>   >  新・海外で働く日本人アーティスト:LAを拠点にフリーのフィルムメイカー / エディターとして活躍 第40回:内田 尭(Film Editor / Director / Writer・Freelance)
LAを拠点にフリーのフィルムメイカー / エディターとして活躍 第40回:内田 尭(Film Editor / Director / Writer・Freelance)

LAを拠点にフリーのフィルムメイカー / エディターとして活躍 第40回:内田 尭(Film Editor / Director / Writer・Freelance)

今回は久しぶりに、映画制作、特に編集を多く手がけるフィルムメイカーに登場いただいた。アメリカで日本人が働くためには就労ビザが大きなネックとなる。就労ビザは個人では申請ができず、スポンサー企業を通すことになるが、映画業界でフリーランサーとして働く場合、これらの制約から就労ビザの申請が難しいのが現実である。今回、登場いただいた内田氏も、ビザで苦労した経験をおもちだ。将来、ハリウッドでエディターを目指す方には参考になる点も多いのではないだろうか。それでは、さっそく話を伺ってみることにしよう。

TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

Artist's Profile

内田 尭 / Takashi Uhchida(Film Editor / Director / Writer・Freelance)
東京都出身。2015年、南カリフォルニア大学 映画芸術学部をTV/Film Production専攻で卒業後、LAを拠点にフリーランスのエディターとしてキャリアをスタート。俳優ジェームズ・フランコがプロデュースした映画編集に携わったのち、Netflixオリジナルアニメーション『コング/猿の王者』や、現代アーティストBehnaz Farahiのプロモーション映像の制作、ボーカル・ブループGReeeeNと映画『愛唄 ー約束のナクヒトー』のコラボMVなど、ジャンルに捉われず多岐に渡る映像制作活動を続ける。現在はワーナー・ブラザーズ出資の長編映画『Voodoo Macbeth』の編集、および短編アニメーション『紫陽花』(仮題)を目下製作中。IMDBでは内田氏の参加作品などが視聴可能だ
www.imdb.com/name/nm7067960

<1>ビザ取得では、移民弁護士の理不尽な要求に振り回され

――日本ではどのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか。

とにかく映画が好きで、暇さえあれば映画を観ていたような気がします。好きが高じて自分でも映画をつくっていたのですが、なかなか思うようには撮れませんでした。あの頃は、やりたいことと自分のアウトプットのスキルが全く噛み合わず、身の丈に合わない作品を目指しては、失敗ばかりしていました。

そういうこともあり「映画関係の仕事に就きたい」という願望はあったのですが、理想の映画制作者には到底辿り着ける気がしませんでした。悩みながら調べているうちに、自分の尊敬する映画監督の多くが、映画学校の出身であるというのを知り興味をもったのですが、それでも「すぐにそこへ行きたい」とは思いませんでした。それには、体系化された教育で映画を学習するということに納得がいかない部分もあったし、「そもそも映画業界へ行けるのか?」という気持ちもあったからです。

ただ、悩んでいた中で、海外留学自体にはとても惹かれました。逡巡の末、高校卒業後に「すぐ映画を学ぶのではなく、とりあえず日本以外の文化圏で視野を広げてみよう」という気持ちで日本を発ちました。

――留学されたときの話をお聞かせください。

まず、ニューヨークの州立大学で文化人類学を専攻しました。州立大学で学部生をしている間も「映画学校に行くべきか」という悩みが自分の頭の中で常に渦巻いていた訳ですが、決め手となったのは「自分は、アメリカ国内では外国人である」という点でした。

外国人かつキャリア・バックグラウンドをもたない自分が、アメリカ国内の映画産業に食い込むには、映画学校に行くしか方法がないかなと。そういう訳で、アメリカ国内のフィルム・スクールにひと通り応募して、USCの大学院に進学を決めました。同じ頃に日本からの奨学金が決まったのも、進学の後押しになりました。

――海外の映画業界での就職活動は、いかがでしたか?

卒業後のOPT期間(※)を利用することでフリーランスとして仕事ができた関係で、一度仕事をした方と、その後も続けて一緒に仕事をするというケースが多かったです。卒業後、最初の仕事が俳優のジェームス・フランコが執筆した『Actors Anonymous』という小説の映画化作品だったのですが、これも大学院時代に一緒に短編をつくっていた同級生のプロデューサーからの誘いだったので、「本当に、人の縁があってこそだなぁ」、と。

※OPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング):アメリカの大学を卒業すると、自分が専攻した分野と同じ業種の企業において、実務研修を積むため1年間合法的に就労できるオプショナル・プラクティカル・トレーニングという制度がある。専攻分野によっては1年以上の就労が認められるケースもあるので、留学先の学校に確認してみると良い

卒業後は就労ビザについて何人かの移民弁護士と相談したのですが、厳しい現実を突き付けられました。その時点で目立っていたクレジットが『Actors Anonymous』の映画編集だったので、とりあえずエディター(編集者)としてO-1ビザを取るという話にまとまったのですが、ある移民弁護士からは「これに、あと2本、長編映画の編集をしてください」と言われ、「無茶なこと言うなぁ......」と思いました。

加えて、「アシスタントの仕事ではクレジットとして認められないから、小中規模でいいので映画編集の仕事だけをしなさい」とも言われ、とりあえずその方針でOPT期間を過ごしていたのですが、これがなかなか難しかったです。エディター買い手市場のLAで、映画編集の仕事なんてそうそうありません。結局、「弁護士が言ってるんだから仕方ない」と言い聞かせて、悶々とOPT期間を過ごしていた記憶があります。

輪をかけて理不尽だったのは、その後、幸運が重なって何とか2本の長編映画を編集する機会を得て、そのクレジットを携えて意気揚々と移民弁護士のところに戻ったら「まだ公開されてないからビザの申請は無理」と言われてしまったときです。1年間に制作に携わった3作の映画が、その1年の間にすぐさま全部公開されるなんてことはあり得ません。あまりの言い草に腰が抜けましたが、返す言葉もなく、トボトボと弁護士事務所をあとにしました。

ただ、同じクレジットを携えて別の移民弁護士のところに行くと、そこでは「ビザ取得に十分なクレジットが溜まっている」との判断でした。実はここがポイントで、一口に移民弁護士と言ってもストラテジーが様々にあって、大事なのは「自分の条件に合った弁護士を探す」ことなんです。その弁護士は、当時、探すのに苦労していたビザのスポンサーになってくれるエージェンシーを見つけるためアドバイスをくれるなど、書類作成以外の面でも相性があっていた点が選ぶ決め手となりました。

もう1つ、これは結果論ですが、先に断られた弁護士の「映画編集の仕事だけをしろ」と言うアドバイスは、理不尽で難しいアドバイスではありましたし、しかもそれに従ったにも関わらずビザ申請の依頼を受理しないと言う散々な結果でしたが、彼のお陰でOPT期間中は映画エディターとしての仕事に集中することできました。

そういう意味では、彼のアドバイス自体には大きな価値がありましたし、様々な人に話を聞くことができたので、結果的に良かったのかなと思っています。


編集作業中の内田氏

次ページ:
<2>フリーランスのエディターとして、映画・TVシリーズなど、様々な作品に携わる

その他の連載