本連載としては久しぶりに日系アメリカ人の方に登場いただいた。子供の頃からアニメーションに親しみ、そのままアニメーターの道へと進んだ山本実也子氏は、現在フリーランサーとして北米・ロンドンなどで活躍中だ。今回は英語で行われたインタビューを、筆者の意訳によってお届けしよう。

記事の目次

    Artist's Profile

    山本実也子 / Miyako Yamamoto(Animator / Freelance)
    カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。2019年にサバンナ芸術デザイン大学アニメーション学科を卒業後、MPCモントリオールにてアニメーターとしてのキャリアをスタート。コロナウイルスのパンデミック期間中はロサンゼルスに戻り、テキサス州にスタジオを持つRooster Teethとリモートワークで勤務。2021年にカナダに戻り、MPCモントリオール、Digital Domainモントリオールにて勤務。2022年10月にロンドンのDNEGに移籍、その後はフリーランスとして活躍中。最近の参加作品には、映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』や『トップガン マーヴェリック』、『Coyote vs. Acme』(原題)などがある。

    <1>父の職場で、映画づくりの魅力を知る

    ――子供の頃や、学生時代の話をお聞かせください。 

    私の両親はサンフランシスコで生まれました。父は、少年時代から短編映画を撮ったり、コミックを描いたりとクリエイティブな少年だったそうです。父はその後、3DCGの黎明期に自分の会社を設立し、プレビズの分野でキャリアを積み、現在もレイアウト分野で働いています。

    子供の頃に映画に興味をもち始めた私を、夏休みの間に父がよく仕事場に連れて行ってくれました。父はとても仕事熱心で、クルーたちと楽しみながらシークエンスのアイデアを生み出していく光景は、まるで制作現場からエネルギーが放出されているような、熱気と魅力が感じられました。

    夏の間、私は父のオフィスの隅にあった自分の小さな机に座り、自分なりにアニメーションをつくっていました。アニメーションやストーリーテリングについて何も知らなかったので、子供が描いた稚拙なものでしたが、その作業自体はとても楽しかったです。このとき、私は「将来は、アニメーションを仕事にしないと!」と思っていました。

    思えば、私は幼い頃から「映画業界で働きたい」という気持ちをずっともっていたと思います。中学と高校で短編映画をつくる映画の授業を受け、自分の作品が試写される番がくると大変恥ずかしかったのですが、アニメーションの作業プロセスそのものが大好きだったのを覚えています。

    大学では、SCAD(サバンナ芸術デザイン大学)に通い、アニメーション専攻プログラムを学びました。この大学は私にあらゆる種類の人々と、クリエイティブな世界がいかに広大であるかを気づかせてくれました。

    毎朝8時から夜8時まで大学にいました。校舎の建物には窓がなかったので、外に出て太陽の光を見るまで、時間の進み具合が速いのか遅いのか、わからないような生活を送っていました。朝からクラスを受講しクラスの合間など、夜にコンピューター・ラボが開くまで、仮眠を取っていました。

    アメリカの美大は課題や宿題が多く、日中は授業、夜間は課題に追われる日々で、同じ専攻プログラムを受講している学生は、ほぼ全員が睡眠不足でした。睡眠不足のせいで、いつも幻想が浮かんでくるような状態でした。

    そんなハードな学生生活でしたので、私たちの大学名SCADは、学生たちの間では「Sleep Comes After Death」(死んだ後に眠りが訪れる) などと言われていました(笑)。

    あるとき、学期末の最終週にとても疲れていたので、「授業前に1時間だけ家に帰って、軽く昼寝しよう」と思ったのですが、目が覚めると5時間も経過していて、外はもう真っ暗、クラスも終わっていました。幸いにも、すでに課題を提出してあったので、大きな問題にならずに済みましたが……。

    このように大変な学生時代ではありましたが、夜通し課題に追われながら真夜中の2時に食べ物を調達に行ったり、夢中で過ごした深夜の日々が懐かしいです。この学生時代に培ったガッツや忍耐力は、今でも役立っていると思います。

    ――映像業界への就職活動は、どのようにされましたか?

    大学時代に、短編アニメーション作品をいくつか制作しました。成功も失敗もありましたが、このときに出会った教授が、私をカナダのテクニカラー・アカデミーでのインターンシップに推薦してくれました。

    テクニカラー・アカデミーは、10週間のトレーニング期間を経て、テクニカラー傘下のスタジオへ1年契約で配属されるというもので、最終的にはMPCモントリオールに行けることになりました。

    大学では、よりカトゥーンニィ(アニメ風)なスタイルのアニメーションを中心に学んでいましたが、途中で「VFX スタイルの方が、より就職の幅が広がる」ということに気がつき、最終的には就職することができました。

    テクニカラー・アカデミーへの応募プロセス自体はシンプルで、面接は応募者の人柄を確認するような内容でした。

    テクニカラー・アカデミーは、大学を卒業した1週間後に始まる予定だったので、アメリカ人の私がカナダの就労ビザを申請するために、学位の書類を急いでカナダに送らなければなりませんでした。幸いなことに、NAFTA(北米自由貿易協定)の制度のお陰で、スムースに処理することができました。

    カナダでのビザ申請も、私の経験と学位のお陰で難なく進みましたが、後にイギリスのスタジオへ移った際には、イギリスの就労ビザの手続きには3ヵ月間も要しました。

    自宅でのリモートワーク風景

    <2>フランス語の練習には、勉強中の友達との会話が効果的

    ――最近参加された作品で、印象に残るエピソードはありますか?

