技術やソリューションをパートナー企業に提供するビジネスで、スマートフォンやノートPC、教育用タブレットなど、様々な製品に組み込まれています。

    実は売上構成としては、このパートナー向けビジネスが約70〜75%を占めており、ワコムブランド製品は25〜30%程度です。

    またワコムブランド製品も、クリエイター向けに限らず、ホテルのチェックイン端末や銀行・保険の電子サイン、消防や警察の指令室など、様々な産業用途で利用されています。こうした幅広い分野でペン入力技術が使われているのも、ワコムの特徴の一つです。

    製品企画・ハード・ソフト、それぞれの立場から見る開発の役割

    秋場:ワコムの製品企画は、一般的なメーカーとは少し異なるかたちになっています。多くのメーカーでは企画部門が中心となって製品をつくりますが、ワコムでは製品ごとに社内の様々なチームからメンバーを集め、プロジェクトチームを立ち上げて開発を進めます。

    私たちポートフォリオマネジメントは、そうしたプロジェクトが動き出す前の段階で全体の方向性を整理したり、特に大きな刷新となる製品についてはプロジェクトをバックアップしたりする役割を担っています。

    私たちの部門では、数年単位のロードマップを見据えながら、ワコムとしてどのような価値を届けていくのかの整理も行なっていきます。また、ペンタブレットやペンディスプレイ、Wacom MovinkPadシリーズのようなOS搭載タブレットなど、既存製品の組み合わせを見ながら、新しい用途やまだ存在していない市場を見つけ、そこにどのような製品を投入すべきかを考えることも重要な役割です。

    そうして製品のコンセプトやターゲットを定めた上で、具体的なユーザー体験の設計については、プロジェクトチームと一緒につくり込んでいきます。

    川副:ハードウェア開発に関しても、製品ごとにプロジェクトチームを編成して進めています。ペン技術やメカ設計、ディスプレイ、電気設計など、様々な要素技術を担当するエンジニアが集まり、それぞれの専門分野をもち寄って一つの製品をつくり上げていきます。私たちEngineering Groupは、各プロジェクトを率いるリーダーたちの活動を支援し、開発全体が円滑に進むようマネジメントする役割を担っています。

    開発の初期段階では、製品企画部門からロードマップが共有され、それを基にハードウェア部門では「次の製品で実現したい技術」や「もう一歩進めたい要素」をもち寄ります。事前の検討や試作を行いながら、製品に組み込めそうな技術を整理し、新規のプロジェクトが立ち上がるタイミングで製品企画部門に共有していきます。このプロセスは製品の方向性を決める上で非常に重要で、技術と製品コンセプトが結びつくかどうかが大きなポイントになります。

    製品化が決まると、ODMパートナーとも連携しながら量産に向けたハードウェア開発を進めていきます。OSを搭載する製品ではソフトウェア部門との連携も重要で、スケジュールや技術情報を共有しながら開発全体を進めていきます。

    私自身が特定製品の開発担当として関わることもありますが、基本的には全製品の開発を俯瞰しながら、各プロジェクトの進行状況や課題を関係者間で共有し、マネジメントしていく役割を担っています。

    鈴木:ワコムでは、ハードウェアの上で動く最も低いレイヤーであるファームウェアの開発まではハードウェア部門が担当し、その上のレイヤーのソフトウェアを私たちSoftware Technology and Experience Developmentが担っています。

    具体的には、ペンタブレットやペンディスプレイをPCで利用するためのドライバや、設定アプリ「Wacom Center」、OS搭載タブレットのアプリケーションとアプリ間連携など、ユーザーが実際に触れる体験部分を設計・開発しています。

    また、教育向けアプリケーションをパートナー企業と共同開発するほか、クリエイターの権利保護を目的とした技術「Wacom Yuify」のようなサービス領域の開発にも関わっています。ドライバ、アプリケーション、さらにはサービスまで、幅広く手がけているのが特徴です。

