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    日本における3DCG・映像教育の現状と課題を探るため、教育現場と制作現場、双方での経験をもつ方々に話を聞く本連載。今回は、サンフランシスコのAcademy of Art University(以降、Academy)でVisual Development(以降、Vis Dev)を教える伊藤頼子氏にご登場いただく。かつては自身もAcademyの学生としてイラストレーション(以降、イラスト)を学び、卒業後はDreamWorks Animationなどで様々な分野のBackground paintやVis Devに携わってきた伊藤氏。現在もフリーランスのVis Dev Artistとして精力的に活動中だ。「イラストもVis Devも、1番大切なのはストーリーテリングです。そのショットのストーリーに最適なレイアウト、ライティング、カラーを選び、ビジュアルでストーリーを伝えるという点は両者に共通しています。だからイラストからVis Devへの転向に違和感はなかったですね」と語る伊藤氏に、これまでの軌跡や教育に対する思いを伺った。

    Academyでは、生身のモデルを短時間で描写するドローイングが主流

    愛知県の美術館で開かれたPaul Brooks Davisの展示会で受けた衝撃が、自分をアメリカ留学に駆り立てたと伊藤氏はふり返る。「アメリカのイラストレーターは、美術館で作品が展示されるほど地位が高い。どうせやるなら、アメリカの大学で勉強したいと思ったのです」。リサーチと準備を重ね、当時は比較的学費が安かったAcademyに留学した伊藤氏は、様々なクラスを受講した。「透明水彩絵具、グワッシュ(不透明水彩絵具)、ペン、色鉛筆、オイル(油絵具)、アクリル絵具など、一通りのペイントを経験しました。人物の木炭ドローイングも何度となくやりましたね。現在のVis Devの仕事はデジタル中心ですが、Academyでは今もアナログのペイントやドローイングが必修になっています」。

    • 伊藤頼子/Yoriko Ito
    • 伊藤頼子/Yoriko Ito
      三重県出身。短大の英文科を卒業後、自費でサンフランシスコのAcademy of Art Universityに留学。イラストレーションを専攻し、1992年にBachelor of Fine Arts(BFA)を取得。卒業後は子供向け絵本のイラストレーション制作に携わる。ゲーム会社でのBackground Designer/Painterを経て、1997年からDreamWorks Animationにて映画『The Prince of Egypt』(1998)、『Spirit: Stallion of the Cimarron』(2002)などのEnvironmental Design(環境デザイン)やBackground Paint(背景画)を担当。2002年以降はVisual Development Artistに転向し、『Madagascar』(2005)でAnnie Award(アニー賞)にノミネートされる。その後も『Shrek 2』(2004)、『Madagascar 2』(2008)、『Shrek 4』(2010)、『Madagascar 3』(2012)などの制作に参加。2013年以降はフリーランスとなり、映画やゲームをはじめ、様々な分野の映像制作に携わる。Oculus Story Studioが発表したVRアニメーション『Henry』(2015)にもVisual Development Artistとして参加。Academy of Art UniversityのVisual Development Departmentにて後進の育成にも従事。
      伊藤頼子氏のWebサイト/The Art of Yoriko Ito

    日本の美術教育では、静物や石膏像などを数時間かけて描写するデッサンがトレーニングの主流となっている。一方、Academyをはじめとするアメリカの美術教育では、生身のモデルを短時間で描写するドローイングが主流になっているという。「Academyの場合は、講師が指導するクラスとは別に、毎日どこかの教室でモデルだけのドローイングセッションが開かれており、描きたい人は何枚でも描けるようになっています。モデルは裸体の場合もあれば、着衣の場合もあります。クイックドローイングなら2分、長くても20〜30分くらいで1枚を仕上げます。重視されるのはラインの流れです。フォームとボリューム(形)、ストラクチャー(構造)、動きなどを把握し、ラインの流れで表現します。そういう表現に慣れた私から見ると、日本の学生の人物デッサンは"固いな"と感じます」。

    Academyにも静物画のクラスはあるが、長くても3時間程度で終了するという。「重視されるのは光と陰影の表現。それから画面内にモチーフをどうレイアウト(構成)するかです。このレイアウトの力はVis Devでもすごく大切です」。

    Academyを卒業した伊藤氏は、絵本のイラスト制作、ゲーム会社でのBackground Design/Paintを経て、DreamWorks Animationに入社した。入社直後に担当した『The Prince of Egypt』の背景画はグワッシュなどを使ったアナログだったが、それ以後は段階的にデジタルへ移行したという。

