谷 雅彦氏は、2001年から今日まで、20年近くにわたりIndustrial Light & Magic(以下、ILM)でジェネラリストとしてマットペイントを担当してきた。近年の参加作品を列記しただけでも、12月20日(金)に日米同時公開となる『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け(エピソード9)』、『アクアマン』(2018)、『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(2018)、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ(エピソード8)』(2017)、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒(エピソード7)』(2015)等々、大作が目白押しだ。
本インタビューは、そんな谷氏によるセミナー「映像の仕事術 ~クオリティー、完成度を上げる方法論~【対象年齢35歳以下】」(2019年8月)の開催直後に行なった。「6年半前に子どもが生まれ、仕事のやり方を変えなきゃいけなくなったんです。それがきっかけで意識し始めたことを、今回のセミナーでは『仕事術』としてお話しました」と語る谷氏が、本セミナーの中で触れた「育児」「凡事徹底」「美のトレーニング」という3つのトピックについて、掘り下げて伺ってみた。
TEXT_尾形美幸 / Miyuki Ogata(CGWORLD)
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota
なぜ、対象年齢を35歳以下にしようと思ったのでしょうか?
CGWORLD(以下、C):今回のセミナーは対象年齢を35歳以下に限定していたにもかかわらず、募集開始から10日未満で初回募集枠(45名)が埋まり、開催日を増やして追加募集した枠(45名)も2週間未満で埋まりました。アンケートに書かれた受講者からの評価も概ね高かったですね。こういった反響は予想していましたか?
谷 雅彦氏(以下、谷):対象年齢を35歳以下にしたのは僕の希望でしたが、人が集まるのかどうか非常に不安でした。順調に集まったと聞いて安心しましたね。ただ、1日目と2日目を通して、学生の参加者は1人しかいなかったんです。初回募集枠は学生が1人で、追加募集枠では全員プロという内訳でした。「大丈夫か? この業界......」って思いましたね。僕が考えていた以上に、かなり熱量がちがったようです。
C:募集ページには「学生にも参加してほしい」という主旨の谷さんのメッセージが書かれていましたが、10,800円(税込)の参加費は敷居が高かったのかもしれませんね。
谷:前回、4,000円くらいの参加費のセミナーをやったときにも、約100人の参加者の中で、学生は10人いるかどうかという割合だったんです。参加費を安くしても、学生が増えるとは限らないと思っていました。だから今回は逆に価格を上げて、それに見合う濃い内容の、今までにない切り口の話をしたつもりです。日本では、ゲームやアニメの方が人気があるようなので、「僕には関係ない」と思った人が多かったのかもしれませんね。VFX制作に限定した話というわけでもなかったんですが。
C:そうですね。ものづくり全般に通じる話が多かったように思います。そもそも、なぜ対象年齢を35歳以下にしようと思ったのでしょうか?
谷:僕は今48歳なんですが、僕より上の世代になると、自分なりの仕事術、仕事のやり方、方法論が確立しているから、あんまり刺さらないと思ったんです。業界を目指している学生や、業界に入って10年目くらいまでの、自分の方向性をまだまだ模索している世代の方が、僕の話が響くだろうし、迷う時間が短縮されるんじゃないかと思いました。36歳以上は必要ないとか、そういう排他的なことを考えたのではなくて、若い世代に向けて、彼らが要領よく成長できる道筋をつかんでもらいたいと思ったんです。
C:私は余裕で35歳を超えていますが、今回はインタビュアー特権でセミナーに参加しました。ターゲットを絞り、よりフィットした価値を提供しようとなさっていた点が印象的でしたね。セミナーで谷さんが語った「仕事術」は、参加費を払って受講した方だけが知り得た財産ですから、以降のインタビューでは触れません。今回はセミナーの中で深くは語られなかった「育児」「凡事徹底」「美のトレーニング」という3つのトピックについて、私個人がすごく興味をもったので、深掘りして伺いたいです。
▲谷氏がマットペイントを手がけた『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(2018)のショット
Topic1:育児「睡眠時間は圧倒的に少なくなりました」
C:セミナーの中で「6年半前に子どもが生まれ、仕事のやり方を変えなきゃいけなくなった」と語っていましたね。家での過ごし方にも、変化はありましたか?
