>   >  新・海外で働く日本人アーティスト:映画やアニメへの関心が薄かった少年がハリウッドで活躍するようになるまで 第52回:平井豊和(Mr.X / FX Key Artist)
映画やアニメへの関心が薄かった少年がハリウッドで活躍するようになるまで 第52回:平井豊和(Mr.X / FX Key Artist)

映画やアニメへの関心が薄かった少年がハリウッドで活躍するようになるまで 第52回:平井豊和(Mr.X / FX Key Artist)

今回は久しぶりにオーストラリアからお届けしよう。オーストラリアには複数のVFXスタジオが存在するが、その中の1つ、Mr.X(元Mill Film)にてFX Key Artistとして活躍しておられるのが、平井豊和氏である。中国と日本での経験をバネにオーストラリアでのポジションを獲得された平井氏は、海外での就職活動は「タイミングと運に左右される」と語る。では、さっそく平井氏に話しを伺ってみることにしよう。

TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

Artist's Profile

平井豊和 / Hirai Toyokazu(Mr.X / FX Key Artist)
東京都北区出身。法政大学情報科学部を卒業後、中国無錫市で立体映像の技術者として従事。日本に戻り株式会社トランジスタ・スタジオでCGデザイナーとしての経験を積みながらデジタルハリウッドや東京デザイナー学院で講師を務める一方、各セミナーでの登壇や書籍の執筆をするなど多方面で活動。2019年7月にオーストラリアに渡り、映画のVFXを中心とするエフェクトアーティストとして活躍。著書に『Houdiniではじめる3Dビジュアルエフェクト』(工学社)がある。

<1>大学ではじめて使ったMayaから一気に3DCGの道へ

――日本での学生時代の話をお聞かせください。

実は、昔から映画やアニメを観ることがほとんどなくて、子供の頃は「将来自分が映画を制作する」なんて微塵も考えたことはありませんでした。映像自体に興味がないこともなかったのですが、あまりストーリーに興味が湧かないことが多かったんです。小学生のときに親がビデオで映画『タイタニック』を観ていたときには「船が沈み始めたら教えて」と言って、クライマックスだけしか観なかったことを覚えています(笑)。

少年時代には、私の世代では珍しいほど幼い年齢で、自分のPCを親に与えてもらいました。当時はブログも普及しておらず、個人のホームページを所有することがステータスのような風潮があったので、htmlやcssを勉強してよく仮想のWebページをデザインして楽しみました。打ち込んだテキストが可視化されることに喜びを感じる気持ちは、この頃から変わらないのかもしれません。

映像作品はあまり観なかったものの、たまにテレビに映る3DCGのメイキング映像で作業画面のワイヤーフレームを見て高揚していたことは覚えています。それまで自分の画面に映し出していた平面的で凡庸なものとはちがい、その立体的に描写されていく複雑な図形には心底驚き、魅了されていました。しかし当時は安価なソフトウェアも少なくて、何から始めればいいのか全くわからず、しばらくCGを始めるには至りませんでした。

特に夢や目標もないまま大学に入学すると、Mayaを使った3DCG制作の選択授業があって、それから一気に傾倒しました。そして学内のCGコンテストに応募してみたところ、その年度の優秀賞を獲得できたことで自分の作品が他人に評価される喜びを知り、輪をかけて興味が加速していきました。

――日本でお仕事をされていた頃の話をお聞かせください。

大学で所属していたゼミの教授が会社を経営されていて、その会社と提携していた中国の企業からスカウトされました。そこで、単身で中国に渡って、大学で研究していた両眼視差による立体映像の技術者として従事しました。このときは常に通訳がアテンドしていたので言葉の面で困ることがなく、単純に外国で日々を送る上での楽しみや喜びを体験できました。

元々は立体映像制作のための資料を作成したり、Mayaのインハウスツールをつくったりということがメインで、あくまでもデザイナーの補佐役だったのですが、ひと通りの任務が終わって時間をもて余したときに、「エフェクトアーティストが辞めてしまったので、試しに代わりをやってみないか」と誘われたんです。

そこで、エフェクト用のツールとして薦められたことでHoudiniの存在を知り、半ば時間潰しのつもりで始めたところ、その合理的なアーキテクチャが驚くほど自分の性に合うことがわかり、我を忘れて没頭していきました。その後に業界内での注目度が急上昇するツールの1つであるHoudiniに偶然巡り会えたことは、本当に運が良かったとしか言えません。

1年半ほどで中国から帰国し、本格的にHoudiniを使った仕事をしてみたいという気持ちから本誌のWeb連載「Houdini COOK BOOK」の著者としても知られる秋元純一さんに憧れて、トランジスタ・スタジオに入社しました。

入社当時から「時間の限り、少しでも手を動かしてスキルを上げるように」と指導を受け、毎日朝から晩まで職場にいて、仕事の合間を見つけてはツールの勉強をしたり、自主制作に励んだりしました。2014年に制作した個人作品『リアルぷよぷよ』は今でも自分の代表作で、僅かなアイディアとロジックだけで人々の興味を惹く作品をつくるという、自分のスタイルを実によく体現していると思います。

Puyo Puyo w/ Houdini from らい(HIRAI Toyokazu)

また、若手にも露出のチャンスが与えられるよう取り計らっていただいたおかげで、私も学校で講師をしたり書籍を執筆したりと貴重な体験をたくさんさせていただきました。仕事面でも、入社当初から単に上司からの指示を受けるというだけでなく、実際にクライアントとの打ち合わせに参加させていただいたりなどして、案件の動向を俯瞰で把握することができました。今あまり英語が聞き取れなくても、スープやディレクターの意図を概ね推測ができるのは間違いなくこのときの経験の賜物です。

――海外の映像業界での就職活動はいかがでしたか?

中国から帰国してからは、海外で働くつもりはいっさいなかったのですが、2018年末頃に鍋 潤太郎さんが村上勝和さんをゲスト・スピーカーに迎えて開催された「ハリウッドVFX業界就職セミナー」の存在を知って、何気ない気持ちで参加してみたところ、これが大きな転機になりました。

海外でVFXアーティストとして働くことがすごく魅力的に思えて、ずっと抱いていた「いつか流暢な英語を話せるようになってみたい」という漠然とした思いと、丁度ふつふつと湧いていた「また新しい何かに挑戦したい」という気持ちが相まって、それまで考えたこともなかった海外への移住という考えが、一気に湧き上がったんです。

そのときに息子がまだ生後僅か半年程だったので、海外移住は難しいかとも思ったのですが、妻や両親や周りの方々が協力的にサポートしてくれたおかげで、円滑に進められました。また息子にとっても、今となっては貴重な体験をさせてあげられているので、むしろ良い判断だったと思います。

とはいえ、今になって実際に海外の体制を知っていく中で、海外の大手スタジオでは「全てがタイミングと運に左右される」ということを強く感じます。例え高い技術をもっていても、企業側が募集するタイミングでないと入社できないし、人員削減したいと判断されたら冷然とレイオフされるような業界なので、特に私のように家族連れで移住する場合は、それなりの覚悟が必要だとは思います。

振り返ってみると、「海外で働きたい」という考えが湧き起きてから実際に働き始めるまでが約9ヵ月程しかなく、急な決断でも意を決して行動すれば、何とでもなるものだなあと感じています。


Houdiniを駆使しての作業風景

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