記事の目次

    本連載では、アカデミックの世界に属してCG・映像関連の研究に携わる人々の姿をインダストリーの世界に属する人々に紹介していく。第3回では、東京工科大学の菊池 司教授に自身の研究室について語っていただいた。

    ※本記事は月刊『CGWORLD + digital video』vol. 242(2018年10月号)掲載の「ACADEMIC meets INDUSTRY 東京工科大学 メディア学部 菊池研究室」を再編集したものです。

    TEXT_菊池 司 / Tsukasa Kikuchi(東京工科大学)
    EDIT_尾形美幸 / Miyuki Ogata(CGWORLD)
    取材協力_芸術科学会

    一貫して自然現象の研究に取り組む

    東京工科大学の菊池 司です。岩手大学で博士(工学)を取得した後、2000年から拓殖大学工学部 工業デザイン学科(現、デザイン学科)に勤務し、2014年に東京工科大学へ移り今にいたります。

    • 菊池 司
      東京工科大学 メディア学部 メディア学科 教授
      博士(工学)
      専門分野:ビジュアルシミュレーション、プロシージャルアニメーション、プロシージャルモデリング
      www.kikuchilab.jpn.org


    現在は自然現象のビジュアルシミュレーション、プロシージャルアニメーション、プロシージャルモデリングの研究を行なっていますが、私とCGとの出会いはまったくの偶然でした。

    私が学んだ当時の岩手大学には、日本におけるCG研究の第一人者である千葉則茂教授の研究室がありました。学部1年次の授業でその研究成果を目にしたとき、私は「コンピュータでこのような映像をつくり出せるのか!」と衝撃を受け、CGに興味をもつようになりました。今はCGが当たり前の存在になりましたが、当時はまだまだ珍しいものでした。そんな時代に私がCGと出会えたことはまさに運命だったと感じています。今の高校生はオープンキャンパスやインターネットを通して研究室について十分に調べることができるので、良い時代になったと羨ましく思っています。

    その後、私は千葉先生の研究室に入り、積乱雲のビジュアルシミュレーションを研究テーマに選びました。来る日も来る日も雲の写真や実写映像を観察し、積乱雲のシミュレーションのための運動モデルを検討し、レンダリングアルゴリズムを開発し、それらの実装をくり返しました。一連の研究活動は私にとってまったく苦痛ではなく、楽しんで取り組むことができました。さらに大学3年生の頃にバブル景気が崩壊し就職活動が突然厳しくなったという時代背景など、いくつかの要因が組み合わさり、徐々に研究者の道を志すようになった次第です。

    岩手大学時代の積乱雲に始まり、私はその後も一貫して自然現象のビジュアルシミュレーションやプロシージャルアニメーションなどの研究に取り組んできました。ひとくちに自然現象と言っても、その物理法則や視覚的特徴は現象ごとに異なります。したがって、現象によってシミュレーションモデルも異なりますし、個別に考慮しなければならないことがたくさんあります。そのため新しい現象を研究する際には、まったく新しいチャレンジが必要になり、とてもエキサイティングな気持ちと楽しさを味わえます。さらに、それが「研究成果映像」として結実されたときの充実感や達成感は言葉では言い表せません。

    拓殖大学で助手として勤務していた時代には、自身の研究の傍ら、工業デザイン学科の先生方の授業サポートもしていました。学生と一緒にプロダクトデザイン、グラフィックデザイン、色彩学などのデザインの基礎を学んだり、デッサンの課題に取り組んだ経験は、その後の私の研究活動に大きな影響を与えたと感じています。「研究成果を映像にまとめ、わかりやすくプレゼンテーションする」という現在の本研究室のスタイル、研究成果を世に広めるためのアウトリーチ活動、観察眼の重要性などに関する考え方の土台はこの時代に築かれたと言えるでしょう。

    「学生を信じて、任せる」のが基本姿勢

    東京工科大学、およびメディア学部の特徴については、三上浩司教授の記事(本連載 No. 001)をご参照ください。本記事では、メディア学部の代表的な授業である「プロジェクト演習」について追記したいと思います。プロジェクト演習では、各教員が様々なテーマのプロジェクトを起ち上げ、学生はその中から自分が興味のあるものを履修できます。どのプロジェクトも学年を問わず履修できるため、グループワークを行うプロジェクトでは、必然的に様々な学年の学生がチームを組むことになります。

