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    今回はロサンゼルスでエディターとして活躍中の小橋義生氏をご紹介しよう。日本の大学でアラビア語を専攻し芸能事務所で勤務した後、ロサンゼルスに留学するというユニークな経歴をもつ小橋氏は、「編集の面白さは、監督やプロデューサーのビジョンをどのように大衆に伝えられるかにある」と語る。それでは、さっそく小橋氏に話を聞いてみることにしよう。

    TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
    著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


    EDIT_三村ゆにこ / Uniko Mimura(@UNIKO_LITTLE

    Artist's Profile

    小橋義生 / Kohashi Yoshio(Film & Video Editor / Freelance)
    兵庫県出身。1998年に四天王寺国際仏教大学(現・四天王寺大学)文学部言語文化学科アラビア語アラビア文化専攻を卒業後、大阪の芸能事務所でマネージャーアシスタントとしてキャリアをスタート。その後、2001年にロサンゼルスのThe Los Angeles Film Schoolに入学、2年間映画制作の技術を学ぶ。卒業後はポストプロダクションFILMWORKS/FX,Incに入社しIn House Editorとして9年間、コマーシャルから長編映画まであらゆるジャンルと放送媒体の編集を担当。2016年よりFreelance Video Editor として活動中。

    ※上記画像は、小橋氏が編集を担当したドキュメンタリー映画『Clarence Clemons: Who Do I Think I Am?』(Netflixアメリカ版で公開中)の、ビバリーヒルズで開催された試写会にて

    <1>日々の生活と学びを通して海外生活に順応していく

    ――日本での学生時代のお話をお聞かせください。

    学生時代は歴史が好きで、唯一高得点が取れたのが世界史でした。特に中東の十字軍時代が好きで、大学ではその時代の知識をもっと深めたいと思い、四天王寺国際仏教大学(現・四天王寺大学)でアラビア文化を専攻していました。

    日本にはアラビア語を教える高等教育がほぼなかったため、「教育実習では英語を教え、その結果なぜかアラビア語の教育免許が取れてしまう」という不思議な現象が生じる専攻でした。自分は教育課程は取らなかったので、教育実習をやらずに済みましたけどね(笑)。日本の生活にはかなり応用しにくい専攻でしたが、型にはまらないスタンスが取れたことは僕にとって財産になっていると思います。

    とても変わった選択肢だったので、今でもアイスブレイクのネタとして、リクルーターの方と打ち解けやすい話題となっているという利点はあるのかなと。

    ――日本でお仕事をされていた頃のお話をお聞かせください。

    結局、大学の勉学の過程で物語や映像に興味があることに気が付き、大学卒業後は映像制作会社に就職しようと希望しました。しかし、専攻科目と現実のギャップが大きく、当時はどのように映像制作会社に就職するかもわからず、新聞広告で見つけた芸能事務所が最も希望する職種に近いと思い、芸能事務所にマネージャーアシスタントとして入社して、タレントのスケジュール管理などの仕事に従事しました。

    また、芸能マネージャーアシスタント以外に、俳優のプロモーションビデオやイベントビデオの制作を経験し、日本のベテラン映画監督の方々とお会いする機会が増えました。映画や芸能界の舞台裏を体験し、日を増すごとに「もっと映像制作に携わりたい。自分で何かを表現したい」という気持ちが強くなり、窮屈な箱の中にいるような感覚が出てきたんです。

    そこで、少年期に父親の仕事の関係で米国に2年ほど在住したことがあったので、映像を学び直すのならアメリカと思いたち、2年ほど芸能事務所で働いた後にロサンゼルス留学を決意しました。

    ――留学生活はいかがでしたか?

    ロサンゼルスでは、映画学校The Los Angeles Film Schoolに入学しました。現在は正式に大学となりましたが、僕が入学した2001年当時はまだ専門学校でした。充実した機材とハリウッド現役の講師陣など、技術指導の教育レベルはかなり高い機関だったと思います。

    入学当初は英語の読解力が未熟で授業中にノートをとるのが追いつかず、ホワイトボードや講師の資料をデジタルカメラで撮ったりしていました。一部の資料は「写真を撮ると著作権侵害になるかも」という議論へ授業が脱線したり、授業中に誤ってフラッシュを焚いてしまったりと、かなり迷惑をかけてしまいました。しかし月日が経つうちに順応できるようになり、人生の中で最も充実した学校生活となりました。

    当時の印象に残るエピソードとしては、生徒作品の制作クルーで参加したプロジェクトでの出来事があります。撮影許可なく国立公園で撮影してしまい、軽武装したパークレンジャーが来て全員捕まり「作品素材の没収もしくは罰金」という状況に巻き込まれたという事件です。当時はあまりビザの知識もなく「もしかしてこれで海外生活も終わりか」なんて思ったりしていました。結局、監督は罰金を払って作品を守ったようです。

    当初の希望職種は撮影監督でしたが、カリキュラムを進めていくうちに自分には映像編集が適していることを実感し、映像編集に集中することにしました。当時から、The Los Angeles Film schoolはかなりの編集機材が揃っており、24時間アクセスできる環境だったので、好きなだけ自習と授業で編集を学ぶことができ、これが現在の基礎となっています。

    ――海外での就活はいかがでしたか?

    卒業後は学生ビザのOPT(※)を使い、同期の卒業生と初の長編映画を編集するなどの経験を積み、後に就職したFILMWORKS/FXが就労ビザH-1Bのスポンサーになってくれることとなりました。就労ビザの取得はなかなか大変でしたよ。最初に相談した数人の移民弁護士からは、「日本の大学での専攻が映像関連分野ではない上に、映像業界での実務経験も少ない」ということで断られました。最終的には、僕のステータスでもビザを取れるようサポートして下さった弁護士に巡り合い、無事FILMWORKS/FX,Incでグリーンカードを取得するまで働くことができました。

    ※:OPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)
    アメリカの大学を卒業すると、自分が専攻した分野と同じ業種の企業において、実務研修を積むため1年間合法的に就労できるオプショナル・プラクティカル・トレーニングという制度がある。STEM分野で学位を取得すると、OPTで3年までアメリカに滞在することができるので、留学先の学校に確認してみると良い

    就労ビザの面接は大阪のアメリカ領事館で受けました。アメリカの映像業界で就労ビザを取得する方があまりいらっしゃらなかったようで、面接官との会話も堅苦しくなく、スムーズに進みました。


    ▲お仕事中 オフィスにて

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    <2>表現のテリトリーを広げて、自分を売り込んで行く練習を!

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    <2>表現のテリトリーを広げて、自分を売り込んで行く練習を!

    ――現在のお仕事についてお聞かせください。

    現在は、フリーランスの映像編集者となり、SFやホラー、文化紹介やミュージカル作品といった幅広いジャンルと多岐にわたるプラットフォームの作品を編集しています。仕事を得る方法としては、今まで働いてきた中で知り合った人々とのコネクションや、日本に比べると映像業界専門の求人サイトが発達していることもあり、そういったサイトに応募してクライアントの書類審査およびデモリール審査を経て獲得します。2020年の新型コロナウイルスのパンデミックが起こって以来は、ZOOM面接なども多くなってきましたね。

    最近のメジャーな仕事は、2017年から2019年にかけてサックス奏者クラレンス・クレモンズのドキュメンタリー映画『Clarence Clemons: Who Do I Think I Am?』の編集を担当しました。クラレンス・クレモンズは、アメリカを代表するロック歌手、ブルース・スプリングスティーンのバックバンドで長きにわたりサックス奏者を務めた人物です。2009年に他界されましたが、この映画は彼の生きざまと人生観を描いたドキュメンタリー作品となっています。監督はイギリス人のニック・ミード、そして編集が僕。アメリカの音楽業界の作品に携わり、文化の垣根を超えたとても興味深い体験をしました。


    ▲ニック・ミード監督と小橋氏(新型コロナウイルスのパンデミック前に撮影)

    ――最近参加された作品について、印象に残るエピソードや苦労したこと、こぼれ話などはありますか?

    最近はソーシャルメディアの作品が多くなってきていますね。このインタビューにお答えしている時点では、NIKEのエアジョーダンのプロモーションコンテンツやVOXメディアの『EATER』という食文化の紹介作品などが終わった後で、BLM(ブラック・ライヴズ・マター)関連のドキュメンタリー作品や、インディペンデント映画の編集に参加しています。

    印象に残るエピソードは、やはり現在進行形で混迷しているBLM関係の作品からですね。基本的には、大衆娯楽やエンターテインメントの要素の強い題材が好きでこの職種と業界で働いているのですが、時代の流れや状況でジャーナリズム性の高い作品にも携わるようになり、改めて責任の重さを感じました。というのも、つくり手の視点と考察によって、映像で伝えるものごとの真実は変化するからです。たった3秒ほどの映像を編集でカットするか足すかによって、視聴者が受ける「どちら側が正義か」という印象が変わってしまいます。時事問題やドキュメンタリーを扱う作品では、常に自分の主義主張と作品の関わり方の接し方に苦労しますね。

    しかし、監督と話を重ねていくうちに、どちら側の主義も深いところでは求めるものは「平和」であり、アプローチがちがうだけではないかと思うようになり、そのスタンスで各作品の編集作業に参加しています。

    ――現在のポジションの面白いところは?

    フリーランスのエディターというポジションで面白いところは、仕事の発注が来たときに「自分の実力を買ってくれている」と実感でき、プロジェクトの中で貢献できる役割をはっきりと自覚して仕事ができているという点です。

    映像編集というポジションで言うならば、自分では見えてなかった監督やプロデューサーのビジョンを垣間見ることができて、それをどのように大衆に伝えられるかという「行為の中心」に入ることができる点かと思います。編集オペレーターではなく、作品のつくり手のいち個人として、制作に携わるみなさんと協力して作品自体のクオリティを上げるというスタンスが面白いです。

    ――英語の習得はどのようにされましたか?

    小学生高学年のときに2年ほど米国に滞在していたので、25歳で渡米し英語圏の環境に飛び込むことに関しては、経験がない方から比べると耐性があったかも知れません。なかでも、英語の習得を目的とするのではなく、映像制作を通して「話さないと自分のしたいことが伝わらない」という状況に身を置くことができた点です。

    これは語学力習得の近道だったと思います。また、コミュニケーションは言葉だけではないので、英語が伝わらなかったら映像で見せることができました。躊躇しているひまがなかったので、文法が無茶苦茶でも「意思疎通ができれば良い」という感覚でいました。

    ――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。

    現在アメリカは新型コロナウイルスと諸々の問題で大変になっていますが、その影響でリモートワークが増え、映像編集の仕事もほぼリモートでの対応になってきました。その分、求人検索範囲も増えていますので、日本に居ながらでも海外の仕事を気軽にできる時代が来るかも知れませんね。コロナ禍の収束後も、リモートでのワークスタイルは続くと思います。やはり技術と経験は大切で、常に様々な作品に携わって自分の強みをアピールできるポートフォリオづくりを心がけておくと良いと思います。

    日本の文化で言う「空気を読む」という方法は、一部の演出や編集作業では便利なツールですが、仕事でのコミュニケーションでは他文化の人には通じないことも多々あります。臆することなく表現のテリトリーを広げて、自分を売り込んでいく練習も大切です。皆さんが自分を表現できる世界が広がっていくことを願っています。

    【ビザ取得のキーワード】

    ① 大阪の芸能事務所のスタッフとして俳優のプロモーションビデオやイベント映像を制作する
    ② 渡米し Los Angeles Film School を卒業
    ③  OPTを利用しポストプロダクションでインターンを経験
    ④ 就職後H-1Bビザをサポートしてもらい、その後グリーンカードを取得

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