有名なVFXスタジオのIndustrial Light & Magic(以下、ILM)には、設立当初からマット・ペイント部門があった。現在、この部署は通称「GEN」(ジェン)と呼ばれている。背景チームはジェネラリストの中からえり抜きのメンバーが集まっている部署なので、この名称になっているらしい。今回は、そのGENで活躍中の小山順之氏に話を伺った。

記事の目次

    Artist's Profile

    小山順之 / Masayuki Koyama(Generalist Artist / Industrial Light & Magic Vancouver)
    埼玉県出身。2008年に桜美林大学を卒業後、映像制作会社でモーショングラフィックスや、ブライダル映像制作に携わる。2017年にカナダへ留学しVancouver Institute of Media Artsを卒業。その後MPC Montreal、 Mr.X Torontoでの勤務を経てILM Vancouverに入社し現在に至る。
    主な参加作品:『野性の呼び声』 (2020)、『ジュラシック・ワールド/ 新たなる支配者』(2022)、『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』(2022)、『スター・ウォーズ:アソーカ』(2023)、『アクアマン/失われた王国』(2023)、『ヴェノム:ザ・ラストダンス』(2024)、新作ドラマシリーズ『スター・ウォーズ:スケルトン・クルー』など
    Artstation:www.artstation.com/lll_masa_lll
    Linkedin:www.linkedin.com/in/masayuki-koyama-122743150
    X(旧twitter):x.com/annoonblog

    <1>役者を目指していた際に、人生を大きく変える出会いが

    ――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。

    小学生の頃をふり返ると、工作や絵画が好きで、いつも美術の授業を楽しみにしていました。また学校以外でも市内のカルチャーセンターに通って、デッサンや水彩画を学び、「将来はプラモデルやジオラマ制作など、手先の器用さが必要な仕事がしたいな」と漠然と思っていたことを覚えています。とにかくモノづくりが好きな子供でした。

    中学までは割と勉強も頑張り、高校は東京の私立の学校に通わせてもらいました。しかしここで次第に生活がだらしなくなり、授業の遅刻は当たり前、人の意見や流行にながされたり、勉強もおろそかになって学年でワースト2位の成績をとったこともありました。あの頃の僕は自分の考えをもっていなくて本当に魅力のない人間だったと思います。結局、行けたはずの付属大学にも進学できず、我ながらかなり親不孝な学生時代を送っていました。

    大学時代は役者を志していた時期があり、このときに演出家の石丸さち子さんに出会ったことで、僕の人生は大きく変わりました

    石丸さんは、もともと蜷川幸雄さんの作品で長く演出助手を務めてきた方で、現在は独立して数多くの有名な作品を手がけている演出家です。彼女は演劇に対して非常に強い情熱をもち、稽古も厳格で、特にその熱量の高さはどんな稽古の場でも変わることがなく、関わる人たちに強い影響を与えるような稀有な方だと思いました。

    当時、彼女の厳しい稽古を経験する中で、高い質でなにかを表現をしようとしたときにどれほどの努力と熱量が必要なのか、初めてきちんと理解することができました。そして「プロフェッショナル」とはこういう人のことを言うんだと気づかされました。この経験があってから、何事にも自分の考えをしっかりともって自発的に行動するようになりました。

    カナダに来てから仕事以外の時間を使い絶えず自分の作品をつくり続けてきたのも、「後悔のない人生を送りたい」と自分の中でテーマができたのも、このときに受けた影響が大きいです。

    ――日本でお仕事されていた頃の話をお聞かせください。

    自分なりにできることはやりましたが、役者で生計を立てるのは厳しかったので、その後、興味のあった映像制作の会社に就職しました。しかし映像編集のスキルも経験もなかったので、希望だった映像編集職ではなく営業社員として神奈川県の支社に配属されることになりました。

    今でも鮮明に覚えいているのですが、入社当日に本部の様々な部署に挨拶周りをしたとき、After Effectsを使ってゴリゴリのモーショングラフィックスをつくっている方々がいて、当時の僕にはそれが本当にカッコよく見えたんです。そして、そのときに「自分も将来絶対にこの部署に入るんだ」と決意しました。そこから営業の傍ら、編集社員でもないのに社内の映像制作を率先して手伝い、After EffectsやPhotoshopの資格を取り、休日にセミナーに参加して勉強したりと、とにかく目標に向かって邁進しました。

    その結果、入社から1年半後には正式に営業社員から編集職となり、3年後に本部に異動、5年後には社内の商品開発をする立場となり、知らない間に役職が上がっていました。学生時代、深夜バイトをしながら将来どうなるかわからない状態で厳しい稽古を経験していた僕にとって、それは苦しみや大変さを感じる環境ではありませんでした。

    また仕事を通じてお客さんの反応を直接見る機会が多く、これが貴重な経験となりました。僕のつくった映像を観て驚くほど大号泣する方や笑ってくれる方がいて、自分自身も感動することが何度もありました。最終的に日本の制作会社では7年ほど働きましたが、そうした経験を重ねるうちに、映像制作への想いがどんどん強くなっていきました。中でも、余命わずかなお父さんのために、病院で結婚式を挙げた花嫁さんの映像をつくったことが印象に残っています。

    ――海外を目指されたきっかけは、どういったものだったのでしょう。

    30歳を前に、「自分が映像制作でどこまで挑戦できるか試したい」という気持ちが芽生え、強くなっていきました。そこで世界中のスキルのあるアーティストが集まっていて、大きな予算が動いていて、最先端の技術が使われている映像の仕事はなんだろう……と考えたとき、シンプルにたどり着いたのが「ハリウッド映画」に携わるという目標でした。

    ただ、考えてみると僕がしてきた映像の仕事は、3DCGの世界とは畑ちがいで、実質CG業界での職務経験はなし(コンポジティングの経験だけが少し活きたかもしれませんが……)、学生時代の負の遺産により英語能力はゼロに等しく、海外に知り合いは1人もなし、ビザに関しても30を過ぎていたので就活時にワーホリが数ヵ月程度しか使えないというビハインドな状況。会社も辞めて、まさに1からの船出となりました。それでも覚悟を決めてカナダに飛び立ちました。

    余談ですが、実は留学を考え始めた時期に、鍋さん(※同記事の筆者)の「海外で働く日本人アーティスト」の連載記事の存在を知り、仕事のお昼休みに読むことがルーティーンになっていました。様々な方の体験談を読んで、結果を出している人の共通点について考えたり、「色々悩んでいるより行動した方がいいな」と毎回すごく勇気をもらっていました。「いつかこの連載でインタビューしてもらえるように頑張ろう」と思っていましたが、それから7、8年程経って現実になりました。なのでこのインタビューは、僕にとってはすごく嬉しい出来事なんです!

    ――カナダに渡った際の印象はいかがでしたか?

    フライトを終えてバンクーバーのダウンタウンに着いたとき、誰1人として知り合いの居ない英語で溢れた風景を見て、「本当に知らない地に来てしまったな」としみじみ感じたことを今でも思い出します(笑) 。

    カナダでは、映画のCGについて学ぶためにVancouver Institute of Media ArtsのVFX学科に入学しましたが、英語のスキルが足りず、当初は先生の話はおろかクラスメイトとの会話さえ理解できませんでした。日によっては3時間の授業が3回ある中、就活を見据えて早い段階から並行して自分の作品制作に取り掛かり、休日ももちろん観光などせず、夜遅くまで勉強という振り切った1年間を過ごしました。料理の時間すらもったいなくて、数週間毎日納豆を食べていたこともあります。人よりも優れた結果を出すためには、「同じことをしているだけでは足りないんだ」という意識が強かったです。

    印象に残っていることとしては、23人いたVFX専攻のクラスメイトの内(同じクラスにインド、ブラジル、デンマーク、インドネシア、スペインなど、様々な国からの留学生がいました)、卒業後すぐに現地のスタジオに就職できたのは、僕を含めて3人ほどだったということです。

    年度によって就職のしやすさに波はありますが、やはりハリウッド映画に携わるような大きなスタジオに入社するというのは、簡単なことではないなと改めて思い知らされました。

    そして、そのときクラスメイトだった木村昭太とは今、巡り巡ってILMで一緒に働いていて、11月に公開された映画『ヴェノム:ジ・ラスト・ダンス』では同じショットでコラボすることができました。僕が背景CGをつくり、そこに彼がエフェクトをつくってくれたわけですが、大切な時期に学生として共に過ごした仲間と、こうしてプロフェッショナルな環境で一緒に作品に貢献できたという経験は、なんとも言葉には替え難い忘れられない出来事になりました。当時はこんな未来がくるとは想像できなかったので。

    ――海外での映像業界への就職活動は、いかがでしたか? 

    今でこそ仕事も生活も安定し、ILMでBCPNPに推薦してもらいカナダの永住権も取得しましたが、最初は英語や職歴、ビザの問題で就職は非常に困難でした。卒業時には100社以上に応募し、返事があったのはほんの数社。就職が叶わず、日本に帰らざるを得ないという結果も十分にあり得たと思います。

    BCPNP:カナダのブリティッシュコロンビア州が、特定のスキルや職種を持つ個人に対し、カナダの永住権を申請する際の州の推薦を提供するプログラム

    最初に入社が決まったMPC Montrealは、学校のあったVancouverから東に約5,000km離れた地域にあり、フランス語が第1言語です。生活に慣れるのも簡単ではなく、冬は-25℃にもなり、鼻水も凍りました。一度会社の非常用扉にフランス語で「開けると警報が鳴ります」と書いてあるのがわからずに開けてしまい、スタジオ内にジリリリリリリという大きな警報を発生させるというアクシデントをやらかしてしまったこともありました(笑)。

    その後も別のトロントのスタジオに転職したり、現在のILM Vancouverに至るまでAirbnb(民泊サービス)や会社が用意してくれたホテルなども含めると、カナダに来てから10回以上引っ越しを経験しました。ときには階段下にある2畳ほどの空間に泊めさせていただいたり、黒人のご家族に家が見つかるまで数週間居候をさせていただいたりとユニークな経験をたくさんしてきました。

    ▲自宅でのリモートワーク風景。週に2日、オフィスに出勤するハイブリッド・スタイルだという

    <2>ILMで最新作『スター・ウォーズ:スケルトン・クルー』に参加

    ――現在の勤務先は、どんな会社でしょうか。

    ILMは、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』(1977)を制作する際につくった会社で、これまでにアカデミー視覚効果賞を15回も受賞している世界でも有名なスタジオです。制作に携わった映画は数知れず、僕の大好きな『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だけでなく、『インディ・ジョーンズ』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』、『ハリー・ポッター』シリーズのVFXも制作してきた実績があります。僕自身も留学当初から「いつか働いてみたい」とずっと目標にしてきたスタジオです。

    ――最近、参加された作品で印象に残るエピソードはありますか?

    12月3日(火)から日本でもDisney+で配信される新作ドラマシリーズ『スター・ウォーズ:スケルトン・クルー』に携わりました。残念ながら、まだあまり詳しいことがお話できないのですが、この作品に参加させていただいたことは、すごく勉強になる良い経験だったと思います。ぜひ、配信をご覧いただければと思います。

    『スター・ウォーズ:スケルトン・クルー』

    123日(火)よりディズニープラスにて初回2話日米同時独占配信開始

    ©2024 Lucasfilm Ltd.

    ――現在のポジションの面白いところは何でしょうか。

    僕はGeneralist Artistとして働いているのですが、タスクによってはシーンを1から全てつくる貴重な経験ができるところにとてもやりがいを感じています。毎日コツコツとアセットをつくったり、シェーダやライティングを調整したり、セット・ドレッシングを改善したり、そうして何ヵ月もかけてつくり上げた1つの大きな背景CGが、作品の一部としてスクリーンに登場するのは本当に光栄ですし、不思議な感覚でもあります。

    ――英語や英会話のスキル習得はどのようにされましたか?

    カナダに移住して7年、英語は試行錯誤しながら学び続けています。英語上達には、適切な学習時間を確保し、質の高い内容を心がけることが重要だと感じています。

    留学を決めたとき、英語が苦手だった僕が初めて受けたTOEIC模試のスコアは425~490点でした。例えばスコア450点の人が750点を目指すには、約950時間の勉強が必要とされると言われているので、1年で考えると1日最低2時間半ほど必要になりますよね。留学を決めた際はそうやって目標を設定し、実際の学習時間や内容をメモしてモチベーションを維持していました。

    英語力は単語力・文法・リスニング・スピーキング・瞬間英作文能力など多くの要素から成り立つので、偏ると日常会話での成長が実感しづらいです。特に以前学んだ「自分が発音できない単語は、聞き取ることもできない」という考えが印象的で、確かに考えてみれば発音できない=聞いたときに単語として認識できない訳で、リスニングを伸ばすために発音の練習をするという発想は面白いなと思いました。そしてそのときから各要素のバランスを取りつつ勉強するようになりました。スピーキングを伸ばすには、瞬間英作文系アプリやNative Campなどオンライン英会話が効率良く、おすすめです。

    ――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。

    人生は「やる」か「やらない」かの連続です。それを可能な限り「やる」方向にもっていくことを強く心掛けてください。自分の目標や「こうなりたい」というわかりやすいイメージを自分の身近な場所に置いて、すぐに思い出せるようにしてください。

    僕が留学を決めたとき、前述の通り英語は話せず、CG業界の経験値もなく、海外に知り合いもおらず、年齢も30歳でビザの面でも不利な状況でした。そのときに「ハリウッド映画に携わる」という目標を聞いて、誰がそれを達成できると思ったでしょうか。それでも自分を信じてやるべきことを継続してきた結果、今こうしてILMに入社したくさんの作品に携わり、海外で生活するという未来を実現することができました。

    そして、成功している人や志の高い人と積極的に関わったり、時間を共にすることを心掛けてください。「自分というものは、周りにいる人の50%でできている」という話があります。やっぱり人は周りの人から少なからず影響を受けているんです。

    例えば、僕がILMに入社したとき、一線で活躍しているアーティストの方々の日常に触れてすごく衝撃を受けたんです。それまで僕が「頑張った」とか「努力した」と思うような物事を、彼らは当たり前というか、日常みたいな感じで行なっていたんです。実際、僕自身、後で後悔しないだけ努力してきたつもりでいましたが、そのときに「なるほどね、もっとやれってことね」と背中を押された気がしました。

    そういう人たちと関わっていると、自分の中にあった限界や基準のようなものは意外と簡単に押し上げられます。そして結果を出している人は時間の使い方がうまいです。VFXのスキルや知識だけでも並外れているのに、さらにピアノがうまかったり、画がうまかったり、他の面でも高いスキルをもっている人を海外でたくさん見てきました。それは意識して時間を使っているからですよね。

    特に行動もせず、飲み会で誰かの愚痴ばかりを言うような仲間と日々を過ごしていたら、数年経つだけで考え方にも結果にも大きな差が生まれます。

    海外に出たことで、僕の人生は大きく変わりました。生き方や考え方に対しても良い影響をたくさん受け、行動してきた結果、経済的にも生活の質が格段に良くなりました。そして働き方や、居住国、様々な面で選択肢が増えました。この記事を読んでいる皆さんにも、勇気をもって行動したときに得られるものの大きさが伝われば良いなと思います。

    今、心の底から思うことは「自分を信じて、続けてきてよかった」ということです。

    ▲スター・ウォーズドラマ『キャシアン・アンドー』ILMのGeneralistチームと

    【ビザ取得のキーワード】
    ①Vancouver Institute of Media Arts VFX学科を卒業
    ②ワーキングホリデービザをギリギリのタイミングまでホールドし、学生ビザから切替え
    ③現地のスタジオにワークパーミットのサポートをしてもらう
    ④ILMでカナダの永住権を取得

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    連載「新・海外で働く日本人アーティスト」では、海外で活躍中のクリエイター、エンジニアの方々の海外就職体験談を募集中です。

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    TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada