韓国を代表するVFXカンパニー「M83」。同社がVFXヘッドスタジオを務めた映画『全知的な読者の視点から』を例に、韓国というアジアの地からワールドクラスのVFXを創り出すためのワークフローを紹介する。

記事の目次
    映画『全知的な読者の視点から』予告編
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    監督:キム・ビョンウ
    原作:「全知的な読者の視点から」 singNsong (「LINEマンガ」連載)
    提供:ツイン、Hulu
    配給:ツイン
    zenchi-dokusha.jp

    圧倒的な個性をもった原作小説の現実化に挑む

    韓国のウェブ小説・ウェブトゥーンを原作とする映画『全知的な読者の視点から』。小説の世界と現実がリンクする異世界を舞台に、崩壊した都市でくり広げられる壮大なアクション映像には、全体約1,500カットのうち約1,300カットにわたって3DCGベースのVFXワークが施されている。そんな本作のVFXヘッドスタジオが、M83(エム・エイティスリー)だ。

    『スペース・スウィーパーズ(勝利号)』や『ヴィンチェンツォ』などのVFXを手がけたことで知られる同社は先日、THE SEVENとVFX戦略的パートナーシップを締結したことから、本誌読者の中にも注目している方が多いことだろう。本作では、マッチムーブ、アニメーション、リギング、ライティング、FX、コンポジット、マットペイント各部門から約80名のスタッフを動員。グループ会社のMORTARHEADD VFXが冒頭シーンおよび中盤以降の一部シーンのショットワークに参加したという。

    ▲ M83のスクリーニングルーム

    「漢江など現実世界からラストバトルの超現実的な空間まで、シーンごとにまったく異なるビジュアルが求められた、チャレンジングなプロジェクトでした。キーショットを中心に素早く画づくりの方針を固めた上でシークエンス全体の統一性を保つというアプローチで、効率と質を両立させました」とVFXスーパーバイザーのキム・ウチョル氏はふり返る。

    通常はスーパーバイザーが各セクションの責任者と連絡を取り合うが、本作ではコミュニケーションにおける誤解を減らすために、スーパーバイザーと各ショットを担当するアーティストが直接やりとりする運用を徹底した。地下空間などの暗いシーンでも彩度をやや高めたカラーリングを採用することで観客の目を惹きつけるルックを実現するなど、フォトリアルと本作特有の様式美を高い次元で両立させることを目指している。さらにShotGrid(現Flow Production Tracking)にカスタマイズを施すことで素早くショットを確認できるワークフローを整備し、クオリティ向上のための試行錯誤を重ねやすい環境を構築したという。

    ▲ 左から、VFXスーパーバイザー キム・ウチョル氏、2Dスーパーバイザー チョ・ソング氏、プロダクション・マネージャー チャン・ミジン氏、3Dスーパーバイザー チャン・ドンジン氏。以上、M83
    www.m83.co.kr/eng/

    リアリティと様式美の両立〜クリーチャーデザイン〜

    <1>原作の設定を踏襲しつつ、独自のデザインを加える

    映画に登場するクリーチャーは、「観客に新しいものを見せたい」というキム・ビョンウ監督の意向の下、原作との差異が意図的に設けられた。原作のクリーチャーが“恐怖”寄りの印象だったとすれば、本作では観客の好奇心を喚起するユニークで神秘的な存在を目指したという。

    狂言回し的なキャラクター「トッケビ」のビジュアル開発では、まず原作に近い“毛のあるデザイン”が検討された。しかし監督との議論を重ねる中で方向性は転換し、子どもが遊ぶスライムの質感にトッケビという存在の本質を見出すに至る。さらに、普段は可愛く愛嬌のある印象を与えながらも、怒ると目から恐ろしいレーザーを放って人を傷つけたり顔から炎を噴き出したりするという二面性のある設定が加えられた。

    モデル制作では、スライム的な半透明という質感ならではの技術的課題に直面した。透過した際に内部や向こう側が透けて見えてしまう問題への対処として、透明度設定の検討に多くの時間を要したそうだ。最終的には「お腹の中でボールが転がる」というユニークな設定を活かすべく腹部の透明度を高く設定し、それ以外の部位は全体バランスを見ながら調整することでスライムらしい質感を実現している。

    「トッケビには、遠景では視認しにくいものの超接写では皮膚表面に異星の文字が絶えず変化し続けるという設定を加えました。遠くからは形ある生命体に見えるだけですが、アップショットでは正体不明の文字が絶え間なく再配列されているという、人間には理解できない別次元の法則で存在するキャラクターであることをビジュアルとしても表現しました」(ウチョル氏)。

