韓国を代表するVFXカンパニー「M83」。同社がVFXヘッドスタジオを務めた映画『全知的な読者の視点から』を例に、韓国というアジアの地からワールドクラスのVFXを創り出すためのワークフローを紹介する。
© 2025 LOTTE ENTERTAINMENT, SMILEGATE, REALIES PICTURES All Rights Reserved.
監督:キム・ビョンウ
原作:「全知的な読者の視点から」 singNsong (「LINEマンガ」連載)
提供:ツイン、Hulu
配給:ツイン
zenchi-dokusha.jp
圧倒的な個性をもった原作小説の現実化に挑む
韓国のウェブ小説・ウェブトゥーンを原作とする映画『全知的な読者の視点から』。小説の世界と現実がリンクする異世界を舞台に、崩壊した都市でくり広げられる壮大なアクション映像には、全体約1,500カットのうち約1,300カットにわたって3DCGベースのVFXワークが施されている。そんな本作のVFXヘッドスタジオが、M83(エム・エイティスリー)だ。
『スペース・スウィーパーズ(勝利号)』や『ヴィンチェンツォ』などのVFXを手がけたことで知られる同社は先日、THE SEVENとVFX戦略的パートナーシップを締結したことから、本誌読者の中にも注目している方が多いことだろう。本作では、マッチムーブ、アニメーション、リギング、ライティング、FX、コンポジット、マットペイント各部門から約80名のスタッフを動員。グループ会社のMORTARHEADD VFXが冒頭シーンおよび中盤以降の一部シーンのショットワークに参加したという。
「漢江など現実世界からラストバトルの超現実的な空間まで、シーンごとにまったく異なるビジュアルが求められた、チャレンジングなプロジェクトでした。キーショットを中心に素早く画づくりの方針を固めた上でシークエンス全体の統一性を保つというアプローチで、効率と質を両立させました」とVFXスーパーバイザーのキム・ウチョル氏はふり返る。
通常はスーパーバイザーが各セクションの責任者と連絡を取り合うが、本作ではコミュニケーションにおける誤解を減らすために、スーパーバイザーと各ショットを担当するアーティストが直接やりとりする運用を徹底した。地下空間などの暗いシーンでも彩度をやや高めたカラーリングを採用することで観客の目を惹きつけるルックを実現するなど、フォトリアルと本作特有の様式美を高い次元で両立させることを目指している。さらにShotGrid(現Flow Production Tracking)にカスタマイズを施すことで素早くショットを確認できるワークフローを整備し、クオリティ向上のための試行錯誤を重ねやすい環境を構築したという。
www.m83.co.kr/eng/
リアリティと様式美の両立〜クリーチャーデザイン〜
<1>原作の設定を踏襲しつつ、独自のデザインを加える
映画に登場するクリーチャーは、「観客に新しいものを見せたい」というキム・ビョンウ監督の意向の下、原作との差異が意図的に設けられた。原作のクリーチャーが“恐怖”寄りの印象だったとすれば、本作では観客の好奇心を喚起するユニークで神秘的な存在を目指したという。
狂言回し的なキャラクター「トッケビ」のビジュアル開発では、まず原作に近い“毛のあるデザイン”が検討された。しかし監督との議論を重ねる中で方向性は転換し、子どもが遊ぶスライムの質感にトッケビという存在の本質を見出すに至る。さらに、普段は可愛く愛嬌のある印象を与えながらも、怒ると目から恐ろしいレーザーを放って人を傷つけたり顔から炎を噴き出したりするという二面性のある設定が加えられた。
モデル制作では、スライム的な半透明という質感ならではの技術的課題に直面した。透過した際に内部や向こう側が透けて見えてしまう問題への対処として、透明度設定の検討に多くの時間を要したそうだ。最終的には「お腹の中でボールが転がる」というユニークな設定を活かすべく腹部の透明度を高く設定し、それ以外の部位は全体バランスを見ながら調整することでスライムらしい質感を実現している。
「トッケビには、遠景では視認しにくいものの超接写では皮膚表面に異星の文字が絶えず変化し続けるという設定を加えました。遠くからは形ある生命体に見えるだけですが、アップショットでは正体不明の文字が絶え間なく再配列されているという、人間には理解できない別次元の法則で存在するキャラクターであることをビジュアルとしても表現しました」(ウチョル氏)。
魚竜のデザインは、見る者に恐怖を与える巨大な“水竜”からスタートした。こちらも監督との議論を経て「恐ろしいが神秘的でどこか不思議な、見たことのない存在」という方向性が定まり、青いボディにその補色である赤系のひれ、道化師のようなメイクを施した顔という未見の要素を組み合わせた独自のデザインが誕生した。
「制作スタジオから提供された魚竜のコンセプトアートは、正面から描いたものに限られていました。そこでAIを活用して別アングルからのビューや口内デザインなどのリファレンスを補完しつつ、観客が初登場時に違和感を覚えないよう、トーンと質感のバランス調整に注力しました」(ウチョル氏)。
トッケビ
魚竜
“糸の橋”(サンアのスキル)
<2>現実世界のVFX
HoudiniベースのパイプラインとFlowPTによる効率化
