『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011/脚本)、『さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018/脚本・監督)などの代表作を持つ岡田麿里監督と、『呪術廻戦』、『「進撃の巨人」The Final Season』、『チェンソーマン』などの代表作を持つアニメスタジオ・MAPPAがタッグを組んで制作した映画『アリスとテレスのまぼろし工場』(2023)。
その公式美術画集『アリスとテレスのまぼろし工場 公式美術画集』が2024年4月に発売された。
今回は、本作で美術監督を務めた東地和生氏、3Dディレクターを務めた小川耕平氏(株式会社Marco代表取締役)に、公開から1年近く経った今だからこそ語れる制作エピソード、本作における情感ある画づくりや作品への想いについて訊いた。
『アリスとテレスのまぼろし工場 公式美術画集』
監修:東地 和生
定価:3,960円(本体3,600円+税10%)
発行・発売:株式会社 ボーンデジタル
ISBN:978-4-86246-585-6
総ページ数:208ページ
サイズ:A4横判
発売日:2024年4月下旬
URL:https://www.borndigital.co.jp/book/9784862465856/
まだ頭が世界から抜け出せていない
ーー本日はお時間をいただきありがとうございます。前回の記事では、小川さんから3DCGや撮影のテクニカル面について語っていただきました。今回は美術画集の発売を記念して東地さんから美術へのこだわりや画集での見どころ、その背景や制作秘話をお聞かせください。劇場公開から1年弱、
東地和生氏(以下、東地):そうですね……公開や配信を迎えての変化、という部分だとないですね。もちろん、お客さんの反応は気になるし、X(旧Twitter)を見ることもありますけど、作品が離陸した後はもう見守るしかないので。ただ、未だに頭から「まぼろし工場」の世界が抜けないんですよね……。
ーー「まぼろし工場」の世界が抜けない?
東地:まだどこか見伏(※本作の舞台となった、製鉄業を主産業とする田舎町)に居るような感覚があるんです。映画の公開から半年以上経って、そろそろ次のメインとなる仕事に集中しないといけないタイミングになっているんですけど、制作の4年間にどっぷり浸かっていた「まぼろし工場」の世界が頭から抜けなくて。
ーー「世界」が抜ける前と抜けた後というのは、ご自身の内面的にどのように違うのでしょうか?
東地:次の仕事にとりかかるには頭の中で新しい世界を構築しないといけないのに、なかなかそうできない、といった感じでしょうか。
すでに出来上がった世界の上で、技術や理論で画づくりをするような仕事は問題なくできるのですけど、作品の世界を構築していくとなると途端に描けなくなってしまう。技術と経験で画を仕立てること自体はできるけど、でっち上げたうわべだけの世界では当然ダメ、というところで絶賛苦しみ中です。
岡田監督との前作『さよならの朝に約束の花をかざろう』の時もそうだったんですけど、どっぷり浸かった世界から抜けるのが本当に下手で……。
ーーそのような東地さんの「世界が抜けない」というのは、共にお仕事をされている小川さんから見ても感じられますか?
小川耕平氏(以下、小川):東地さんとは『Charlotte』(2015)から10年来の付き合いになるのですが、昔からこうですね。次の作品が動かないと作品の世界から帰って来ない。なので「まぼろし工場」から帰って来ないと聞いても「これは次の作品が動き始めないと無理じゃないかなぁ」と。
東地:ふぬけになっちゃうんですよ。4年間「見伏」という町を頭の中に描き続けて「つくった」「考えた」を超えて、「ある」と認識して、ひたすらにそこを散歩するようになっていたから。今でも頭の中に見伏はあるし、見伏の中に頭が入っちゃっているので、なかなか抜け出せないんです。
ーー東地さんは『凪のあすから』(2013)を手がけられた際に「作品に入れ込み過ぎてしまった」、「マネージャーが担当アイドルに惚れてしまうようなことをしてしまった」と話されていましたが、世界から抜け出せないというのはそのような感覚とは違うのでしょうか?
