映画作品において、3DCGの活用やVFXによる視覚演出は欠かせない要素だ。独り暮らしをする孤独な老人の日常生活を描いた情緒たっぷりの作品、映画『おらおらでひとりいぐも』(全国公開中)では、日常風景に綺麗に馴染んだVFX技術と主人公の妄想上の生物が3DCGにより幻想的かつリアルに描き出されている。

TEXT_石井勇夫 / Isao Ishii(ねぎぞうデザイン)
EDIT_三村ゆにこ / Uniko Mimura(@UNIKO_LITTLE

© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会

主人公が空想するマンモスをリアルに再現

映画『おらおらでひとりいぐも』は、第54回文藝賞と第158回芥川賞を受賞したベストセラーを原作に、『南極料理人』『モリのいる場所』(2018)を手がけた実力派・沖田修一監督がメガホンをとった話題作だ。「終活」をテーマに、田中裕子氏扮する独り暮らしの老人が、過去の思い出と現在の孤独な日々を往き来しながら、不安や寂しさを受け入れて生きていく姿をユーモア溢れる視点で描いた本作では、観客の心に寄り添いイマジネーションをかき立てるVFX技術が散りばめられている。


▲左から、オダイッセイ氏(VFXスーパーバイザー)、山元太陽氏(CGIプロデューサー)、米山和利氏(CGIプロデューサー)、白 智雲氏(CGIスーパーバイザー)、鎌田友樹氏(CGIスーパーバイザー)、和田勝裕氏(セットアップスーパーバイザー)、上江洲 愛氏(アニメーションデザイナー)、鈴木春奈氏(モデリングデザイナー)、以上、コラット

本作における3DCGをメインとしたVFXパートの制作は、VFXスーパーバイザーを務めたオダイッセイ氏を筆頭に、映画やゲームのCG制作で活躍する株式会社コラットが担当した。監督と親交のあるオダ氏による指揮の下、モデリングからカット制作にいたるまでトータルで手がけたという。オダ氏は「制作スタッフ全員で台本(ほん)を読み込むところから始めます」と、スタッフ全員が一丸となって作品を理解して制作する姿勢が大切だと話す。

見どころは、主人公の妄想上の生物として登場する「マンモス」「アノマロカリス」、回想シーンの中でも甘酸っぱい恋の思い出の舞台となる「彼岸花」、車窓に映り込んだ「1969年の東京の街並み」の4つのシーンだ。まずはマンモスのファー表現から紹介していこう。主人公の空想が生み出した生物として登場するマンモスは、野性味を感じるリアルな毛並みに仕上げることが求められた。CG制作に入る前にスタッフ一同で「マンモス展」に足を運び、展示されているマンモスのミイラを観察するなど、リファレンスの収集には余念がなかった。

ベースのモデリングにはMaya、足首や鼻のシワなどの細かいディテールをZBrushで彫り込み、Photoshopで全体のテクスチャを描き込んでいる。ちなみに、皮膚のテクスチャは象をベースにしているとのことだ。ファー表現に関して監督とオダ氏が特にこだわったのが、被毛の長さや野性味を感じる毛束感だ。「造形は比較的スムーズに進みましたが、被毛の散らし方の調整には時間がかかりました。毛並みが整いすぎるとCG臭く見えてしまいますからね」とCGIプロデューサーの山元太陽氏はふり返る。日常生活を描き出した本作では、観客に違和感を与えない、よりリアルな動物表現が求められた。


▲ワイヤーフレーム


▲ZBrushでの作業後、テクスチャを反映


▲マンモスのファー表現。Yeti作業時のノードツリー

リアルなファー表現を実現するため、ノードベースの非破壊ワークフローで定評のあるプラグインYetiを採用。「Yetiは、はじめにベースとなる基本のノードを組むときは大変ですが、一度設定すると修正や調整が比較的楽なんですよね。被毛の太さやムラ感、毛束感などを分けてノードを組み、要望に応じてノードを足して微調整しました」とプロジェクトを統括したCGIスーパーバイザーの白 智雲氏。CGIプロデューサーの米山和利氏は「動物のファー表現は、毛並みが整って綺麗すぎると剥製のように見えてしまいます。実際の野生動物のように見えるよう、毛の流れを乱したり束感を出したり、毛並みのくり返しをなるべく自然に見えるよう散らすのがポイントです」と、語る。


▲Yetiのスクリーンショットで使用した画角にてレンダリングしたマンモス


▲完成画

レンダリングにはArnoldを使用。後工程で調整しやすいようにレンダーパスを出し、被毛や牙の色をそれぞれ調整するたびにレンダリングするという無駄な工程を省き、効率良く制作を進めた。


▲マンモスのファー表現で使用されたレンダーパス

マンモスのアニメーションは象の動画をリファレンスにした。アニメーションデザイナーの上江洲 愛氏は「象は思ったよりスッと動くので、もう少しどっしりした重量感のある動きを付けました。また、マンモスは主人公の想像の中の生き物なので、一緒に歩く主人公の歩調にシンクロさせるよう、足を踏み出すタイミングを合わせています」と語る。


▲アニメーションはMayaで。主人公の歩調に合わせ、重量感のあるアニメーションを意識した


イマジネーションを詰め込んだ幻想的なシーン

ここでは、若かりし日の主人公が故郷を捨てて上京するシーンで登場する、古代生物「アノマロカリス」の制作について紹介しよう。月の光を浴びてアノマロカリスが夜空を飛ぶ幻想的な姿は本作でも印象的なワンシーンだが、台本には書かれていなかったとオダ氏は話す。映画の撮影が半分を過ぎた頃、監督の脳内に自然と湧きあがったアイデアだったとのこと。


▲作中に登場するアノマロカリスのイラスト。これを基にCGで再現した
© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会


▲アノマロカリス登場シーン。月光を反射しつつ空を飛ぶ姿はとても幻想的だ
© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会

アノマロカリスは主人公が描いたイラストをベースに、モデリングデザイナーの鈴木春奈氏が3Dモデルを制作、その造形はモデラーのセンスに一任された。「イラストと似ているけれどリアルな仕上がりになり、監督には喜んでいただけました」とオダ氏。モデリングは基本的にMayaで行い、Substance Painterでテクスチャを付けている。夜空で月の光を受けながらゆったりと飛ぶ姿はとても幻想的で美しい。


▲アノマロカリスのモデル確認用レンダー画像

リグとアニメーションに関しては、「基本的にスプラインカーブに沿って動くしくみになっており、複数の足は個々でコントロールできるようになっています」とセットアップスーパーバイザーの和田勝裕氏。波型のカーブに沿って進むようアニメーションを付け、柔らかくゆっくりとした動きにしている。また、カメラ側に少し体を傾けて、背面に月光が当たっている様子がわかるよう調整し、幻想的な月夜を演出した。


▲アノマロカリスのアニメーション作業の様子


効率的かつ忠実に当時の街並みを再現

本作のように日常生活を描き出した作品において、「CG臭さ」を意識させない処理は非常に重要だ。一面に広がる彼岸花のシーンでは、彼岸花の造花を100本ほど用意して役者の近くに立て、遠景に見える部分はCGでボリュームを足した。その際、遠景にも造花を数本置いてリファレンスとして使い、造花とCGを自然に馴染ませている。

© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会

車窓に映る50年前の東京の街並みもCGで制作されている。限られた時間で効率的に制作するため、街並みのCGモデルを窓ガラスに反射させるのではなく、CGモデルそのものを反転させてレンダリングし、コンポジットでガラスに重ねることにした。実際の撮影では電車のセットは移動しないのでトラッキングしたカメラも動かない。そのため、Maya上で街自体を進行方向とは逆方向に動かしてレンダリングした。「とにかく時間がなかったので逆転の発想による荒技ではありますが、良い感じの仕上がりになったのではないでしょうか」とCGIスーパーバイザーの鎌田友樹氏はふり返る。


▲車窓に移り込む東京の街並み
© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会

不必要な映り込みがないよう手前に黒幕を張って撮影。同シーンで車内の反対側の窓から見える景色はグリーンバックで撮影し、今度は街並みのCGモデルを反転させずに使用してレンダリングしたものを合成した。

街並みのCGモデルは昭和40年代の上野の街を基に制作。あらかじめ完成している街並みのアセット(CGモデル)を購入し、マットペイントで当時の看板を再現しつつ建物の高さを調整するなど、本作で描き出す時代に合うようモデルをリファインしている。昭和40年代の上野は低い建物が多かったため、意図的に建物の高さにメリハリを加え見映えのする街並みを演出。また、エアコンの室外機が設置された建物が少なかった当時の外観に近づけるよう、アセットから室外機を取り除くといったひと手間も加えられている。


▲「50年前の東京の街並み」のCGモデル。当時の様子を再現するためマットペイントで看板を描き加え、室外機を全て取り除いた


▲窓ガラスに映り込ませる街並みのCGモデルを反転させた


▲シーン構成のしくみ

イマジネーション豊かなVFX技術が作品にうま味を添える

本作におけるCG・VFX技術は、SF映画のようなダイナミックなものではなく、観客にCGであることを意識させない自然な演出がなされている。老人の日常生活という渋いストーリーに、コラットによるイマジネーション豊かなVFX技術がうま味を添えており、スクリーンに映し出された「老人の世界」にすっかりと魅了され釘付けになってしまった。また、作中に登場するマンモスやアノマロカリスは、時代を超えて現代日本の街並みに「とても自然」に溶け込み、我々の心に優しく寄り添ってくれる。CG・VFXが作品の魅力を十二分に引き出した好例といえるだろう。



  • 映画『おらおらでひとりいぐも』
    全国公開中
    出演者:田中裕子 蒼井 優 東出昌大
    原作:若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」(河出文庫)
    監督・脚本:沖田修一/音楽:鈴木正人/主題歌:ハナレグミ「賑やかな日々」(スピードスターレコーズ)
    撮影:近藤龍人/照明:藤井 勇/美術:安宅紀史/録音:矢野正人/編集:佐藤 崇
    VFXスーパーバイザー:オダイッセイ/アニメーション:四宮義俊/フードスタイリスト:飯島奈美
    製作:『おらおらでひとりいぐも』製作委員会
    配給:アスミック・エース
    公式HP:oraora-movie.asmik-ace.co.jp/
    公式Twitter:@oraora_movie
    © 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会