    このプロジェクト演習で、私は「Procedural Animation Basic」、「Procedural Animation Advance」という2つのプロジェクトを起ち上げています。前者ではHoudiniの基本的な使い方を学び、後者ではHoudiniを使った画づくりの方法を学びます。本研究室ではHoudiniを技術開発のベースとして使っているため、本研究室への配属を希望する学生の多くが、前述のプロジェクトを履修しています。

    ▲日本城郭のプロシージャルモデリングの研究成果映像。本研究では、日本城郭を構成する各要素の特徴、および城取りの順序などを調査し、パラメータの制御だけで日本城郭を生成できるプロシージャルモデリングシステムを提案しています。なお、本システムはHoudini 17.0で実装しました


    研究においては、基本的に研究テーマを学生が主体的に提案することを奨励しています。とはいえ学生にとっては初めて取り組む研究活動ですから、全員がすんなりと研究テーマを提案できるわけではありません。手こずっている学生には、アドバイスやヒントを提供するようにしています。研究テーマが定まった後は、どの学生にも主体的に研究に取り組んでもらいます。研究の進捗管理、シミュレーション技術の開発・実装なども学生自らが行います。私は研究の方向性のディレクション、技術的なサポート、論文の添削を行う程度で、「学生を信じて、任せる」ことを基本姿勢としており、あまり口やかましく言わないようにしています。ただし研究発表会や学会のスケジュールなどの重要な情報はまず教員に知らされますから、情報伝達ミスがないよう気をつけています。

    本研究室に所属するメンバー同士の交友を深め、コミュニケーションを活性化するための飲み会は、折りに触れて開催するようにしており、これに関しては私の主導で開催するケースが多いかもしれません......(笑)

    ▲本研究室の飲み会の様子。所属するメンバー同士の交友を深め、コミュニケーションを活性化するための非常に重要なイベントとして位置づけており、定期的に開催しています

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    プロシージャルの可能性は無限

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    プロシージャルの可能性は無限

    2018年8月現在、本研究室には学部の3年生が16名、4年生が18名、大学院修士課程の1年生が4名在籍しています。修士課程には中国とタイからの留学生がそれぞれ1名います。そのほかにも中国の学生から大学院進学希望の問い合わせが複数きているので、今後はさらに国際色豊かになりそうです。本研究室への配属を希望する学生の多くは「プロシージャルアニメーション、あるいはプロシージャルモデリングの研究に取り組みたい」と語ります。「Houdiniをさらに学びたい。研究で使用してみたい」と語る学生も多くいます。

    私はプロシージャルという手法の可能性は無限だと感じており、それを設計コンセプトとするHoudiniを授業に取り入れています。そのメッセージに共感した学生が、本研究室の門を叩いてくれているのだと思います。現在の本研究室では、氷の状態遷移シミュレーション、岩の風化現象シミュレーション、スケッチベースのHairスタイリング、稲妻のシミュレーションなどの研究を行なっています。

    ▲本研究室による研究成果画像の例。雲・氷・岩など、自然現象のシミュレーション技術の開発を行なっています


    ▲スケッチベースのHairスタイリングの研究


    なお本研究室ではプロシージャルとは別に、コンテンツデザインサイエンスという研究の大テーマも掲げており、コンテンツデザイン手法における暗黙知を誰もが認識できる形式知として定式化することを目指し、様々なコンテンツに対してディープラーニングやラフ集合を活用した分析を実施しています。現在は、360度動画の制作手法、映画の予告編の編集手法、LINEスタンプのデザイン手法などに関する研究を行なっています。

    学会活動に関しては、年間2~3件程度の学術論文が採択されており、年間20件程度の学会発表をしています。積極的に投稿、参加している学会は、芸術科学会情報処理学会などです。2018年度はICGG(International Conference on Geometry and Graphics)2018という国際会議でも論文が採択されました。また、NICOGRAPH Internationalなどの国際会議でも発表しています。今後はSIGGRAPHなど、より著名な国際会議での採択を目指したいと考えています。

