DCCツールの習得には長い時間を要するものだが、学校で学ぶのではなく、独学で勉強するという方法もある。独学で3DCGを学び、現在はカナダのバンクーバーでリード・モデラーとして活躍中の猪股陽佑氏に話を伺った。

記事の目次

    Artist's Profile

    猪股陽佑  / Yosuke Inomata(Image Engine/ Lead Modeler)
    東京都出身。独学でCGを学び、2006年に株式会社JD-GLOBE(当時)でCGデザイナーとしてキャリアをスタート。2Dおよび3Dの幅広い業務を担当し、TVCM、ドラマ、映画など様々なプロジェクトに携わる。2011年にフリーランスとして独立。2013年にカナダへ移住し、バンクーバーのImage Engineにモデラーとして入社。2021年にリード・モデラーに昇進し、現在に至る。主な参加作品に『チャッピー』『ファンタスティック・ビースト』シリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』『スパイダーマン: ファー・フロム・ホーム』『マンダロリアン』シリーズなどがある
    image-engine.com

    <1>ダメ元で応募したCGデザイナーの求人で、チャンスを掴む

    ――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。

    絵を描いていた父や兄たちの影響で、幼少時から絵を描くことや物づくりが好きでした。小学生の頃には、将来イラストレーターなど絵に関わる仕事に就きたいと思っていました。

    中学生の時に映画館で『スター・ウォーズ 特別篇』を観たことがきっかけで映画やVFXへの興味が湧き、その後『マトリックス』や『スパイダーマン』といったCGを駆使した大作映画に魅了されるうちに、次第にハリウッド映画に携わる仕事への憧れが強まりました。

    「絵で生計を立てるのは難しそうだが、映画業界で何らかの形で働けるなら可能性があるかもしれない」。そう思い、映像系の大学や専門学校に進学したかったのですが、経済的な理由からそれが叶わず、漠然とした夢を抱えたまま高校卒業後は地元の印刷工場に就職しました。

    その頃「3DCGであれば自分の創造力を映画に活かせるのではないか」と3DCGに焦点を当てることで漠然としていた夢が具体的な目標に変わりました。就職先の同僚や会社も非常に良かったのですが、目標に挑戦するために会社を辞める決心をしました。

    とはいえ、3DCGに関して右も左も分からない状況。やはり専門学校に行かなくてはと思い、引き続きアルバイトなどでお金を貯めながら、3DCGを独学で勉強し、兄から譲り受けたタブレット型パソコンでひたすら絵を描き続けました

    専門学校に入った同年代たちに比べ、自分はそのスタートラインにも立てていないと焦りを感じ始めていた頃、株式会社JD-GLOBE(当時)がCGデザイナーを募集しているのを目にし、ダメ元で応募してみることに。すると「お話したいので面接に来てください」という連絡をいただき驚きました。

    独学のCG作品やこれまでの絵、粘土細工の写真など、アピールできるものを全て持って面接に臨みました。プロに自分のレベルを見てもらうのが目的で、雇われるとは思っていませんでしたが、奇跡的にもその会社は僕の絵やCGへの熱意を評価し、採用してくれたのです。この会社は残念ながら後に倒産してしまいましたが、自分にチャンスを与えてくれたことには今でも感謝しています。

    最初はイラスト担当として働き始めました。会社には専門学校や美術系の大学を卒業し、実務経験をもつ人ばかり。周囲に圧倒されながらも、絵を描いてお金をもらえることに「幼少の頃の夢が叶っているじゃないか!」と喜びを感じたのを覚えています。

    もっと会社の戦力になりたいと、社内で主に使用されていたMayaAfter Effectsを必死に勉強しました。先輩方からは実務に役立つ多くの知識を教えていただきました。通勤電車の中でもソフトウェアの本を読み、家に帰ってからも朝まで何かをつくり続ける日々でした。

    しばらくすると、様々な仕事を任されるようになりました。絵コンテ、イラスト、キャラクターデザイン、モデリングからアニメーション、コンポジット、モーショングラフィック作成など、2Dから3Dまで幅広い業務をこなしました。