谷:とりあえず、家にいなきゃいけない。生まれる前は、その時間を全部仕事に当てられたんですけど、そうもいかない。
C:お父さんが「仕事ひとすじ」だと、お母さんのワンオペ育児になっちゃいますからね。
谷:そうなんですよ。近所に両親や親族がいれば助かるんですが、僕らが住んでいるのはベイエリアですから。以前は21時とか22時、場合によっては24時近くまで会社にいましたが、今はなるべく19時までに退社するようにしています。
C:アメリカのスタジオでも、24時まで残業できるんですね。
谷:「明日までに何とか」って言われると、できるだけ突き詰めたくなってしまう。日本人だからとか、僕だからというわけでもなく、うちのメンバーは総じてがんばりますね。特に若手のアーティストや、シングル(独身)のアーティストは、毎日22時とか、23時くらいまでいます。
C:そういう社風ということでしょうか。
谷:社風っていうか、なんなんでしょうね。よく働きます。
C:ILMブランドを背負っている者としてのプライドですか?
谷:そこまで意識してるかどうかはわからないです。ただ、うちのメンバーはよく働きます。だから自分が特に働いているとは思っていなかったんですが、最近は早く帰るようになりました。割り振られたショットを、期日までにILMレベルのイメージまでもっていければ、その内訳は自分の好きなようにコントロールできるんです。僕に限らず要領のいい人は、ちゃちゃっとやって早く帰ります。そうでなくても「今日はどうしても早く帰らなきゃいけない」といった事情があれば優先されますね。家庭のことだったりすると特に。
C:「今日は娘の誕生日だから早く帰るよ」とか?
谷:そうです。そういうのはありますね。日本じゃなかなか理解されないかもしれませんが、「かみさんが病気してる」って言うと、「わかった、わかった。じゃあ帰れ、帰れ」みたいな感じです。アメリカだと家族が最優先されるので、細かい理由は聞かれないんですよ。
C:個々人のステージや事情に応じて、いろいろな働き方が許容されているんですね。谷さんの場合は、お子さんが産まれたのを機に、仕事のやり方を変える必要に迫られた。その結果、今の「仕事術」が生み出されたと......。
谷:はい。限られた時間の中で、周囲も自分もストレスを感じることなくフィニッシュまでもっていく術を考えました。ときがたてば変わってくる部分もあるかもしれませんが、中心は変わらないと思います。
C:先ほど「なるべく19時までに退社する」と語っていましたが、通勤は自動車ですか?
谷:はい。18時に退社すると渋滞に巻き込まれるので、19時頃まで待ってから退社します。渋滞がなければ20分前後で家に帰れます。帰ったら子どもと接する時間を優先させたいので、かみさんと子どもと僕の3人で夕食をとった後は、お風呂に入れたり、一緒に本を読んだりします。子どもは21時くらいに寝るんですが、一緒に本を読みながら自分も寝てしまい、目覚めると23時くらいになっている......という場合も結構あります。
僕の帰宅時間が遅いと、かみさんが子どもをお風呂に入れて、寝かしつけまでしないといけない。そこはなるべく分担したいので、早く帰るようにしています。帰宅してから、自分が本当に寝る時間までの間は思うようにコントロールできないので、カツカツに段取りを決めないようにもしています。
例えば、子どもというのは興奮しすぎて眠れないときもあれば、疲れて早く眠る日もあるんです。子どもの都合で、いろんな予定がだいぶ前後したりします。本当に日によっていろいろで、予定を立てても、その通りにはいかない。かみさんも僕も、今は子どもの学校のサイクルに合わせる必要があるので、本当に忙しいときは外食したりもします。あるいは家に帰る途中で何か買って帰ったり。
C:谷さん自身が「本当に寝る時間」というのは何時頃ですか?