    実写とアニメーションを融合させたコメディ映画『Coyote vs. Acme』は、非常にカトゥーンニィなスタイルでした。過去にアニメ風の作品に携わったことは何度かありましたが、この作品のスタイルは一線を画すものがありました。

    主人公のワイリー・コヨーテは、ワーナーのアニメーション『ルーニー・テューンズ』に登場する、コヨーテのキャラクターです。世界中で良く知られ、長い歴史と伝統をもっているので、彼の独特なポーズの取り方や動きを学ぶために、専門家数名がわざわざイギリスまで来て、DNEGのアニメーターたちに対して講習が開かれた程でした。

    この作品では、私たちはアニメーションの自由度を可能な限り広げるため、必要に応じて敢えてアニメーションのリグを壊すことさえありました。私が取り組んだ最もやりがいのあるショットは、私のキャリアの中で「最もカトゥーンニィ」であり、最も難しいショットでした。ブロッキング・アニメーションの段階では、リグを壊して、バーテックスによってモデルを変形させました。

    幸いなことに、この作品のアニメーション・パイプラインはそういった変形も許容していました。バーテックスを移動しても必要な変形が得られなかった際は、リギング・チームが私のショット専用のリグをつくってくれました。このように苦労をして、最終的に完成映像を見た瞬間は、アニメーションという仕事の中で最もエキサイティングで、やりがいのある部分だと思います。

    私のモチベーションの多くは、様々な部分の制作プロセスから来ています。ブロッキング・アニメーションの段階では、ショットの可能性を知ることで常に大きな興奮があり、多くの才能ある人々に囲まれ、彼らが思いつくアイデアを見ると刺激を受けます。

    お互いに働き、アイデアを出し合うことは、とても大きなエネルギーをもたらします。映像が完成すると、完成させるまでの全ての大変な作業と苦労が非常にやりがいのあるものになります。

    ――言語の習得について、何かアドバイスをいただけますか?

    私はアメリカ生まれなので、英語では苦労しませんでしたので、仕事でフランス語圏のモントリオールへ行き、フランス語に触れたときの経験をお話したいと思います。

    私にとって、言語を学ぶ最良の方法は「友達をつくること」だと思います。モントリオールのVFXスタジオは社内では英語を使いますが、ケベック州ではフランス語が多く使われています。都市部に住む場合は英語が比較的通じますが、郊外へ行くと基本的なフランス語が必要になります。

    私はフランス語を全く知りませんでした。フランス語の授業も受けてみたのですが、文法の学習には役立ちましたが、ボキャブラリーの学習には役立ちませんでした。複雑な書類の作成や、地元の人々との会話については、フランス語を話す友人に助けてもらっていました。

    フランス語が流暢な友達と話すのは恥ずかしかったので、同じようにフランス語を学んでいる友達と話して、一緒に失敗しながら学んでいくことができ、それが私の自信につながりました。

    また、フランスのテレビ番組を見たり、フランスの歌を聴いたりしました。私は今でも友人に多くの質問をしたり、フランス語を間違えたりしますが、彼らは偏見をもつことなく、喜んで助けてくれて、間違えていれば正してくれます。中には日本人に対して民族的な偏見をもつ人もいますが、助けてくれる人の数に比べれば遥かに少数です。

    ――将来、ハリウッドのVFX業界を目指したいという人に、何かアドバイスをお願いします。

    自分にプレッシャーをかけ過ぎず、頑張っていきましょう。私自身が乗り越えなければならなかった最大のハードルの1つは、「失敗しても、あまり気にしすぎない」ということです。

    常に完璧さを追求することはアーティストとして必要なことであり、ショットを何度もやり直すとイライラするかもしれませんが、最終的には、うまくいくものです。あなたのショットは無事に終了し、ハードルを越えることができます。

    誰もがチームの一員であり、あなたとプロジェクトが最良の方向に向かって行くことを願っていると思いますよ。

    ロンドンのパブにて、DNEGアニメーション・チームの同僚と

    【ビザ取得のキーワード】
    ①米国カリフォルニア州生まれ。アメリカ市民権をもつ
    ②サバンナ芸術デザイン大学卒業
    ③カナダではNAFTAに基づく就労ビザでMPCおよびDigital Domainで勤務
    ④イギリスではTemporary Work – Creative Visaで就労

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    TEXT_鍋 潤太郎 / Juntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」
    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada