ついに連載101回目に突入した今回は、フィンランドからお届けする。アメリカ留学を経て日本に帰国後ゲーム会社での就業を経て、フィンランドのゲーム・デベロッパーで働きはじめた荻野公男氏。フィンランドでの生活ぶりと共に、就業までの道のりを伺った。
Artist's Profile
荻野公男 / Masao Ogino(Senior Environment Artist / Remedy Entertainment)
東京都出身。1998年に米国のコミュニティカレッジを卒業後、日本のゲーム業界でキャリアを始める。2007年に株式会社グラスホッパー・マニファクチュアへ入社。2013年にフィンランドのRemedy Entertainmentへ入社し今年で11年目になる。『Quantum Break』、『Control』、『CrossfireX』、そして2023年10月に発売された『Alan Wake 2』の開発に携わる
www.remedygames.com
<1>まずはアメリカへ留学
――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。
幼少時代は、よく絵を描いたり模型を組み立てたりしました。外で遊ぶのも好きでしたが、どちらかといえば家の中で何かをつくっているのを好んでいたと思います。
中学に入るとアーケードゲームの高い表現力に惹かれ、ほぼ毎日のようにゲームセンターへ通いました。この頃から「将来はゲームの仕事をしてみたい」という思いがぼんやりと頭の片隅にありました。
高校時代は映画をよく観るようになり、海外、特にアメリカの文化に興味をもち始めました。卒業後の進路は、海外へ行ってみたいという気持ちが強く、まずは英語を学ぼうと思いました。しかしいきなり海外へ行く自信はなかったので、日本にある英語の専門学校で学ぶことに決めました。英語力はほぼゼロに近い状態でしたが、モチベーションは高かったのでそれなりに吸収できたかと思います。
専門学校を卒業後、数年間アルバイトで留学資金を稼ぎました。また、ありがたいことに両親からのサポートもあり、1996年にアメリカへ留学することを決めました。
渡米する前の90年代のゲームシーンは3Dの時代に入り、『バーチャファイター2』や『Dの食卓』、『MYST』といったゲームの3D表現に衝撃を受け、将来ゲーム業界へ進もうと決心します。
――ユタ州の田舎へ留学したそうですね。なぜユタ州へ?
アメリカの大学で3DCGを学びたかったのですが、授業料が高く、貯金だけでは断念せざるを得ませんでした。代わりに比較的安いコミュニティカレッジでドローイングなどのアートを学ぶことに重点を置きました。場所はユタ州のエフライムという田舎町です。ここを選んだ理由は、授業料の安さとアメリカの田舎に憧れがあったからです。ソルトレイクシティから車で2時間かかる場所でした。バスなどの交通機関はなく、信号も1つだけ。周りは平地と山に囲まれていて、何もかもがカルチャーショックでした。
ここでは、まず2学期ほどESL(語学学校)で英語を学び、その後、正規の授業を受けることになります。アメリカ人の学生と一緒に授業を受けるのでなかなか大変でしたが、美術系のクラスは手を動かす時間の方が多かったので何とかなりました。また学業以外ではアメリカ人家族の家にホームステイをしたり、友達とルームシェアをしたりと楽しかったです。
1年経った頃、まだ3DCGを学びたいという気持ちが強かったので、コミュニティカレッジでも3DCGを学べるところはないか検索したところ、ワシントン州のベルビューという町にあるカレッジに3DCGソフトを使ったアニメーションのクラスがあったのでそこへ編入することに決めました。ここはシアトルへも近く、娯楽も多かったので、ユタにいた頃とのギャップが激しかったですね。
ここの3DCGアニメーションのクラスはLightWave3Dを使ってプリミティブな物体を動かす程度の内容で、正直期待していたものとちがいましたが、もともとアート系のクラスをメインに取っていたので割り切ることにしました。
そしてまた1年が経ち、カレッジは2年制なので卒業を迎えました。そのまま4年制の大学へ編入したかったのですが、授業料の壁が高く、1998年に日本へ帰国しました。
――その後、日本で就職されたのですね。
帰国後は、日本のゲーム業界へ進もうと決めていました。3DCGの経験は授業を受けたとはいえほぼゼロに等しかったので、どうすれば良いのかわからなかったですが、アルバイト情報誌にゲームの仕事の募集があり、ダメ元で学生時代に描いた絵を作品として応募しました。数日後、面接を受け、運よく採用を頂きました。
そこはスタッフが10人程度の小さな会社でした。最初の仕事は初代PlayStationのタイトルで、イベントシーンのイラストを描き、Photoshopで彩色する作業でした。また外注管理などの仕事もしました。仕事は大変でしたが、作品が完成したときは感慨深かったです。その後、契約社員として働くようになりました。次はPlayStation 2のタイトルを開発することになり、念願だった3Dの仕事も経験できました。ここでは2年半ほど在籍しましたが、残念ながら会社が畳まれることになり、退職しました。ここでゲーム業界でのキャリアを始められたことは大変感謝しております。
とはいえ、まだ経験が浅かったので次の働き口が見つかるか不安でしたが、小さな会社で採用を頂くことができました。ここでは外部からの背景制作の依頼が多かったです。現在とはつくり方は異なりますが、背景制作のノウハウを吸収できた点が良かったです。ここにも2年半ほど在籍しました。
2社での仕事を経て少し自信がつき、自分の好きなゲームの会社を受けてみようと思い、応募した中でグラスホッパー・マニファクチュア(以下、グラスホッパー)から採用を頂きました。
グラスホッパーはユニークな会社で、日本よりも海外で知名度があると言われるよう、一時期は海外から来たスタッフが3割程いました。当時日本ではまだ珍しかったUnreal Engineを採用したり、海外のパブリッシャーであったりと、まるで海外スタジオのような雰囲気でした。私は外国人スタッフと日本人スタッフの通訳をすることもありました。ここでの欧米的なゲーム開発は後の海外就職に大変役に立ったと思います。この頃から海外製のゲーム、いわゆる「洋ゲー」が日本でも注目されるようになり、技術力の高さに圧倒させられました。
在籍6年目あたりで会社が分社化することになり、私はその中の1つの会社に異動することになりました。この辺で「そろそろ海外のスタジオで働いてみたい」という気持ちが強くなり、退職を考えていることを伝えました。
異動した会社では東南アジアにあるスタジオと提携し、日本のスタジオと共同でゲーム開発をするという計画があり、その立ち上げ要員として日本から数名タイのバンコクへ出向して現地のスタッフにトレーニングするという話をされました。最初はあまり乗る気ではなかったのですが、退職するまでの数ヵ月程ということでしたので、行くことに決めました。
私の役割は現地の背景チームの指導とクオリティ管理で、あまり得意ではない業務でしたが大変貴重な経験ができたかと思います。
――海外のゲーム業界への就職活動は、いかがでしたか?
日本へ帰国後、退職前に残っていた有給や代休消化中にヨーロッパや北米へ旅行をすることにしました。同時にいくつか興味のある海外のゲームスタジオへ応募をしました。
ヨーロッパ滞在中にフィンランドにあるRemedy Entertainment(以下、Remedy)から連絡がありました。私は『Alan Wake(アラン・ウェイク)』でRemedyのファンになり、働いてみたいスタジオの1つでしたので、連絡が来ただけでも嬉しかったです。
まずはビデオ通話でのオンライン面接を2度受けました。2回目の面接時に「ヨーロッパに来ているのであれば、フィンランドのオフィスに来てみないか」と提案されました。フライトやホテルの滞在は手配してもらえるということでしたので、数日後に日本へ帰国予定でしたが、帰国日を変更してフィンランドのスタジオを訪問することにしました。
オンサイト(現地)では担当者との面接はもちろんのこと、スタジオツアーやディナーなど、とてもフレンドリーな雰囲気でした。私は終始緊張していましたが、帰国後に採用のメールを頂きました。とてもうれしかったのですが、同時にフィンランドのことはあまり知識がなく、生活面の方で心配になり悩みました。ただ、ここで行かなかったら絶対に後悔することはわかっていたのでオファーを受けました。
まずは、フィンランド大使館で在留許可証を申請しました。1週間程で申請が下り、引っ越し費用も会社負担でありがたかったです。そして2013年の10月にフィンランドへ飛び立ちました。到着後は会社が用意してくれたサービスアパートに一時的に滞在しました。またRemedyと契約しているリロケーションエージェントのサポートがあり、部屋探しや銀行口座の開設、その他手続きなど、全てがスムーズに進みました。在留許可証の5年目の更新時に、永住許可証を取得しました。
<2>フィンランドで『Alan Wake 2』や『Control』などの有名タイトルの背景を手掛ける
――現在の勤務先は、どんな会社でしょうか。簡単にご紹介ください。
Remedyは1995年に設立され、『Max Payne(マックス・ペイン)』、『Alan Wake』、『Control』など、ストーリーを主体としたアクションアドベンチャーゲームを得意とします。2023年10月に『Alan Wake 2』を発売し、数々の賞を受賞しました。
私が入社した2013年の時点ではスタッフ数は100人以下の規模で、1つのプロジェクトを開発する体制でしたが、現在は300人を超え、複数のプロジェクトが動いています。さらにスウェーデンのストックホルムにもスタジオができました。
Remedyはベネフィット(福利厚生)も充実しており、中でも年に1度、母国へ帰るためのフライトを手配してもらえるのには驚きました。
――フィンランドの生活は、いかがですか。
フィンランドは自然が多く、治安も比較的良く住みやすいと思います。私はヘルシンキの中心部近くに住んでいますが、会社はエスポーという隣町にあるので、地下鉄で通勤します。日照時間が短く、昼間でも薄暗い冬は今でも苦手ですが、逆にとても明るい夏の開放感は素晴らしいです。フィンランドの文化といえばサウナがあります。友達の家でサウナに入って、冷たい「ロンケロ(ジンをグレープフルーツと炭酸で割ったもの)」を飲むのが最高ですね。
あと他のヨーロッパの国へ気軽に行けるのもいいですね。休暇は比較的取りやすいので、長い週末を取って旅行することもあります。
――最近参加された作品で、何か印象に残るエピソードはありますか?