谷:2時か3時頃ですね。子どもが寝た後で、自分のやりたいこと、例えば今回のセミナーの準備だったり、ちょっとした調べ物をしたりするので、睡眠時間は圧倒的に少なくなりました。以前は6〜7時間くらい寝ていましたが、今は平均すると4時間ですね。
C:4時間は少ない!! それだと、一緒に本を読みながら寝ちゃいますね。
谷:ええ。そういうプチ睡眠が結構あるので、なんとかなってます。会社にいても「これは眠い」と思ったら、5分とか10分とか、プチッと寝るようにしています。
C:どんな姿勢で寝るんですか?
谷:マウスを持ったまま座った姿勢で寝ますから、顔を見られない限りは気付かれません。
C:器用ですね(笑)。 帰宅時間は早くなったのに、睡眠時間は減ったというのは意外でした。起床後はどんな感じですか?
谷:6時半に起きて、朝食を食べて、子どもを学校に送り届けるのが8時15分くらい。その足で出社するので、会社に着くのは9時前くらいです。
C:つまり、今でも毎日10時間は会社にいるわけですね。
谷:納期が近くなってくると、以前のように遅くまで働くこともあります。最近でも、帰宅時間が24時を過ぎることが2回ほどありました。
C:車通勤で終電を気にする必要がないから、退社時間はかなりフレキシブルになるわけですね。会社での普段の過ごし方も教えていただけますか?
谷:出社後の1時間くらいは仕事はしてないです。自分がやりたいこと、習いたいことなどを、頭が一番さえている時間帯にやります。例えば、今はPythonを勉強しています。そういうロジック的なことは、頭のさえているときに集中してやるようにしています。
C:朝一番にそんなことをなさってるんですか?! 育児をやりつつ、インプットの時間もちゃんと確保していると......。
谷:仕事を始めるのは10時くらいからで、前日の帰宅前にレンダリングをかけた結果をチェックして、コンポジットをやり、午前中のデイリーでリードやスーパーバイザーに見てもらい、その反応によって午後の仕事が決まるという具合です。簡単な修正だったらその日のうちに対応できますが、「ちょっと面倒だぞ」となると、かみさんに「19時には帰れない。21時くらいになるかも」っていう電話をしたり。それで残業ができそうなら、やれるところまで詰めて帰るっていう感じです。
▲谷氏がマットペイントを手がけた『スター・ウォーズ/最後のジェダイ(エピソード8)』のショット
C:ちなみにお昼休みはどのくらいとるんですか?
谷:基本的にとりません。家からお弁当をもってきて、食べながら作業します。
C:本当によく働く(笑)。
谷:例えば、同僚がラストデーだから「集まって、最後の昼食を取ろうよ」っていうときは、1時間か2時間近くとりますけどね。そういったことがなければ、デスクでお弁当を食べながら、仕事をしたり、レンダリングをかけたりします。ニュースを見たり、リサーチをしたりする場合もあります。いずれにせよ、ほぼずっと自分の席に座っていますね。
C:ニュースというのは、VFXや映画に関連するものですか?
谷:いや、まったく関係ないです。世界の動向だったり、経済の様子だったり、会社がやっていることとは関係ないニュースを見ています。例えば「新しいツールを使って、数日で結果を出さなきゃいけない」という場合には、YouTubeで関連動画を探したりしますけどね。ただ、大切なプロジェクトに関わっているときは、ご飯はあまり食べないです。眠くなってしまうので。
C:睡眠不足の状態で食事をすると、猛烈に眠くなりますよね。
谷:はい。お腹が空いたら、ちょっとだけ食べる。炭水化物抜きで。
C:お話を伺っていると、かなりストイックに仕事や自己研鑽までしていて、ストレスが溜まりそうだなと思いました。
谷:ストレスはあまり感じていません。
C:睡眠が足りないと、イライラしたりしませんか?