    また、AnimeJapanへの出展、各種コンペティションへの応募をはじめ、作品を世の中にアウトプットする活動にも力を入れています。第20回文化庁メディア芸術祭では、『Crossing Tokyo』という360度動画の作品がエンターテインメント部門審査委員会推薦作品に選出されました。

    ▲第20回文化庁メディア芸術祭でエンターテインメント部門審査委員会推薦作品に選出された『Crossing Tokyo』という360度動画の作品

    研究成果の特徴を抽出し、映像化する

    産学連携にも意欲的に取り組んでおり、CGプロダクションと共に、ビジュアルシミュレーションの共同研究・共同論文執筆を実施しています。さらに研究所や企業の技術開発・研究部門からの依頼を受け、研究の内容・成果をわかりやすくビジュアル化(映像化)する活動にも取り組んでいます。文部科学省が研究成果のアウトリーチを推奨していることもあって、様々な研究機関がその成果を一般の人にも伝わるように広報することに力を入れています。その際「物理・化学現象の正確な再現を目指すのではなく、その研究成果の特徴を抽出し、わかりやすく映像化する」ことに関しては、本研究室が培ってきたプロシージャル技術が有効だという評価の下、技術展などのPR映像の制作を依頼される機会が増えています。

    ▲本学が位置する八王子市は東京都区内のベッドタウンで、多くの小学校があります。そのため八王子市では、市内にキャンパスがある大学の教員による「夏休み子ども いちょう塾」という小学生向けの講座が開催されています。本研究室では「VFX映像合成」というワークショップを企画。小学生がブルーシートの前で演技する様子を撮影し、事前に本研究室のメンバーが制作しておいたステージやエフェクトなどのCG素材と合成することで、簡易的なブルーバック合成を体験してもらいました。1日1回180分、2日間の開催で、両日とも定員いっぱいの申し込みがあり、大盛況でした。このような取り組みもまた、重要なアウトリーチ活動の一環だと考えています


    なお、前述のような映像制作を請け負う場合は、こちらが単なる「下請け」にならないよう注意しています。残念ながら、依頼主が学生のことを「安価な労働力」と勘違いして、当初の打ち合わせにはなかった要求をくり返し出してくるといったケースも発生しているため、私がしっかりとマネジメントするよう心がけています。一方で、打ち合わせでは依頼された以上のことを提案するようにしています。

    本研究室の学生の就職先はCG・映像プロダクションが最も多く、モデラー、エフェクトアーティスト、テクニカルディレクター、テクニカルアーティストなどの職種で活躍しています。これは本研究室に限った話ではありませんが、大学での研究活動の経験は、後の仕事におおいに役立つと思います。

    研究活動のながれ
    【1】課題の発見
    【2】課題の解決方法の仮説立案
    【3】関連研究・技術の調査
    【4】【2】の仮説の検証
    【5】課題解決のための実装と実験
    【6】実験結果の評価と考察

    上記の進め方は決して研究活動に限定されたものではなく、日々の業務やプロジェクトにおける問題解決でも通用するものだと思います。大学の研究活動を通して、これが身に付いているか否かが、産業界から評価される人材になり得るか否かのポイントだと考えています。さらに、前述の通り本研究室はHoudiniを技術開発のベースとして数年前から使っているため、Houdiniのスキルが高い学生をコンスタントに輩出しています。産業界からは、その点も評価されていると感じています。

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    雪崩による雪煙のビジュアルシミュレーション

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    RESEARCH 1:雪崩による雪煙のビジュアルシミュレーション

    ・研究目的

    本研究の目的は、雪崩によって引き起こされる雪煙のビジュアルシミュレーション法の開発です[1]。雪煙を伴う雪崩は「泡雪崩(ほうなだれ)」とも呼ばれ、気温の低い多雪地で、多量の降雪を伴う吹雪が発生したときか、その直後の積雪が安定しないときに発生しやすいという特徴があります。そのため主に厳冬期の山間部で発生し、雪崩を構成する雪煙が最大で時速200km以上の速度で流下します。その衝撃力は数百KPa(キロパスカル)に達し、周囲のものがことごとく破壊、あるいは吹き飛ばされるため、大きな被害をもたらした実例があります[2]。

