『ワンダーウーマン』、『ワイルドスピード SKY MISSION』、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』、『デッドプール』と、弱冠25歳にして彼の参加履歴には輝かしいハリウッド大作の名前が並ぶ。留学を含めたった4年の間でそれを成し遂げたのは、先ごろ6月11日(日)にCGWORLD +ONE Knowledgeの「背景コンセプトアート講座」に登壇した沢田匡広氏だ。現在、プラチナゲームズに所属し、コンセプトアーティストを務める彼がいかにしてハリウッドでキャリアを重ね、コンセプトアーティストの仕事までを任されるようになったのか。その道筋を辿ることは、これから国の境を超えてクリエイティブワークをする人へのヒントになるかもしれないと思い、お話をうかがったところ、元サッカー少年で英語はからっきし、絵を描いていたのは「中学の美術の時間程度」という、キャリアからは想像がつかない意外な姿が浮かび上がってきた。一体どのようにして現在の彼が生まれたのだろうか?

TEXT_ 日詰明嘉
EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota

20歳から本格的に絵を描き始め、デジタル・ドメインのマットペインターに

CGWORLD +ONE Knowledgeの講座でデモンストレーションを行なったコンセプトアート

ーー沢田さんはVancouver institute of media arts(バンクーバーメディアアート専門学校 以下、バンアーツ)を2014年3月に卒業されてから、すぐにマットペインターとしてハリウッド大作に立て続けに参加され、現在はコンセプトアーティストを務められています。それができた要因と具体的な経緯についてお話をしていただきたいと思いますが、まず、クリエイターとしての原点はどんなところにありましたか?

今でこそコンセプトアーティストの仕事をさせてもらっていますが、絵については実は20歳ぐらいまでまともに描いたことがなかったんですよ。高校でも芸術科目は音楽選択でしたから、絵を描いていたのは中学の美術の時間程度です(笑)。むしろ、中学まではプロサッカー選手になりたかったんです。ですが3年生のときに大きな怪我をしてしまい、その道を諦めざるを得なくなりました。その怪我で入院中にすることがないので映画を見ていたことがきっかけで映画好きとなり、いざ進路を決めるときに映像制作を学べる学部を選んだというわけです。

ーー立命館の映像学部に入学されたのはどんな理由からでしたか?

ドキュメンタリーのカメラマンになりたかったからという単純な動機からでした。学部は実写系でしたが、1回生のあいだに一通りのものに触れるなかではじめてMayaに触り、3DCGの面白さに気づきました。大学では実写を撮るサークルに入っていて、そこでは有り物を使って合成などもやっていましたが、その素材を3DCGを使い自分でつくれるようになりたいなと思いまして。そのうちに自分一人でやりたいことが見えてきたので3DCGを本格的に勉強したくなったんです。専門学校へ進むことも考えたのですが、親が許さなかったので、海外まで行けば本気だと思ってくれるだろうと考え、下調べをしていきました。

ーーそのなかでバンアーツを選ばれたのは?

アメリカでは四大を出ないと就労ビザが下りないのですが、カナダだと専門学校卒でも下りますし、そこから就職の道筋も考えた結果、というわけです。最初はFXアーティストになりたかったので、バンアーツのカリキュラムにHoudiniの授業があったことも同校を選んだ理由になりました。大学を2回生の前期で中退してからはHoudiniを使うトランジスタ・スタジオ(東京)でインターンをさせてもらいました。

ーーバンアーツの授業は英語で行われるわけですが、以前からお得意だったのでしょうか?