谷:ソフトの遅さにはイライラしますね。18時半にはセットアップを終わらせて、レンダリングをかけて帰るという目標があるのに、データの読み込みに時間がかかったりして、マウスポインタがクルクル回り始めるとイライラする(笑)。「ちっ」「ああ......」みたいな感じのイライラは、周囲の同僚に伝わるくらい表に出していると思います。
仕事そのものに関しては、先が見えない状態だとストレスが溜まるんです。リードやスーパーバイザーにプッシュもされますしね。そうではない仕事のやり方(ストレスマネージメントができるやり方)に変えてからは、ストレスがかなり減りました。
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Topic2:凡事徹底
「家庭の会話はビジネスのそれとは勝手がちがう」
Topic2:凡事徹底「家庭の会話はビジネスのそれとは勝手がちがう」
C:セミナーの中で、谷さんは「凡事徹底が大切」とも語っていましたね。誰にでも簡単にできること、当たり前のことを、徹底してやっていくと、微差の積み重ねが大差となり、成果をあげることができるという考え方だと理解しています。じゃあ、谷さん自身が凡事徹底していることは何だろうと、気になりました。
谷:挨拶、笑顔、身だしなみ、トイレ掃除などがよく例に挙げられますが、僕が最近特に目標にしているのは「人の話を聴くこと」ですね。非常に当たり前のことなんですが、意外とできてない。
C:例えば、デイリーでスーパーバイザーからもらうコメントの本質まで理解するように努めるとか、そういうことでしょうか?
谷:広い意味ではそれも含まれますが、かみさんや子どもの話を聴くことの方が今の僕には難しいので、より意識して取り組んでいます。ビジネスの会話は、相手の話を聴いて、それを自分で精査して、「いや、こんなやり方はどう?」「あんなやり方もあるのでは?」といった提案をしますよね。一方で、家庭の会話はビジネスのそれとは勝手がちがう。かみさんの話を「そうか、そうか」とただうなずいて、とりあえず聴く。子どもの話もとりあえず聴いて、「こういうことが言いたいんでしょ?」と反復して、「そう、そう、そう」っていう共感を導き出すことが重要なんです。
ところが僕の場合は、かみさんの話をビジネスの感覚でもって「精査」して、頭から否定するような言い方をしたり、子どもの話を途中で区切って、自分の意見を言い始めてしまうことがよくありました。その結果、かみさんや子どもが何を言いたかったのかわからずじまいで、喧嘩に発展したこともあったんです。「こんなことを続けていたら、とんでもないことになる」っていう予感がして、もっと相手の話を聴こうと思うようになりました。
- これはね、意識しないとできないんですよ。トレーニングが必要です。聴くことに徹していると、相手は自分が承認されていると感じて、テンションが上がって、さらに話をしてくれるんです。で、相手が一通り話し終わって、「どう思う?」って聞いてきたときに、初めて自分の意見を言うようにしています。
C:デイリーの会話とは、そもそもの目的がちがうわけですね。家庭の会話の目的は、相手の承認欲求を満たすことでしょうか?
谷:そうですね。最近の子が最終的に抱える欲求は、自己実現の欲求だと思うんです。その下に承認欲求があり、さらに下に社会的欲求や、安全欲求がある。
C:マズローの欲求段階説ですか。
谷:ええ。あの説が科学的に正しいのかどうか、まだ結論が出てないんですけどね。ただ、結論が出てないから無視していいとは、僕は思わないので。承認をして、安心してもらって、次の段階にステップアップしてほしい。話を聴かないことで、成長の機会を奪い、ただの喧嘩で終わらせたくはないんです。子どもってね「ああ、お父ちゃんが認めてくれた」と感じたら、お絵かきでも、本読みでも、際限なく繰り返すんですよ(笑)。
C:そうやって、技を覚え、知恵をつけ、成長していくわけですね。
谷:ところが、自分がイライラしていたり、何かちがうこと考えていたりすると、そういう会話が全然できないんです。だからトレーニングが必要なんですよ。無意識に、それこそ箸を使うように「聴ける」ようになりたいんですが、なかなか難しいですね。
C:そういう会話はデイリーだと必要ないだろうと思いますが、若手のコーチングには活用できそうですね。
谷:自分が部下をもつ機会はそうそうないと思いますが、もし機会があれば、まずは聴くことを心がけたいです。僕が若い頃は頭ごなしにやらせる支配型のリーダーシップが大半でしたが、最近はサーバント・リーダーシップという、支援型のリーダーシップも注目されています。そこでも部下の話を聴くことが重視されていますね。さし当たっては、自分の生活の中で、ちゃんと人の話を聴くことを徹底していきたいです。
Topic3:美のトレーニング「概念にするには、集めなきゃいけない」
C:最後のトピックとして「美のトレーニング」について聞かせていただけますか? セミナーでは「これを語りだすと、2時間はかかる」とおっしゃっていましたが、受講者の中には「詳しく聞いてみたい」とアンケートに書いた人もいたし、私も気になりました。写真集『Silent Force』(2012年)の制作は、谷さん自身の美のトレーニングでもあったのかなと思ったのですが、実際のところはどうなんでしょう?
谷:当時は子どもが生まれる前だったので、金曜の夜、皆が帰宅した後のILMの駐車場を、24時くらいから撮り初めて、4時とか5時くらいに帰っていました。なるべく自動車のない状態で撮りたかったし、土日は休みだから、夜明けごろに帰宅して、ご飯を食べて寝るというサイクルを2~3年くらい続けていました。
「美」という言葉が正しいかどうかわかりませんが、僕が格好良いと思った現象、気に入った現象を集めたのが『Silent Force』です。映画や音楽などにも言えますが、僕が好きだからといって、ほかの人が好きとは限らない。たいていの人は、あの写真集を見て「綺麗だね」とは感じないでしょうが、「何かこだわりがあるんだろうな」ということが伝わればいいなと思ってつくりました。こだわり、つまり僕が執着しているところですね。それを自分がどれだけ言語化できるか試したものが、あの写真集なんです。
▲谷氏が撮影したILMの駐車場の写真。写真集『Silent Force』(2012年)より
C:「言語化」ですか。「写真」という最終形でアウトプットされる前に、谷さんの中で「言語化」が行われていたという意味ですか?
谷:目の前にある現象を、自分の中でどう言語化していくか、現象と言語を行ったり来たりする取り組みだったんです。例えば、この辺のさびとか、この辺の汚れとかに、僕は非常に引き寄せられる。その理由を、こうで、ああでと考えて、ひとつの文脈をつくり、写真集というかたちにまとめてみました。
▲「例えば、この辺のさびとか、この辺の汚れとかに、僕は非常に引き寄せられる」。写真集『Silent Force』(2012年)より
C:『Silent Force』の掲載写真を撮るときには、常に引き寄せられる理由を言葉にしていたわけですか?
谷:そうですね。カメラを構え、レンズを通して現象を見たときに、ゾクゾクってくる瞬間があるんです。そこで内省をしていくんです。例えば、手前の金網のメッシュと、奥の壁の色が、たまたま色温度の影響でちがって見えた。奥の壁は、後で色を変えたんじゃなくて、たまたま真っ赤になったんです。そこで手前の金網にピントを合わせたら、そこに乗っかっている汚れが毛のようにも見えて、異空間をつくり出していた。金網と壁の間に、異質な何かが入る可能性があって、映画的だなと思いました。そういう風に、『Silent Force』の写真は、どれもプラスアルファがほしい絵になっているんですよ。
▲「金網と壁の間に、異質な何かが入る可能性があって、映画的だなと思いました」。写真集『Silent Force』(2012年)より
C:異質な何かというのは、例えば、黒マントの男だったり、クリーチャーだったり?
谷:そう。そこにプラスアルファを加えると、ストーリーがつくれるような撮り方を意識しました。ただ、ぼーっと撮ったわけではなく、それなりの根拠をもって撮ったし、撮った中から掲載写真を選ぶときにも、選ぶ理由を考えました。考えながら撮っていると、カメラのフレーミングのやり方がちょっとずつ変わってくるんですよ。「そうそうそう、この感じ」というように、シックリくるフレーミングがわかるようになる。
そうやって自分の好きな世界観を集めていくと、概念が浮かび上がってくるんです。概念と現象、現象と言語の間を行ったり来たりすることで、「自分はこういうものが好きなんだな」ってことがわかってきて、ほかの人にも伝えられるようになる。「なるほど」とほかの人にも認めてもらえるところまで到達できたら、1本の柱が立つのかなって思います。
C:セミナーでは「自己ブランド」という言い方をなさっていましたね。「概念」という抽象的なものを「自己ブランド」の域まで昇華させるためには、まずは類似性のあるものを集め、わかりやすく示す必要があると?
