世界的に流行している巨大なデジタルサイネージを使った裸眼立体視できる屋外広告。「新宿東口の猫」でおなじみのクロス新宿ビジョンでひときわ大きな話題を呼んだのが3月26日のAir Max Dayを記念して、期間限定で放映されたNIKEの特別映像だ。ここでは、CG制作の中核を担ったIIH(ニエイチ)に詳しく話を聞いた。

※本記事は月刊「CGWORLD + digital video」vol. 291(2022年11月号)からの転載となります。

記事の目次

    Information

    「3D OOH for NIKE Air Max Day 2022」
    Director / Motion Design : Kota Iguchi
    Production : CEKAI

    近年、ますます需要の高まる 立体広告

    新宿東口を出てすぐ正面に見える大型の街頭ビジョン「クロス新宿ビジョン」が、近年、立体広告の動画が放映される場として注目を集めている。4K相当の画質を誇る湾曲ディスプレイであり、裸眼視聴が可能な3D映像を放映できることが大きな特徴である。ここで上映された、ビルの中に棲んでいる巨大な三毛猫という設定の「新宿東口の猫」が、新宿の新しいシンボルとして話題となったのも記憶に新しい。

    広告映像は、秒数に換算すると大作映画よりも潤沢な資金がつぎ込まれた、世界一贅沢な映像であると言われており、そのため従来から先進的な映像表現が取り入れられる業界でもあった。また広告映像というものは、人々の注目を集めることが第一義となる映像表現でもある。そのため広告映像において、インパクトの大きい裸眼視聴可能な立体映像が着目されるようになったことは必然と言ってもいいだろう。

    「3D OOH for NIKE Air Max Day 2022」映像

    さらに「モノの消費からコトの消費へ」というキャッチフレーズと共に、大量生産されるモノを消費するよりも、体験価値を重視するというながれが様々な業界で起こっており、広告業界も例外ではない。わざわざそれが見られる場所まで足を運ばないと見られないという立体広告は、一見するとデメリットが大きいようにも思われがちだが、その不便さを通過することこそが「体験」が重視される近年の風潮に合致しているのだ。また個人的な「体験」はすぐにSNSで拡散されていき、それ自体が体験広告としての効果をもつため、一般的な広告と比べても非常に効果が高い。そのため、立体広告の需要は今後もますます高まっていくと思われる。

    そこで本記事では、クロス新宿ビジョンにおいて上映されたNIKEの立体広告を制作したIIH(ニエイチ)とTREE Digital StudioLUDENS(ルーデンス)に、本作品が単なる立体映像作品というだけでなく、広告であるという観点も合わせて、その制作過程について話を聞いた。

    メモリアルなスニーカーをインパクト大に見せる

    新宿東口で注目を集めた「NIKE」の立体広告

    「新宿東口の猫」が人々の話題をさらったのを皮切りに、次々と立体広告が上映され、クロス新宿ビジョンは今や「立体広告の聖地」とも呼ぶべき場所となった。このビジョンの前で足を止めた人々がスマートフォンをそこに向け、流れる立体映像を撮影しているのも、もはやお馴染みの風景となっている。

    そんなクロス新宿ビジョンを舞台に、2022年3月、CEKAI制作、ニエイチ&ルーデンスのコンビが送り出したのが、世界的なスポーツメーカー「NIKE」の立体広告だ。これは3月26日の「Air Max Day」(NIKEスニーカーの記念碑的モデル「Air Max1」がリリースされた日にちなんでおり、毎年AirMaxの記念モデルがリリースされている)に向けたPRの一環として制作されたものである。

    実際の広告映像では、まず、今やNIKEのシンボルとなった、赤地に白で抜かれたNIKEの文字とロゴマークが印刷されたシューボックスがビルの奥から飛び出してきて、箱の中から新モデルのスニーカーが現れる。さらに機敏に動くロボットアームがスニーカーの色を塗り替えたかと思えば、障子が閉まり、その奥では鶴がスニーカーを作っていて……といったように、目まぐるしく場面と登場するオブジェクトが切り替わりながら、息をつく間もない30秒の立体映像が展開されていく。

    右から、CGチーフプロダクションマネージャー・藤祐輔氏、CGデザイナー・八木敦也氏、VFXディレクター・金 尚謙(キム サンギョム)氏(以上、ニエイチ)