少し前のプロジェクトですが、『Control』で『灰皿の迷路』というレベルの背景を担当することになり、色々と私のアイデアが使われたのは嬉しかったです。レベルデザイン、アート、オーディオなど全ての要素がうまく融合し、ユーザーから「最高の体験ができた」との評価を頂けたのはとても誇りに思います。
――現在のポジションの面白いところは何でしょうか。
エンバイロンメント・アーティストの仕事は、ゲームの背景アートを担当し、プレイヤーが移動する舞台をつくります。美術的な要素だけではなく、ナラティブ要素やゲーム性も重要になってくるので他のセクション、特にレベルデザイナーとのコミュニケーションが多くなります。背景アート側の視点でアイデアを出すこともあり、それがうまく機能したときは嬉しいですね。開発中は変更も多く辛いこともありますが、仕上げの段階になるとようやく本領発揮ができるのでやりがいを感じます。
――英会話や現地での言語習得は、どのようにされましたか?
私は日本の専門学校やアメリカ留学で英語を学びました。語学に限らず、モチベーションを高めることがスキルの向上に繋がったと思います。専門学校ではネイティブの先生で授業は英語のみ。今までそのような環境がなかったので、とても新鮮でした。少しずつ上達が感じられるようになると学校へ行くのが楽しかったです。会話のクラスで「今日のフレーズ(Phrase of the day)」というのがあり、慣用句やスラングを1日1つ教えてくれるのですが、授業後も何回も繰り返し喋って覚えました。
アメリカでは、現地の人が喋る発音やフレーズを真似するように心掛けたところ、英語力が向上した感触はありました。日本へ帰国後もネイティブの友達との交流やグラスホッパーでの職場のように英語を使える環境にもって行けたのは大きかったと思います。
ここフィンランドでは、公用語はフィンランド語(一部スウェーデン語)ですが、英語教育も受けているのでほとんどの場面で英語が通じます。スーパーのレジなどでフィンランド語で話しかけられ、こちらが理解できないとすぐに英語に切り替えてくれます。スタジオ内には30ヵ国以上の国から来ている人がいるので、英語でのコミュニケーションになります。とても便利ですが、英語で生活ができてしまうので、現地の言葉を覚えたい場合はモチベーションを上げるのがなかなか難しいかなと思います。
――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。
海外で働く、暮らすということは勇気の要ることだと思います。留学やワーキングホリデーなど方法はいろいろとありますし、一度海外の生活を経験してみると自信もついてくると思います。
留学は私の時代とはちがい、現在はゲーム開発に特化したコースも充実していると思います。語学を学ぶと同時に興味のある分野を学ぶのは素晴らしいことです。
ゲーム開発経験者であれば、ポートフォリオの作成が必要です。私は幸い、過去のプロジェクトの成果物を提出しても良い、と了承をいただきました。日本の会社だとなかなか難しいかもしれませんが、興味のあるスタジオがあれば、そのスタジオのスタイルに合った作品をつくるのも手かと思います。
また、最近は日本で働く海外からの開発者も増えていると思うので、ゲーム系のイベントなどで見かけたら話しかけてネットワークを広げるのも良いかもしれません。
私の場合は運やタイミングもあったと思います。自分の経験が正直参考になるかどうかはわかりませんが、少しでも役立てていただければ幸いです。強い意志と、諦めない気持ちを持って1歩を踏み出せれば、色々と見えてくると思います。
【ビザ取得のキーワード】
①米国のコミュニティカレッジで英語の強化と美術を専攻し、卒業
②帰国後、日本のゲーム業界で経験を積む
③グラスホッパー・マニファクチュアで欧米的なゲーム開発を経験
④フィンランドのRemedy Entertainmentに就職、在留許可証を取得
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TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada