CGが敬遠される要因の象徴とも言える、3DCGによるリアルな人物表現における「不気味の谷現象」の、ルーツを探るシリーズ企画の3回目である。今回は、日本の3DCGプロダクションや個人アーティストの活動(1980年代後半から2000年代前半まで)から、ヴァーチャル美女(美少女)の流行が生まれ、それが世界に与えた影響をふり返る。

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・なぜ、CGは嫌われる? ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題を追う(第4回:不気味の谷を乗り越える日〜2000年代後半から、現在(2016年)まで〜)

TEXT_大口孝之
EDIT_UNIKO、沼倉有人 / Arihito Numakura(CGWORLD)



<1>80年代後半~90年代初頭の日米3DCG事情

いきなり私事で恐縮だが、筆者が3DCGに強い興味を抱いたのは1979年である。当時、「実写と区別できないほどリアルな化粧品のヴァーチャル・キャンペンガールが、未来のCMプロダクションにおいて作られている」というストーリーの、短編映画の脚本(未映画化)を書いていた。

その後、1982年に日本初の3DCGプロダクションであるJCGL(Japan Computer Graphics Lab, Inc.)に入社してディレクターになるが、そこは1988年に解散してしまう。だが当時は空前のバブル景気であり、日本全国で数えきれないほどの博覧会が開催されていた。そこで筆者は富士通に入社し、「花の万博(国際花と緑の博覧会)」の富士通パビリオンで上映するIMAXのS3D 3DCG映像(※1)を作る部署に参加した。しかし間もなくバブルが崩壊し、この博覧会ブームも終わりを迎える。一方この時期、エンターテインメントの分野において、米国の3DCG業界は低迷期に入っていた。

※1:IMAX DOMEと液晶シャッター眼鏡を組み合わせた、IMAX SOLIDO方式が採用した、『ユニバース2~太陽の響~』という作品

まず、世界を代表する2大3DCGプロダクションのロバート・エイブル&アソシエイツ/Robert Abel and Associatesデジタル・プロダクションズ/Digital Productionsが、1986年に経営破綻した。さらに同年には、ニューヨークで活動していたMAGI/Mathematical Applications Group Inc.と、デジタル・エフェクト/Digital Effectsも倒産する。
そこに注目したカナダのオムニバス/Omnibusは、これらの企業が持っていたハード、ソフト、人材を吸収し、世界最大の3DCGプロダクションであるオムニバス/エイブル(Omnibus/Abel)(※2)として躍り出るが、半年ほどで経営破綻してしまった。この悪夢の1986年には、オハイオ州で活動していたクランストン・スーリ・プロダクション/Cranston-Csuri Production(CCP)も倒産しており、米国で活動を続けていたのはパシフィック・データ・イメージズ/Pacific Data Images(PDI、現在のドリームワークス・アニメーション)ぐらいしかなかった。

※2:この時、日本の東北新社と合弁会社として設立されたのが、オムニバス・ジャパン/Omnibus Japanだった。同社は、オムニバス/エイブル倒産の影響をほとんど受けなかったため、現在も日本を代表する3DCGプロダクションとして活動している。なお同社のロゴマークは、カナダ時代のオムニバスから使われてきたデザインをそのまま使用している。

この倒産ラッシュの原因(※3)は、3DCGソフトがまだ市販されていなかったため、社内で独自開発する必要があったことや、主力マシンとして高価な汎用大型コンピュータやスーパーコンピュータを使用していたことにあった。JCGLが解散したのも同じ理由である。このころ注目され始めた会社に、日本のポリゴン・ピクチュアズがある。JCGLや富士通で3DCG開発を手がけていた人材が参加したことで急速に力をつけ、SIGGRAPH 90の「Film and Video Show」で金属質感をしたXYZOの文字がボディビルダーのように変形する『In Search of Muscular Axis』【図1】という作品を披露して話題を呼んだ。そして実際に、ILM/Industrial Light&Magic『ターミネーター2』(原題『Terminator 2:Judgment Day』)(1991)の3DCG制作を依頼してきている。結局、ポリゴン・ピクチュアズが辞退したことで、ILMは社内の3DCGグループを大幅に強化することになり、今日の繁栄に繋がった。

※3:90年代に活躍する第二世代CGプロダクションは、スタッフ1人1人に専用ワークステーションが与えられ、市販CGソフトを用いて速やかにプロダクションワークを始めることが可能だった。

【図1】『In Search of Muscular Axis』

<2>ヴァーチャル美女の登場

筆者は1992年にフリーになった。当時の日本では、エクス・ツールスのShadeシリーズや、リンクス・コーポレーションのPersonal LINKSといった国産ツールを用いて、3DCGの個人制作が可能になってきたころである。その中には、イラストレーターの加藤直之氏による『沈黙の美女』【図2】や、NECで通信衛星開発に従事する吉本聖志氏が手がけた『白鳥の湖』【図3】など、美しい女性像もあった。

  • ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題(その3:日本で生まれたヴァーチャル美女)
  • 【図2】Shadeシリーズで作られた『沈黙の美女』


  • ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題(その3:日本で生まれたヴァーチャル美女)
  • 【図3】Personal LINKSで作られた『白鳥の湖』


筆者は広告代理店の依頼で、新しく注目すべき3DCGプロダクションの調査を行う。その中で特に目を惹いたのがビルドアップだった。『ゴジラVSビオランテ』(1989)などの怪獣造形からスタートしたプロダクションだったが、3DCG制作も始めていたのである。筆者はここの仕事を手伝うようになり、同社に所属していた奥澤泰治氏がPersonal LINKSを使って非常にリアルな女性の3DCGを作っていたのに注目し、これをアニメーション化する計画を立てた【図4】

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題(その3:日本で生まれたヴァーチャル美女)

【図4】論文『力学計算による、頭髪のアニメーション表現』に使用した画像

問題は頭髪である。当時髪の毛の表現は、CCPを母体として創設されたメトロライト・スタジオ(Metrolight Studios)所属のロブ・ローゼンブラム(Rob Rosenblum)(※4)がSIGGRAPH92の「Electronic Theater」で発表したアニメーション『JuJu Shampoo』【図5】や、日立にいた安生健一氏らが実験的に手がけていた程度に過ぎなかった。そこで、富士通時代の仲間であった上田明彦氏とチームを組んで、ヘア・シミュレーションのプログラムを開発した。レンダリングは、ビジュアルサイエンス研究所(VSL)が資本参加していた柏崎イメージファクトリーが所有していた、シリコングラフィックスIRIS Crimsonというグラフィックスワークステーションをお借りしている。この映像制作の過程は、「NICOGRAPH 92」の論文コンテストに入賞している(※5)。

※4:ソフトウェア・エンジニアとして、メトロライト・スタジオ、PDI、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス/Sony Pictures Imageworks、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ/Walt Disney Animation Studiosなどを経て、現在はGRAK Softwareに在籍。代表作として『塔の上のラプンツェル』(『Tangled』2010年)におけるヘア・シミュレーションがある

※5:大口孝之/奥澤泰治/上田明彦 著:『力学計算による、頭髪のアニメーション表現』、『第8回NICOGRAPH論文集』、日本コンピュータグラフィックス協会(1992年)
参考『標準技術集(コンピュータグラフィックス(アニメーション))データベース:人体(顔、髪)の変形表現』

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題(その3:日本で生まれたヴァーチャル美女)

【図5】『JuJu Shampoo』より。シャンプーのCMに登場する美女が、ヒバロ族の干し首だったというオチ

やがて、VSLとホリプロの共同企画として1996年に華々しくデビューしたのが、ヴァーチャル・アイドル『伊達杏子DK-96』【図6】だった。これをモデリングしていたのが、当時VSLに所属していた小坂達哉氏である。残念ながらビジネスとしては成功しなかったが、海外に与えたインパクトは大きかったようで、実際に映画『シモーヌ』(原題『Simone)(2002)(※6)のアンドリュー・ニコル/Andrew Niccol監督にインタビューした際、「『トゥルーマン・ショー』(1998)を手がけていたころ、伊達杏子を知ってこの映画のヒントを得た」と語っていた。

※6:『シモーヌ』は「落ちぶれた映画監督が3DCGで完璧な女優シモーヌを創造するが、予想以上の人気を得てしまったことで秘密を隠しきれなくなっていく......」というコメディ。シモーヌは、女優レイチェル・ロバーツが演じる実写と、フランスのBUFが手がけた3DCGを組み合わせている。

  • ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題(その3:日本で生まれたヴァーチャル美女)
  • 【図6】『伊達杏子DK-96』


また文学の世界においても、ウィリアム・ギブスン/William Gibsonの『Idoru』(1996、邦訳『あいどる』(1997))(※7)や、渡辺浩弐の『アンドロメディア』(1997)といったSF小説に、ヴァーチャル・アイドルのコンセプトが登場するようになる。

※7:『あいどる』に登場するヴァーチャル・アイドルは投影式ホログラムで、ギブスンは「"アイドル歌手"です。名前は投影麗(レイ・トーエイ)。彼女は仮想人格、ソフトウェア・エージェントの累積、情報デザイナーの創作物です。ハリウッドで"シンセスピアン"と呼ばれているものの近縁だと思います」(訳:浅倉久志)と描写している。

<3>日本のヴァーチャル美少女ブーム

1998年になると、日本ではちょっとした3DCGブームが起こる。雑誌『CGWORLD + digital video』(当時はワークスコーポレーション)や『Graphics World』(IDGジャパン)が創刊したのもこの年だし、ShadeユーザーたちによってWeb上のコンテスト「Shadeなギャルコン」も始まっている。その中でも高い人気を得ていたのが、くつぎけんいち氏による『テライユキ』【図7】だった。

  • ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題(その3:日本で生まれたヴァーチャル美女)
  • 【図7】テライユキ


元々、コミック『Libido』のキャラクター寺井有紀をベースとしてモデリングされたこともあり、過剰なフォトリアリズムに走っていない。まだ当時は「不気味の谷現象」という言葉が用いられることはなかったが、適度にデフォルメされていたことが人気の理由だったと思われる。その後、「CGWORLD + digital video」初代編集長の永田豊志氏がプロデュースに乗り出し、写真集やミュージック・ビデオの発売、フジテレビの不定期深夜番組『テライユキのデジタルドリーム』※8)のナビゲーター、エチケットライオンCMへの起用など多方面で活躍する。

※8:世界の最先3DCG/VFX映像を紹介するというコンセプトの番組で、初回放送は2000年4月。筆者もコメンテーターのひとりとして出演しており、2回目以降は構成や取材にも参加している。

また「Shadeなギャルコン」によって巻き起こったヴァーチャル美少女ブームは、海外版を含めて全7冊発行されたムックの『Virtual Beauty完全美少女の作り方』シリーズ(アゴスト)や、専門雑誌の『CG-iCupid』(ユニークデジタル)なども創刊される。中でも、デザイン会社のブルームーンスタジオ代表の岡崎まさと氏や3DCGアーティストの沖 孝智氏によって制作された『飛飛(FeiFei)』【図8】のクオリティには注目が集まり、日本サムスンが広告に起用した。



<4>ヴァーチャル美女とゲーム業界

このようにポツポツとではあるが、仕事が入ってくるようになったヴァーチャル・アイドルであったが、やがて安住の場所を発見する。それはゲームのムービーの世界だった。中でも目立っていたのは、ナムコ(現バンダイナムコゲームス)『リッジレーサー』シリーズなどに登場する、女性キャラクター『永瀬麗子』【図9】だった。デザインは2000年にナムコから独立した由水 桂氏によるもので、その後も長く様々なゲームに出演している。

  • ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題(その3:日本で生まれたヴァーチャル美女)
  • 【図9】永瀬麗子


同じナムコは、SIGGRAPH 2001のElectronic Theaterに『Nostalgia』という短編アニメーション【図10】を発表した。これは、夏の日に故郷を訪れた女性を描いた作品で、光学式キャプチャによるフェイシャルアニメーションに取り組んだデモ映像だった。3DCG制作は同社の大護桃子氏と山口崇司氏が担当している。

【図10】『Nostalgia』

また、スクウェア(現スクウェア・エニックス)『ファイナルファンタジーVIII』(1999)も、ムービーに登場する人物表現のリアリティを大幅に高めた。

『ファイナルファンタジーVIII』(PS)PV

<5>映画『ファイナルファンタジー』の挑戦

『ファイナルファンタジー』シリーズの考案者である坂口博信氏は『トイ・ストーリー』(1995)を観て、『ファイナルファンタジーVII』(1996)中のムービーも総尺が40分を超えていたことから、「これ(トイ・ストーリー)ができるのなら、『ファイナルファンタジー』の映画化も無理じゃない」と思った。そして、劇場フルCGアニメーション『ファイナルファンタジー』(英題『Final Fantasy:The Spirits Within』(2001)【図11】を日米混成スタッフで制作するために、中間地点であるハワイのホノルルにスクウェアUSAのスタジオを設立した。

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題(その3:日本で生まれたヴァーチャル美女)

【図11】映画『ファイナルファンタジー』

ここのキャラクター・セクションに参加したのが、ビルドアップに在籍していた奥澤泰治氏(※9)と、『伊達杏子DK-96』をモデリングした小坂達哉氏だった。彼らがリードしたことで、この映画の人物描写は従来になくフォトリアルに向かって突っ走る。映画『ファイナルファンタジー』の興行成績は不振に終わったものの、そのリアリティには多くの3DCG関係者が感心していた。同時に「不気味の谷現象」が一般的にも意識されはじめるきっかけをつくったとも言え、この作品がパンドラの箱を開けてしまったと言えるのかもしれない。

※9:奥澤泰治氏は、帰国後カシオエンターテイメント社に所属し、松本人志の脚本・監督・主演による映画『大日本人』(2007)【図12】の、ヴァーチャル・アクター制作に参加している。この作品は、国内では松本の作品というだけで、最初からテレビのコントの延長のような受け取られ方をし、評価もけっして高くはない。しかし、松本を知らない海外の人々には先入観が無い分、マスコミの態度、老人問題、米国の政治に対する批判......などといったメッセージをちゃんと読み取っていた。それはVFX技術に関しても同様で、SIGGRAPH 2008「Computer Animation Festival」への入選を果たした。また南カリフォルニア大学のポール・デベヴェック/Paul Debevecも、当時行なった筆者のインタビューに対して「最近の映画では最もリアルな3DCGキャラクターだった」とコメントしている。

ヴァーチャル・ヒューマンに対する「不気味の谷現象」問題(その3:日本で生まれたヴァーチャル美女)

【図12】映画『大日本人』
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