>   >  新人講師がゼロから挑むUnityによる人材教育:No.07:「あそびのデザイン講座」の根底に流れるデザイン思想とは?
No.07:「あそびのデザイン講座」の根底に流れるデザイン思想とは?

No.07:「あそびのデザイン講座」の根底に流れるデザイン思想とは?

砂山をつくってビー玉を転がした経験が基になっている

−−前回の連載でも書きましたが、「あそびのデザイン講座」は「スロープをつくってボールを上から転がす」「ピンボールゲームを作る」「円柱型キャラクターを操作してゴールに到達させる」という三部構成をとられていますよね。

▲「あそびのデザイン講座」PDFの抜粋


安原:はいはい。

−−ちゃんとホップ・ステップ・ジャンプになっていて、すごくおもしろい構成だと思うんですが、なぜこのような内容になったのですか?

安原:うーん、難しいなあ。はじめは粘土をこねるように、画面上にブロックを配置していって、そこから実際に動かしてみて、自然に楽しさを見つけていくようなことができたら良いなと考えていました。実際、そのレベルであれば、すぐにできるんです。ただ、仮に講義用途で15回の内容にするとしたら、内容が浅くなってしまう。もう少し深いところまで学びたい学生向けに、何を提供したら良いかなと考えました。

−−そうだったんですね。

安原:そこで「ゲームにするためには何が必要なのか」ということを考えて、「体験の定量化」の要素を加えました。いわゆるスコアの概念です。そのためには情報をプレイヤーに伝えるためのUIが必要になるので、これは丁度良いぞと。その上で同じ定量化であっても、時間制限を加えたら、またちょっと遊びの体験が変わってきますよね。こんな風にテーマを毎回変えながら、ゲームデザインの過程を体験させていくと、良いんじゃないかなあと、自然に考えていきました。

▲「あそびのデザイン講座」PDFの抜粋


−−メカニクスとレベルデザインの概念をセットで理解できる点が「あそびのデザイン講座」の特徴ですよね。既存の教材って、たいてい、どちらか片方じゃないですか。Unityの解説本では、メカニクスの実装法については学びますが、その意味は問われないことが多い。一方でレベルデザインの教材といえば、『スーパーマリオ』のステージをエディットするような内容になりがちです。

安原:はいはい。

−−だからこそ、メカニクスをきっちりと決めて、ますは演習で組み上げる。その上でレベルデザインを自由に工夫していく。この二段階の流れが興味深いなと思いました。このアイデアはどこから出てきましたか?

安原:自分がそうだったからですよ。たぶん今の学生って、生まれたときからゲームがあるから、ゲームに関する先入観が邪魔していると思うんです。でも、僕らが子供の頃は、まだゲームはありませんでした。砂場で砂山をつくって、上からビー玉を転がして、誰が一番おもしろいか、くらべっこして遊んでいました。Unityでゲームデザインについて教える上でも、そんなレベルから始めないといけないんじゃないかと。

−−ああ、なるほど。

安原:最終的に、自分がどうやってゲームをつくってきたか、ふりかえってプロットしてみたら、こんな風になったという感じです。実際、ゲームデザインについて考える良いきっかけになりました。メカニクスを決めてからレベルデザインを行うというのも、セガやNaughty Dogでやってきたやり方が、そのまま生きています。

−−つくっている間に、どなたかと相談されましたか?

安原:はじめにWebに載っている『ブロック崩し』などのチュートリアルを見ながら、自分でもやってみました。ただ、どれも、けっこう難しいんですよ。

−−自分も本当にそう思います(笑)。

安原:Unityを使ってプログラムを教えるのであれば良いと思うんですけど、ゲームデザインについて教えるのであれば、もっと基礎の部分からやらないと、難しいんじゃないかなと思いましたね。実際、ボールがぶつかって、ブロックが消えるしくみって、C#スクリプトのどこの部分に当たるんだろうとか、自分でも理解するのが大変でした。

−−自分の経験でいうと、Unityって電子工作みたいなイメージがあるんです。基板上にトランジスタなどのパーツを載せていって、ジャンパー線で半田付けしていく感じです。パーツがオブジェクトで、ジャンパー線がスクリプトというイメージなんですが、スクリプトってめんどくさいですよね。

安原:自分も電子ブロックみたいに、小さなモジュールをつないでいってゲームがつくれたら良いなと思っていました。ただ、最初から構造化について考えていかないと、結局スパゲッティプログラムになっちゃうんですよね。途中で「このままだと、初心者向けには難しすぎる」という壁にぶつかりました。そこでユニティの安原祐二に相談して、構造を簡素化してもらいました。敏腕プログラマーとして知られる、もう一人の安原です。

−−安原さんが新人時代に受けられた研修内容は生かされていますか?

安原:それはないですね。というのも、もともと僕はセガ・エンタープライゼス(当時)にメカトロ系のエンジニアとして入社したんですよ。東京理科大学の工学部出身で、ジェットエンジン回りの流体の研究を行なっていました。そのため、入社後もいきなりCPUのZ80を渡されて、マシン語のプログラムを書きました。当時から企画も採用していましたが、特にゲームデザインの研修はなかったと思います。もちろん、今はちがうと思いますが......。

−−流体の研究が、なぜゲーム会社に......?

安原:それは当時通っていた神楽坂にゲームセンターがあったからですよ(笑)。『スペースハリアー』『アフターバーナー』などにハマりました。まさにセガッ子でしたね。会社も「これから大型筐体に力を入れていく。筐体の稼動に油圧ポンプなども使っていく」ということだったので、そういった開発ができると思って、入社しました。ただ、入社してすぐに「今度『マークV』っていう家庭用ゲーム機が出るんだ。ついては人が足りないから、ちょっと行ってくれない?」といわれて......。後のメガドライブですね。行ったら二度と帰れませんでした(笑)。

−−コンシューマへの異動の際も、プログラマーとして行かれたのでは?

安原:うーん、新人だったので、雑用ですよね。プログラムをかじっていて、若くて体力もありそうだから、使い勝手が良さそうだぞと。会社としても、それくらいの認識だったんじゃないでしょうか。実際、逃げたプログラマーを自宅まで追いかけにいったリもしました。そのうち、見よう見まねで企画をやるようになりましたが、いろんな失敗をしました。がんばってつくっても、全然おもしろくなかったり。

−−ちょうどゲームがどんどん複雑になっていった時代だったので、それまでのゲームデザインのノウハウを蓄積して、体系化していくことが難しかったのかもしれませんね。

安原:まさにそうですね。そこから『ソニック』の開発に携わるようになって、運良く大ヒットして。2年半くらいでセガ・オブ・アメリカに移籍することになって。気がついたらすっかり、コンシューマの人になってしまいましたね。

−−アメリカはどうでしたか? セガ・オブ・アメリカでも、Naughty Dogでも、ゲームデザインの研修などはありませんでしたか?

安原:それこそ、ありませんでした。もともとアメリカのAAAスタジオは、できる奴を呼んできてつくらせるのが基本ですからね。日本とちがって解雇規制も緩いので、できない奴はさようならでした。血みどろの戦いというか、生き残りをかけた、ガチな戦いがいつも繰り広げられていましたね。

−−なるほど。まさにメジャーリーグといった感じなんですね。

安原:そうですね。日本みたいに、人材を会社で育てあげる習慣はなかったですね。

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学生時代のアルバイト経験が、大学教育に生きている

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