2023年2月23日(木)から4日間、東京・銀座のSony Park Miniで開催された「Trojan Horse Was a Unicorn(トロイの木馬はユニコーンだった)」(通称、THU※)のイベントのため来日した、デジタル・ポートレート・アーティストのイアン・スプリグス氏。フォトリアルを超えるクオリティのデジタルヒューマンを3DCGで創作するクリエイターだ。
肖像画を人物の表層ではなく、内実を表現するものとして位置づけ、3DCGを駆使した現代における新たな肖像画のコンセプトに挑戦している。
今回の来日は、スプリグス氏がTHUの活動を通じて繋がったイラストレーター、キム・ジョンギ氏を追悼するのが目的のひとつ。本稿では、彼が生前より手がけていたキム・ジョンギ氏の3Dポートレート制作プロセスとともに、「ハイパーリアル」を実現するための技術、そして、人物の「らしさ」を構成する情報について迫りたい。
急逝したキム・ジョンギ氏のポートレートを初披露
今回の来日は、スプリグス氏がTHUの活動を通じて繋がったイラストレーター、キム・ジョンギ氏を追悼するのが目的のひとつ。
簡単に経緯を説明しよう。2017年にジョンギ氏のライブドローイングを見てそのスピードとアートへの態度に感銘を受けたスプリグス氏は、2022年9月に開催されたTHUのイベントで、THU創設者のアンドレ・ルイス氏を介してジョンギ氏本人に「あなたのデジタル・ポートレートをつくらせてもらえないか」と打診。ジョンギ氏はその場で目を輝かせて快諾してくれたという。
会場で急ぎ資料写真の撮影を行い、様々なポーズをカメラに収めた。その中には、カメラのほうに指をさすポーズもあった。撮影が終わって制作の見通しの話になった際に、スプリグス氏が「だいたい1~2ヶ月はかかる」と伝えたところ、ジョンギ氏は少し残念そうな顔をしたという。
ジョンギ氏の急逝を知ったのは、スプリグス氏の帰国後、写真の選定をしている最中であった。スプリグス氏はこの出来事に大変ショックを受け、どうすべきか悩んだ。本当に自分が彼のポートレートをつくっていいのか。考えながら写真を見ているときに、カメラに向かって指をさすポーズのカットが目に入る。「君の番だ」と言われているような気がしたスプリグス氏は、ジョンギ氏のポートレートを完成させる責任があると感じ、制作に取りかかった。そうして完成したポートレートをTHUのイベントの場で初披露することになったのである。
設けられたトークセッションでは、自身がポートレート制作を行う目的について、「3DCG技術を駆使しながら、対象を表面だけではなく内面、つまりパーソナリティまで含めて描き出すこと」と話したスプリグス氏。そうした事情から、制作対象は自分を含め、ごく親しい人だけに限定しているそうだ。
対象を捉えるうえでは、人体の解剖学(アナトミー)的理解が当然欠かせない。スプリグス氏はさらに「『目』は思考を映し、『手』は感情を映す」、「プロとアマチュアの差が出やすいところは、つくり込みを飛ばしやすい『耳』、『口の中』、『鼻の中』、『デコルテ』など」と話し、踏み込んだ観察眼が求められることを示唆していた。
「ムードや個性の表現においては、ポージングやライティングも重要になる」とスプリグス氏。ムード表現のリファレンスは主に絵画で、レンブラントのソフトなライティング、カラヴァッジオの色彩に影響を受けたそうだ。
これまで数々のデジタル・ポートレートを制作してきたスプリグス氏。毎回、完成することで達成感を感じているが、今回ジョンギ氏のポートレートは完成したことにより喪失感、悲しみを感じるという、特別な作品となった。
スプリグス氏の制作ワークフロー
完成したジョンギ氏のデジタル・ポートレートを前に、その想いと制作過程を紹介したスプリグス氏だが、CGWORLDではさらに深掘りするため単独インタビューを実施。ポートレート制作との向き合い方から具体的な制作工程まで、創作の深淵を覗かせてもらった。
CGWORLD編集部(以下、CGW):ポートレート制作のワークフローについて掘り下げていきます。まずは対象の撮影ですよね?
