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No.11:日本のゲーム教育で学校に求められることとは何か?

No.11:日本のゲーム教育で学校に求められることとは何か?

トップを伸ばす大学と、底上げを目指す専門学校

ディスカッションの内容もかいつまんで紹介しましょう。当日は本連載でも取り上げている「あそびのデザイン講座」制作者で、東京工科大学 特任准教授の安原広和氏(ユニティ・テクノロジーズ・ジャパン)や、『ぷよぷよ』『バロック』などの制作者として知られ、デジタルハリウッド大学 教授の米光一成氏らが参加するなど、豪華な顔ぶれとなりました。


はじめに上がったトピックが、大学と専門学校の役割分担と、それぞれの課題です。東京工科大学のカリキュラムがそうであるように、多くの大学では授業が必修科目と選択科目に分かれており、学生は自分の興味や進路にあわせて、主体的に授業を履修していきます。その上で研究室やゼミを選択し、指導教官の指導の下、卒業研究などに挑戦していくのです。このように大学での学びでは総じて、学生の自主性が重んじられます。また、そこで学ぶのは「学問」であり、講師の雇用やカリキュラムの設置には文科省の認可が必要です。

こうした環境はコンピュータサイエンスや美術といった、学問体系がしっかりと構築されている分野では有効だと思われます。そもそも大学の使命は最先端の研究を行い、知の領域を広げつつ、次世代の人材を育成していくこと。企業はそこで学んだ学生を雇用することで、最先端の知見を吸収したり、将来的に組織の中核的な存在として活躍してくれたりすることを期待します。業界団体のCESAも毎年、ゲーム業界が注目する先端技術や研究分野をまとめた「CESAゲーム開発技術ロードマップ」を(主に学術界に対して)公開しています。

実際、これまでゲーム業界では最先端の研究分野でも、半導体技術の急速な進化の恩恵を受けて、最先端の研究分野を十数年で開発に応用する......という歴史を繰り返してきました。そのため企業にとって最先端の研究領域で学ぶ学生は、自社コンテンツの質的向上を目指す上で、魅力的な人材に映るでしょう。一昔前なら3DCG技術やネットワーク技術、近年では人工知能などが相当します。これは芸術分野でも同様で、自社作品の魅力を高めてくれる優れた表現力のもち主は、それだけで貴重な戦力となるでしょう。

もっとも、問題はゲーム教育が(日本では)学問ではないことです。そのためゲーム開発者志望の学生は研究室ではなく、実際のゲームづくりを通して、習うより慣れろで学ぶのが一般的です。それも東京工科大学のように授業で行われる例は珍しく(同大学 メディア学部のプロジェクト演習については本連載の第7回を参照)、サークル活動などを通して開発する例が多いため、体系的な知見を得ることが困難です。特にゲームデザイナー志望の学生は、ゲーム開発の経験がほとんどないまま、憧れだけで就職活動に臨んで失敗する......といった例も少なくありません。

これに対して専門学校ではゲーム教育のためのカリキュラムが整備されており、ゲームデザインのコースを備える学校も多々あります。もっとも大学と異なり、専門学校の授業で教えるのは学問ではなく、社会で即戦力となるためのスキルです。そのため授業の大半が必修科目で、学生は入学から卒業まで決まったレールの上で授業を履修していきます。専門学校の存在意義は、ひらたく言えば学生が企業の内定をとれるようにすることであり、そのために適切なカリキュラムを整備して、実践的な教育をほどこすことが求められるからです。

こうした背景から専門学校は大学よりも企業との距離が近く、カリキュラム編成で業界の有識者などから外部評価委員を招き、定期的な意見交換を行なっている例も少なくありません(筆者が所属するNPO法人 国際ゲーム開発者協会(IGDA)日本でも全国7校に外部評価委員を派遣しています。また、筆者も専門学校の講師を務めるかたわら、HAL東京アーツカレッジヨコハマで外部評価委員を担っています)。授業の質が講師に左右されがちな問題はありますが、カリキュラムを柔軟に変化させられるよさがあるとも感じています。


ただし専門学校の卒業生は、しばしば就職後に伸び悩むという指摘を耳にするようにもなりました。このことはゲームデザイン分野で致命的です。というのも、おもしろさの尺度は定量化できない上、個人のコンテキストに影響を受ける点が大きく、時代によっても変化していくからです。そのためゲームデザイナー志望の学生に対して、おもしろさの本質について深く考える経験がないまま、ただゲームづくりの経験を積ませるだけでは、かえって有害だという指摘も聞かれます。企画書の中身について考えずに、書き方だけを教えるようなものだからです。

以上の議論をまるっとまとめると、「学生の自主性を重んじる大学は、トップを伸ばすのに向く」のに対して、「カリキュラムを重視する専門学校は、全体の底上げに向く」と言えるかもしれません。実際に大学では学生に対して学部から大学院、そして研究者への道が用意されていますし、大学は就職予備校ではないという考え方も、根強いものがあります。これに対して専門学校は業界内就職率がKPIになりやすい半面、「ゲーム制作について学ぶ」という目的がハッキリしているよさがあるとも感じます。

ディスカッションでも話題となったのが、いわゆる「守破離」の活用と功罪についてでした。日本の伝統芸能の伝承法でよく使われる概念で、弟子は「1. 師匠の型を真似る(守)」「2. 習得した型を自ら否定する(破)」「3. そこから自分なりの型をつくる(離)」という3ステップを経て成長するという考え方です。こうした理由から、専門学校の講師陣を中心に、まずは型を「真似させる」のが早道だという意見が聞かれました。ゲームデザインで言えば、サンプルを真似るところから入り、次第に改造させて、オリジナルのゲーム制作につなげるというわけです。

