Netflixで配信中の中国産SF映画『流転の地球』(原題『流浪地球/The Wandering Earth』)は、全世界での興行収入が760億円に達する爆発的ヒット作となった。加えて作中のクオリティの高いVFXは、プリプロダクションからポストプロダクションまでの全工程が中国のVFXスタジオ主導でつくられている。これは中国初のモデルケースと言える。
そんな本作のVFX制作を牽引したBase FXのNeil Xie氏(副社長)によるセミナーが、6月6日、東京都千代田区のワテラスコモンホールにてVFX-JAPANの主催で開催された。10年前には「50セントの価値しかない」と評されていた中国VFXが、どうして今日のような飛躍を遂げることになったのか? その背景が語られたセミナーの模様を「No.1 VFX制作の舞台裏」と「No.2 Base FXの歩み」の2回に分けてお伝えする。
TEXT_山口 聡 / Satoshi Yamaguchi(ACW-Deep)
EDIT_尾形美幸 / Miyuki Ogata(CGWORLD)
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota
▲映画『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)の、Base FXによるVFXブレイクダウン | FilmIsNow Movie Bloopers & Extras
ILMと独占契約を結び、ハリウッドと同等のパイプラインを構築
「No.1 VFX制作の舞台裏」で述べた通り、中国における現時点での2019年興行収入1位の映画は『流転の地球』だ。Base FXは、2018年の興行収入2位の映画『Monster Hunt 2』と、3位の『僕はチャイナタウンの名探偵2』(原題『唐人街探案2』)のVFXも制作している。さらにハリウッド映画も数多く手がけており、2018年公開の映画『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』や『アクアマン』、『バンブルビー』のVFXを制作している。
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▲Neil Xie氏 - 『アクアマン』と『バンブルビー』は『流転の地球』のVFX制作を他社に引き継いだおかげで携わることができたため、ある意味ラッキーだったかもしれないとXie氏は冗談まじりに解説した。
Base FXの歩みは、2006年に小さなオフィスから始まった。最初の12人のスタッフは、CGの専門学校の先生や生徒たちで、映画やTVのVFX制作経験者はいなかった。社長のクリストファー・ブレンブル(Christopher Bremble)氏はアメリカ人で、ハリウッドでシナリオライター、監督、プロデューサーなどを務めていたが、映像業界での成功を手にしたのは中国に来てからだという。
▲設立当時のBase FXの社内
当時はアメリカから中国にVFX制作が発注されることはほとんどなく、ブレンブル氏のネットワークを通じて、アメリカのTVドラマや、いわゆるB級作品の仕事を得るような苦しい状況だった。しかもVFX制作の受注額はハリウッドの1/8で、その額で受けた仕事を、それに見合ったクオリティで納品する状態だった。文字通り「50セントの仕事」だったとXie氏は笑った。
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▲エミー賞受賞時のブレンブル氏 - そうやって苦労を重ねる中で、スタッフの技術はかなり速いスピードで成長していった。そしてHBOのドラマシリーズ『ザ・パシフィック』(2010)を手がけ、初めてのエミー賞を受賞。翌年には同じくHBOのドラマシリーズ『ボードウォーク・エンパイア 欲望の街』(原題『Boardwalk Empire』/2010〜2014)に参加し、2度目のエミー賞を獲得。その後はマイケル・ベイ(Michael Bay)監督総指揮のドラマシリーズ『Black Sails』(2014〜2017)で3度目のエミー賞を獲得した。
▲セミナー後、筆者によるインタビューに応じるXie氏
2012年にはルーカスフィルム、およびIndustrial Light & Magic(ILM)と業務提携の契約を交わした。当時のBase FXのVFXクオリティはそれほど高いわけではなかったが、ハリウッドの競合他社に比べれば非常にコストが安い点が売りだったという。ILMを通さなければ全てのハリウッド作品のVFX制作を受注できないという独占契約を結ぶ見返りとして、ILMが仕事を保証することになった。VFXのクオリティを維持するため、Base FXのスタッフに対し、ILMのスタッフによるトレーニングも行われた。その結果、Base FXはさらに発展することになり、世界中の有名企業が集まる北京の中心地にスタジオを移転し、ハリウッドのVFXスタジオと同等のパイプラインを社内に構築するにいたった。
▲現在、北京の中心地にあるBase FXのエントランス
周知の通り、ルーカスフィルムは2012年にディズニーの傘下となった。ILMとの契約を進めているとき、ルーカスフィルムとディズニーの契約が同時進行していたことは全く知らされていなかった。望んでいたわけではないが、Base FXもディズニーファミリーの一員になっていた。ディズニーはルーカスフィルムを買収する前に、ピクサー・アニメーション・スタジオとマーベルも買収していたので、ディズニーファミリーの各社から仕事を受注できるようになったのである。
映画『パシフィック・リム』(2013)では、全体の40%のVFXを制作した。映画『トランスフォーマー/ロストエイジ』(2014)では、それまでで最も難しいVFX制作を請け負った。グリーンバックの撮影スタジオでロープの上を歩く女優の、風に舞う髪の毛のマスクを切り、CGの背景と合成する仕事だった。この作業は『トランスフォーマー』のロボットのショットをつくるよりもはるかに難しく、全作業を完了するまでに2ヶ月を要した。しかし、この作業によって実力が認められ、ほかの大作映画のVFXも受注できるようになった。
数多くの努力が実を結び、400カットを手がけた映画『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014)と、350カットを手がけた映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015)で、アカデミー賞に2回ノミネートされるにいたった。
▲Base FXのスタッフ集合写真
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VFXに十分な予算を割くよう
政府や出資者に訴えかけている
VFXに十分な予算を割くよう、政府や出資者に訴えかけている
現在のBase FXは、北京を含め国内に3ヶ所のスタジオを設け、さらにマレーシアとロサンゼルスにも支所をもっている。最近はVFX制作だけでなく、様々な事業を展開しているそうだ。1つ目は教育分野で、Base AcademyというCGアーティストを育成する学校を経営している。まだまだ不足しているCGアーティストを育て、中国のCG技術の底上げを図ることが目的だ。
2つ目は『Skyfire』という自主映画の制作で、2018年にマレーシアで撮影を行い、現在は仕上げのVFX制作を進めている。
3つ目は『Wish Dragon』というフルCGアニメーション映画の制作だ。舞台は近代の上海で、ティーポットの中からドラゴンが現れ、3つの願いを叶えてくれるという、『アラジン』をベースにしたストーリーとなっている。ドラゴンの声はジャッキー・チェン(Jackie Chan)が担当し、スパークル・ロール・グループとテンセントの出資を得ており、制作総予算は約41億円となっている。配給はSony Pictures Animationで、リリースは2020年夏を予定している。制作拠点となっている廈門(アモイ/Xiamen)のスタジオは170人のスタッフを抱えており、ほぼ完成に近い状態まで進行している。
本セミナーの締め括りに、Xie氏は来場者に向けて「今回はBase FXの副社長の立場に加え、China Postproduction Alliance(CPPA)の副代表の立場で登壇した。CPPAは中国だけでなく、アジア諸国のVFXスタジオのネットワークをつくることも目的としている。これを機会に、お互いにコミニュケーションを取り合い、協力していきたい」というメッセージを語った。
▲CPPAの集合写真
この後、質疑応答があり、以下の3つの質問が寄せられた。
Q1:中国では1日何時間働いて、どれくらいの休みがあるのか?
「現時点ではまだ法的な規制がなく、政府に働きかけ、いい環境になるよう努力している。大きな会社や国際的な会社は、国際基準の労働時間の制限を設けようとしているが、小さな会社が同じことをすると仕事を受注できないという問題もあり、なかなか難しい」とXie氏は答えた。Base FXの定時は9時から18時で、ほとんどのスタッフは9時に出社し、19時から20時頃まで仕事をしている。中には10時に出社する社員もいる。ただし、締め切り間近になると長時間労働を余儀なくされる場合もあるそうだ。『流転の地球』のときには大変な長時間労働を強いられ、監督にいたっては1日20時間労働を3ヶ月間続けたらしい。
Q2:『流転の地球』のVFX制作において、最も重要だったプロセスは何か?
「最も重要だったのは、プリプロダクション段階での設計だったと考えている。『Monster Hunt』(2015)という中国産映画のVFX制作では、プリプロダクション段階でプリビズなどをしっかり制作したことが成功の要因となった。その経験を踏まえ、『流転の地球』でも綿密な設計を行なった結果、素晴らしい作品に仕上げることができた。もう1点挙げるとしたら、各スタジオのVFXのクオリティを一定に保つための調整も重要なプロセスだったと思う」とXie氏は答えた。
ハリウッドのVFXスタジオは、どこも同じようなパイプラインをもっており、相互にコラボレーションできるシステムが構築されている。その一方で、中国のVFXスタジオのパイプラインは統一されていないため、コラボレーションが非常に難しいのだという。さらにXie氏は「クルマに例えるなら、ベンツのような大きな企業が巨大な工場でクルマをつくるのがハリウッドであり、小さな工房で細々とクルマをつくるのが中国だ。そういう小さな工房が協力してハリウッドクラスの映像を制作したことは、大きな進歩だったと思う。今後もこのようなチャレンジを続けていきたい」と続けた。
Q3:中国のVFX業界にとって、本作をつくったことが、今後どう役立っていくのか?これからどんな方向に発展していくのか?
「中国では映画制作に多くの予算が注ぎ込まれるが、VFX制作には十分な予算が回ってこないという大問題がある。映画では予算の50%、TVドラマでは70%が俳優にながれ、残りの多くもプロデューサーや監督たちにながれていく。この状態は、プロデューサーや監督、出資者、さらに政府がVFXの価値を認めなければ改善されない。『流転の地球』の成功は、VFXの価値を認めてもらう大きなきっかけになると思う」とXie氏は答えた。
加えて「CPPAでは、複数のVFXスタジオで共同体をつくり、VFXに十分な予算を割くよう、政府や出資者に訴えかけている。ハリウッドでも同様の問題が起き、大きなVFXスタジオが倒産に追い込まれる事態も発生している。同じことが中国で起こらないよう、問題解決に向けて、CPPAは声を上げ続けていきたいと考えている」と補足した。
- 『流転の地球』という素晴らしい作品が生み出された背景には、様々な努力に加え、様々な問題も潜んでいることをまざまざと感じさせてくれるセミナーだった。Xie氏はアーティストではなく経営者なので、一般的なメイキングセミナーとは一味ちがう話を聞くことができた。本作の高いクオリティを支えたコンセプト開発の話が興味深かったのはもちろんのこと、約52億円という日本人にとっては破格の制作総予算があったにも関わらず、VFX制作に関しては日本と同じ問題を抱えていることに驚かされた。
セミナー中、前述の問題についてXie氏が話すときには、かなりエキサイトしていた点も印象的だった。それだけ、彼らにとって大きな問題なのだろう。CPPAは、6月15日〜24日に開催された上海国際映画祭にて、大きなミーティングを実施した。中国本土をはじめ、香港、マカオ、台湾などのVFXスタジオのトップが100人以上集まって意見交換をしたそうだ。このような活動を続け、中国のVFX技術の底上げや、予算問題の解決などに取り組んでいるのである。
Xie氏は、来年は中国だけでなく、タイやシンガポールなどのアジア諸国、アメリカやイギリスなどの欧米諸国からも参加してもらい、世界的な意見交換の場にしたいと考えており、ぜひ日本のVFXスタジオにも参加してほしいと語っていた。この機会に日本もCPPAに参加して、アジアの映像制作発展の一翼を担えるようになってほしいと願っている。