    魚竜のデザインは、見る者に恐怖を与える巨大な“水竜”からスタートした。こちらも監督との議論を経て「恐ろしいが神秘的でどこか不思議な、見たことのない存在」という方向性が定まり、青いボディにその補色である赤系のひれ、道化師のようなメイクを施した顔という未見の要素を組み合わせた独自のデザインが誕生した。

    「制作スタジオから提供された魚竜のコンセプトアートは、正面から描いたものに限られていました。そこでAIを活用して別アングルからのビューや口内デザインなどのリファレンスを補完しつつ、観客が初登場時に違和感を覚えないよう、トーンと質感のバランス調整に注力しました」(ウチョル氏)。

    トッケビ

    ▲ トッケビのコンセプトデザイン
    ▲ トッケビの完成カット
    ▲ トッケビの胴体部分のHoudiniシェーダネットワーク(VEX Builder)。左ブロックがベースで、facing_ratio、layer_rgba、color_correct、multiply、bump02などのノードが複雑に接続されており、ボディ全体の質感を制御。trans maskで部位ごとに値を異なる設定にして、透明度(transmission)マスクを使用し、腹部・体表など部位によって透明度の値を個別に制御している(図中・左の黄色文字)。また、透過(transmission)とSSSを組み合わせることで、スライム特有の透明感のある質感を表現(図中・右上の黄色文字)。さらに体の下部に経年劣化の印象を加えるためのダーティシェーダをmix shaderとして独立して追加している(図中・右下の黄色文字)。右ブロックは、上から順にAOVマスク、ノイズテクスチャ、エッジや凹凸のカーブ情報を制御するブロックとなっている
    【STEP 1】ブレイクダウン。図は、実写プレート
    【STEP 2】トッケビの3DCGモデルを配置
    【STEP 3】トッケビのレンダリングイメージを合成
    【STEP 4】コンポジットワークが施された完成形

    魚竜

    ▲ 魚竜のコンセプトアート。未知なる印象を大切にしつつ、観客の視点で不自然さが出ないようにトーンと質感のバランス調整にこだわったという

    “糸の橋”(サンアのスキル)

    ▲ 東湖大橋シーンで、壊れた橋脚を繋ぐ“糸の橋”(サンアのスキル)のコンセプトアート。複数タイプの糸が絡み合ったアーチ形状のデザインを検討。美しい繊維で作られた建築物のような表現を目指したという

    <2>現実世界のVFX

    HoudiniベースのパイプラインとFlowPTによる効率化

    本作のプリプロダクションは2023年6月からスタート。同年12月にクランクインし、約半年にわたって撮影が行われた。ポストプロダクションは2024年6月から2025年7月頃まで続いたという。

    M83のVFXパイプラインの中核を担うのは、Houdiniだ。プロジェクトに応じてツールを使い分けることもあるが、創業当初からHoudiniを多用しており、基本パイプラインはHoudiniベースで確立されている。本作ではモデリング・リギング・アニメーションをMayaで行い、全データをキャッシュに書き出した上でHoudini+Arnoldでレンダリングするワークフローを採用した。ただし漢江シーンの海洋表現についてはHoudiniのKarmaの方が良質な結果が得られたため、この表現のみKarmaでレンダリングしている。

    ▲『全知的な読者の視点から』メイキング映像

    コンポジットワークにはNukeが用いられた。序盤の見せ場となる東湖大橋シーンや、魚竜の攻撃によって主人公キム・ドクシャ(アン・ヒョソプ)たちの乗る車輌が180度反転するシーンをはじめ、多くのシーンでプリビズとテックビズを活用した緻密なプランニングが行われた。ロケ撮影では全シーンでLiDARスキャンを実施し、クロマキーセット以外の地下鉄車内・地下鉄駅・東湖大橋外部などではHDRIと環境テクスチャ写真を撮影することで3Dデータとしての整合性も確保した。

    「列車から脱出したドクシャたちが橋の上を走る姿をドローンで空撮したシーンは、タイトルバックになりました。イ・ギリョン(クォン・ウンソン)を抱えて走るドクシャのカットから始まり、漢江と東湖大橋を一望するワイドショット、そして一行を背面から捉えたカットという3テイクをスティッチしたシークエンスです。最初のワイドへ引く区間と、再び降下して背中へ入る区間との間の2区間はフルデジタルで表現する必要があり、LiDARスキャン素材を活用することで臨場感のある仕上がりを実現しました」(ウチョル氏)。

    大量のVFXショットの進行管理では、FlowPTのカスタマイズが効率化の鍵を担った。特に地下鉄シーンの膨大なセットエクステンション作業向けに専用カスタムツールを開発。「FlowPT上で対象シーンをクリックすると、セットアップ済みの3D環境とカメラが自動的に読み込まれ、ジョブもレンダーファームへ自動投入されるしくみになっています。手作業とそれに要する時間を最小化することに努めました」(3Dスーパーバイザー チャン・ドンジン氏)。

    東湖大橋シーン

    • ▲ 東湖大橋シーンのプリビズ。タイトルバック周り
    • ▲車内シーンのプリビズ。魚竜の攻撃で車輌が180度回転するショット
    ▲ 車輌が180度回転するシーンのスタジオセット
    ▲ 役者を宙づりにして撮影する様子
    ▲ 完成カット。3段階に分けて撮影したプレートに対して、第1段階では尾が叩きつける瞬間にブレンドシェイプで車内壁面が歪む表現を追加。第2段階では、車両が180度回転する中で飛び散る各種プロップ、FXのガラス片、破片、粉塵を加えてリアリティが高められた。そして第3段階では、回転して停止するタイミングで床へ落下する人々を表現する必要があったため、現場でワイヤーを設置して実際に人物を吊った状態から落としたプレートにVFXワークが施された
    ▲ 魚竜の動きに伴う流体シミュレーション作業の例。魚竜のジオメトリをObject Mergeノードで参照し、水面との干渉計算の基準データに使用。そして水面への衝撃や波紋の発生源となるソースジオメトリについて、位置・スケール・回転などを各種ノードで制御している。そして青くハイライトされた中央のノードで上下のノードからの入力を集約し、水面シミュレーション全体の挙動を制御している。さらにtimeshiftノードで実写プレートとのタイミングを同期させている
    ▲ 完成したカット
    【STEP 1】ブレイクダウン。図は、魚竜のアニメーション
    【STEP 2】流体以外のCG素材をレンダリングした状態
    【STEP 3】流体や破壊などのFX素材
    【STEP 4】コンポジットワークが施された完成形

    VFXパイプライン

    ▲ 本作のパイプライン図。実写プレートをキーイングした素材を左ルート(Camera、Animation)と右ルート(Houdiniでアッセンブルする全データ)に分かれて各工程の作業が進められた。また様々な自動化ツールを開発するために、全ての作業情報をFlowPTに集約している
    ▲ FlowPT上で任意のショットをクリックすると、プレビューサムネイルや詳細情報が表示される。レンダリングのジョブもFlowPTで登録。ジョブが登録されると自動的にレンダリングが実行される仕様になっている
    ▲ 地下鉄シーンに登場する敵モブの群衆アニメーションを効率化するためのしくみを開発。図では、Mayaで作業したモブキャラの位置情報を更新したカメラデータ(位置情報を格納したロケータもしくはAlembicキャッシュ)をJSONで書き出している

    地下鉄シーン

    ▲ 敵モブの群衆アニメーション例。Houdiniで数十体分のアニメーションデータを一括読み込みしてレンダリングする際には、M83が運用するフォルダ階層構造に合わせたマルチインポートを実施し、スケールとデシメーションの情報も抽出して持ち回せるよう設定されている。Houdiniでのレンダリング時には、ディスプレイスメント値と個体ごとのシェーダが自動アサインされる。またアニメーション作業で個体のスケールを変更した際にディスプレイスメントの深度値が破綻するケースが生じたため、スケール値を認識してディスプレイスメントマップ値をスケールに比例して自動調整するカスタムツールを開発。これによりライティングアーティストは、データ読み込み後に大きな調整を加えることなくそのままレンダリング可能になっている
    ▲ 完成したカット
    【STEP 1】ブレイクダウン。図は、実写プレート
    【STEP 2】群衆アニメーションを合成
    【STEP 3】CG素材のレンダリングイメージを合成
    【STEP 4】コンポジットワークが施された完成形

    <3>超現実シーン

    綿密なプランニングとユニークなアイデアを駆使する

    魚竜の体内は、人物を照らす照明とクロマキーの機能を兼ねるセットを設計する必要があった。人物へのスピルを最小化するためグレーのマットを採用し、人物の動きに合わせた胃壁・床とのインタラクションを実現するため、特注の風船を数十個つなぎ合わせたセットが作られた。