谷:はい。概念にするには、とりあえず集めなきゃいけないんです。そして、ひとつにまとめるときに言語が必要になってくる。言語というのは、ちがうものを同じにする力があると思うんです。
C:昔、デザインの講義で出されたスクラップの課題を思い出しました。例えば「ロマンティック」「エレガント」「クラシック」といった概念にフィットするイメージを、雑誌や広告などから見つけてきて、スクラップするという課題です。同じように「自分の好きなもの」をスクラップしていくと、自分なりの新たな「概念」が浮き上がってきそうですね。
谷:イメージを集め、言葉にすると、解像度が上がって、ほかの人に伝わりやすくなります。結果的に、同じ目標に向かいやすくなるといった利点も出てくる。自分が意図したショットを市場に出しやすくなるし、ねらい通りの反応も得られるようになる。ただ、やり過ぎるとコモディティ化するんです。皆がそのパターン、そのスタイルを使うようになる(笑)。
スピルバーグ監督の初期のカメラワークは、ヒッチコック監督の模倣で、その後の世代がどんどん多用したので、似たり寄ったりの金太郎飴になってしまい、差別化が難しくなった。そういう弊害もあります。
C:『マトリックス』(1999)の公開後、やたらとカメラを360度回すショットが増えたアレですね。
谷:そう、そう。アレです。上手に真似ればセンスがいいんですけど、「はやっているから」という理由だけでやっても、オリジナルがもつ美にはかなわないんですよね。
C:スピルバーグ監督の作品や『マトリックス』、あるいは最近の『スター・ウォーズ』や『アベンジャーズ』シリーズを見て、「良いな」と思ったとしても、それが自己ブランドとして昇華されるまで「行ったり来たり」を繰り返す必要があるんでしょうね。
谷:気に入った作品をインプットした後、どうアウトプットするかが重要だと思います。インプットするだけだったら、ファンやマニア、オタクの域に留まってしまう。アウトプットすることで、一皮むけた表現者になれる。たとえインプットしたものがコモディティ化された作品であっても、アウトプットのやり方が独特だったら、自己ブランドになり得ると思います。
▲「インプットした後、どうアウトプットするかが重要だと思います」。写真集『Silent Force』(2012年)より
C:写真でも、スクラップでも、手段は何でもいいから、とりあえず「自分の好きなもの」を集めてみて、その後アウトプットすることが、美のトレーニングの最初の一歩ということでしょうか?
谷:そうだと思います。繰り返していくうちに、表現が洗練されていくと思います。
C:セミナーの最後、受講者からの質問で「どんな映画を見ればいいですか? 谷さんのオススメを教えてください」という主旨の質問があったのを覚えていますか? そのときの谷さんの回答が、今日伺ったお話を象徴しているなと思いました。
谷:何て言いましたっけ?
C:具体的なタイトルを、一切挙げなかったんですよ。
谷:ですよね。タイトルを挙げた記憶がない。人が履いたわらじを履くっていうのは、一番簡単なんですよ。僕が影響を受けた作品は言えますが、僕の履いたわらじを履いて仕事をすることを目標にしているわけではないでしょう。僕の挙げた作品が固定概念になって、自分の発想が停滞してしまうのは、全然僕の意図するところじゃないんです。
そこはぜひ、自分で探してみてほしい。絶対に僕と一緒ではないですから。「そこが、あなた独自の美意識であったり、価値観を生み出す最初のステップなんじゃないでしょうか?」と思うんです。僕に合わせてる場合じゃないんです。
C:今回のインタビューを通して、お父さんとしての一面から、アーティストとしての一面まで、いろんな谷さんの側面に触れられて、非常に視野が広がりました。お話いただき、ありがとうございました。