これまで首都圏を中心に都市部への集積が続いてきた日本のCG業界だが、近年、地方行政における誘致活動の動きと相まって、新拠点を検討するコンテンツ企業・クリエイターも増加中だ。本連載では、自分たちが好きな場所で働くクリエイターに焦点をあて、その暮らし方や業務スタイルを紹介する。

今回は、「デジタルアートの島」構想を掲げ積極的にデジタルコンテンツ産業の創出に取り組む熊本県天草市に移住し、会社員として映像制作に携わりながら、デジタルハリウッドSTUDIO天草でCG制作を学ぶ井熊優喜氏を取材。天草市での制作環境と暮らしについて伺った。

記事の目次

    井熊優喜氏

    愛知県出身。音響・映像の個人事業主を経て、現在は天草市地域おこし協力隊として天草エアラインで活動。営業やYouTube・SNSなどのコンテンツ制作、企画立案を担当。VJとしても福岡や大阪などでライブ演出に携わる。2025年3月よりデジタルハリウッドSTUDIO天草でCG制作を学んでいる。

    ――まずは、自己紹介をお願いします。

    井熊優喜氏(以下、井熊): 天草市の地域おこし協力隊(企業派遣型)として、天草エアラインに派遣されています。天草エアラインでは、YouTubeやShort動画、Instagramなどのコンテンツ制作を中心に担当し、広報や企画制作にも携わっています。地域イベントなどにも積極的に参加して地元の方々と関わりながら楽しく生活しております。

    仕事と並行して、デジタルハリウッドSTUDIO天草でCG制作も学んでおり、地域発の映像・デジタル表現の可能性を広げられたらと考えています。

    天草と福岡(1日3往復)・熊本(同1往復)、熊本と大阪(同1往復)の3路線を結ぶ小型飛行機(日本初導入のATR42型機 「みぞか号」:48人乗り)を井熊氏がCGで制作

    ――天草に来る以前は何をされていたんですか?

    井熊: 以前は、個人で音響の仕事をしていました。働き始めたのがコロナ禍真っ最中だった関係で一般的なイベントがあまりなく、Zoomとリアルの会場を交えたいわゆるハイブリッド配信のようなものを中心に仕事を始めました。そこからは音楽イベントから研究発表や結婚式会場など広く音響や映像などの個人事業主をやっていた感じですね。

    ――ご出身は熊本ですか?

    井熊: 出身は愛知です。愛知出身で、三重の農業高校で3年を過ごしました。この高校は全寮制だったんですが、携帯電話やスマートフォンの持ち込みが禁止という特殊な環境だったんですよ。ただ、楽器を弾いたりするのは許されていたので、農業をしていない時間はみんなで音楽をやるんです。そこで音楽や音響に興味を持ち始めました。tofubeatsさんのような地方在住アーティストが好きだったのもあって「どこにいても音楽はできる」と感じたことが、今の活動の原点になっています。そこから熊本に拠点を移したという流れですね。

    ――そこから何がきっかけでCGの仕事に繋がっていくのでしょう?

    井熊: 音響の現場を経験して、映像の演出もしたいと思うようになったんです。それで、ライブハウスなどに出入りしつつVJとして映像制作をしたり、知人の会社でやっている撮影に同行させてもらったり、音だけじゃなく映像にも触れるようになりました。そんな音から映像に仕事をシフトしている時期に天草エアラインを紹介されて入社しました。いまの会社での業務は3年目になります。

    ――デジタルハリウッドに通われることを決めたのはいつ頃だったのでしょう?

    井熊: 2025年の2月頃です。ゲーム企業の方と会食する機会があったんですが、そこでクリエイターの話を聞いていたら、CGをやりたくなってきたんですよ。VJ映像制作のときにBlenderを触って挫折したことがあったんですが、もう一度チャレンジしたいという思いがふつふつと湧いてきたんです。しかも、ちょうど、デジタルハリウッドSTUDIO天草が開校するということで、「これなら会社で働きながらできるかも」と。

    ――開講が2025年3月ですから、もう通われ始めて半年くらいですか。

    井熊: そうですね。1年コースなのでもう残り半年になってしまいました。ビデオ授業で基礎を学んでは自分でもモデリングをしつつ、アニメーション会社への就職を目指して日夜学習中です。果たして1年で間に合うのか、日々悶々とはしていますが……(笑)

    ――天草での生活はいかがですか?魅力を教えてください。

    井熊: ありきたりな言い方にはなってしまうのですが、やっぱり、人の温かさでしょうか。他者を助けたり、与えたりすることの精神が強い。例えば、朝7時くらいにいきなり隣家のおじいちゃんがやってきたことがあるんですが、一体何事かと思ったらスイカのおすそ分けだったということがありました。こんなの、東京や大都市では絶対にないじゃないですか?(笑)そういうことが当たり前の空気感があるんですよね。

    それに、集中して制作に取り組めるんです。天草は本当に静かで。作業に行き詰まったときも、車で10分走れば海があるので気分転換になります。実際、市でもCGクリエイターの誘致に力を入れているので、創作活動に理解のある環境だと感じますね。

    • 家から10分の海の景色
    • 井熊氏がよく利用する水汲み場

    ――居住環境はいかがでしょう?

    井熊: 家賃は安いですね。いま借りている一軒家は全部で6部屋あるんですけど、これで月の家賃が4万円台なので、東京のような大都市で同じ広さの家を借りるのに比べると格段に安いです。

    市の方で空き家活用事業補助金なんかもあるので、しっかり調べて活用すれば移住コストは抑えられると思います。10分くらいで海に行けたり、すぐそばにのどかな畑が広がっていたりするのは他に代えられない魅力ですね。子育て環境も良くて、医療費が高校生まで無料というのは安心感があります。

    天草市では「空き家活用事業補助金」(上限100万円)のほか、「定住促進奨励金」「移住支援金」など、世帯構成に応じた手厚い支援制度を用意。加えて、クリエイターの方の移住には「クリエイター誘致促進奨励金」として対象者に応じ20万円〜50万円が支給される。企業向けには「サテライトオフィス促進事業補助金」として改修費の1/2(上限100万円)、賃料の1/2(上限90万円、最大3年間)、雇用奨励金(年間20万円、最大3年間)を支給している。
    出典: 天草市役所 経済部産業政策課産業政策係 主査 嶋﨑健介氏へのインタビュー

    ――普段はどのようなスケジュールで生活されているのですか?

    井熊: まず、天草エアラインでの仕事が週4勤務なんですよね。(地域おこし協力隊としての勤務形態が週4日勤務)それが、8時半から16時半まで。そこから帰宅して、子供の世話や夕食を済ませたりして21時くらい。あとは25時くらいまでCGを勉強する時間といった感じですね。

    休みの日は、ときどき子供と遊びに出かけたりすることはありますが、基本的にはそこをCGの時間に使っていますね。副業の音響や撮影の仕事が入ることもあるので、そっちに行ってしまうこともありますが。

    ――会社での制作以外にも、音響や撮影の仕事も続けられているんですね。

    井熊:音楽イベントにおける映像演出のお仕事が最近は多いですね。 先日も福岡PayPayドームのイベントにVJとして呼ばれて出演しましたし、次も大阪でのEDMのイベントに呼ばれています。今はネットで気軽に発信ができるのもあり、天草に暮らしながら仕事の幅を広げて繋がりをどんどんつくっていけています。

    ※福岡PayPayドームLEDビジョンで使用された、井熊氏がMayaで制作したVJ映像の一部

    ――天草に移住しても、天草に閉じてしまうわけではないと。

    井熊: はい、天草から繋がりをつくっていくことは全然不可能ではないです。最近もInstagramがきっかけでアニメクリエイターの方と繋がったことがあったんですが、アニメーション業界を目指して勉強中の身としてはそういった繋がりが得られてありがたかった。自分から動けばスキルも人とのつながりも得られると思います。

    ――改めてクリエイター、特にCGクリエイティブにとっての天草はどのような町でしょう?

    井熊: のどかで安心感があり、すごく気持ちが穏やかになれる場所だと思います。僕にとって東京は、“戦いの場”という印象がありますが、天草ではそうしたものから少し距離を置いて、穏やかな環境や人々に囲まれて過ごせるのが魅力ですね。ただ、あまりにも快適すぎてクリエイターとしての尖りやギラつきがとれて丸くなる恐怖すら覚えるくらいなので、最強なのは東京と天草の二拠点生活かもしれません。東京で懸命に戦ってきた人ほど、この天草のぬくもりを深く感じられるんじゃないかと思います。

    また、天草工業高校でCG教育に力を入れているという話も聞いていて、地元から3DCG人材が育っているのは心強いですね。僕みたいに外から来た人間と、地元で学んだ若い人たちが一緒に仕事をしていけば、面白いものがつくれそうな気がします。

    さらに、デジタルハリウッドSTUDIO天草ができたことで、本気でクリエイティブを学べる環境も整って、私のように天草で学んでクリエイターを目指すこともできるし、クリエイターの方も学びを深めることもできると思います。講師陣も親切に教えてくれて楽しく学ぶことができています。今後、天草にクリエイティブな人がどんどん増えていき街がどう変わるのか楽しみです。

    天草工業高校の3DCG人材育成。県立天草工業高校情報技術科では、天草市と連携してCGクリエイター育成に注力。Maya実習、Unity開発、VR・AR技術など最新の3DCG教育を実施

    井熊いずれにしろ、深く自分と向き合って作業をするCGクリエイティブを行う場所として、東京とは違う形で一助となる地だと思います。市も「デジタルアートの島」構想を掲げて本気でクリエイターを応援してくれているので、環境は整いつつあると感じますね。

    ASUKAMA(アスカマ)ワークステーション。天草市役所のすぐ隣に位置する天草市のコワーキングスペース。施設内にはデジタルハリウッドSTUDIO天草も入居している。高速インターネットやフリードリンクスペースなど最新設備を完備し、リモートワークやワーケーション、移住クリエイターのビジネス拠点として活用されている
    出典:ASUKAMA公式HP

    井熊自然の中でリラックスしながらいい作品を作りたいクリエイターには本当におすすめの地域だと思います。興味を持った方は、ぜひ一度天草市に問い合わせてみてください。きっと想像以上に充実したサポートを受けられると思いますよ。

    TEXT_稲庭淳
    EDIT_中川裕介(CGWORLD)