アパレルブランドJILL by JILL STUARTが、ブランド15周年企画として、AR制作ツール「Planetar(プラネター)」をテスト導入。バーチャルに衣装の試着やバッグのディテール確認が行える先進的コンテンツを、展示会とオンラインコンテンツで展開した。ブランドの顧客ロイヤルティを向上させ成功裏に終わったこの施策、ボーンデジタルはARコンテンツ開発をサポート。ここでは、アパレルにおけるデジタルデータの活用アイデアからAR実装に関わるテクニカルなポイントまでを、詳細にお届けする。
アパレルのDXを牽引するTSIの取り組み
CGWORLD編集部(以下、CGW):今日はよろしくお願いします。まずは皆さんの自己紹介をお願いします。
藤田裕美氏(以下、藤田):藤田です。展示会やECサイトなどでの3D画像作成、活用提案、人材育成を行なっています。
桑原亮子氏(以下、桑原):藤田と同じ所属先でテクニカルリーダーを担当している桑原です。3DCG全般から新規取り組みの検証、2Dパタンナーツールの管理・サポートを行なっています。
尾身麻里奈氏(以下、尾身):JILL by JILL STUARTでPRと制作を担当している尾身です。「今日よりも華やかな明日のために」というパーパスを掲げて、洋服や雑貨の製作・販売を行なっています。
村田智洋氏(以下、村田):ボーンデジタルソフト事業部でサポートを担当している村田です。今回、ARコンテンツ制作の技術サポートを担当しました。
村田智洋
ボーンデジタル
ソフト事業部 サポートチーム
CGW:TSIさんはどういった企業なのでしょうか?
藤田:当社は50を超えるブランドを国内外で展開し、アパレル事業を中心に、飲食やコスメなど、ファッションと親和性の高い事業を運営しています。2022年4月にパーパス「ファッションエンターテイメントの力で世界の共感と社会的価値を生み出す。」を掲げ、時代の流れを先取りする企業を目指しています。
CGW:なるほど。藤田さんはそうしたアパレル事業の中で3DCGの活用を推進するお立場ということですか?
藤田:そうですね。従来のアナログベースでの衣装開発から3DCGに移行する推進役をやっています。具体的には、アパレル向けの3Dファッションデザインソフト「CLO」を使って2Dのパターンから3Dモデルで衣装デザインを起こすというワークフローで、当社では5年近く推し進めています。今では当社内でもCLOで開発を行うブランドも出てきていますよ。
CGW:CLOを使えば、3DCADのように衣装がデザインできるんですね。
藤田:はい。TSIでは現在、90%以上のデザイナー・パタンナーがCLOの基礎講習を終えていて、すぐに業務内で使用可能な環境が整っています。CLOを採用するメリットは、衣装に重力を適用できることと、アバターに着せることで非常にリアルな着用感を再現できることです。
CGW:試作段階をデジタルで詰めることができるということで、生地の使用量も減ってSDGsにも貢献しますね。
藤田:その通りです。デジタルは着地点を素早く共有できるので実サンプルをつくる必要がなく、資源や時間のロスを減らせています。
CGW:CLOのデータをデジタルのまま活用するという方向性もありますか?
桑原:その点では、今年の5月、CLOの開発元とEpic Games社(ゲームエンジンUnreal Engineの開発元)が相互投資したというニュースがありました。現在はCLOとUnreal Engine間のライブシンク機能を開発中とのことで、期待しています。
CGW:新しいビジネスチャンスになりそうですね。
桑原:将来はデジタルマーケットにおけるファッションビジネスも容易になると考えています。当社もPoC(Proof of Concept、試作開発前に行われる検証プロセス)の延長で3Dデジタルデータの活用の場を継続検討中です。
CGW:こうした流れはすでにアパレル業界全体に広がっているのですか?
藤田:いえ、アパレル業界は他業界よりもDX化が遅れていると思いますね。その理由はおそらく、実サンプルや実商品でしか確認ができないという固定概念に縛られているからかな、と。ただ、コロナを機にアパレルECの市場規模が増加していますから、その変化に対応するにはデジタル化は避けて通れないと思っています。
CGW:確かに。ここ最近のAIの発展速度からもそれが窺えます。
藤田:そうですね。例えば、プレス(商品広報)やデザイナーが行なっている接客やWebでの商品説明などもAIがこなしてしまう時代があっという間に来てしまいそうです。
JILL by JILL STUART15周年企画
展示会にARを導入
CGW:JILL by JILL STUARTの展示会でARコンテンツを導入された経緯を教えてください。
尾身:私が所属するデジタルジェネレーションディビジョンは、デジタルを使った新しい施策を取り入れるという命題を持った部門です。今回、JILL by JILL STUARTの15周年企画ということで、古いものを新しく見せることと、時代に合った新しい手法を取り入れるということをテーマに決めました。様々な選択肢を検討して、コスト面での折り合いを含めてAR導入に踏み切りました。
CGW:なるほど。AR作成ツールとしてPlanetarを採用した理由は何ですか?
桑原:操作性ですね。ほかのARツールも候補に挙がったのですが、操作性が一番良かったのがPlanetarでした。選定の理由は他にもいくつかあって。WebARなのでお客様にアプリをインストールしてもらう手間がなくブラウザ上で体験できること、ライセンス不要で誰でもアクセスできること、アクセス数がカウントされること、スムーズに商品ページに飛んでくれること、データの編集画面や管理画面の操作がしやすいことなどですね。
CGW:展示会では実際どのようにARコンテンツを使ったのですか?