東地:『凪のあすから』は苦手なファンタジーを描くために僕の立場でやれることは全て出し切って世界観を構築しました。背景だけでなく全てのスタッフが一丸となって「良い作品をつくった!」という実感がありました。
しかし放送直後は話題にならなかった。くやしくて失恋したみたいになっていました(笑)。ところが一昨年辺りから「『凪のあすから』を観てこの業界に来ました」という若い人、それも少なくない数の人に出会ったんですよ。逆算すると彼らは当時中学生なんです。
『凪のあすから』は「10代の人たちに向けての作品世界」を明確に意識していたので「響いて」いたことに嬉しさよりも驚きが大きかった。
アニメは商業なのでどうしても人気=売り上げで判断され消費されてしまいがちですが、お小遣いではBlu-rayやDVD、グッズを買えなかった「数」に表れない若い世代に確実に届いていた。それを理解しました。
良いものをやり切ることに腰を据えられるようになって、世に作品を送り出した後のことは1年2年ではわからないなと思うようになりました。公開前後での心境の変化がないのは、こうしたことがあったからです。
ーーなるほど。
東地:世界から抜け出せないというのはこれとは別の話で、画業を25年以上やっても未だに慣れない、時間でしか解決できない問題ですね。
技術と手を取り合って世界を創った手応え
ーー「まぼろし工場」での手応えはいかがでしたか?
東地:手応えは確実にあります。アニメを集団で制作していると、スタッフの気持ちの流れみたいなものを感じることがあるんですけど、『アリスとテレスのまぼろし工場』には、確実に意味が詰まったものを作り上げたという実感があった。
もちろん技術的には1カットずつ見れば「もっと直したかった」という部分は当然あるんですけど、悔いはない。……と思うんですけど、小川さんはどうでした? とてもじゃないけど「そんなことないよ」とは言えない流れにしちゃいましたけども(笑)。
小川:いやいやいや(笑)。やっぱり、詰められるところまで詰めた映像だっていうのは、実感しながらつくっていましたよ。特に、光の描写や夜の闇なんかはテレビシリーズでは見られない、劇場映画ならではの画だと思っています。
ーーそうした夜闇や光を創りこめたのは、東地さんが美術監督だけでなく光源設計までを担当されたからなのでしょうか?
小川:もちろん。
東地:小川さんたちの力がないと絶対にできなかったですよ。今回の作品は3DCGと背景美術の連携はマストということを最初から言っていて、そこで小川さんとご一緒できたからこそできた。
作品が求めていることを従来の方法で具現化しようと思ったらトップクラスの画力を持つスタッフに何年もかけて描いていただかないと無理なんです。とんでもない数のタイトルが動いている現在、それだけの人数を集めるのは不可能なことです。
そういった問題を小川さんたちの技術でカバーし、理想の形を具現化していただきました。小川さんたちや若いMAPPAの背景スタッフの人たちの熱量が画面に表れていると思うんですよね。
ーーそれこそ東地さんは手描きアニメの到達点とでもいうべき作品『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)に感銘を受けたと語られています。そうした手描きの美術を嗜好する感覚からも、3DCGと手を取り合って創った本作の美術に充足を感じますか?
東地:自分は14歳のときに観た『王立宇宙軍 オネアミスの翼』がきっかけでこの業界に入りました。「王立」はもう35年も前の作品なわけですけど、35年経った今観てもやっぱりすごいんですよね。
よく言われるようにディティールはすごいんです。ただ、それよりも込められた熱量がすごい。あの映画に集まった人たちが、これは絶対に間違いないんだという迷いのない意志を画面に込めている。その筋がしっかりしているんですよ。
技術がありながら、技術をごまかしに使っていないんです。その上で描かれるスケールに14歳の自分はあてられてしまった。それを自分もいつかはやりたいと思ってきていて。……って、あまり「王立」の話ばかりしてもしょうがないんだけど(笑)。
ーー時間が許すなら東地さんの王立トークをずっと聴いていたいところですが(笑)。そうした、かつての東地さんが憧れた迷いのなさ、熱量、意志を込められた感覚が本作の制作にはあったということですね?
東地:そうですね。だから、監督がやりたいことを素直に背伸びせずに積み上げて。その作品自体が求めてくる絵を具現化していくことをやれたかなと思います。
見伏という町に対して、観客に「自分たちが住んでいる世界とつながっている気がする」と思ってもらいたい、違和感なく没入してもらいたいという意識だけで創りました。
胸を張って「観てください!」と言える作品
東地:『アリスとテレスのまぼろし工場』をご覧になっていかがでしたか?
ーー不思議な映画だと思います。爆発する製鉄所に始まり、朽ち果てた製鉄所に終わる。どちらにも共通して登場するキャラクターはおらず、変化が描かれるのは製鉄所だけ。タイトルも「まぼろし工場」だし、東地さんがキャスティングした製鉄所が主人公のアニメ映画だな、と思いました。
東地:え? そうなんですか? 製鉄所が主人公だと意識したことはなかったな。お客さんによってはそういう風にも思える……のかもしれませんね……。
小川:言われてみると……。
ーー制作されている最中は、製鉄所という主演を担当している感覚はなかったのですか?
東地:その感覚はないですね(笑)。作品って生き物なんですよ。もうね、動き出すと手がつけられない怪物なんです。
ただ作品が求める通りに自分を吐き出すという感覚で描いていたので、もしそういう印象を受け取られたのだとしたら、あくまで、いろいろな人を巻き込んだ「結果」としてそうなったに過ぎないのかな、と。
ーー東地さんが手がけた製鉄所だけが劇場で大映しになる中で、悠然と中島みゆきさんの『心音(しんおん)』が流れるわけですが「自分が描く製鉄所が主人公だ!」という感覚はありませんでしたか?
東地:一切ないです。今、言われて初めて気がつきました。エンディングも「言われてみればたしかにキャラクターがひとりもいないな」と……。
小川:今言われて思うと、確かに。
東地:特別何かをやってやろうという意識は皆無ですね。作品という生き物が望む通りにスタッフ一丸でやることをやり、捧げるものを捧げた結果です。どう受け取るかはお客さんそれぞれですね。
ーーそんな製鉄所を舞台にするよう岡田監督に推薦したのは東地さんだったと、本書を含むインタビューなどで語られています。そこに至るまではどのような流れだったのでしょう?
東地:岡田監督の前作『さよならの朝に約束の花をかざろう』の際に、非常に良い作品ができた実感があったんです。自分には、オリジナルなものや新しいものをつくっていくチャレンジャーでありたいという気持ちがあって、岡田さんの仕事はチャレンジの塊です。
それなのに「さよ朝」を終えた直後の岡田さんからは「アニメ監督をやらせてもらって良い経験をさせてもらった、脚本業に戻るか」という空気を感じたんです。だから僕は「いやいや、また監督をやってよ」と。
そうしたら「やりたいお話があるんだ」と、過去に途中まで書いたという小説を渡されて。読んだら「え、工場……?」「アニメにするのが難しいどころか、やっちゃダメなやつじゃん」と(笑)。
ーーまた監督やってよ、と東地さんから言ったにも関わらず?
東地:だって工場を舞台にした時点で、どれだけの物量、作業量が必要か容易に想像できるわけですよ!
その労力を考えると、とてもじゃないけど普通のアニメをつくる感覚ではできないことが想像できちゃう。できちゃうんだけど、岡田監督は常にそこにぶっこんできて、描いたことがないものを要求してくる。それって、自分にとってもチャレンジなんですね。
「まぼろし工場」は初期のプロットではセメント工場だったんですが、岡田さんから「煙を大量に出したい」と相談され、僕の方から製鉄所を提案しました。リアルな話をすると、現代の製鉄所はそれほど煙は出ないのですけどね。イメージ優先です。
ーー『さよならの朝に約束の花をかざろう』のインタビューでも「マジッすか」「えらいものを引き受けてしまった」と思ったと話されていましたね。
東地:最初は本当に嫌でね(笑)。キャストさんたちが集まって読み合わせをした時にみなさんが号泣しているのを見てようやく「この作品はすごいのかもしれない」と感じ、岡田監督に「いろいろ文句を言ってすみませんでした」と言いました。
「さよ朝」が終わった頃には作品の世界から抜けられないほど作品に入り込んでいました。だから、ファーストインプレッションでの「嫌だ」は通過儀礼なんですよ。「凪あす」も「さよ朝」も「まぼろし工場」も、全て「嫌い」からスタートしています(笑)。
ーー東地さんほどのキャリアでもそう思われるんですね。
東地:描きやすいもの、創りやすいものばかりをやっていたらダメになってしまいます。もし描きやすいようにだけ描いたら自分は青空の絵ばかりを描いて、「まぼろし工場」のような曇天や夜空は描かないと思います。
やったことがないものをやるからこそ表現の幅が広がるし、次のチャレンジもできる。ことごとく大変で描きたくない絵ばかりを要求してくる物語でしたが、自分にとって「まぼろし工場」はとても大切で胸を張って「観てください!」って言える作品になりました。
1回24時間のレンダリングを何度も繰り返す
ーー『アリスとテレスのまぼろし工場』の美術まわりで、ご苦労されたことや印象深いエピソードがありましたらお聞かせ願えますか?