    終電まで働いたり、連日会社に泊まることもありましたが、その経験を通じて仕事に対するメンタルと技術が鍛えられたと思います。

    2011年にフリーランスとして独立し、それを機に学生時代からの憧れだった「ハリウッド映画に携わる」という目標を実現するために行動を開始しました。分業制が主流の海外のスタイルに対応するため、一番得意なモデリングに専念し、フリーランスの仕事をしながら空いた時間でモデリングデモリールを作成しました。

    海外で活躍している日本人の方々にコンタクトを取り、デモリールが現地で通用するかどうか見ていただいたりもしました。

    その頃、バンクーバーがハリウッドのVFXのホットスポットになっていると聞き、ワーキング・ホリデー制度のあるカナダを渡航先の第一候補として考えました。

    海外のスタジオで働くためには現地のVFX学校に通うのが最も近道だと考えましたが、興味のある学校はどこも学費が高く、生活費や諸々の渡航費用を考えると十分な資金がありませんでした。7年の実務経験があるため、高額な学費を払って1から学ぶことに対してためらいもありました。

    そんな中、CGWORLDの連載「海外で働く日本人アーティスト」で、モデラーとして活躍する松村智香さんの記事を目にしました。松村さんはバンクーバーのビジネス学校でインターンを経てImage Engineで働くようになったと知り、「こんな道もあるのか!」と衝撃を受けました。

    VFXの学校に比べて学費が安く、期間も3ヵ月と短いため、これならチャレンジできると思い、このインターンシップにかけてカナダへ渡りました。

    ビジネス学校では最初の1ヵ月半、3DCGとは全く関係のないビジネスマナーやプレゼンテーション、インタビューの方法を学びました。他のクラスメイトはすでに英語が上手で、授業や課題についていくのが大変でした。

    ――海外の映像業界での就職活動はいかがでしたか?

    ビジネス学校でのプログラムの終盤には、インターン先に自分で電話をかけて交渉しなければならず、渡加してまだ1ヵ月半の僕には困難な内容でした。片っ端からVFXスタジオに電話をかけるも、多くのスタジオが「インターンは受け入れていない」、「ウェブから応募してください」といった返答で、唯一、Image Engineだけが前向きな返答をくれ、面接に進むことができました。

    Image Engineでの面接は緊張もしましたが、非常に楽しめた記憶があります。インターンシップに無事採用され、実習が始まりました。作業自体は日本で長くやってきたことなので問題ありませんでしたが、仕事環境の違いやパイプラインの凄さに驚きました。

    1ヵ月半のインターン終了後、願わくばそのまま採用されたかったのですが、それは叶いませんでした。その後は他のスタジオに応募を続け、様々なVFX関連のパーティーに参加してコネクションをつくり、バンクーバーで開催されたSIGGRAPHのジョブフェアで各スタジオのブースにレジュメを配布するなど、7ヵ月間ジョブハンティングを行いました。

    その間にLux Visual Effectsで3週間働いたり、いくつかのスタジオと面接まで進みましたが、就労ビザの発行や長期採用には至りませんでした。

    いよいよワーキング・ホリデーの期限も残すところあと2ヵ月……もうダメかと思い始めた頃、Image Engineが再び声をかけてくれました。就労ビザを発行してもらい、そこから憧れだったハリウッド映画に多く携わっていきます。

    オフィスでの作業風景

    <2>チャンスを掴むためには「続けること」、続けるためには「嫌いにならないこと」が大切

    ――現在の勤務先は、どんな会社でしょうか。

    Image Engineは、バンクーバーにある長編映画やテレビ向けのワールドクラスのVFXスタジオです。幻想的なクリーチャーや壮大なエンバイロメントのフォトリアルな視覚効果で観客を魅了してきました。ニール・ブロムカンプ監督の映画『第9地区』での画期的なエイリアンのアニメーションで知られ、最近ではスター・ウォーズ実写ドラマ『ボバ・フェット/The Book of Boba Fett』のVFXでエミー賞を受賞しました。

    ――参加された作品の中で、何か印象に残るエピソードなどはありますか?