    「30秒という長さで展開の切り替わりが早い演出だったため、物量の多さに苦労しました。当時は立体広告で展開の早い映像はあまり見られなかったため、挑戦という意味でやりがいがありました」(VFXディレクター・金 尚謙氏)というように、本作には非常に多くの情報量がこれでもかと詰め込まれている。そんな刺激的な映像の洪水の中に通底しているのは、NIKEの先進的で洗練され、同時にユニークでもあるというプロダクトイメージだ。

    この広告の一番の見どころは言うまでもなく、それらが裸眼のままで、立体的に飛び出して見えるということだ。そのインパクトは絶大であり、広告放映当時は、多くの通行人が足を止めてビジョンを見上げて映像に見入り、また映像を実際に目撃した人々がSNSでそれを拡散することによって、さらに大きな話題となっていった。このように立体広告として大成功を収めた本作だが、その制作過程には様々な工夫や苦労があったという。

    • VFXスーパーバイザー・渡部 暁氏(TREE DigitalStudio LUDENS
    • プロデューサー・林 達郎氏(TREE Digital Studio LUDENS)

    実在のスニーカーをベースにバリエーション化

    冒頭でシューボックスから登場した赤いAir Maxがベースとなって、ロボットアームによって色が塗り替えられたり、鶴によって作り直されたりと、様々なバリエーションとして変化していく様子が描かれている。スニーカーの3Dモデルは、NIKEから提供された実際のスニーカーを撮影し、3面図などを起こして制作された。また、作業過程では仮にiPhoneでスキャンした3Dモデルを使用して制作を進めたという。ガラスの花瓶のように透明なスニーカーは、女性にも訴求するようなものをというコンセプトで制作された。背景の白いタイルや鏡はバスルームをイメージしているそうだ。

    2022年のAir Max Dayにおける象徴的な赤いモデルとそのマテリアル
    花瓶を模した透明のモデルとそのマテリアル

    立体的に飛び出して見えるレイアウト

    いかに意識的に、映像が立体的に飛び出して見えるレイアウトを構築していくか、多くの試行錯誤が行われた。

    映像冒頭で、奥から飛び出てきたシューボックスをよく見ると、画面のフチと並行ではなく、やや斜めになっている。これは少し角度を付けた方が立体的に見えるだろうと工夫されたものだ
    和室パートでは、扇子やそれを持つ手がフチの白い部分に被っており、かつ画面内ギリギリに収まっているのも、立体感を増すための工夫であるという。さらにそれらの演出に使われるオブジェクトが、スニーカーそのものやNIKEのロゴを隠さないように動きを調整するなど、広告映像ならではの難しさもあったという

    こだわりを詰め込んだカットごとの工夫

    体験型広告としての立体映像づくり

    本作品が一般的な映像作品と異なるポイントが2つある。ひとつは、クロス新宿ビジョンという現実に存在する特定の場所で上映される立体映像作品であるということ。そしてもうひとつは、それが広告映像であるということだ。そのため、本作品には「立体広告ならではのこだわりと工夫」が随所に盛り込まれている。

    そのひとつが、画面内に目まぐるしく現れては消えていくオブジェクトの全てが、画面内からはみ出さないようにレイアウトされているということだ。「立体広告にはトリックアート的な部分もあるので、モニタからオブジェクトがはみ出してしまうと、立体物ではなく映像だったと視聴者が冷めてしまうと考えました」(金 尚謙氏)。また、画面の上下に白いフチが配置されているのも、立体感を増すための工夫であるという。「白い壁というのは立体広告の定番なんですが、この白い部分にオブジェクトを被らせたり、影が落ちることで、立体感を増すための装置として機能しているんです」(CGチーフプロダクションマネージャー・藤 祐輔氏)。

    ただし、本作ではただ立体感のある映像をつくればいいというだけでなく、広告映像であるがゆえの縛りもあったという。「あくまでも広告映像なので、オブジェクトがスニーカーやNIKEのロゴをできるだけ隠さないように配置することも条件としてあり、それと飛び出して見える動きを両立させるレイアウトを構築することが難しかったですね」(CGデザイナー・八木敦也氏)。実際の映像を見てもらえればわかるが、完成映像では、様々なオブジェクトが動き回りながら、スニーカーやNIKEのロゴを隠すことなく、それでいて違和感がなく、立体感も損なうことのない見事な調整がなされている。

    「街中で流れる広告なので、歩いている人の足を止めるようなキャッチーさが必要だと考えていました。そこで、それまでの立体広告では少なかった、演出と展開のある映像づくりを心がけました。様々な業界で言われていることですが、広告も大量消費から体験の方に移行してきていると思います。そういう今のありかたに、立体広告はアジャストしていると考えています」(金 尚謙氏)。その目論見は見事に成功し、この立体広告が上映されている期間は、多くの人々が足を止めてクロス新宿ビジョンを見上げ、SNSでもその動画が拡散されていた。今後、立体広告はますます需要が高まっていくと考えられる。ニエイチとルーデンスが手がける今後の作品にも注目していきたい。

    ビジブルエアの質感と弾性を再現

    「ビジブルエア」とは、Air Maxの象徴とも言える、ソールにエアバッグを組み込んだクッション機構のうち、特に小窓からそれらが見えるものを指す。映像の冒頭で、上画像のようにシューボックスが透明になると、そこにぎっしり詰まったビジブルエアがはじけて、中からスニーカーが飛び出してくるという演出になっている。「このビジブルエアの質感はV-Rayで付けています(中・下)(金 尚謙氏)
    エアの弾性や挙動については、まずHoudiniでシンプルなモデルを使ってシミュレーションをし (上) 、そのデータを3ds Maxでハイポリゴンのものにスキンラップモディファイヤを使って差し替えました(中・下)」(金 尚謙氏)

    クロスシミュレーションを用いたトランジション

    映像の後半で、和室から牛のいる謎の空間、そこからバスルームのような空間などへの場面転換では、全て壁に空いた穴に壁紙が吸い込まれていき、新たな場面に切り替わるというトランジション演出が用いられている
    「この壁紙が穴に吸い込まれていくトランジションは、Houdiniで吸い込まれるクロスシミュレーションを行なった後、3ds Maxでトランジション前のものをマップとして投影し、After Effectsでのコンポジットで馴染ませています」(金 尚謙氏)

    ラボ感を演出したロボットアームアニメーション

    壁から飛び出してきたロボットアームが、スニーカーを分解して組み直したり、色を赤から青へと塗り替えて、新たなスニーカーへと作り替えていくパート。ロボットアームはよく見るとダンボールの質感になっていて、シューボックスが変形したものであることがわかる。また、その周囲を小さなドローンが飛び回っており、立体感を増すことにひと役買っている。「ロボットアームやドローンの動きは、アニメーターの方がすごくいい感じに仕上げてくれました」(藤氏)。

    モーショングラフィックスによるメタバース演出

    Cinema 4DやAfter Effectsを使用して制作されたモーショングラフィックスのパート。目まぐるしく画面が切り替わりながら、メタバースをイメージした演出が進行していく。「このパートに関しては井口皓太監督(Cekai)が中心となって制作されたので、われわれはモーショングラフィックスに使用するステージモデルなどを制作しました。写真スタジオのようなモデルや、実際の映像ではわずかにチラっと見える程度なんですが、ボルダリングの壁やバスケットコートをイメージしたモデルの制作も担当しています」(八木氏)。

    「新宿東口の猫」とのつながりを意識した猫の手

    映像のラストは、奥から出現した猫の手がシューボックスを引っ張り込んでいくシーンとなっている。せっかくクロス新宿ビジョンで上映される映像ならと、この場所を有名にするきっかけとなった「新宿東口の猫」とのつながりを思わせる演出がなされているのだ。「最初は女性の手だったんですが、本作の放映前後に『新宿東口の猫』の映像がよく挟まるので、それならつながりを意識しようと、猫の手がシューボックスをしまっていくというアイデアが出たんです。リアルな毛の表現については3ds Maxの標準機能で制作しました」(藤氏)。

    Information

    月刊『CGWORLD +digitalvideo』vol.291(2022年11月号)

    特集:山崎 貴と白組 調布スタジオ
    定価:1,540円(税込)
    判型:A4ワイド
    総ページ数:128
    発売日:2022年9月9日

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    TEXT_オムライス駆 / Kakeru Omrice
    EDIT_藤井紀明 / Noriaki Fujii(CGWORLD)、山下一貴 / Itsuki Yamashita(CGWORLD)