東地:夜に車が走り回るシーンとか……。小川さんたちは本当に苦労したと思います。
小川:あれは……単純に素材もめちゃくちゃに多かったですからね。
東地:観ている人にとっては、ただ自然な映像なので大変には見えないと思うんですけど、アニメをつくる上で夜に車が走るシーンはかなり難易度が高いんですよ。
現実で車を走らせるのと違って、アニメだと全部素材を用意して、BOOK(背景とは分けた素材の形式)にしないといけません。しかもヘッドライトが付きます、テールランプも付きます、地面にランプの照り返しがあります。そのたびにBOOKが増えるし、車だから動くわけです。
美術と撮影と作画と3DCGががっちり組まないといけない。本当に難しいんです。あれは小川さんたちがいないと絶対に無理なシーンでした。
小川:特にワゴン車がお尻を振りながら坂道を下っていくシーンとかは本当に大変だったんですよ。大小のライトひとつひとつのBOOKの範囲を決めて、マスクを切って、それを3D空間上で配置して、動かして、っていうのをひたすら地道にやっていかないといけなくて……。
ーー苦労したシーンは車のシーンとなるわけですね。
東地:車だけじゃないですよ。例えば、製鉄所に落ちた影が傾く長回しのラストカットは、小川さんたちが必要不可欠な3DCGありきのカットでした。この時間帯はこういう光が差して影が落ちて、こういう画になるというのはわかるんですけど、それを動かすのは小川さんたちにしかできない。
小川:逆に僕らは、3DCGとして動かすことはできるけど、それが映像として、画としてどう見えるかという部分はわからないんです。
ーー東地さんは「画は見えるが動かせない」、小川さんは「画は見えないが動かせる」。相補的に映像を作り上げていかれたわけですね。
東地:僕が背景は描けるけどキャラクターを描けないように、アニメって持ちつ持たれつ、お互いの長所を持ちよる世界なんです。小川さんとは「さよ朝」でご一緒して実力を知っていたので、「まぼろし工場」ではそれを前提に織り込んでの画づくりでしたね。
小川さんたちが一定のクオリティのものを出してくれるからこそ、作業量をうまくコントロールできました。
小川:そうですね。最初に「まぼろし工場」の話をいただいた時から、こちらに結構任せていただいたと思います。
例えば製鉄所の内部は、まずわれわれがテクスチャを貼って光源の処理も施した背景の3D素材を用意して、そこに東地さんたちからレタッチをいただくやり方でつくっていきました。テクスチャの貼り込みは1週間くらいかかりましたね。
東地:小川さんなら、この美術ボードも再現してくれるとわかっていたので。
小川:ホントですか? 今まで何も言われませんでしたけど(笑)。
東地:それこそがうまくいっているってことなんですよ(笑)。小川さんは本当に指示通りの画をつくってきてくれるので、僕からはリテイクを出しませんでした。「あとは副監督の平松禎史さんと進めてもらえれば」としか言うことがないんです。
小川:だから、東地さんとはたぶん相性が良いんでしょうね。
ーーそれぞれの立場から一番苦労したパートやビジュアルを挙げるとするとどれになりますか?
東地:一番を上げるとするなら、高炉建屋内部の設計、つまり表紙のイラストの場所ですね。設計後に3D化をお願いしました。これが決定した後は見伏の世界に入りこめていったんですが、それまでが大変だったので。
小川:僕は先ほどのラストカットですね。長回しで光の変化を描いて、影を移動させてというだけでもひと苦労なのですが、劇中の製鉄所から朽ちたところがあったり、植物が生えていたり、仕込みからすでに大変でした。
東地:ラストカットは、時間的にもギリギリでしたね。制作順としても最後に手がけたカットで、これ以上調整すると間に合わないというところまで追い込まれていたんです。しかもリテイクするたびにレンダリングし直さないといけないんですけど、1回のレンダリングに24時間かかると言われて。
小川:リテイクが出されるたびに「また24時間かけてレンダリングですか?」と(苦笑)。
東地:もう残り24時間を切りそうなタイミングになってもリテイクし続けて「このままレンダリングし直したらV編(ビデオ編集)に間に合いませんよ!」と。
ーーそのラストカットはどのような点で難航したのでしょうか?
東地:画はバッチリでした。僕は時間経過で製鉄所の中にはこういうふうに光や影が落ちるというのを6段階分くらい美術ボードに起こしてお渡しして、止めの画としては本当に理想通りのものを上げていただいたんです。だから、僕はリテイクを出しませんでした。
小川:東地さんの美術ボードは光源がすごく精密なので、3DCGでリアルに計算したものとあまり差異がありませんでした。
東地:ですので、美術監督の僕としては申し分なかったんですけど、アニメは映像なので動きがあるわけです。そしてラストカットには、中島みゆきさんが歌ってくださった『心音(しんおん)』もあります。その歌声が聴こえ始める瞬間と画のタイミングを狂いなく合わせたいと平松さんが当然こだわります。
窓から差し込む光が床に伸びていって、太陽が山に沈み、下の方からぐーっと影が滲んでふっと闇が訪れた瞬間に歌が始まる……それが一番良いタイミングだってことが平松さんには見えているから、ひたすらその調整をしていました。時間経過が早いところと遅いところをつくって画が訪れる瞬間を微調整微調整微調整して……。
小川:3DCGに忠実にシミュレーションすると落ち影はこのタイミングで入ってくるんですけど、それだとタイミングとしては気持ち良くはない、みたいなことがあります。そういう時は少しずつ嘘をついて調整しました。
東地:小川さんは僕と平松さんの2人分の要求を受けないといけないから大変ですよ。小川さんはずっと平松さんと苦闘していましたね。
小川:平松さんからリテイクが出るたびに直して、24時間かけてレンダリングをして……。本当にギリギリまでやりましたね。『心音(しんおん)』のイントロを何回聴いたことか。
ーーそうして調整を重ねて完成した映像を観た時はいかがでしたか?
東地:もう、納得ですよ。これしかないというタイミングで、そこはさすが平松さんだなと。
ーー他にも大変だったシーンを伺えますか?
東地:オートスナックのところですかね。背景スタッフはもちろん、小川さんたち、撮影さん、作画スタッフの力技でちゃんと成立していますが、とんでもないことをしていました。
壁は全部ガラスで映りこみがあるし、ガラスの向こう側が見えて、奥にある駐車場には雪も降っているし、照明も色の異なる赤と青の光で2人のキャラクターを照らしているし、自動販売機もあるし、それも映りこんでいるし……。
平松さんが「2人の心情を視覚的に演出したい」と。しかも平松さんはこれを立体で、3DCGで動かすと言うんです。小川さんは凄まじい苦労をしたはずですよ。
小川:ガラスへの映りこみをアニメで描こうとすると、映りこんでいるものの分だけ素材が必要になるんです。このオートスナックは壁一面がガラス張りですから、中にあるもののほぼ全部が映りこむわけです。
東地:もう一部屋つくるようなものですね。
小川:素材が倍必要になります(笑)。しかも鏡の向こうもあって。
東地:制作の裏ではいろいろな人が悲鳴をあげていましたね。
小川:その苦労がお客さんにバレないで、自然に観てもらえたら良いです。
「このアニメは背景がすごい!」と思われてはダメ
ーー普通のアニメファンの自分は解説されないと気づきませんでしたが、1枚の背景にも血のにじむような努力があるのですね。
東地:ただ、背景に対して「すごいことをやっている!」なんてわれわれは思われたくはないんです。背景はアニメを違和感なく観るためのものでしかないので。
小川:さっきのオートスナックのシーンもすごく苦労しましたけど、お客さんの目は背景に向かってはいないですよね。
東地:佐上睦実を見ている。これが、背景のわれわれにとっては成功というか、目指すものです。この作品はそういう「気づかれないけど裏でいろいろな人がたくさんの努力を重ねている」シーンだらけですね。
普通に歩いているように見えるシーンでも、よく見ると足元に影が落ちている。普通は足元を映さずに誤魔化して逃げるのにあえてやるし、影から出たり入ったりもする。違和感なく、その空間にキャラクターがいるはずです。でも、そんなすごさも観始めて5分も経てば慣れます。それが正解なんです。
ーー東地さんは以前から「アニメの背景美術はサッカーでいうゴールキーパーのようなもの」と話されていますね。
東地:「ゴールキーパーの大活躍が印象に残る試合」というのは、基本的に劣勢なわけですよ。背景美術はすごさに気づかれず、普通に観られちゃうのが一番良い。オートスナックのシーンだってつくる側は本当に大変でしたが、そんなことよりも、物語に、キャラクターの心情にお客さんの気持ちが向いてほしい。
ーー主人公とヒロインのキスという盛り上がるシーンで、観客に「オートスナックのガラスの反射はすごいな……」と思わせるわけにはいかないというわけですね。
東地:そうなっちゃうと失敗です。もちろん、どれだけ大変なことをやっているのか同業者が気づいて、どうやってつくったんだと聞かれることは嬉しくもあるんですけど、お客さんに苦労が気づかれて物語のノイズになってはいけません。
背景美術はどこまでも作品に求められるものを捧げて、観客には気づかれない裏方でいいんです。
ーー近年、アニメの背景美術が注目され、背景がある種の主役として扱われることも増えてきました。そのような裏方意識に変化はありませんか?