    一般にはワコムはハードウェアの会社というイメージが強いと思いますが、その裏側ではソフトウェアやサービスの領域でも多くの開発が行われています。そうした部分も含めたワコム体験を支えるのが、私たちの役割です。

    Wacom MovinkPadシリーズとEVAモデルに見る、最近の製品開発

    秋場:ここにいる3人は、基本的に同じプロジェクト群に関わりながら製品開発を進めています。最近の動きとしては、ワコムが「ポータブルパッド」と呼んでいるWacom MovinkPadシリーズや、Wacom MovinkPad Proの特別モデルである、いわゆる「EVAモデル」があります。

    ▲Wacom MovinkPad Pro 14。筆者は年末に店頭で触って感動し、年明け早々購入した

    鈴木:今回のEVAモデルは、Wacom MovinkPad Pro 14をベースにしたコラボレーションモデルで、『エヴァンゲリオン』30周年を記念した特別仕様の製品です。本体とペンだけでなく、専用カバーやペンケース、スタンドなどのアクセサリーも同梱されており、パッケージ全体としてコレクション性の高いセットになっています。

    ソフトウェア面でも特別仕様となっており、起動時の演出や壁紙、アイコンデザインなどがEVAモデル向けにカスタマイズされています。さらに、Wacom Canvasの特別バージョンや、作品の世界観をモチーフにしたウィジェットなども収録しています。

    単なる外観ちがいのモデルではなく、アクセサリーやソフトウェアまで含めて、作品の世界観を楽しめるようにつくり込んだ特別モデルになっています。

    Wacom MovinkPad Pro EVA Edition。エヴァンゲリオンの世界観をギュッと詰め込んでいる

    秋場:Wacom MovinkPad Pro 14もそうですが、最近のワコムでは価格設定を非常に強く意識しています。以前は「良いものをつくれば多少高くても受け入れてもらえる」という考え方もありましたが、現在は「ユーザーがどの価格帯のどのような価値ならご納得いただけるか」を前提に製品企画を行なっています。

    Wacom MovinkPadシリーズでも、まず価格レンジを設定し、その中でどのようなハードウェア構成が可能かを検討するというアプローチを取りました。そのため、どこにコストをかけ、どこを抑えるのかについては、ハードウェアやソーシングの担当者と細かく議論しています。

    この価格の2倍でも安いと感じてもらえるくらい、しっかりつくり込む一方で、その価値をそのまま価格に転嫁するのではなく、「ユーザーが手に取りやすい価格」に抑えることも重視しました。そのため、部材のランクを調整しながら全体のバランスを取るという判断をしています。

    例えばWacom MovinkPad Pro 14のSoC(System on a Chip)では、Snapdragon 8s Gen 3を採用しています。フラッグシップではありませんが、性能と価格のバランスが良いチップです。タブレット向けにはさらに上位のSoCもありますが、AIやハイエンドのゲーム用途の性能まで必要かというと、今回のターゲットには必ずしも必要ではありません。逆に性能を下げすぎると本格的なクリエイティブ用途での操作感が悪くなるため、このあたりが一つのバランス点でした。

    一方、下位モデルのWacom MovinkPad 11ではMediaTek Helio G99を採用しています。こちらも同様に、「この製品にとって本当に必要な性能はどこか」という観点から部材を選定しています。

    川副:Wacom MovinkPadシリーズの開発で大きなテーマになったのは、OSを搭載したモデルに挑戦したことです。最初に開発が決まったのは11インチモデルでしたが、OS搭載製品をワコムが出すのは十年以上ぶりで、ほとんど新しいチャレンジに近いものでした。

    特に議論になったのは、Androidでプロのクリエイター向け製品を出してよいのかという点です。SoCの選定でも、ハイエンドを採用すべきか、それとも別のバランスを取るべきか、かなり悩みました。

    そんな中で最終的に重要だったのは、描いている途中で動作が重くならないことです。必要以上のスペックを搭載して価格や消費電力を上げるより、「描く作業が快適に続けられる性能」を確保することを重視しました。