本作のプリプロダクションは2023年6月からスタート。同年12月にクランクインし、約半年にわたって撮影が行われた。ポストプロダクションは2024年6月から2025年7月頃まで続いたという。
M83のVFXパイプラインの中核を担うのは、Houdiniだ。プロジェクトに応じてツールを使い分けることもあるが、創業当初からHoudiniを多用しており、基本パイプラインはHoudiniベースで確立されている。本作ではモデリング・リギング・アニメーションをMayaで行い、全データをキャッシュに書き出した上でHoudini+Arnoldでレンダリングするワークフローを採用した。ただし漢江シーンの海洋表現についてはHoudiniのKarmaの方が良質な結果が得られたため、この表現のみKarmaでレンダリングしている。
コンポジットワークにはNukeが用いられた。序盤の見せ場となる東湖大橋シーンや、魚竜の攻撃によって主人公キム・ドクシャ(アン・ヒョソプ)たちの乗る車輌が180度反転するシーンをはじめ、多くのシーンでプリビズとテックビズを活用した緻密なプランニングが行われた。ロケ撮影では全シーンでLiDARスキャンを実施し、クロマキーセット以外の地下鉄車内・地下鉄駅・東湖大橋外部などではHDRIと環境テクスチャ写真を撮影することで3Dデータとしての整合性も確保した。
「列車から脱出したドクシャたちが橋の上を走る姿をドローンで空撮したシーンは、タイトルバックになりました。イ・ギリョン(クォン・ウンソン)を抱えて走るドクシャのカットから始まり、漢江と東湖大橋を一望するワイドショット、そして一行を背面から捉えたカットという3テイクをスティッチしたシークエンスです。最初のワイドへ引く区間と、再び降下して背中へ入る区間との間の2区間はフルデジタルで表現する必要があり、LiDARスキャン素材を活用することで臨場感のある仕上がりを実現しました」(ウチョル氏)。
大量のVFXショットの進行管理では、FlowPTのカスタマイズが効率化の鍵を担った。特に地下鉄シーンの膨大なセットエクステンション作業向けに専用カスタムツールを開発。「FlowPT上で対象シーンをクリックすると、セットアップ済みの3D環境とカメラが自動的に読み込まれ、ジョブもレンダーファームへ自動投入されるしくみになっています。手作業とそれに要する時間を最小化することに努めました」(3Dスーパーバイザー チャン・ドンジン氏)。
東湖大橋シーン
VFXパイプライン
地下鉄シーン
<3>超現実シーン
綿密なプランニングとユニークなアイデアを駆使する
魚竜の体内は、人物を照らす照明とクロマキーの機能を兼ねるセットを設計する必要があった。人物へのスピルを最小化するためグレーのマットを採用し、人物の動きに合わせた胃壁・床とのインタラクションを実現するため、特注の風船を数十個つなぎ合わせたセットが作られた。
ショットワークでは、生物学的な「胃の内部」という設定と「見たことのない神秘的なビジュアル」の間でバランスをとることが課題となった。暗く汚い方向には寄せず神秘性を強調する方針の下、胃壁表面の胃液が発光する設定を採用し、全体をブルー系と蛍光色の胃液でカラフルなルックに仕上げている。体内に光源がある設定として俳優に当たる光も考慮し、生物感を高めるため胃壁に血管のような要素を追加。さらに内壁にリグセットを施して胃の動きをループさせることで、アニメーターが逐一キーを打たなくても胃の動きをコントロールできるしくみも開発された。
常に揺れ続ける胃壁に刺さった棘のオブジェクトトラッキングでは、棘が刺さっているポイントを1点だけ抽出し、アニメーターが棘をそのポイントにコンストレインすることで効率化を図ったそうだ。そして魚竜の体内など暗いシーンのライティング&レンダリングにおけるノイズ対策では、3Dシーンはあえて明るいルックで仕上げ、コンポジット工程で暗くするというアプローチが採用された。
「空間に出現するUIから放たれる光をメイン光源に設定し、胃壁自体から淡く光がにじむようなブルーのアンビエントライトを配置することで空間感を出しました。さらにトッケビから発生する固有の光源も加えることで、静的になりがちな内部環境に動的なライティングを施すことができました」(2Dスーパーバイザー チョ・ソング氏)。
火竜とのラストバトルは、最も高難度のシーンとなった。危険を伴う動作やカメラアングルに制約があるショットはデジタルダブルに置き換えつつ、俳優が大きく映るショットではスタントビズを用いた綿密なシミュレーションを経てから本番撮影に臨んだ。
ドクシャがユ・サンア(チェ・スビン)が放った名珠糸を伝って空へ上がり火竜を攻撃するショットでは、俳優がトレッドミルで走ってからジャンプして“火竜に乗る”動作を実写撮影し、ポスプロでカメラと人物の距離感・速度を調整することでダイナミックなアクションに仕上げた。
「苦労は多かったものの、完成後は大きな達成感がありました。韓国のVFX業界はグローバル市場に比べると小規模ですが、クオリティや作業スピードでは引けを取らないと自負しています。日本でも大規模な作品が増えていき、アジアのVFXがさらに盛り上がることを願っています」(ウチョル氏)。
魚竜の体内シーン
火竜とのラストバトル
「絹糸の橋」
INTERVIEW & EDIT_NUMAKURA Arihito