    「アナログからデジタル、2Dから3Dの転換期に立ち会い、両方を経験できたことは素晴らしい財産になっています。現在の商業作品にはデジタルが欠かせませんが、アナログにはアナログの良さがあります。今でも週末には郊外まで足を伸ばし、アナログの風景画を描いています。Undo(やり直し)のきかない一発勝負のペイントなので、速く描くためのトレーニングになりますね」。アナログの絵を描けば描くほど、Academyの自身のクラスで学生たちのペインティングを修正する速度もアップしているという。

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    ビジュアルを通して、監督に影響を与えるのがVis Devの役割

    映画制作におけるVis Dev Artistの担当範囲は、初期段階で映像スタイルを追求するコンセプトアート、各シークエンスのライティングと色を指示するカラーキー、モデラーに提供するデザイン画、ストーリーの要所を詳細に描くストーリーピッチアートなど多岐にわたる。「1番大切なのはストーリーテリングです。ストーリーを読み解き、各場面の感情、時間、季節などを表すのに最適なレイアウト、ライティング、カラーをデザインしていきます。そうやってつくりあげたビジュアルを通して、監督に影響を与えるのがVis Devの役割です」。

    アメリカの映画制作では、監督1人のビジョンにスタッフ全員が黙って付き従うわけではない。スタッフ1人1人がアイデアを出し合い、監督に刺激を与え、ときにはビジョンを変革させてしまうようなクリエイティビティが期待されるという。「Academyのクラスでは、学生たちに4体のキャラクターと、2点のカラーペインティングの課題を出しています。ペインティングの課題では、監督を大きく刺激するようなダイナミックなレイアウトを心がけるよう指導します。そういうペインティングで自分の実力を披露しなければ、スタジオに採用してもらえないからです」。

    伊藤氏のクラスは1回3時間、週1回のペースで14週にわたって実施される。「受講する学生は18人で、Senior Graduates(学部2年後期)からMFA(美術学修士課程)までが混在しています。MFAは卒業プロジェクトの一環として私のクラスを受講するので、プロジェクトのためのキャラクターやカラーペインティングを制作します。Senior Graduatesの場合は、『ピーターパン』や『不思議の国のアリス』など、既存の物語を脚色したストーリーに沿って課題をつくります」。

    例えば『人魚姫』の舞台を1800年代の日本海にしても良いし、『ピノキオ』の登場人物を擬人化した犬にしても良いという。「その話の内容に沿った時代、場所、設定の映画や写真を収集し、綿密なリサーチを重ねることが大切です。集めた情報から自分なりのイメージを膨らませ、キャラクターをデザインし、世界観を構築し、カラーペインティングを描きます」。

    キャラクターを上手に描ける学生は多いものの、それをカラーペインティングの中に的確にデザインできる学生は少ないという。「良いカラーペインティングを描くには、まずストーリーに沿ったレイアウト(構成)のデザインが大切です。レイアウト、ライティング、カラーといった基本が備わっていなければ、そのショットのFocal Point(見せ場)を表現できません。この点は、アナログや2Dの時代から全く変わらない原則ですね」。

    伊藤氏は学生たちのカラーペインティングをどんどん上描き(ペイントオーバー)することで、何が良くないのか、どうすれば良いのかを伝えるという。「1人あたり10分程度で、何がFocal Pointを邪魔しているのか、何故ごちゃごちゃして見えるのかなどを説明しながら直していきます。ダイナミックに見えるレイアウト、明度と彩度のコントロール方法、パースペクティブなど、口で説明するよりも、自分の作品を直しながら説明された方が納得してくれますからね」。

    2013年から今日までのAcademyでの指導は、それなりに苦労もあるが、楽しく光栄な体験だと伊藤氏は語る。「AcademyのVis Dev Departmentの設立とほぼ同時期に指導を始めたので、参考にできる事例が少なく、最初は手探り状態でした。私の指導は厳しいと思うのですが、やる気のある生徒はどんどん作品を送ってくれます。一生懸命に批評をして返していると、すごく喜んでくれる。その経験を通して、私の考え方や技術が整理されていき、Vis Devの仕事にも良い影響が出ています」。いずれは自身の経験を日本の学生にも伝えたいと語る伊藤氏。引き続きの活躍を応援していきたい。

    TEXT_尾形美幸(CGWORLD)
    PHOTO_弘田 充