    11インチモデルはプロ用途というより、「持ち運んで自由に描きたい」というユーザーを想定しています。実際にユーザーの方と話していても、仕事でPCとペンタブレットを使う傍ら、自分の時間に気軽に絵を描きたいという声は多く、この製品のコンセプトともよく合っていると感じています。

    ▲「持ち運んで自由に描きたい」を表現した、Wacom MovinkPad 11のプロモーションムービー

    川副:OSを搭載したAndroidタブレットをワコムが出すことについては、発表まではユーザーがどう受け止めるか少し不安もありました。ただ実際に使っていただくと、「描きやすい」という評価をいただくことが多く、描くことにフォーカスした設計は正しかったと感じています。

    「描く体験」だけは圧倒的なものにしたい

    秋場:Wacom MovinkPadシリーズの開発にあたり、パートナー企業も含めたプロジェクトチームのキックオフミーティングで、私がはっきり伝えたことがあります。「多機能なハイエンドタブレットとしては、他社製品に負けても構わない。ただし、描く体験だけは圧倒的なものにしてほしい」ということです。そこだけは、世界一のデバイスを目指してほしいと話しました。

    実際、Wacom MovinkPadシリーズではハードウェア、ソフトウェアの両面で、その一点にかなりふり切って取り組んでいます。Quick drawing機能をはじめ、「描く」という行為そのものの体験を徹底的に良質にしたい。これまでデジタルの描画体験に不満を感じていた方や、上手く使いこなせなかった方にも、ぜひ触ってほしいという思いがありました。

    スリープ状態からペンで画面をタッチすると、即座に絵を描き始められるQuick drawing機能。描きたいと思った瞬間に描き始められる体験は、まさに紙に近い感覚だ

    秋場:ワコムの場合、ペン入力技術が最も重要なコアですが、実はペンだけでは描き心地は成立しません。ディスプレイの表面レイヤー構成や素材との組み合わせが揃って初めて成立します。そのため、描画体験に直結する部分には思い切ってコストをかけています。

    例えばWacom MovinkPad Pro 14では、表面処理に「Wacom Premium Textured Glass」という独自構成を採用しました。タブレット業界ではグレアパネルが一般的で、描画用途をうたう製品でもアンチグレア加工が施される程度に留まるケースが多く見られます。これに対し本製品では、アンチグレア処理に加えてアンチリフレクション層を組み合わせることで反射をさらに抑制しつつ、アンチグレア特有の白っぽさも低減しています。

    正直に言えば、ここまでの処理を行うタブレットメーカーはほとんどないと思います。アンチグレア加工だけでも反射をある程度軽減できますし、むしろ一般的なグレアの方が動画やゲーム用途なら画面表示は綺麗になって、コストも抑えられます。ただし描くためのデバイスとして考えると、反射は長時間の作業で大きなストレスになります。紙に描くときは基本的に反射しません。描いている内容が光の反射で見えにくくなることは、描画体験として本質的な問題だと考えています。またハイエンドユーザーには、反射を抑えながら、有機ELのコントラストや画質を最大限味わってもらいたいという思いもありました。

    鈴木Wacom MovinkPadシリーズは、社内では「デジタル画板」というコンセプトで説明していました。一般的なタブレットではなく、「描くための道具」をつくるという考え方です。その視点で考えると、反射を抑える処理には明確な意味があります。コストが上がる処理でも、あえて採用した理由はそこにあります。

    開発初期のプレゼン資料にも象徴的なスライドがあります。そこには筆の絵が描かれていました。「これをつくる」というメッセージです。筆がWacom Pro Pen 3に置き換わり、少し引いて見るとタブレットも現れる。つまり、紙と筆の体験をデジタルで実現するという考え方ですね。ハードウェアもソフトウェアも、その一点に集中して開発してきました。

