福岡市美術館より全国巡回を開始した「日本の巨大ロボット群像-巨大ロボットアニメ、そのデザインと映像表現-」。初日9月9日(土)には、スタジオぬえ・宮武一貴氏登壇の「記念講演会①『日本の巨大ロボット群像とは』」、翌日9月10日(日)には荒牧伸志氏登壇の「記念講演会②『80年代のロボットアニメ』」が行われた。本稿ではその模様の一部をお送りする。

記事の目次

    イベント概要

    「日本の巨大ロボット群像-巨大ロボットアニメ、そのデザインと映像表現-」

    【福岡会場】
    会期:2023年9月9日(土)~11月12日(日)
    会場:福岡市美術館(福岡県福岡市中央区大濠公園1-6)
    時間:9時30分~17時30分
    休館日:毎週月曜日
    【神奈川会場】
    会期:2024年2月10日(土)~4月7日(日)
    会場:横須賀美術館(神奈川県横須賀市鴨居4-1)
    時間:10時~18時
    休館日:3月4日(月)、4月1日(月)
    artne.jp/giant_robots

    宮武一貴氏が語る、メカニックデザイナーとしての歩み

    9月9日(土)の講演者は宮武一貴氏(スタジオぬえ メカニックデザイナー)、モデレーターは山口洋三氏(前・福岡市美術館学芸係長、現・福岡アジア美術館学芸課長)。なお福岡市美術館を起点とした巡回企画は、2019年の「富野由悠季の世界-ガンダム、イデオン、そして今」を思い出すのではないだろうか。

    ▲左から山口洋三氏、宮武一貴氏

    宮武氏は神奈川県横須賀市出身・在住。幼少期から身近にあった三笠などの戦艦や小澤さとる氏の潜水艦マンガ『サブマリン707』などに影響を受け、メカデザインに興味をもったという。さらに浪人時代に『2001年宇宙の旅』(1968)を観て衝撃を受けSFイラストを描くようになり、大学院在学中に松崎健一氏や加藤直之氏らとスタジオぬえの前身となる「クリスタルアートスタジオ」を設立。

    宮武氏と巨大ロボットの関わりとして、まず挙げられるのは永井 豪氏原作のTVアニメ『マジンガーZ』(1972〜74)のエンディング映像に登場したマジンガーZの内部透視図だろう。

    ▲展示会場内の宮武氏の紹介パネル。このパネルの裏には、本展用に描き下ろされた『マジンガーZ』『超電磁ロボ コン・バトラーV』『勇者ライディーン』がある

    山口氏が水を向けると、宮武氏は「基本的には高千穂 遙(スタジオぬえメンバー)が描いている。高千穂が永井 豪ファンクラブの会長だったので、ダイナミックプロ(永井 豪氏のスタジオ)との付き合いがあった」と回答。「僕が描いたディスカバリー号(『2001年宇宙の旅』の宇宙船)の三面図を見た豪さんが『それを描けるなら図解も描けるよね? 描いてくれないかなぁ』と」、といった依頼によると話した。

    また、宮武氏は「『マジンガーZ』の前に『仮面ライダー』のサイクロン号があった」と付け加えた。「当時の児童向けの雑誌は『テレビマガジン』と『テレビランド』で、ライダーや怪人の写真はたくさん載っているが、もっと子どもが喜ぶものをやりたいという欲求があったようだ」とふり返った。

    ▲展示より、『マジンガーZ』の歴史的発明

    続いて、山口氏は、巨大でもロボットでもないデザインとして、宮武氏が描いた『宇宙の戦士』の機動歩兵の挿絵について触れた。宮武氏は矢野 徹氏の翻訳を読んでいて、パワードスーツという概念の新しさに感動していたとのこと。その一方で、デザインを起こす上での、原作の問題点にも言及した。

    ▲『宇宙の戦士』から、宮武氏が手がけた機動歩兵の挿絵

    「作者のロバート・A・ハインラインは、文章の人だから映像的な印象を書かない」と宮武氏。「絵の要素を排除した結果だと思うが、それではデザイナーとしては仕事にならない。何かわずかなきっかけでもほしいと思った」。20回ほど読み込んだところで、「鋼鉄製のゴリラ」という表現が見つかった。

    見つかったものの、ハインラインが何をもって「鋼鉄製のゴリラ」としたのかがわからない。宮武氏は「そこから先の可能性は自分で探すしかない。仕方ないのでゴリラの要素を抜き出した。膝が前に出ているため完全に自立歩行できているのか怪しい。どうやって膝が前に出ている立ち姿勢を維持できるのか」と試行錯誤した。

