>   >  新・海外で働く日本人アーティスト:トランペット業界から、独学でVFX業界へ転身 第38回:高坂俊弘(Pixomondo Toronto / Senior Asset Artist)
トランペット業界から、独学でVFX業界へ転身 第38回:高坂俊弘(Pixomondo Toronto / Senior Asset Artist)

トランペット業界から、独学でVFX業界へ転身 第38回:高坂俊弘(Pixomondo Toronto / Senior Asset Artist)

海外のVFX業界には、ユニークな経歴をおもちの方も少なくない。筆者の周囲にも「前はサーカスにいた」、「戦車に乗ってた」、「寿司職人だった」、「本職はプロレスラーとロックバンドだが合間にVFXをやっている」、「プロジェクトの合間はヘリコプターのパイロットとして空を飛んでる」などなど......本当に様々な方がいる。今回、ご登場いただく高坂俊弘氏も、トランペット業界から転身を遂げたという経歴をおもちだ。では、さっそくお話をうかがってみることにしよう。 

TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

Artist's Profile

高坂俊弘 / Kosaka Toshihiro(Pixomondo Toronto / Senior Asset Artist)
宮城県生まれ。幼少時にアメリカに移住し、現在、カナダ在住。2005年にニューイングランド音楽院をトランペット専攻で卒業後、著名トランペットメーカーであるモネット(David G.Monette)で4年間、金管楽器製造に携わる。その後、転職を決意しWebデザイン、モーショングラフィックス、3DCGを独学。2013年に大手電気通信会社ベル・カナダ(Bell Canada)育成プログラムである3DCG部門のインターンを経て、2014年3月にSoho VFXに3D Artistとして入社、映画『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』などを手がける。2015年8月にMr.XにAsset Artistとして移籍。2019年1月に現職のPixomondoにSenior Asset Artistとして移籍し、現職

<1>トランペット業界を去った後、独学とインターンシップでCGを学ぶ

――どのような学生時代を過ごされましたか?

小学校1~2年生の間は日本で、その後はアメリカで学生時代を過ごしました。小学校から大学院まではトランペットに夢中だったので、やはり「トランペットの演奏を仕事にするんだろうな」とずっと思っていました。その一方でゲームが好きで、中でもグラフィックスがリアルなゲームに魅かれていました。

しかし、オーケストラのオーディションやトランペットの練習のことしか考えておらず、映画やゲーム業界に関心はあったものの、そういう仕事があることすら考えていませんでした。

音大を卒業後、トランペットメーカーとして有名なモネット(David G.Monette)に就職しましたが、金管楽器の製造で自身に限界を感じ始め、キッパリ退職しました。当時は、ヴァイオリン奏者の妻もオーケストラのオーディションで行き詰ってましたが、僕が退職した1ヵ月後に、見事カンザスシティのオーケストラに受かりました。

この時期に僕の3DCG独学と就職活動が始まりました。一時、モーショングラフィックスを使った低コストのCM制作の仕事に就きましたが、3ヵ月余りで社長が長期入院になって会社が立ちいかなくなり、失業したこともありました。その後、妻がトロントのオーケストラのポジションを勝ち取り、トロントに引っ越したことが、僕がVFX業界に入っていくキッカケとなりました。

――モネット時代は、どのようなお仕事を担当されていたのですか?

モネットは、ウィントン・マルサリスメイナード・ファーガソン(1928-2006)などの一流トランペット奏者を顧客にもつトランペット・メーカーです。メイナードは一度だけ、ウィントンは何度か工場やコンサートでお会いできましたが、二人ともオーラが凄かったです......。ちなみに僕の学生時代の先生、エドモント・コード氏とチャールズ・シュレーター氏は2人とも、社長であるモネット氏の友人でした。

モネットでは、主にトランペットのピストン組み立てとフィッティング、スライドのフィッティングを担当していました。LatheやHoningの機械を使い空気漏れを最小限に抑え、かつピストンとスライドがスムーズに動作するようにする「ファイナル・アッセンブリー」というポジションです。また、それ関連のリペアやクリーニング、Webサイトの管理なども行なっていました。基本的なHTMLやCSS、Photoshopなどは理解していたので僕の転職へのルーツはすでに整っていたのかもしれませんね。

――管楽器製造からVFX業界へ転身するにあたり、DCCツールはどのように習得されましたか?

独自に学んでいた僕にとっては、大手電気通信会社ベル・カナダでの無給インターンシップこそが、専門学校のようなものでした。ここのCG部門は、どちらかと言えば専門学校卒業後に業界に入れなかった生徒たちの、「先生のいない合宿」のような感じでした。

個人制作やチーム制作など様々なプロジェクトがありましたが、独学したものがフルに活かされて充実した日々でした。一番やりがいのあったプロジェクトは、各自が様々なトラックをモデリングし、それがロボット型に変形、集合、分解/合体、そしてベルの携帯電話になる、という内容のものでした。

また、ライバル通信業者のRogersの店舗に赴いて、どのような携帯ラインナップがあるのか、店員の数や顧客対応ぶりは、などの調査に行くこともありました(笑)。

――VFX業界への就職活動はいかがでしたか?

トロントに着いて最初の数ヵ月は、今まで独学でつくったCGでデモリールを制作し、ジュニア・レベルのポジションに応募しました。

専門学校に通っていなかったので、コネや業界の知識すらなく、せめて一歩だけでも踏み出さないと何も始まらないと思い、無給インターンシップですが、前述のベルが実施する3DCG部門の育成プログラムへ応募し、そこではじめてCGの話ができる知り合いをつくることができました。

そのうち、ベルの仲間が紹介でSoho VFXに入社し、僕はその仲間の紹介で面接に呼ばれ、専門学校に行くことなく初めて業界に入るチャンスが訪れました。

忘れもしません。Soho VFXの社長Allan Magled氏と面接した際、「君に才能があるのはわかった、何とかしてやる」と言われ、その場で契約しました。

僕が入りたかったのは3Dのポジションだったのですが、そのときの空きポジションはコンポジターだったため、「3Dのデモリールを若干コンポジター寄りにしたもの」で応募したのですが、結果見透かされて契約書には「3D」と書かれていました(笑)。

その後、さらに高いレベルのモデリングを求められる環境を目指し、知り合いの紹介で映画版『バイオハザード』などを手がけたMr. Xの面接を受けました。1度目の面接の際は、もっとシニアレベルのアーティストが選ばれ、採用には至らなかったのですが、半年後に再び求人が出ていたので、前回面接を受けたマネージャーに連絡を入れ、インターミディエート・レベルの枠として雇用されました。

Mr. Xで参加した映画『ヘルボーイ』(2019)では、ヘルボーイと、そのほかのデジタル・ダブルを担当しました。筋肉や皮膚のシミュレーションにZIVAを使用したので、各クリーチャーの筋肉のモデリング補助をするツールと、それをほかのモデルとシェアできるようにするツールをスクリプトしました。ZIVAのシミュレーションが正常に動作する基準がとてもシビアなので、ジャストなものをつくるのに苦労しました。

現職のPixomondoへの転職も、知り合いの紹介で面接に通してもらいました。応募するタイミングは、インサイダー(内部関係者)がいなければ見極めが難しく、僕の場合は「Pixomondoが新しいプロジェクトのために求人している」と聞きつけたと同時に、そこでのSoho VFX以来の知り合いから誘いがありました。


モネット時代、ウィントン・マルサリスのコンサート会場に出張し、本番で使用する楽器の調整を行なった後に"慣らし"を行う高坂氏

次ページ:
<2>Pixomondoで映画・TVシリーズのVFX制作に打ち込む日々

その他の連載