イアン・スプリグス(以下、スプリグス):はい。撮影には4つのプロセスがあります。まずは1つめです。表情をつくらずに立つか座るかしてもらい、特別な照明をせず、横方向(X軸)に約15度ずつ角度を変えながら、100枚ほど写真を撮ります。縦方向(Y軸)を変えたものも交えて、厳密にはしません。
2つめのプロセスでは、30cm程度の長さのLEDライトで対象を照らしながら、同じく約15度程度角度を変えながら100枚ほど撮影します。なぜこのような撮り方をするのかは、後ほどお話しします。
ここまでで対象が少しリラックスしてきてくれるので、3つめのプロセスでは、私がジョークを言ったりして和ませながら対象にポーズを取ってもらって、LEDライトで照らしながら撮影します。
腕を組んだり、あごをつかんだり、腕を頭の後ろに回したり。私がポーズを指定して、良いアングルを探りながら撮ります。あるいは、私の母のポートレートを制作したときには、母が気品のある女王のような存在でしたので、ルネサンス期の女王のアートを真似たポーズを取ってもらったりもしました。
4つめは撮影後のコラージュです。2つめのプロセスでLEDライト1本で撮影した理由は、この工程で複数の写真から良いポーズを組み合わせてコラージュを作成し、CG制作のリファレンスにするためです。
具体的にはPhotoshopで複数の写真を重ねていくのですが、各写真にはLEDライトの影響でスペキュラが余分に出ている部分がありますから、それをカットしながら繋げます。これでLEDライトの影響を最小限に留めた、つまりスペキュラが一定のリファレンスをつくることができます。これはテクスチャ制作の工程でもベースとして使うことにもなります。
コラージュはその対象によって、つくらなくて良い場合もあれば、大胆にコラージュすることもあります。例えば、キム・ジョンギのポートレートと同時に制作したキム・ヒュンジンの場合は、完成した作品ではあごをつかんで目線は右を向いていますが、これは右肩を抱きながら目線が右を向いている写真と、あごをつかんで目線が正面を向いている写真の2枚を切り貼りしています。
■スプリグス氏がTwitterで公開したキム・ヒュンジン氏のデジタル・ポートレートのメイキング動画
CGW:次の工程はスカルプティングですね。
スプリグス:はい、Mayaで素体にポーズを付けて、スカルプティングはMudboxで行っています。写真を見ながら、カメラの焦点距離を意識しつつ、アナトミー(解剖学)ベースで頭蓋骨や骨の動きに気をつけてひたすらハンドスカルプティングです。忍耐と時間との戦いですね。ちなみに、ツールは単に使い慣れているからで、機能などが理由ではありません。
CGW:テクスチャは撮影したリファレンス写真を使っているのでしょうか。
スプリグス:テクスチャは、撮影の2つめのプロセスでコラージュしてつくったリファレンスを利用します。ここでも、余分なスペキュラを除いておいたことが役に立つわけです。もちろん、コラージュはあくまでベースで、手作業で細かく調整します。
調整すると言っても、ディテールを間引くことはあまりせずに、しわやしみなども個性の一部として、それらがデジタル・ポートレート上でしっかり現れるように行う調整です。例えば、マスカラが崩れた感じなども人間らしさの一部ですから、しっかり再現します。
CGW:ヘアについてはいかがでしょうか。
スプリグス:ジョンギ氏のヘアはごく短いので苦労はなく、XGenを使っているだけで特別なこともありません。一般的には綺麗にしすぎないように、髪の毛がはねた部分などでリアルに見せるようにしています。
ジョンギ氏を含め、男性のヒゲについては髪の毛より太いので、そこに気をつけるとリアルに見えるでしょう。リアルに見せるという意味では、まつげも人種によって平均的な本数があるので、それに従って用意すると良いと思います
CGW:ライティングも印象的です。
スプリグス:ライティングはとても重要で、奥が深いものです。私はこれまで出版した本のうち、3冊目はライティングに特化した内容です。
ライティングはストーリーを語るもので、見る人の視線をどこに集中させるかを左右します。
まっすぐフラットに当てればライティングではストーリーを語らないことになります。今回のジョンギ氏のポートレートで採用した方法です。ジョンギ氏は指をさすポーズによってパワフルにストーリーを語っているため、ライティングでストーリーを語る必要はありませんでした。
その他のライテイングをいくつか紹介すると、斜めから片方の目が際立つようにライティングすればその目に視線が行きますし、やや上から当てれば女性の顔が綺麗に見えるバタフライシャドウができます。もっと上から当てれば目の周りに丸い影ができて、殺人鬼のような印象になります。極端に下から当てる場合も、不気味なライティングを演出できますね。
CGW:なるほど。ライティングの設計は撮影時に行うのですか?
スプリグス:それは時と場合によってですね。撮影時かライティング作業時かのどちらかです。撮影もライティングも独学で学んできましたが、撮影から完成まで一貫して行うことを積み重ねてきた成果として、自分としても良いフォトグラファーになってきていると感じています。
CGW:レンダリングはV-Ray(GPU)ですね。
スプリグス:そうです。使い始めた当時、V-Rayがいちばんフォトリアルに見えたので、使い続けているだけです。
3Dポートレートの先駆者が提供する新たな鑑賞体験
CGW:なぜ3DCGでリアルなポートレートを描こうと思ったのですか。
スプリグス:歴史的に見ると、絵画によるポートレートははるか昔から存在していますが、3DCGによるポートレートでは、回転ができたりズームができたりと、新しい鑑賞体験を提供できます。こうした新しいポートレート・アーティストとして先駆者になれたことは光栄ですね。ただ、クリエイターとしては、技術うんぬんではなくて、純粋に被写体の人物を見てほしいと思っています。
CGW:ポートレートで他人を描く際に、自分自身に似てしまうことはありませんか?
スプリグス:私は自画像も2回つくっていますが、自画像であれ、他人のポートレートであれ、まずはアナトミーを意識して客観視するようにしています。厳密に言えば、人は皆それぞれ自分が人類の基準だと思って生きているわけですから、認識のズレは防げません。
それでも、アナトミーベースで客観視する訓練を積むことによって、結果的にその人の個性の表現力が向上します。私の2014年の自画像と2020年の自画像を比較してもらうとわかるでしょう。
CGW:現在、ジェネレーティブAIの登場がアーティストの不安をかき立てていますが、スプリグス氏はどう感じていますか?
スプリグス:AIの進化はインパクトが大きくて、今後仕事を失う人もいるかもしれません。私は仕事を失うことは恐れていませんが、私のポートレート制作のプロセスというクリエイティビティがAIの影響で減少したり、喪失してしまうことには恐れを抱いています。ですが、浸食は止められません。どうにもできないことを恐れていても仕方ありませんから、私はこれからも今と同じようにやっていくだけです。
CGW:最後に、観察眼や表現力を向上させたいアーティストにアドバイスをお願いします。
スプリグス:私は若い頃、上司に割り当てられた目のモデリングでなかなかOKをもらえず、何度もやり直して1週間後にやっとOKをもらった経験があります。そのとき、つくってきたものを並べて見比べてみたら、やはり最後につくったものがいちばん良い出来でした。なぜOKがもらえなかったのか。それは、自分で勝手に想像してつくっていたからです。
観察眼と表現力を向上させるためには、リファレンス写真に詰まっているリアルな情報と細かなディテールに目を凝らし、つくっては観察、つくっては観察と反復作業をする、これしかありません。また、単に時間を費やせば良いのではなく、どれくらい集中して取り組めたかも重要です。集中して取り組むことで良いものができるようになります。
CGW:ありがとうございました。
Ian Spriggsが推薦する書籍
A Portrait of the Digital Age
3Dアーティストのための人体解剖学 – Anatomy for 3D Artists 日本語版 –(書籍・電子版)
https://www.borndigital.co.jp/book/6013.html
Ian氏 推薦コメント「解剖学の理解は、実物そっくりのデジタル・ダブルを作成するために不可欠です。解剖学の優れた参考文献を持つことは、体内で何が起こっているかを解釈する唯一の方法です。本書は、私たちが想像する解剖学のもつれた考えを単純化し、理解できるように事実を並べたものです。」
スカルプターのための美術解剖学-Anatomy For Sculptors-
Atlas of human anatomy and surgery
執筆 _kagaya(ハリんち)
撮影 _弘田 充/Mitsuru Hirota
インタビュー_池田大樹/Hiroki Ikeda(CGWORLD)
通訳_宮澤開吾/Kaigo Miyazawa(CGWORLD)
インタビュー協力_横原大和/Hirokazu Yokohara(Khaki)
取材地協力_ポリゴン・ピクチュアズ