入学が3月だったので、2ヶ月前に渡って語学学校に行くはずだったのですが、肌が合わなくてすぐに辞めてしまったんです。だから入学してからは大変でした(苦笑)。幸いにしてそれまでソフトウェアは英語で使っていたので、先生が何を言っているのかわからなくても、機能の単語はわかるのでスクリーンの授業にはついていけたんです。クラスメイトとも最初は話せなかったのですが、1人、ドイツ人ですごく仲の良い友だちができて、彼に英語を教えてもらううちに他のクラスメイトとも打ち解けるようになりました。当時の友達とは今でも連絡を取るほど仲が良いです。バンアーツではカリキュラムのなかにマットペイントがあって、やってみたら今度はそれが面白くて、そちらに傾いていったというわけです。最初の志望がドキュメンタリーカメラマンだったのを考えると、ブレまくりですね(笑)。

ーーそして卒業後にMPCへマットペインターとして入られます。北米の専門学校を出たとはいえハリウッドへは"狭き門"かと思いますが、どのようにして最初のお仕事を得られたのでしょうか?

確かに映画を手がけている会社は人気が高いので競争も激しいです。マットペインターについてはジュニアに空きポジションが出ることも多くありません。僕なんて日本での経験もありませんでしたからなおさらです。それでも絶対に向こうで就職してやろうという意識は強くもっていました。ですので、若い人を採ることに積極的なMPCに絞って、オープンハウスという就職説明会のようなイベントに出席し、そこで名刺をいただいた方にポートフォリオを送り続けました。2回断られて、3回目でようやく採用していただけたときにはメチャクチャ嬉しかったですね。まるでラブレターを送り続けてようやく振り向いてもらえたかのようで(笑)。

ーーMPCでの最初のお仕事は何でしたか?

『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』(2014;日本公開年、以下同)でした。キャリアと信用がある方はヒーローショットといってCMやトレーラーに使われるカットを担当するのですが、入りたての僕には当然それがないので、画面に映るか映らないかくらいの細かい仕事ばかりでした。クオリティよりも量をこなした方が評価されるだろうと思ったので、そのときはスピードを意識してをひたすらこなしていました。

映画『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』予告編(60秒)

ーーその後、デジタル・ドメインに移られて『ワイルドスピード SKY MISSION』(2015)、『デッドプール』(2016)に参加されました。これはどのような経緯だったのでしょうか?

デジタル・ドメインは通常、仕事をはじめたばかりのジュニアが入れるようなレベルの会社ではないんですよ。なぜ僕が入れたかというと、運と人に恵まれたからだと思います。会社から厚い信頼を受けているマットペインター(当時)の佐々木 稔さんが推薦してくださったんです。稔さんとの出会いも、僕が学生の頃に夜遅くまで残って作業をしていたところ、先生が「お前は頑張っているから日本人の凄いマットペインターを紹介してやる」と連絡先を教えてくれて、そこから作品を送って見てもらったりアドバイスをいただいたりしたというご縁なんです。デジタル・ドメインに入れたことは大きなステップで、その後、トントン拍子でキャリアアップできたのも稔さんのおかげですね。

『デッドプール』日本版本予告(90秒)

ーーそして『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)ではまたMPCに戻られたわけですが、これは?

MPCにいたときに上司だった人がチーム長になっていて、その人が僕を気に入ってくれてリクルーターに頼んでくれたそうです。このときには大きなショットをまかせていただきました。

『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』トレーラー

ーー一度辞めた会社の上司からまた呼ばれるというのはハリウッドならではですね。

そうですね。それに向こうは1本単位での契約というのもあるので、様々なコネクションが非常に重要だと思います。マットペインターはレアなポジションなので空きがあまり出ませんし、未経験を嫌がる会社もあるので、一度入ってしまえば続けやすい職種だと思います。

ーーとはいえ、ここまでハリウッド大作に参加できるチャンスはなかなか訪れないと思います。ご自身として勝因は何だったと思いますか?

勝因は......運です(笑)。ただ、あまり調子に乗らないようにはしていました。僕より実力もキャリアも圧倒的に上の人たちが、謙虚に努力されているのを間近で見て、それをずっとかっこいいなと思って憧れていたので。なので自分も謙虚さを忘れずに生きてきました。

ーー海外のクリエイターは自己主張が強そうですから、日本人的なマインドで生きていれば謙虚さについてそれほど意識せずにすむのではないでしょうか?

そうですね。日本で働くときよりも圧倒的に気を遣わずに済みました。普通に接しているだけで良い人だと言われました(笑)。ただ、自己主張について言うと、僕の周りには押しの強い人はあまりいなかったと思います。というのも、誰にどのタスクが振られているのか、全員が見られる状態にあって、どのくらいの速度で終わらせているかもわかるんです。だから、「俺が俺が」となる必要はなかったんです。それによってお互いへのリスペクトもありましたし、上手い人のpsdファイルを盗み見ることもありました(笑)。そして僕らの上にはアートディレクターがいて、毎日のレビューでイエス・ノーを言われます。アートディレクターの言う通りにつくれば実際に良くなるというのを僕自身も実感していました。

ーー日本人として育ってきた経験や価値観が向こうで重宝されたことは何かありましたか?

う~ん......日本の画づくりが悪いというわけではないのですが、向こうで求められているものは真逆でしたね。やっぱり日本人はマンガやアニメで育つので、物体を平面で捉えるクセがついてしまっているのではないかと思います。僕も自分としてはかなり陰影を付けたつもりだったものが「Too Flat(平面すぎる)」と何度も言われたこともありました。今見るとそれも納得ですが。面白いのが、海外の方から絵を見せてもらうと、どんなに技術的に稚拙な人でも面としての捉え方や前後関係の把握はできているんです。日本人が向こうでやっていくにはその"捉え方"の矯正をしていくところから始める必要があると思います。もちろん、スタイルとして確立されたフラットであれば構わないのですが。僕もそれを活用できたらと思いますが模索中です。

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ダブル・ネガティブでの仕事を経て、コンセプトアーティストとして独立

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ダブル・ネガティブでの仕事を経て、コンセプトアーティストとして独立

ーー沢田さんはキャリアを重ねるにつれて求められることも大きくなってきたと思いますが、体感としてはどんなところが変わってきましたか?

マットペインターとしては大きなショットを任されるようになり、皆から注目されるのでそのプレッシャーが大きくなりました。大きなショットというのはトレーラーで使われたりする目立つショットのことで、締切も早くなるしクライアントにそれで気に入ってもらう必要もあるためクオリティも高くなくてはいけなくて、どんどんデッドラインが迫ってくるという感じでした。そのなかでも嬉しかったのは、ザック・スナイダー監督から直接ノートが返ってきたときですね。僕は彼の『ウォッチメン』を見て「CGって格好良いな!」と思っていたので、感慨ひとしおでした。内容は普通にショットに対しての指示で、そういった指示の中には面倒くさいと思うこともあるのですが、このときは嬉しかったですね(笑)。

ーーそして次はダブル・ネガティブで『スター・トレック BEYOND』(2016)に参加され、その後フリーランスのコンセプトアーティストになられるわけですね。コンセプトの方に自分のフィールドを移すきっかけは何だったのでしょうか?

大きなショットをまかせてもらっているうちに、グリーンバックで抜いて配置を決めたりといった提案ができる立場になり、その面白さがわかるようになってきたんです。それまでは、言われたことをこなしていくだけで必死だったのですが、もっと様々なことができたら良いなと思えるようになりまして。そのために絵を描いているうちに、どんどんコンセプトアーティストになりたいなという気持ちが強くなっていきました。そんな時、MPCから『ワンダーウーマン』(2017;日本では8月25日公開)と、もうひとつの未公開作品でコンセプトアーティストのお話をいただいたので、ダブル・ネガティブを辞めてフリーランスになりました。コンセプトアーティストになりたいと思った理由としては、ダブル・ネガティブにいた田島光二さんの存在も大きいです。田島さんとは仲良くさせていただいて、作品を見てもらったりSkypeを使ってアドバイスをもらったりもしました。僕がマットペインターとして8時間仕事をしている間にも、田島さんはコンセプトアーティストとして仕事をしつつ、さらに家に帰ってもまだ描いているんです。これでは差が開く一方だと感じ、思い切って僕もコンセプトアーティストになろうと決意しました。フリーランスとして独立したわけですが、それであれば日本でも仕事はできるだろうと思い立ち、2016年の秋に帰国しました。僕が知る限り、日本でコンセプトアーティストとしての仕事をするとなると選択肢はゲーム会社になると思います。なかでも絵が好みだったのと地元の大阪にあったということで、プラチナゲームズでお世話になることになりました。