尾身:15周年を記念した復刻商品として、真っ白なボディを5体とバッグを並べ、合わせてデジタルサイネージのディスプレイパネルでもカラー展開などがわかる映像を放映しました。各アイテムにはQRコードを表示するようにしてあって、それをスマホで読み取ると、ARで試着ができるコンテンツを体験できます。
CGW:展示会に来られない方向けの施策も用意されたのですか?
尾身:はい。Webコンテンツをつくって、Instagramなどで告知しました。WebコンテンツにはARに遷移するボタンを設置してあって、実物がなくてもARで商品の閲覧と購入ができるようにしています。Instagramはその宣伝と告知を目的に、ARを使ってこんなことができるよという動画を投稿しました。
PlanetarでのAR実装に至るまでのワークフロー
CGW:ここからは具体的なコンテンツの制作フローを掘り下げていきたいと思います。まず、全体的なワークフローを教えてください。
桑原:ながれとしては、CADで作成したパターンデータとxTexで撮影した生地の素材をCLOに取り込んで3Dモデルを起こして、データを書き出します。そのデータをBlenderとPhotoshopで軽量化してPlanetarに渡し、ARコンテンツの編集作業を行います。
CGW:データの軽量化は、どういった条件だったんですか?
桑原:10MB以内です。ポリゴンのリダクションはBlender、テクスチャの解像度を下げるのはPhotoshopで行いましたが、軽量化によってお客様の体験品質が下がるわけですからかなり気を遣いました。AR画像のクオリティと実商品との差が出ないようにデータを何度も行き来させて比べて、その着地点を決めるところがとても難しくて苦労しましたね。
CGW:難しい判断を求められる作業ですね。アイテムごとに「ここはポリゴン数を減らしたくない」というところもありますよね?
桑原:その通りです。リダクションは一元的にやらず、「この部分ならポリゴン数は減らさないで、テクスチャの解像度を下げるだけのほうが良いね」というふうに、個別に判断しました。
CGW:バッグの金属パーツなどはどうしたんですか?
桑原:金属パーツはBlenderで、オリジナルでつくっています。この部分はこだわりのポイントですね。Planetarでの実装では、こうした金属パーツの光沢の出し方にも苦労しました。
CGW:ボーンデジタルではどういったサポートを行われましたか?
村田:CLOからデータを書き出してPlanetarに乗せるまでのワークフローの構築をお手伝いさせていただきました。まずはCLOからFBXで書き出す際に、CLO側でどこまで削減してから書き出せば良いのか、そこの設定を一緒に詰めさせていただいて。
桑原:私たちとしてはCLOのデータをAR化するのは初めての試みでしたから、ワークフローから一緒に取り組んでいただけて心強かったです。
村田:ありがとうございます。書き出したFBXはBlenderで軽量化するのですが、今回特にバッグの金具パーツやスティッチ(縫い目)など曲面が多い部分のポリゴンがとても多かったので、Blenderのデシメーション機能を使ってリダクションすることにしました。ただ、スティッチの部分は画像にして減らそうとしたところ、ぼけてしまって立体感が損なわれてしまいました。ARは近寄って見ることが多いので、ポリゴンを減らしすぎてディテールが失われないように何度も調整しました。
桑原:トライ&エラーを繰り返す局面で、村田さんには何度も相談に乗っていただきました。
村田:一方で、とてもスピーディに進行できたアイテムもありました。CLOからGLB形式(GL Transmission Format、glTFで保存した3Dモデル)を直接書き出せるので、スティッチがないシンプルな構造のアイテムはGLBをそのままPlanetarに乗せることができたんです。
CGW:今回PlanetarでARコンテンツ制作に携わってみて、アパレルでのAR活用で気を付けるべきところはありましたか?
尾身:まだ一般の方々にまでARが浸透していない部分もあって「AR? 何それ」というような初見のリアクションも多く、説明が必要でした。それとアパレル、特に洋服のAR試着はひとりではできなくて、撮る人と撮られる人のふたりが必要になります。フィッティングをきちんと行うためには、私たちが最後の微調整を行わないといけないんです。なのでゆくゆくは、お客様がひとりでも体験できる、自動で体を認識して吸着するような仕組みなどが備わってくれたら嬉しいですね。
CGW:なるほど。素材の質感などで今回見送った表現などはありますか?
桑原:クリスタルなどの透過パーツの屈折や、ファーの表現などでしょうか。色合いや素材の質感はアパレルではやはり重要ですので、これからの進化に期待したいですね。
ARからアバターまで3Dデータ資産を有効活用
CGW:今回、Planetarを導入した効果はいかがでしたか?
尾身:「へぇ、JILL by JILL STUARTはARやってるんだ」と、ブランドの顧客ロイヤルティ(信頼、愛着)向上に繋がったと思います。おかげさまで、現在ARコンテンツを活用しているボストンバッグとコートは売り上げも好調で、バックは予約開始週のランキングが全品番中1位(5日間で約100点の予約)となりました。ARのクリック数はバッグが1,900、コートが1,100ほどと上々な結果でした。
CGW:JILL by JILL STUARTのデジタル化全般について、現在とこれからの取り組みについて教えてください。
桑原:現在、CLOをベースにしたオリジナルアバターの作成に取りかかっています。また、ローンチ済みですが、バーチャルフィッティングを様々なかたちでPoC(試作開発前に行われる検証プロセス)しています。
尾身:ゆくゆくは、例えばVTuberに衣装提供するようなこともしたいですね。芸能人に服を着てもらうプロモーション方法のデジタル版です。PoCのご提案は各社様からいただいておりまして、随時検討しています。JILL by JILL STUARTの3Dデータ資産を有効活用していきたいので、視野を広く検討を進めていきたいと思います。
CGW:次の展開も期待しています! 本日はありがとうございました。
TEXT__kagaya(ハリんち)
EDIT_柳田晴香 / Haruka Yanagida(CGWORLD)