    泡雪崩の撮影は多大な危険と困難を伴いますが、エンターテインメント分野では見せ場のひとつとして、しばしば用いられます。そのため、ビジュアルシミュレーションによる泡雪崩の再現が有益であることは言うまでもありません。


    ・主な先行研究

    ナビエ・ストークス方程式は、流体現象の支配方程式としてよく知られています。CGによる流体シミュレーションでは、ナビエ・ストークス方程式を数値解析するために、2つの代表的なアプローチが用いられます。ひとつはグリッドベースによるオイラー法[3]で、もうひとつはパーティクルベースによるラグランジュ法[4]です。また、FLIP法[5]というオイラー法とラグランジュ法の利点を組み合わせたハイブリッドなアルゴリズムもあります。本研究では、山の斜面を転がり落ちる雪をパーティクルで表現し、その雪パーティクルによって舞い上がる周囲の速度場はグリッドベースで計算するため、FLIP法と同様にハイブリッドなアルゴリズムを用いていると言えます。

    雪のビジュアルシミュレーションは、リアルタイム、非リアルタイムを問わず、古くから数多くの手法が提案されています。その中でも、2013年に発表されたStomakhinらによる手法[6]は特徴的で、従来の手法では再現が困難とされてきた湿った雪、あるいは高密度な雪を、MPM(Material Point Method)を用いてシミュレーションしています。なお、本研究では雪煙をシミュレーション対象としているため、雪自体をシミュレーション対象とするMPM法は採用していません。


    ・研究内容と、その新規性

    本研究では、はじめに山の斜面をポリゴンで生成し、斜面上部から雪パーティクルを発生させ、斜面に沿った重力による落下運動を計算します。次に雪パーティクルが落下する際に斜面と衝突する地点を検出し、その地点での衝突力積を算出します。さらに、算出された衝突力積を利用して、衝突点からの雪煙の拡散速度場をグリッドベースによるオイラー法で計算します。最後に、生成された速度場に沿って運動する雪煙の密度を算出し、ボリュームフォトンマッピング法を介してアダプティブ・レイマーチング法によるボリュームレンダリングを行うことで、雪煙のビジュアルシミュレーションを実現しました。

    ▲雪煙のビジュアルシミュレーションのための運動モデル。山の斜面をポリゴンで生成し、斜面上部から雪パーティクルを発生させ、斜面に沿った重力による落下運動を計算


    ▲雪パーティクルが落下する際に斜面と衝突する地点を検出し、その地点での衝突力積を算出


    ▲算出された衝突力積を利用して、衝突点からの雪煙の拡散速度場をグリッドベースのオイラー法で計算。この拡散速度場が、雪煙の流体運動の基礎となります


    本研究の新規性は、「山の斜面を転がり落ちる雪をパーティクルで表現し、その雪パーティクルによって舞い上がる周囲の拡散速度場をグリッドベースのオイラー法で計算する」というハイブリッドなアルゴリズムを提案した点と、ナビエ・ストークス方程式の外力項として雪パーティクルと山の斜面との衝突力積を考慮した点にあります。これにより瞬間的な撃力を積分して速度場に影響させ、斜面(雪面)付近の複雑な乱流成分、特に摩擦力によって雪面に吸い付きながら山麓方向へ"走る"雪煙成分を再現することが可能となりました。

    ▲研究成果画像


    ・今後の課題と、実用の可能性

    今後の課題としては、雪崩の初期段階や雪が崩れる過程のビジュアルシミュレーションにMPMを応用した手法を開発すること、崩れる雪面の変形状態を数値解析しながら雪煙への干渉をシミュレーションすること、雪煙とほかの物体との相互干渉を考慮することなどが挙げられると思います。

    本研究によって提案したアルゴリズムは、流体シミュレーションを活用しているCG・映像プロダクションであれば、すぐに実装できる簡単なものです。また、開発のベースにHoudiniを用いているため、研究成果をHDA(Houdini Digital Asset)化して配布することも可能です。

    本研究のような自然現象のCGシミュレーションは、エンターテインメント分野に加え、自然災害の広報や事前学習にも活用できると感じています。映像ならではの説得力や訴求力を最大限に活用した「ハザードコンテンツ」を制作し、従来のハザードマップと合わせて地域住民に公開したり、教育現場で活用したりすることで、自然災害による被害の軽減に貢献できるのではないかと考えています。


    ・参考文献

    [1]菅野将太, 菊池 司, "雪崩による雪煙のビジュアルシミュレーション", 芸術科学会論文誌, Vol.14, No.3, pp. 83-90, 2015.
    [2]北海道雪崩事故防止研究会編, "最新雪崩学入門-雪山最大の危険から身を守るために-", 株式会社山と渓谷社, 1998.
    [3]RASMUSSEN, N., NGUYEN, D. Q., GEIGER, W., AND FEDKIW, R. "Smoke simulation for large-scale phenomena." Proceedings of SIGGRAPH 2003, pp. 703-707. 2003.
    PFAFF, T., THUEREY, N., AND GROSS, M. "Lagrangian Vortex Sheets for Animating Fluids." ACM Transactions on Graphics (TOG) - Proceedings of SIGGRAPH [4]2012, Volume 31 Issue 4, Article No. 112. 2012.
    [5]Yongning Zhu and Robert Bridson, "Animating Sand as a Fluid" ACM Trans. Graph. Volume 24 Issue 3, (July 2005), pp. 965-972. 2005.
    [6]STOMAKHIN, A., SCHROEDER, C., CHAI, L., TERAN, J., AND SELLE, A. "A Material Point Method for Snow Simulation." ACM SIGGRAPH 2013, 32(4), pp. 102:1-102:10. 2013.

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    和紙の乾燥による皺生成アニメーション

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    RESEARCH 2:和紙の乾燥による皺生成アニメーション

    ・研究目的

    本研究では、書道において和紙に墨汁で字を書いた後、一定時間が経過した際に生じる乾燥(内力)による皺を生成するプロシージャルアニメーション手法を提案しています[1]。和紙は一定の法則性をもって編みこまれた布とは異なり、大きさも太さもちがう繊維が絡み合い、複雑な"流れ目"をつくっています。同じ紙でも洋紙とは原料や漉(す)き方がちがうため、水分を含んだ際には和紙の方が皺になりやすいという特性があり、伸縮の計算における拘束条件も複雑になります。本研究は、そんな和紙特有の伸縮を再現できるビジュアルシミュレーションのための運動モデルの提案を目的としています。


    ・主な先行研究

    紙のような薄い素材のCGシミュレーションを行う場合は、3次元FEM(有限要素法:Finite Element Method)を用いた物理ベースモデリングを採用するのが一般的です。Bronkhorstは、非線形3次元FEMシミュレーションは計算コストが高いとし、線形の弾性挙動シミュレーションを行なっています[2]。その結果、布のような伸縮性をもつ素材のアニメーションが生成可能となっていますが、その挙動は視覚的な不自然さを伴っています。

    紙に皺が発生する現象に着目したCGシミュレーションの先行研究では、局所的な応力によって初期平面形状を変形させ、繊維間の抵抗限界を超える応力によって繊維の塑性変形を引き起こすモデルが数多く提案されていますが、洋紙と和紙のいずれをシミュレーション対象としているのか述べていない場合がほとんどです[3]〜[7]。


    ・研究内容

    本研究では一般的に入手可能な書道用の4種類の和紙(白鷺、野菊、唐仙、寒梅)と洋紙を研究対象とし、靭皮繊維の様子と墨汁の乾燥による皺の生成の関係性をデジタルマイクロスコープで観察しました。その結果、野菊は繊維同士の隙間が多く、繊維が平行に並ぶ傾向があるとわかりました。

    続いて、4種類の和紙に漢字の「十」を書き、50分間放置して経過を観察した結果、野菊は一番早く皺が寄り始め、最終的な皺の量も一番多いとわかりました。これは「繊維同士の隙間が多い」という野菊の特徴に由来していると思われます。すなわち繊維同士の密度が低いため、乾燥によって繊維の距離が縮み、多くの皺が寄ったと考えられます。また、横方向の辺に対して垂直に生じる縦方向の皺よりも、縦方向の辺に対して垂直に生じる横方向の皺の方が多く見られました。これは紙の"流れ目"に由来すると考えられ、運動モデルの提案ではこの要素も取り入れることが重要であるとわかりました。

    ▲デジタルマイクロスコープを使った観察の様子


    ▲デジタルマイクロスコープで撮影した野菊。繊維同士の隙間が多く、繊維が平行に並ぶ傾向があるとわかりました


    ▲4種類の和紙に漢字の「十」を書き、50分間放置した結果。左から白鷺、野菊、唐仙、寒梅。野菊は一番早く皺が寄り始め、最終的な皺の量も一番多いとわかりました


    以上の観察から、和紙の挙動は様々な力の複雑な相互作用によって決まり、墨汁が乾燥するときに加わる力は以下の物理に分割できると考えました。

    ・和紙の面内物理
    ・和紙の曲げの力
    ・重力
    ・自己衝突の物理

    このうち「和紙の面内物理」と「和紙の曲げの力」を解く方法として、本研究ではFEMを用いました。基本的な計算方法はクロスシミュレーションにFEMを用いる場合と同じですが、前述の通り和紙には複雑な"流れ目"があり、伸縮の計算における拘束条件も複雑になります。そこで本研究では、三角形メッシュの分割方法が異なる2層のFEMレイヤーをインタラクションさせる手法を開発しました。

     

    ▲【左】上層のFEMレイヤー。微妙にサイズのちがう小さな三角形で分割されています/【右】下層のFEMレイヤー。"流れ目"を考慮し、横方向に細長い三角形で分割されています


    ▲【左】450分放置して乾燥させた野菊(写真)/【右】前述の野菊をCGで再現したビジュアルシミュレーション


    ▲研究成果映像


    ・今後の課題と、実用の可能性

    本研究の新規性は、紙の中でも特有の挙動をする和紙に着目したことと、その繊維の複雑な絡み合いと"流れ目"を考慮した2層のFEMレイヤーをインタラクションさせる手法を開発したことにあります。この手法により、乾燥点における縦方向の伸縮を制限することで、横方向により多くの皺が寄るという和紙(野菊)の特徴をビジュアルシミュレーションでも再現できました。

    今後の課題としては、2層のFEMレイヤーの上層レイヤーの方にハイトフィールドを導入し、墨汁の染み込み量を考慮した計算方法を開発すること、文字の輪郭の曲率などを考慮して乾燥点を自動配置する手法を開発することなどが挙げられます。

    本研究結果を活用すれば、上の研究成果画像のようなシーンを制作する場合に、個々の「習字」の画像(テクスチャ)を用意するのではなく、乾燥点の異なるシミュレーションを数回くり返すだけで、プロシージャルに「習字」の画像を生成できます。さらに、段階的に皺が寄っていくようなアニメーション表現も可能となります。


    ・参考文献

    [1]林 瑞樹, 菊池 司, "半紙の乾燥収縮によって生じる皺のビジュアルシミュレーション", 映像表現・芸術科学フォーラム2017, 概要集データ収録, 2017.
    [2]C. Bronkhorst, "Modelling paper as a two-dimensional elastic-plastic stochastic network", International Journal of Solids and Structures 40, 2003.
    [3]M. B. Amar and Y. Pomeau, "Crumpled paper", Proceedings of the Royal Society. Mathematical, Physical and Engineering Sciences, 1997.
    [4]Y. Gingold, A. Secord, J. Y. Han, E. Grinspun and D. Zorin, "Adiscrete model for inelastic deformation of thin shells", Technical Report, 2004.
    [5]T. J. Simnett, S. D. Laycock and A. M. Day, "An edge-based approach to adaptively refining a mesh for cloth deformation", In Proceedings of TPCG. pp. 77-84, 2009.
    [6]R. Narain, A. Samii, and J. F. O' Brien, "Adaptive anisotropic remeshing for cloth simulation", ACM Trans. Graph. (Proceedings of SIGGRAPH Asia), Vol. 31, Issue 6, 2012.
    [7]R. Narain, T. Pfaff and J. F. O' Brien, "Folding and crumpling adaptive sheets", ACM Trans. Graph. (Proceedings of SIGGRAPH), Vol. 32, Issue 4, 2013.



    • 月刊CGWORLD + digital video vol.242(2018年10月号)
      第1特集:UE4プロフェッショナルへの道
      第2特集:デジタルアーティスト×インタラクティブアート

      定価:1,512円(税込)
      判型:A4ワイド
      総ページ数:128
      発売日:2018年9月10日