2023年3月に公開され、200万人以上を動員し興行収入は28億円を突破する大ヒット作となった映画『わたしの幸せな結婚』。同作の制作フローは従来とは異なり、CGパートとしては珍しく企画の段階から参加し、トータルな観点でCGデザインを提案していったという。現場に寄り添い、デザインの力でCGの魅力を引き出す「クリエイティブ・アーティスト」として本作のCGデザインを担当した早野海兵氏に話を聞いた。

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    INFORMATION

    『わたしの幸せな結婚』 

    Blu-ray&DVD発売中 https://watakon-movie.jp/bddvd/

    「みんな正しいのにうまくいかない」をいかに解決するか

    CGWORLD(以下、CGW):映画『わたしの幸せな結婚』で早野さんは「クリエイティブ・アーティスト」という新たなポジションを築かれ、CGパートを担当されたと伺いました。

    新たなポジションということもありお聞きしたいことは沢山あるのですが、まずは早野さんがクリエイティブ・アーティストという立場を築かれた背景についてお聞かせください。
     
    早野海兵(以下、早野):一言で言うと「平和のため」です。制作現場や業界が平和的に映像制作をすることができるようになれば良いなという思いから、企画の段階から参加してCGパートの提案と制作をさせていただきました。

    というのも、現場とのコミュニケーション不足によって誤解が生じたり、理解しあえないままにCGの制作が進むことがたびたびあって、なかでも「イメージの擦り合わせ」に関する行き違いが非常に多く、現場サイドとCG制作サイドで考え方が異なっているがゆえに、うまくいかないことが多々あるんです。

    でもある日ふと気付いたんですよ。「監督の言ってることと現場の人が言ってること、そしてCG制作スタッフが言ってることのどれも全部正しいじゃないか」って。それで理解したんです。「なるほど、みんな正しいんだけどうまく噛み合っていないんだな」って。
     
    CGW:わかります。役割が明確であるほどその現象が起きやすいかもしれません。現場のみなさんにとって、CGはどのような存在なんでしょうか。
     
    早野:これまでCGクリエイターとして30年近く映像制作に携わってきましたが、百年以上の歴史を誇る映像技術の世界からすれば、私なんて新参者の「小僧」ですよ。日本の映像制作の現場ではCGの扱い方やCG制作会社との連携は「どうして良いかわからない状態」なんだろうなと感じます。
     
    CGW:我々はずっとCGに携わっているので意思疎通ができていますが、一歩外に出ると全く言葉が通じませんよね。
     
    早野:そう。そんな感じだから、現場の意見を汲み取り間をとりもって平和的に解決させる存在が必要なんじゃないかと思うようになりました。

    それで映画『わたしの幸せな結婚』ではクリエイティブ・アーティストというポジションを新たに据えてもらい、CGにできることをトータルな観点からサポートさせていただくことにしたんです。
     
    CGW:映画『わたしの幸せな結婚』は、美しくも理解しやすいCGのデザインが印象的な映画でした。

    ▲実際の撮影現場(背景)。実際に存在する大阪市中央公会堂
    ▲上記の建物の天井にCGでデザインを加えた異能者たちの墓場「オクツキ」。ひとつひとつに死者の魂が封印されているという設定だ

    早野:デザインすることで人々の興味を引くことができるし、一層伝わりやすくなりますよね。だから、デザインってコミュニケーションを円滑にするための手段なのかなと常々考えていて。でもCGを扱う側にそういったポジションがないために、映像の現場でうまく行かないことが多々あるように感じていました。

    ほとんどの場合は、文脈を読み取って良いものを作ってくれるんじゃないかという期待を込めて「CGパートお願いします」と依頼されるわけですが、これではCGサイドからすると指示がない状態になりますし、製作サイドからすると良いものが上がってこないという状態に陥ってしまうんですよね。

    それに、そもそもCGプロダクションはCGのプロではあるけれどデザインのプロではないので畑違いという状況です。このあたりで相互に誤解が生じるとトラブルに繋がってしまうんです。
     
    CGW:クリエイティブ・アーティストというポジションは、早野さんから提案されたのですか?
     