    少し前になりますが、『マンダロリアン』シリーズ、『ボバ・フェット/The Book of Boba Fett』、『オビ=ワン・ケノービ』、『スター・ウォーズ:アソーカ』などたくさんの『スター・ウォーズ』シリーズに参加できたことは光栄に思います。

    特に『マンダロリアン』シリーズでは、ドロイドの作成や山岳地帯、氷の洞窟などの様々な背景制作に携わり、非常に楽しいプロジェクトでした。手掛けたドロイドがトイとして市場に登場し、自分がモデリングした通りに再現されていたのを見たときは嬉しかったです。

    ▲『マンダロリアン シーズン1』予告編

    ――現在のポジションの面白いところは何でしょうか。

    モデリングは3DCGの基礎を成す重要な部分です。そのため責任も重大ですが、自分が作成したモデルが後工程のスペシャリストたちによって色や質感を付けられ、動き始める工程を見るのはとても面白いです。

    コンセプトアートだけでは把握しきれない部分を、モデラーがそのアートや設定を汲み取って3D上でデザインすることもあります。特にメカのようなものでは、可動部分がちゃんと機能するようにコンセプトの印象を保ちながら構造をどう変えるかを考えるのも楽しい作業です。

    リードとしての面白さは、思いついたアイデアや基準をすぐに導入できること、新しい試みにチャレンジできる機会が多いことです。チーム全体のレベルや作業効率をどう向上させるかを考えるのも非常にやりがいがあります。

    ――英語や英会話のスキル習得はどのようにされましたか?

    日本にいるときは、中学レベルの文法や単語を書籍で復習しました。あとは海外ドラマや映画を何度も観て勉強したり、横田基地が自宅からさほど遠くない場所にあったので、基地近くのお店で外国の方と友達になり会話をすることもありました。

    バンクーバーに来てからはビジネス学校、ホームステイ先の家族、職場の人たちとのコミュニケーションで英会話に慣れていきました。また、よくESLのMeetupに参加したのも、英語スキルの向上に役立ったと思います

    色んな方法で英語学習を試してきましたが、「読んだことのある漫画の英語版を読む」というのが僕にとって一番ストレスのない学習方法だった気がします。

    これまで何度も自分の英語力に落ち込むことがありましたが、「少なくとも昨日よりは今日の自分の方が上達しているはず、大丈夫」と、なんとか日々を繋いで10年間過ごしてきました。そんな感じで、自分なりのリカバリー方法を見つけることも、長く続ける上では大切なポイントかと思います。

    日常会話よりも、仕事での英会話の方が簡単ですのでご心配なく。思わぬ方向から会話が始まることもあまりないですし、CGやコンピューターに関する用語は日本語も英語も同じものが多いので、専門用語はなんとなく英語っぽく発音すれば通じます(笑)。

    ――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。

    僕は少し遠回りをして今の位置に辿り着いたと思います。しかし、その過程でチャンスはどこにでもあると感じました。極端な例かもしれませんが、独学で勉強してデモリールをつくり、いきなり海外のスタジオに送るのも1つの道だと思います。

    学歴や職歴がないと人事部の審査ではねられてしまい、スーパーバイザーの目まで届かないかもしれませんが、SNSなどで現地のアーティストと繋がれば、人事を介さずに直接紹介してもらえる可能性もあります。

    リードとしてデモリールやレジュメを見て採用に関わる立場になると、デモリールの重要さや見せ方の大切さを痛感します。学歴や職歴、国籍や年齢に関係なく、スキルを証明できるデモリールが最も重要です。

    採用には応募先のスタジオの状況やタイミングも影響しますが、そのタイミングを逃さないためには続けることです。続けるためには、嫌いにならないことが大切です。無理を重ねると嫌いになってしまうので、休むことも忘れないでください

    ▲アセットチームのランチ風景

    【ビザ取得のキーワード】
    ①独学でCGを学ぶ
    ②国内のスタジオで経験を積む
    ③ワーキング・ホリデー制度を利用してカナダのバンクーバーへ
    ④カナダのImage Engineに就職、就労ビザを取得

    あなたの海外就業体験を聞かせてください。インタビュー希望者募集中!

    連載「新・海外で働く日本人アーティスト」では、海外で活躍中のクリエイター、エンジニアの方々の海外就職体験談を募集中です。

    ご自身のキャリア、学生時代、そして現在のお仕事を確立されるまでの就職体験について。お話をしてみたい方は、CGWORLD編集部までご連絡ください(下記のアドレス宛にメールまたはCGWORLD.jpのSNS宛にご連絡ください)。たくさんのご応募をお待ちしてます!(CGWORLD編集部)
    e-mail:cgw@cgworld.jp
    Twitter:@CGWjp
    Facebook:@cgworldjp

    TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada