NHKの人気自然番組『ダーウィンが来た!』の劇場版第3弾『驚き!海の生きもの超伝説 劇場版ダーウィンが来た!』 が6月11日(金)より上映中だ。本作ではNHKアーカイブの映像から厳選された海の生き物たち約60種類が登場するのだが、全編にわたりNHKエンタープライズが開発した、CG・VFX・グレーディングの技法を組み合わせたワークフロー「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」による高画質化処理が行われている。本稿ではその「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」(高画質化処理)に注目し、NHKエンタープライズに詳しい話を聞いた。
TEXT_神山大輝 / Daiki Kamiyama
EDIT_海老原朱里(CGWORLD)、山田桃子 / Momoko Yamada
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『驚き!海の生きもの超伝説 劇場版ダーウィンが来た!』
ナレーター:水瀬いのり 出演・ナレーター:さかなクン ヒゲじい:龍田直樹
監督:田所勇樹 制作:NHKエンタープライズ 製作・配給・宣伝:ユナイテッド・シネマ
2021年/84分 映像提供:NHK
公式HP:umi-darwin.com 公式 twitter:@umi_darwin
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NHK総合『ダーウィンが来た!』 毎週日曜 夜7:30からNHK総合テレビで放送中
番組ホームページ:www.nhk.jp/p/darwin/ts/8M52YNKXZ4
人間の手による色の演出を重視した「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」
NHKエンタープライズが展開する「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」は、NHKのスーパーハイビジョン番組制作を通じて培われたノウハウを活かした高解像度化サービスで、SD、HD映像素材をUHD並の高画質映像に変換するというもの。二度と撮影ができない過去の貴重な映像や、過去の名作ドラマやドキュメンタリーを現在の水準でレストアする需要は高く、これまでも数多くの映像を高画質にレストアしてきた。
「もともとNHKはBBC(英国放送協会)やフランスの放送局を相手にした国際共同制作が多く、自然番組なども数多く制作してきました。技術の変遷とともに高解像メディアの番組が中心となるなか、古い資料映像や4K・8Kカメラをもって入れない場所での映像だけが低画質だと、見栄えが悪くなります。既存の高解像度技術では満足のいく出来にならなかったため、自分たちでつくろうと着手しました」。こう語るのは、NHKエンタープライズで「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」の開発に当たっているエグゼクティブ・プロデューサーの伊達吉克氏だ。
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エグゼクティブ・プロデューサー 伊達吉克氏(NHKエンタープライズ)
www.nhk-ep.co.jp
コンピュータグラフィックスの専門家である伊達氏はもともとNHKのCG部出身で、ポストプロダクションにも造詣が深く、「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」のワークフローを確立した人物の1人だ。低画質の映像を高画質化するための処理は大きく分けて2つあり、ひとつはノイズを自動的にデノイズする映像解析処理を基礎とした高画質化の技術。もうひとつは暗所や街中、自然の中などの場所に応じた適切なグレーディングを行うことで見た目上でもノイズを低減する、熟練の作業者の手が介在する技術となる。
一般的に、高解像度化と言えば"自動的にコンバートされるもの"という印象が強いが、「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」ではこの「人の手の介在」を重視する。「NHKエンタープライズは演出の会社ですから、最も重要視するのは出来上がった映像の見た目と感じ方です。現在はAIを活用した映像変換などもありますが、今のところ機械的に変換をするだけでは我々が求めるクオリティには達さないという判断です。デノイズの量はどの程度が適切か? 色の調整はどの程度が適切か? こうした判断において、人間の情緒に訴えるであろう取捨選択をするためには、今はまだ人の手が必要です」(伊達氏)。素材の状態は年代や媒体によってもさまざまであるため、その全てに対応する完璧な自動処理は存在しない、ということだ。
具体的なワークフローは番組の内容によって処理手順が異なるが、想定ケースごとに3つに分類される。
▲「CASE1」はインターレース素材をインターレース仕上げする際のもので、例えばSD映像をHD映像にレストアする場合がこれにあたる。映像素材をキャプチャ後、odd/evenに分離し、それぞれデノイズおよびスケーリングを行い、インターレース後にカラーグレーディングを行うながれで、放送で使っていた映像を再び放送用にレストアする場合に多く用いられる
▲「CASE2」はインターレース素材をプログレッシブ仕上げする内容で、これはSD素材をHDドラマにレストアしたり、HD素材を4K・8Kにアップスケールする際のものとなる。こちらはキャプチャ後デインターレース処理を行い、デノイズ、スケーリング後にグレーディングを行うながれとなっており、海外との共同制作の場合に多いとのこと
▲「CASE3」はプログレッシブ素材をプログレッシブ仕上げするもので、4K素材を8K素材にする際など、比較的もとの素材の状態が良いケースとなる。デノイズ、スケーリング、グレーディングの手順で作業を行うが、最近撮影されたものであればデノイズ時点で映像が鮮鋭化するために作業効率が良い場合も多い。8Kカメラはまだ普及の途上であるため、4Kカメラでの撮影映像を高画質化処理する需要も高いという
いずれのケースも最後には技術者の手と目で、しっかりと演出的な意図を汲み取ったカラーグレーディングが行われており、一般的なコンバートにはないクオリティを実現している。
こうした処理は数多くのプロフェッショナルツールを用いて複合的に行なっており、伊達氏いわく「開発したオリジナルのプログラムで一括処理を行うこともできるが、今はUIがないためObjective-Cが直叩きできる人でないと使えない」とのこと。いずれにしても、最後のグレーディングでは出力媒体や映像の内容・制作時の背景などを踏まえた色の演出を行うため、今の段階では自動化の方向性を目指すのではなく、作業者によって品質に差が出ないようクオリティコントロールを強化したい考えだ。「NEP VIDEO RESTORE SERVICEはまだ完成ではありません。現在進行形で新たに制作している番組に向け開発した技術も、積極的に取り入れていきます。例えば今はロトスコープの間を補完する技術を研究していますが、この時間軸の補完をレストアにも活かせるはずです。この技術が完成すれば、レストアのエッジのアーティファクト除去が劇的に改善されると見込んでいます。現場の技術を応用することで、古いものが蘇る。技術がフィードバックしているんです」(伊達氏)。テクノロジーの好循環によって、「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」は今後も進化を続けていく。
200本におよぶアーカイブ映像を1本の映画作品としてつくり上げる技術
「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」を全面的に活用して制作されたのが、2021年6月11日(金)から公開されている『驚き!海の生きもの超伝説 劇場版ダーウィンが来た!』だ。『ダーウィンが来た!』は2006年4月からNHKで放送されている人気の自然番組で、NHKが独自取材した映像やBBCなど海外の放送局が撮影した映像、場合によっては民生機で撮影された研究者による貴重な映像を交えながらストーリー仕立てで動物の生態を紹介している。NHKが情熱を注いで撮影した映像の中には、動物の知られざる行動が明らかになる、生態に関する謎に迫るものなど、世界的に価値が高い映像も多い。
今回の劇場版は、これまでの『ダーウィンが来た!』シリーズで撮影された海洋生物のダイナミックな映像を1本のストーリーラインに沿って紹介しており、「二度と撮影できない貴重な映像資料」をレストアすることで、全編に渡って美麗な映像を楽しむことができる。プロデューサーの大上祐司氏は、同作におけるレストアの重要性をこう表現する。「『ダーウィンが来た!』シリーズは、年代が近いものから古いもの、それこそ4Kカメラで撮影された素材から過去の民生機で撮影されたものまで、数多くの種類の映像素材が使われています。そのまま劇場上映することもできますが、レストアを行うことで1本の劇場作品として通しで観たときにも違和感のないように仕上げることができます。デノイズやカラーグレーディングなどを含めて、画質としても、映像表現としてもクオリティを高めていくというのが今回の取り組みでした」(大上氏)。
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プロデューサー 大上祐司氏(NHKエンタープライズ)
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自然界の貴重な映像は、もう一度高画質で撮影しようと思ってもシチュエーションが合わなかったり、撮影対象が絶滅危惧種であれば二度と撮影することが叶わないというケースさえあり得る。こうした中で、動物の生態に迫る貴重な映像を高画質化して蘇らせることの社会的意義は大きい。
この際に重要なのは、映像としての表現が損なわれないようにレストアを行うこと。ノイズを完璧に除去するだけでは「最高のクオリティ」には達さないという。ノイズにも種類があり、フィルムグレインとして存在するものも演出として残した方が映像表現として正しい場合や、ノイズを消すことで色の鮮明さが増し、それによって従来感じていた印象と異なる表現に着地してしまうこともある。例えば、波しぶきなどはそれ自体がデノイズによって除去される対象にもなり得るが、本作の場合は海洋生物のダイナミックさを表現するために必要なものとなる。このため、カラーグレーディングの段階でしっかりとチェックをしながら取捨選択を行い、さらにカットごとに強調したい対象を決めてレストアを行なっている。
▲波の表現の事例。波そのものの映像的な美しさを追及するために光の波長の反射による青さを強調している
▲波しぶきの事例。先端の水の粒は自動処理だとノイズとして除去されてしまうが、「NEP VIDEO RESTORE SERVICE」であればこういった繊細な要素を残すことができる。また、前面の岩場のディテールも向上している
演出上で重要な要素がどこかなどの方向性は、監督の田所勇樹氏を含めた打ち合わせで決めていたとのこと。シーンごとに重要な表現は異なるが、例えば魚が象徴的なところは魚を見せる、サンゴの産卵はデノイズが強いとサンゴが消えてしまうなどといった注意点を洗い出し、レストアの時点での方針決めを行うことで修正の手戻りを少なくしていたという。結果的に試写会後の修正は2回程度で、全体のスケジュールもレストア自体は約1ヵ月と、全体のボリュームを考えれば短期で完了している。なお、最も難しかったのは民生用miniDVテープで撮影された、モンハナシャコが食料となる蟹をパンチする映像だったとのことだ。
▲高画質化とともに時間帯と光源を意識したカラーグレーディングも行なっている
▲水中カメラによる撮影では、水面の反射を意識しながらも色味自体に大きな変化を与えず、各部のディテールを向上させている
「とにかく本作品は貴重な映像が満載です。なかなか撮影ができない映像が数多く入っているドキュメンタリーになっています。全編に渡ってレストアの効果を使って1本のストーリーラインにしたのは初めての試みでしたが、良い作品に仕上げられました。大画面であれば映像の美しさやダイナミックさがより伝わりやすくなると思いますので、ぜひ劇場で見ていただけると嬉しいです」(大上氏)。