    宮武氏は自分の足を見てみると「爪先に膝からまっすぐ垂直に線を伸ばしてしまえば必然的に腿の線は斜めに後ろに下がるため、膝を前に出した姿勢になる」こと、また「腕の長さはどうしたらいいのか。人間の手というのは構造的に壊れやすく、守らなければならない」ことに気づいた。そこから「指先として外側にマニピュレータをつけると、必然的にゴリラ型の長い腕になった」という。

    続いて『超時空要塞マクロス』(1982〜83)の話題になった際には、山口氏からマクロス艦などの巨大戦艦を緻密に描く方法について質問が投げかけられた。

    ▲『超時空要塞マクロス』のマクロス艦

    宮武氏は「演繹法と帰納法の感じで直感でデザインを詰めていくだけで、自然とディテールが出来上がってくる。バスやトラックを1台描くには、まず全体を描くが、オートバイが目の前にあったときには、ディテールから描き始めることもできる」と返した。「エンジンシリンダーを描き、冷却ファンを描き、ギアボックスを描く。人のサイズだから見える」のだとか。

    さらに「『宇宙の戦士』のパワードスーツも、オートバイとほとんど同じ。機械の知識が多少あれば、ボルトやネジの1本は描ける。だからパワードスーツも描けるし、バルキリー(『マクロス』に登場する可変型戦闘機)もマクロス艦も描ける」と続け、「死ぬほど時間がかかるが、描こうと思えば描ける。そういう仕事でしかない」と気概を見せた。

    『マジンガーZ』EDに大きな影響を受けた荒牧伸志氏

    翌日9月10日(日)の講演者は荒牧伸志氏(SOLA DIGITAL ARTS CCO、監督、メカニックデザイナー)。モデレーターとして本展でサブキュレーターを努めた五十嵐浩司氏(TARKUS、アニメーション研究家)が参加した。

    ▲左から五十嵐浩司氏、荒牧伸志氏。この『マジンガーZ』の内部図解は、もちろん宮武氏によるもの

    荒牧氏は福岡県古賀市(旧:糟屋郡古賀町)の出身。メカニックデザイナーとして80年代から活躍し、作品としては『機甲創世記モスピーダ』(1983〜84)、『バブルガムクライシス』(1987〜91)、『鋼の錬金術師』(2003〜04)、『ソウルイーター』(2008〜09)などに参加してきた。

    2000年以降になると、アニメよりもフォトリアルな3DCG作品で監督を務めることが多くなり、『APPLESEED』(2004)、『キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-』(2013)、最近では神山健治監督と共同で『攻殻機動隊 SAC_2045』(2020〜)、『ULTRAMAN』(2019〜22)などを手がけている。

    『攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間』特報|2023年11月23日(木・祝)劇場公開

    そんな荒牧氏に大きな影響を与えたのが、小学5年生の頃に始まった『マジンガーZ』だった。荒牧氏は「何がすごいと思ったかというと、エンディング。今回の展示にもあるが、マジンガーZの透視図というか内部図解。エンディングで足からずっと映っていて、緻密な絵がカッコいい」と衝撃を受けたという。その衝撃は「小学校で毎月変わる壁新聞みたいなものに、その内部図解が載っていたので、先生にくれませんかと交渉したくらい」だったそうだ。

    さらに、中学2年生のとき、『宇宙戦艦ヤマト』が放送開始。「アニメ業界で僕らがボリュームゾーンと呼ばれる理由がここにある」と荒牧氏。「当時はみんな『ヤマト』を見ていた。アニメなんか、と思ってスポーツや音楽をやってみたりしても、これで引き戻された、という経験を何割かの人たちがしている」と理由を挙げた。

    荒牧氏は『ヤマト』の原作者である故・松本零士氏について「マンガだけでなく監督もデザインもやっていて、やはり僕も感性にズドンと来た中の1人」と評し、「この頃はマンガ家になりたいとか具体的に考えてはいなかったと思うが、資料がなくても、自分なりに戦記マンガを描いてみたりもした」と影響を述べた。

    それから、五十嵐氏はハヤカワ文庫の『宇宙の戦士』に話を向けた。荒牧氏が『宇宙の戦士』と出会ったのは、高校の頃。「高校からの帰りに博多駅のデイトスにある本屋に行くルーティーンで、平置きにされている本の中にある『宇宙の戦士』が目に飛び込んできた。これまでもハヤカワ文庫は買って読んでいたが、『宇宙の戦士』をパラパラめくったらパワードスーツの絵が出てきた」と述懐した。