    ショットワークでは、生物学的な「胃の内部」という設定と「見たことのない神秘的なビジュアル」の間でバランスをとることが課題となった。暗く汚い方向には寄せず神秘性を強調する方針の下、胃壁表面の胃液が発光する設定を採用し、全体をブルー系と蛍光色の胃液でカラフルなルックに仕上げている。体内に光源がある設定として俳優に当たる光も考慮し、生物感を高めるため胃壁に血管のような要素を追加。さらに内壁にリグセットを施して胃の動きをループさせることで、アニメーターが逐一キーを打たなくても胃の動きをコントロールできるしくみも開発された。

    常に揺れ続ける胃壁に刺さった棘のオブジェクトトラッキングでは、棘が刺さっているポイントを1点だけ抽出し、アニメーターが棘をそのポイントにコンストレインすることで効率化を図ったそうだ。そして魚竜の体内など暗いシーンのライティング&レンダリングにおけるノイズ対策では、3Dシーンはあえて明るいルックで仕上げ、コンポジット工程で暗くするというアプローチが採用された。

    「空間に出現するUIから放たれる光をメイン光源に設定し、胃壁自体から淡く光がにじむようなブルーのアンビエントライトを配置することで空間感を出しました。さらにトッケビから発生する固有の光源も加えることで、静的になりがちな内部環境に動的なライティングを施すことができました」(2Dスーパーバイザー チョ・ソング氏)。

    ▲ 『全知的な読者の視点から』本編映像クライマックス編 

    火竜とのラストバトルは、最も高難度のシーンとなった。危険を伴う動作やカメラアングルに制約があるショットはデジタルダブルに置き換えつつ、俳優が大きく映るショットではスタントビズを用いた綿密なシミュレーションを経てから本番撮影に臨んだ。

    ドクシャがユ・サンア(チェ・スビン)が放った名珠糸を伝って空へ上がり火竜を攻撃するショットでは、俳優がトレッドミルで走ってからジャンプして“火竜に乗る”動作を実写撮影し、ポスプロでカメラと人物の距離感・速度を調整することでダイナミックなアクションに仕上げた。

    「苦労は多かったものの、完成後は大きな達成感がありました。韓国のVFX業界はグローバル市場に比べると小規模ですが、クオリティや作業スピードでは引けを取らないと自負しています。日本でも大規模な作品が増えていき、アジアのVFXがさらに盛り上がることを願っています」(ウチョル氏)。

    魚竜の体内シーン

    ▲ 魚竜の体内シーンのコンセプトアート
    ▲ スタジオセット。役者とインタラクションするエリアは風船状のクッションで作られた
    【STEP 1】ブレイクダウン。実写プレートのトラッキングデータ
    【STEP 2】CG背景に差し替えた状態
    ▲【STEP 3】CG素材のレンダリングイメージを合成
    【STEP 4】空間に出現したUIを合成し、コンポジットワークが施された完成形

    火竜とのラストバトル

    ▲ Houdiniによるライティング&レンダリングの自動化パイプライン。図は、Houdiniのノードグラフ
    FlowPTのショットマネジメントUI。FlowPTで選択したショットに対応するカメラ、アニメーション、アセット、Houdiniテンプレートファイルのデータを検索し、レンダリングに必要な要素をHoudiniテンプレートファイル内部に自動で入力。その後、レンダリングが完了したファイルをFlowPTにアップロードするというしくみ
    ▲ 実写プレート
    ▲ 完成したカット

    「絹糸の橋」

    ▲ 東湖大橋シーンに登場するサンアのスキルによって出来上がった「絹糸の橋」のHoudiniノードツリー。最上部に配置された丸型の紫色ノードが全体への入力ソース。左側ブロックは、糸の基本構造。foreach_begin系のループノードを中心に、糸の基本形状となるカーブを生成。attribwrangleノードが複数配置されており、糸の太さ・テンション・垂れ下がりの度合いといった物理的な属性値をVEXスクリプトで制御している。中央ブロックは、糸のバリエーションを制御している。右側のブロックは、細部のディテールと追加エフェクトに関するもの。単一の糸を生成してそれを複製するのではなく、糸の種類・太さ・テンション・絡み合い方ごとに独立したループ処理を用意し、それらをmergeノードで統合するという高度な設計によって、アーチの形状と繊維質の美しさが両立された
    ▲ 完成したカット

    INTERVIEW & EDIT_NUMAKURA Arihito