記事の目次

    TVアニメ、実写映画、ゲームなどを幅広く手がける株式会社コロビト代表・大島夏雄氏によるCG雑学コラム。第9回は、近年ガジェットなどでよく耳にする「人間工学」についてお話します。

    TEXT&ILLUSTRATION_大島夏雄 / Natsuo Oshima(コロビト
    EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)

    <1>人間が使いやすくするためのデザイン・設計

    こんにちは、コロビトの大島夏雄です。第9回となる今回は、「人間工学のはなし」と題してお話ししようと思います。

    私たちの身近なところでは、クリックボタンが縦に配置されている「人間工学に基づいたマウス」やキーが真ん中で分かれている「人間工学キーボード」などを見かけることがあるかと思います。すでに仕事で使われている人もいるのではないでしょうか。

    上図のマウスの場合、手首をひねらずに持てるようクリックボタンが斜めに配置されています。人間工学キーボードでは、キーが平行に配置されているとタイピングする際に手首をひねる必要があるため、それを軽減するようキーを中央で分けてV字に配置しています。こちらの方が手を自然に机の上に乗せたときの形に近い状態でタイピングすることができます。このように、人間にとって使いやすく設定する工学を「人間工学」といいます。

    筆者が「人間工学」と聞いて思い浮かべたひとつに、硬貨の投入口の向きがありました。ジュースなどの自動販売機の投入口は横向きで、駅の券売機の投入口は縦向きです。これは手を肘より上に挙げたときは横向きの方が硬貨を入れやすく、肘より下に下げたときは縦向きの方が入れやすいからだと思っておりました。特に誰かに聞いたり、本やテレビで見たりしたわけではないのですが、そうだろうなと勝手に思い込んでいたわけです。そこで今回、この記事を書くにあたって調べてみました。すると「人間工学」というより、硬貨を読み取るセンサの違いから、このように分かれているそうです。調べてみるものですね......。

    <2>人間の「寸法」を理解する

    「人間工学」は「人間」が使いやすくするための工学ですから、まず人間のしくみを理解する必要があります。そのひとつにサイズがありますよね。ドアノブの位置が地上から110cmのところにあったらドアを開きづらいでしょうし、座面の高さが60cmの椅子は座り心地が悪そうですよね。ただ、これは筆者にとって使いづらいだけで、身長195cmの人からすればドアノブが110cmの位置にあっても問題ないでしょうし、脚が長い人からすれば筆者がちょうど良い高さだと思っている椅子は「低い」と思うでしょう。

    仕事で使うワークチェアは高さを変えることができるので良いですが、家のキッチンの高さや照明のスイッチの位置は使う人に合わせて、その都度、高さや位置を変えることはできません。それでは「人間工学」では、どのように考えてサイズを決定するのでしょうか。

    「人間工学」では、「パーセンタイル値」を設定してサイズを決めることが多いそうです。「パーセンタイル値」?? 馴染みのない単語ですね。例えば100人の身長を測定したとします。それをリスト化して身長順に並べると、50番目の身長は「50パーセンタイル値」、90番目の身長は「90パーセンタイル値」ということになります。

    例えば、ある装置の位置や大きさを決めるときに「5~95パーセンタイル値の人が問題なく使用できる」というように、まず対象とするパーセンタイル値の範囲を決めます。これは、5パーセンタイル値の人でも手が届き、95パーセンタイル値の人でも腰を屈めずに見ることができる位置はどのくらいの高さか、というように考えるということです。

    もし「パーセンタイル値」ではなく平均身長だけを考慮してサイズを決めてしまうと、平均身長に近い人だけが快適に使えて、それ以外の人には使うこともできないサイズのものを作ってしまうことになるかもしれません。

    上の図は「身長に対しての各部の比率」と「身長を基準にした寸法」です。こういった知識はキャラクターをモデリングするときにも参考になりますが、作業台や工場の通路、家具などをモデリングするときにも参考にすると、進めやすくなるかと思います。

    <3>人間の「運動機能」を理解する

    人には力の入れやすい角度があります。例えば手首を傾けた状態と手首を真っ直ぐに伸ばした状態では、伸ばした状態の方が20%ほど力を入れやすいようです。また、椅子に座った状態での踏み出しの力も場所によって変化するそうです。足の力は位置によって随分ちがいますね。

    <4>人間の「視覚」を理解する

    視覚も大事な要素です。個人差はありますが人の視野範囲は180度くらいです。その範囲の中で、文字の認識限界は広くても20度ほどと視野に比べずいぶん狭いようです。

    離れた場所から文字や模様を見た場合、角が丸く見えたり、離れている箇所が繋がって見えてしまったりします。日本の地名はほとんど漢字ですので画数も多く、この変化も多く現れます。このような劣化を極力少なくして見えやすくすることを「オブジェクト・エンハンスメント」といいます。2010年から日本の道路標識は「オブジェクト・エンハンスメント」を利用した「ヒラギノフォント」(SCREENホールディングス)を採用しています。

    今回解説した内容以外にも、「色彩」や「聴覚」、「認識心理学」なども人間工学にとって重要な要素になります。また、機会があればお話できればと思います。


    今回の「人間工学のはなし」はこれで終わりにします。モデリングする際に参考にしてみて下さい。また、身の回りには色々な「人間工学」が隠れています。探してみて、「どうしてこんな形なのかな?」と、まず自分で考えてみると面白いと思います。筆者は硬貨の投入口の向きで勘違いをしていましたが、それでもどうして向きがちがうのかな?と考えるのは自分で物を作る人にとっては大事なことなのでは、と言い訳しておきます。

    それでは、次回は「エンジンのはなし」ということでエンジンのしくみについてお話ししたいと思います。次回もよろしくお願いします。

    参考文献

    書籍
    「人間工学の基礎」(石光俊介・佐藤秀紀 著、養賢堂)
    「デザイン人間工学―魅力ある製品・UX・サービス構築のために― 」(山岡俊樹 著、共立出版)
    「融けるデザイン ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論」(渡邊恵太 著、ビー・エヌ・エヌ新社)

    Webサイト
    人体寸法データベース 1991-92-寸法項目検索 | 研究チーム | 人工知能研究センター
    www.airc.aist.go.jp/dhrt/91-92/data/search.html

    Profile.

    大島夏雄/Natsuo Oshima(コロビト)
    株式会社コロビト 代表取締役、リードモデラー
    奈良県出身。多摩美術大学(絵画学科 油画専攻)を卒業後、数社のCG制作会社に所属しモデリングチーフを務める。その後、フリーとなり2009年7月2日に株式会社コロビトを設立。ゲーム、映画、アニメ、CMなど様々なジャンルの仕事を手がける
    colobito.com