    ▲開発初期のプレゼンスライド。紙と筆が、タブレットとペンに変化するコンセプトを示している

    秋場:もちろん、反射を抑えただけでは十分ではありません。描き味は、タブレット表面のガラス素材やペン先のニブとの組み合わせによっても大きく変わります。ガラスの種類や摩擦感、ペン先との相性などを徹底的に検証し、実際に描いたときに違和感がないかを一つひとつ確認しています。そうして「描いたときの気持ちよさ」を追求していく。この点は、ワコムならではのアプローチだったと思います。

    「描く体験」に対するノイズを取り除く

    秋場:タブレットの表面処理にはコストをかけた一方で、Wacom MovinkPad Pro 14にはあえてカメラを搭載していません。現在のタブレットはカメラを備えているのが当たり前なので、この点はかなり悩んだポイントで、議論も重ねました。どこまでの機能を入れ、どこを割り切るのかは、製品企画として必ず決断しなければならない部分です。

    鈴木:紙にカメラは付いていませんからね。

    秋場:今回の製品では、かなり意識的に機能の取捨選択をしています。正直に言えば、社内外で賛否が出るだろうとも思っていましたが、それでも戦略的な判断として決めました。

    カメラを搭載すると本体から出っ張り、描くときの安定性を損なう可能性がありますし、小型のカメラを採用すれば品質が中途半端になってしまう。それなら、そこにコストをかけてまで搭載する必要はないと考えました。

    鈴木:コストの問題もありますが、最終的な判断基準は「描く体験にとってノイズになるかどうか」でした。描くことに集中するデバイスとして考えたとき、カメラは本質的な機能ではありません。むしろ余計な要素になってしまう可能性がある、という考え方です。

    秋場Wacom MovinkPadシリーズは、本当にコンセプトにフォーカスして設計しています。社内では「デジタル画板」というキーワードを何度も口にしていました。あくまで“画板”なんです。画板にカメラは付いていませんよね。そういう発想で設計しています。

    「描く、書く、かく」。ワコムが見ているペン入力の未来

    鈴木:ワコムの事業を整理すると、「描く」、「書く」、「かく」という三つの“かく”に関わっていることが見えてきます。

    一つ目は、手偏の「描く」です。これはクリエイターが作品を描く領域で、ペンタブレットやペンディスプレイといったワコムブランド製品が中心になります。

    二つ目は、書道の「書く」です。文字を書く行為ですね。例えばホテルのチェックイン端末や銀行の電子サインなどで使われているペン入力システムが、この領域にあたります。

    そして最近、私たちが力を入れているのが、平仮名の「かく」です。絵を描いたり字を書いたりする行為から得られるデータを分析し、その人の状態や特性を理解しようという領域です。例えば筆跡の変化から認知症の兆候を見つけるといった研究がありますし、書く行為から、その人のより深い状態を理解できないかという可能性も探っています。単なる入力デバイスとしての「描く」、「書く」に留まらず、その行為から新しい価値を生み出そうという取り組みです。

    そもそも人類の歴史をふり返ると、「描く」という行為は非常に古くから存在しています。洞窟壁画のように、人は何万年も前から何かを描き続けてきました。そう考えると、このテーマはとても奥行きのあるものだと思います。

    私たちはよく「五万年前から続く“描く”を、五万年後につなぐ」と話しています。まさにそんなイメージで、この“かく”という行為の可能性を、これからも広げていきたいと考えています。

    本記事の後編は、2026年4月公開予定です。

    痴山紘史

    日本CGサービス(JCGS) 代表

    大学卒業後、株式会社IMAGICA入社。放送局向けリアルタイムCGシステムの構築・運用に携わる。その後、株式会社リンクス・デジワークスにて映画・ゲームなどの映像制作に携わる。2010年独立、現職。映像制作プロダクション向けのパイプラインの開発と提供を行なっている。

    TEXT_痴山紘史/Hiroshi Chiyama(日本CGサービス
    EDIT_尾形美幸/Miyuki Ogata(CGWORLD)
    PHOTO_弘田 充/Mitsuru Hirota