映画『ワンダーウーマン』本予告【HD】2017年8月25日(金)公開

ーーマットペインターとコンセプトアーティストのちがいはどんなところにありますか?

使用するソフトがPhotoshopだったり、空気遠近法やラインティングの知識が必要というところでは似ている部分がありますが、求められているものがまったくちがうと思います。最初のうちはコンセプトアーティストには画力が重要なのかと思っていましたが、それよりも発想力が求められる仕事だと思いました。この仕事はコンセプトを提供するわけですから、「そこに行ってみたいな」と思わせるような世界を生み出す力が必要です。その際に画力があるに越したことはありませんが。

ーー影響を受けたアーティストはどんな方ですか?

海外のコンセプトアーティストが多いですね。Eytan Zana(『アンチャーテッド』)、 John Sweeney(『The Last of Us』)、Raphael Lacoste (『アサシン クリード』)、James Paick(『ロストプラネット3』)、Ryan Church(『アバター』)などが挙げられます。僕のサイトの作例を見ていただけるとわかると思いますが、これらの方の作風にはとても影響を受けています。SF映画でも『ブレードランナー』のような近未来都市というよりも、『オデッセイ』のような惑星・遺跡といった風景のほうが好きですね。

ーー沢田さんがコンセプトアートを描く際のスタイルであるフォトバッシュの方法はバンアーツで教わったのでしょうか?

いえ、ほぼ独学です。空気遠近法の考え方とか物の捉え方などは様々な人に教えてもらいましたが、フォトバッシュについては特定の誰かから教わったというわけではありませんね。

ーーコンセプトアーティストになった現在、3DCGを使う機会は減りましたか?

傾向としてはそうなのですが、逆に僕は3DCGを活用していこうと思っていて、最近はMODOを勉強しています。コンセプトアートというのはプリプロダクションですから、ベースとなるものを素早く出すことが求められます。70点、下手したら60点でいいんです。MODOはそれに適しているので、現在それを使ったワークフローの構築をしている最中です。MODOにリプリケーターという機能があって、ランダムにいろんなものを配置してくれるので、何パターンかモデリングをして直感的に面白いものが見えたらそれをレンダリングするというやり方です。これをすることでもう少し幅が広がるかなと思います。

ーーコンセプトアーティストしての努力を続けられている最中かと思いますが、今後またハリウッドでのお仕事に戻られる予定はありますか?

いくつかオファーをいただいているので、タイミングが合えばという感じですね。面白いことに、日本に帰国する前は送ってもナシのつぶてだったところからお話をいただけたりするんです。振り返って考えると、以前の僕は画力のなさもそうでしたが、自分が描きたいものばかり描いていたんですね。しかし最近は万人が見て格好良いと思えるものが何かをきちんと意識できるようになったと思います。僕らは「これがアートなんだ!」と言い張る画家ではなく、やっぱりつくったものの先にはお客さんがいる仕事なので、誰にでも伝わる格好良さというのは何なのかということを、最近は特に意識して描くようにしています。それがわかった上で自分の描きたいものを描ければベストだと思います。

ーー長期的なご自身の目標についてはどのように考えていますか?

せっかく絵を描いているのでいつかは自分の画集を出せればと考えています。あと、学生のときにみんなで映画をつくった経験は今でも楽しかった思い出なので、大勢でつくる何かの作品でアートディレクションができるようになれれば良いですね。死ぬまでに、自分の名前が大きく載ったコンテンツをつくりたいなと考えています。