    ▲展示中の『宇宙の戦士』口絵

    「これは人が着るロボットなんだと、子どもっぽいと思っていたのに比べるとリアルだなと、ロボットに対する見方がガラッと変わった」と荒牧氏。ロボットスーツは「こういう兵器としての切り口がある、人の力を倍増させて防弾性能もあるカッコいいメカ。今でもその本をレジにもっていく道筋を覚えている」くらいのインパクトだったという。前日の講演での宮武氏の話も引き合いに出し、「苦労話をしていたが、その苦労が僕たちにこうやって伝わった」と感動していた。

    なお、荒牧氏は宮武氏の10歳下の世代になる。「『ヤマト』など先行して発信されていたものをマトモに浴びてこういう風に育ってしまった。当時を過ごしていないと、なかなかこのデザインのすごさが伝わらないが、同時期の『スターシップ・トゥルーパーズ』の表紙と比べると、宮武さんはここまでモノにしている。これは何か素晴らしい可能性をもったステキなメカだと感じさせられた」と思いを馳せた。

    そうして、荒牧氏が大学に入学した春から始まったのが、『機動戦士ガンダム』(1979)だった。「最初は子ども向けロボットのながれにある作品と思っていたが、設定資料を見たら何かちがった。これまでのようにおもちゃっぽくなく機能的で、カラーリングもF16試作機のようで、異なるセンスでつくられている」との所感。ガンキャノンも初見で「色は赤でありながら『宇宙の戦士』のパワードスーツの要素が入っている」と感じたという。

    その後、荒牧氏が上京した年の秋には『超時空要塞マクロス』(1982〜83)が始まった。「河森正治さんは1つ上だが、僕が上京する前から色んな作品で名前を見ていて、すごい才能」と感心していた。

    特にバルキリーが衝撃的だったという。荒牧氏にとって「『トップガン』にも出てくるF14にそっくりな戦闘機からパーツの差し替えなくキレイに、戦闘機としてもロボットとしても機能的に説得力をもって完璧に変形する」と、認識がガラッと変わるメカだった。

    「当時おもちゃのデザインとして、僕は『ミクロマン』のミクロチェンジの仕事を手伝ってはいたが、宮武さんにしても河森さんにしても、見方を変えるようなものを開発するのは素晴らしい」と賞賛した。

    ▲バルキリーの変形はファイター(左)、ガウォーク、バトロイド(右)の3形態

    その翌年、荒牧氏がアートテックに入社し、メカデザインを手がけアニメ化されたのが『機甲創世記モスピーダ』(1983〜84)だった。現在では当たり前にあるおもちゃをアニメの収益にするという発想のもと、バイクが変形してパワードスーツになるデザインをおもちゃメーカーや広告代理店にプレゼンし、制作が決まったのだという。

    「作品をつくるのも大変だが、印象に残っているのは商品が売れないことには作品がつくれないということ。レギオス(『モスピーダ』に登場する可変型戦闘機)はバルキリーという前例があるので、ああいう感じですと説明すればわかってもらえたが、モスピーダはバイクがパワードスーツに変形するので当時はその概念を伝えるのに苦労した」と荒牧氏は当時をふり返った。

    ▲モスピーダはバイクからパワードスーツに変形する
    ▲最近でも『モスピーダ』関連は商品化

    その次の作品として『メガゾーン23』(1985)にも言及。主役ロボットのガーランドは4mというサイズで、今回の展示でも実物大のイラストが展示されている。

    「4mというサイズは実際の街中であれば充分デカいし違和感もあるが、邪魔にもならなくて機能的だと思った。ただ4mは2階建ての建物より少し小さく、ベランダのあたりに顔が来るようなサイズなのでアニメーターが描くには難しい。今だと3Dでアタリをつけられるが」と荒牧氏。

    ▲『メガゾーン23』のガーランド。展示で大きさを体感してほしい

    「アニメ制作に3Dを取り入れるのは、荒牧さんが早いうちからやっている」と3Dの活用について五十嵐氏が話を向けると、荒牧氏は「アートミックに在籍していた頃から、硬いものをデザインするとき、必要に応じて模型をつくってフィードバックするのに慣れていたので、3Dソフトを使うと自分の手の内でどんな出来映えになるかわかる。そういう意味で巨大ロボットをつくるときには、サンライズみたいに手描きの良さを取り入れているところもあるし、色んなやり方があって面白いなと思う」と答えた。

    本展は福岡市美術館での展示は11月12日(日)で終了となったが、続いて来年2月から神奈川県の横須賀美術館、夏に京都と巡回が予定されている。興味をもった方はぜひ足を運んでみてほしい。

    TEXT&PHOTO_真狩祐志 / Yushi Makari
    EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)