東地:僕にとっての背景美術は物語のための世界。作品として感動していただければそれが一番嬉しいですね。何も変わらないです。もちろん、背景美術を見たい人、喜ぶ人がいるのは良いとは思いますよ。作品はお客さんのものですから。
ーーそうした哲学に至ったきっかけは何かあるのですか? 過去に今敏監督から「作品を見て、感情を詰め込むのはお客さんなんだ。われわれではない。われわれは、どれだけ感情を詰め込まれても壊れない、強固な器をつくる仕事なんだ」と言われ「それが自分の中にバシっとはまった」というエピソードを語られていましたが、その延長なのでしょうか。
東地:作品を重ねるにしたがって今はちょっと思うところがありまして……。先ほども熱量の話をしましたが、結局人の心を動かすのは人の気持ちなのかなとも、最近は思っています。
隠しても漏れ出てくるもの。気持ちを入れるなって言われたって、やっぱりどこかしらは入っちゃいますからね。気持ちを全く乗せずにAIみたいに絵を描けるかと言ったら、やっぱりそれは土台無理な話です。ねらってできる類のものではありません。
ですので基本的には「器をつくる」ことに変わりありませんね。世界観をつくって、その中にお客さんに没入してほしい。お客さんがどんな感情を詰め込んでも壊れない器をつくる。それがわれわれ背景スタッフの仕事だと思っています。
ーー本作はトップクラスの画力をもつスタッフに、何年もかけて描いていただかないと無理なビジュアルを小川さんたちと3DCG技術で実現されていますが、四半世紀近く背景美術をされてきた東地さんは、技術の発展とこれからのアニメの背景美術をどのように捉えられていますか?
東地:僕はアニメの3DCGに関わって結構長くて。『serial experiments lain』(1998)や『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』(2002)あたりの、画用紙にテクスチャを描いてスキャンしてPCに取り込むという頃からやっているんですけど、技術の進歩で何か感覚や思いが変わったかと聞かれれば、基本的には何も変わっていないですね。
ーーそれはどうしてでしょう?
東地:やっていること自体は変わってないんですよ。道具やソフトが変わって処理は速くなったけど、それは期間が圧縮されただけで、何か劇的な発明が次々と生まれているわけではないかな、と。
表現の幅や発展だけで言えば、それこそ四半世紀前に、350MHz〜450MHzしか出ないCPUを積んだマシンを使って、先輩方がもうやっちゃっているんです。その後のスペックアップは表現の追求よりも省力化に振ってきたのが今のアニメの現実だと思います。
ーー東地さんは人生の半分を背景美術として絵を描いてこられたわけですが、考え方の変化はありましたか?
東地:それこそ20代からを含めればいろいろと変化はあったと思いますが、今はシンプルです。僕の立場としてできることを全力でするだけですね。役割があることに感謝です。
ーー最後に、本書に関してコメントをいただけますか?
東地:背景、3Dスタッフの熱量が溢れる画集となっております。「まぼろし工場」の世界に入り込んでいただけたら嬉しいです。
小川:『アリスとテレスのまぼろし工場 公式美術画集』よろしくお願いします。
TEXT_稲庭 淳 / Jun INANIWA
PHOTO_弘田 充
EDIT_斉藤美絵 / Mie Saito