このように守破離は「習うより慣れろ」「考える前に手を動かせ」と言われがちな、日本の文化風土に適しやすい点があります。というより、ゲーム教育で体系化されたものがない以上、それ以外あり得ないというのが、日本では正直なところでしょう。ただし、ゲームは伝統芸能と異なり、常に進化を続けています。また、全てのジャンルに精通したゲームデザイナーは存在しません。そのため守破離をもとにした教育は属人性に陥りやすく、ゲーム業界の現状とずれがちで、学生が保守的になりがちな点は否めません。

ともあれ、守破離については自分もある程度の効用を認めており、本連載でも学生課題の分析マトリクスなどで活用しています。また、近年では神奈川工科大学の中村隆之氏が考案したEMSフレームワークをはじめ、ゲームデザインを教える上での「型」の活用も見られるようになりました。しかし、出席者の中からは「型やフレームワークは便利だが、そこから離れられない学生も多い」と疑問視する声もありました。また守から破、そして離へと、どのように学生を導いていくかという点についても、これからの課題だとされました。

ゲームデザイナーを定義できない業界事情

それでは、こうした学校側の事情に対して、企業側はどのように考えているのでしょうか? 専門学校でゲームデザインの授業を行い、企業ではゲーム開発の最前線で働きつつ、採用も行うというある参加者は、「中小企業としては新卒に即戦力であることを期待する傾向が強い」と発言しました。遊びの本質的な理解や研究などよりも、PowerPointやExcelなどのツールが一通り使えることや、企画内容を基に論理的で破綻のない仕様書が作成できること、そしてコミュニケーション力などが期待されがちだといいます。


また、これに即して「何年くらい育成するつもりで新卒を採用するか」という議論もありました。複数の参加者から「5年程度」とする声が聞かれましたが、年々「すぐに活躍できる人材」を求める声が高まっているという発言もありました。中には「チームで今、必要な人材がすぐにほしいのが本音(=だから新卒ではなく、中途採用が中心になる)」といった声も聞かれたほどです。ほかに「中小企業の中には、ツールに関するスキルがないことをマイナスに見る場合もある。実際、大卒を持て余す企業もあるのではないか」という指摘もありました。

これに対して岸本氏は「世知辛い世の中になった」とこぼしました。岸本氏がナムコに就職したのは1982年で、開発職の同期6人のうち、学校でプログラムを学んできているのは2人だけだったそうです(もう1人は高専で)。採用の決め手も、当時は珍しかったプログラムを大学で学んでいたからで、企業は何も知らない学生を採用し、社内でプログラムを教えるのが一般的だったとのこと。その根拠も「理系出身だから、プログラムも教えればできるようになるにちがいない」という程度の、牧歌的な時代だったと振り返りました。


もっとも、技術進化に伴い学生に求められるスキルは、ますます高度になっています。アート分野は顕著で、20年前はMayaとPhotoshop程度でよかったものが、そこにMotionBuilderやSubstanceが入り、近年ではHoudiniが入ろうとしています。プログラム分野でも、まずはゲーム開発の基本となるC++をしっかり勉強してほしいという声がある一方で、次世代ゲーム機での開発に備えて、機械学習など最先端の知見がほしいという声もあります。実際に大手企業ではGAFAと人材を取り合うレベルに達しているのが現状です。

その一方でゲームデザイン分野では、具体的な職域が決まっていないという実情もあります。東京工芸大学 ゲーム学科 准教授の今給黎 隆氏が事前作成したスライドでは、「ゲームデザインというと企画力が想像されるが、実際は品質管理や進捗管理など、あまり独創性が問われない職域も多い。また近年では運営など新しい職域も入ってきている。企業で求められる人材像が、ますますわかりにくくなってきている」という指摘も行われました。岸本氏から「企業はスーパーマンを採りたがるが、そんな学生はいない」とこぼす一幕もありました。

この背景にはゲーム開発が複雑化する過程で、プログラマーやアーティストがスペシャリスト化していく中、その間を埋めるゼネラリストとしてゲームデザイナーが(こと日本では)誕生し、一般化していった経緯が挙げられるでしょう。また、企業によって得意とするジャンルが異なることや、終身雇用を前提とする日本の雇用環境など、様々な事情が重なって、「企業によってゲームデザイナーの定義や職域が異なる」という現状が生まれました。企業側が定義できない以上、送り出す側の学校側が混乱するのも無理はないと思われます。

もっとも、多くの企業で共通する点もあります。それが「ゲームデザイナーは開発の上流工程に携わる」こと。しかし、ゲーム開発の難しさ(そして、おもしろさ)は、「つくってみなければ、おもしろさがわからない」点にあります。ときにはゲームデザイナーが作成した仕様書に根本的な誤りが見つかることも......。そうした際に頭を下げ、つくり直しをお願いして回るのも、ゲームデザイナーの仕事です。「新人の仕様書にミスがあるのは当たり前。ただ最近は、そこでめげる子が多い。そのため採用時にはメンタル面を重視する」と語る企業もあるほどです。

※海外のゲームデザイナーの選考については、下記記事を参照。
海外のゲームスタジオはデザイナーをどのように募集するのか? 課題サンプルも大公開〜GDC 2018レポート(2)〜

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育成する人材像を決めるのは学校側の責務

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