    早野:かねてより解決しなければならないと思ってはいたけれど、今回は偶然にも企画の段階で相談していただけたので、コミュニケーションをとるうちに次第にポジションが確立されていった感じです。
     
    CGW:企画から参加してCGパートを担当されたのですね。『わたしの幸せな結婚』の舞台となる「帝都(ていと)」も当然CGで制作されているんですよね。空撮のカットは印象的で、不思議な魅力を感じて見入ってしまいました。どこか日本のようではあるけど異世界のお話なので、誰も見たことのない景色をイチから作っていかれたわけですよね。
     
    早野:そうですね、当時は原作である小説しかなくて、ヒントは文字の中にしかありませんでしたし。小説を読み込み、都市の機能や成り立ちなどをかなり勉強しました。

    その後、監督から世界観や様々なアイデアをいただき、そこから発想を得て宗教や政治、文化といったバックボーンを折り込みながら帝都という街をデザインしていきました。

    このように監督から信頼していただけたことはとても嬉しかったです。信頼関係を築いてパワフルなスタッフと一丸となって作品を作っていけるのは、とても素晴らしいことですよね。

    ▲帝都。原作を徹底的に読み込み、宗教や文化、政治等のバックボーンや都市機能の必要性を考慮して制作した

    CGW:企画の段階ですでにCGパートのデザインを提案されたとなると、従来の映像制作フローとは逆の流れというか、かなり早い段階から参加されたんですね。
     
    早野:そうですね。VFXCGって撮影が全部終わって最後の仕上げの段階で「ここに〇〇が必要だからCGでお願いします」と後付けで発注が来ますからね。しかも映画の一部分のカットしかもらえなかったりするので、試写会で作品を見るまで自分が何を作っているのか分かっていなかった、なんてこともあります。

    今回は企画の段階でご相談いただけたので、CGで作る必要がありそうなものを先にデザインしていくことができたんですよね。おかげで細かい質問をすることなくスムーズに進めることができました。
     
    CGW:それも信頼関係があってこそですね。足りないものをCGで補うのではなくCGを効果的に使う。お互いにとってベストな関係ですよね。なるほど、早野さんが「平和のため」とおっしゃった理由が分かってきました。

    CGで作る必要があるものって実在しないものが多いだろうから、参考資料すらないかもしれない。そういったものを映像にしていくって、汲み取る力とイマジネーションだけでは実現できそうにないですね。かなりの知識も求められそうですし。
     
    早野:日本の映像業界の場合、ハリウッド映画のようにコンセプトアーティストがいないことが多いし、絵コンテすらなかったりします。

    ゆえに、クリエイティブ・アーティストのような、CGのデザインを引き受ける存在 がいるとうまくいくんじゃないかなと思ったんです。

    もちろん分業も必要だろうしきっちりと仕事を分ける現場もあるから仕方ない側面はあるけれど、それでも柔軟さを求められる局面が多いと思います。
     
    CGW:分業化が進んだことで「トータルで解決できる人」が求められているのかもしれませんね。CGの専門家として「作品全体の設定やバランスを考慮してCGVFXパートをトータルで提案・制作する」という感じなので、いわゆるゼネラリストというわけでもないですよね。

    コンサルタントやコーディネーターとしての機能も果たすわけで、そういう人が現場にいると心強いでしょうね。

    ▲実際の撮影現場(背景)。京都・舞鶴赤れんがパーク
    ▲美世の異能『夢見の力』を発現するシーン。上の画像にCGデザインを加えて現実と夢見の世界との境界線を表現した

    早野:すこしリアルな話になりますが、モデリングやアニメーションが上手な人って本当に沢山いるじゃないですか。それもすごく若かったりして。CGを作るだけであれば私の力量なんて標準レベルですし、現在50歳の私が転職しようとがんばっても採用してもらえないでしょう。

    標準レベルの腕しかないけど給料だけは年齢相応に支払わないといけませんからね(笑)。そんな私のようなCGアーティストであってもお仕事の依頼をいただけているのは、「CGのトータルデザイン」が提供できているからかもしれません。
     
    CGW:実際、映画『わたしの幸せな結婚』には早野さんの美的センスを感じさせるデザインが作品をとおして効果的に使われていますよね。
     
    早野:監督のCGの使い方が巧かったと思います。
     
    CGW:アートディレクターでありテキスタイルデザイナーをされていた石岡瑛子さんの存在をふと思い出したのですが、クリエイティブ・アーティストは映画の重要なスパイスとなる存在になり得るのではないでしょうか。
     
    早野:そうなると良いんですけどね。クリエイティブ・アーティストは歳を取れば取るほど楽しくなっていくでしょうし、石岡瑛子さんやシド・ミードさんのように歳を重ねても仕事を続けることができるかもしれない。CGを生業にする我々が、大好きなCGを死ぬまで続けていけるひとつの方法になるんじゃないかな。
     
    さっき言ったように、この歳でモデラーやアニメーターとして転職するのは難しくて、ディレクターやVFXスーパーバイザーなどの総合職的な募集が多くなってくるのですが、そういったポジションに落ち着くとExcelPowerPointでの作業がメインになるので、CGに触れなくなるんですよ。

    でもクリエイティブ・アーティストであれば、CGを辞めることなく価値を提供していけるんじゃないかな。「トータルでCGのデザインができる人」がいると、現場がもっとスムーズになると思いますよ。
     
    CGW:酸いも甘いも嚙分けたベテランとしての経験やコミュニケーション力、統合的なデザインの良し悪しの判断力に、改めて価値が見出されるようになりそうですよね。

    ▲CGによるオープニングシーケンス。帝都やオクツキの成り立ちを映像で説明している

    できていますか?「CGのトータルデザイン」

    CGW:早野さんがクリエイティブ・アーティストとして注意を払っていたのはどういった点ですか?
     
    早野:立場をわきまえて出しゃばらないことです。CGクリエイターって良くも悪くも職人的な側面があるので、「CGのやり方」を押しつけてしまう時があるんですよね。CGのプロとしてその姿勢はまちがっていないのですが、やはり相手の立場や状況を理解して歩み寄って作っていかないと。

    CGを長くやっているプロフェッショナルとして「この場合だったらこういうやり方もあるよ」と柔軟な見方で提案していけると親切ですよね。
     
    CGW:知識の押し売りはCGに限らずですね。技術や知識があると、効率の良さや利点を良く理解しているので広めたくなりますが、必ずしも相手にとってベストであるわけではないですからね。
     
    早野:そう、押し売りは良くない。良くないけど、「CGでこんな表現を入れてみませんか?」と要望に寄り添いつつCGならではのデザインを提案していく必要はあります。お互いのベストを引き出す提案をしていけると良いですよね。

    ▲シーンとシーンを繋げるアイデアとして提案した「家系図」。人間関係が複雑な「家同士の争い」を分かりやすく表現。海外の家系図からヒントを得て作品とマッチしそうな大正時代の「大正ガラス」をデザインに取りこんだ

    CGW:クリエイティブ・アーティストに求められる素養として、最も核となる要素はどのようなものだとお考えですか?
     
    早野:「トータルデザイン」ですかね。企画会議に立ち会い、デザインや色彩などの方向性や全体との調和を考え、プロデューサーとの戦略やクライアントとコミュニケーションをとりつつCGの実作業を「企画から完成までトータル」に引き受ける。

    かつ、立場をわきまえて出しゃばることなく作品が安全に平和に作り上げられるよう取り計らう。今のCGの現場に必要なものについて考えたとき、この「トータルデザイン」の考え方が最も重要なのではないでしょうか。
     
    CGW:クリエイティブ・アーティストに求められるスキルはどのようなものが挙げられますか?
     
    早野:クリエイティブ・アーティストは「経験」が何よりも求められるポジションです。アイデアや発想力、クリエイティブな才能は二の次で、「全体を把握する能力」と「経験値」がなくてはまず務まりません。
     
    CGW:監督やベテランスタッフたちに納得してもらうためには説得力も必要ですよね。経験値には当然「人脈」や「信頼」も含まれているでしょうし。ベテランとしてのキャリアが必然的に求められるということですよね。
     
    早野:そうですね。シニアクラスのベテランこそ活躍できるポジションですね。これまでのようにVFXを部分的に作るという仕事も引き受けつつ、現場に合ったやり方に合わせるのがクリエイティブ・アーティストの仕事なんじゃないかな。これといって厳密な定義があるわけではないんだけどね。

    相手を思い遣って「この人だったらこういうやり方が良いのかな」と、相手に合わせて提案してあげる。いろんな人がいるしやり方は千差万別。ものごとを大きく捉えて臨機応変に対応していく必要があるから、ものごとの道理をいろいろ知っているベテランは有利ですね。
     
    CGW:作品との調和、現場との調和。譲り合いと思いやり。私の若い頃を振り返ってみると、正当性を求めて闘ってばかりでした。どこからどう見ても若さがほとばしっており、クリエイティブ・アーティストは務まらなかったことでしょう……
     
    早野:ははは(笑)。ある程度年齢を重ねて「カドがとれた大人」が醸し出す雰囲気や迫力もありますよね。経験豊富なCGアーティストがもっと前に出て、現場と作品を牽引してくれることを願っています。

    若いアーティストには若いアーティストの魅力がありますが、経験を積んだアーティストには経験を積んだアーティストの魅力や経験がありますからね。みんな必ず歳を取ります。一生CGとクリエイティブに関わっていけたら楽しいですよね。
     
    CGW:クリエイティブ・アーティストが制作現場に良い影響を与え、日本映画のクオリティを質実共に向上させていく。

    なにかとネガティブな側面が取り沙汰され暗い気持ちになりがちでしたが、思い遣りをもって現場に寄り添っていこうとする早野さんの姿勢には「幸せに働き続けるヒント」がたくさん詰まっているように感じました。早野さん、今日はありがとうございました!

    早野:こちらこそ。お忙しいなか、貴重なお時間を割いて、取材に対してご協力いただきましたKADOKAWA様にも深く感謝申し上げます。

    INTERVIEW & TEXT_みむら ゆにこ(@UNIKO_LITTLE
    EDIT_池田大樹(CGWORLD)