RESEARCH 2:眼科疾患補償のための拡張現実感の研究
・研究目的
最新の拡張現実技術を駆使して、視覚障がい者の社会生活の質を劇的に改善するアプローチとして、コンピュテーショナル・オプサルモロジー(計算眼科学)と称する技術を開発しています。各種センシングデバイスを組み合わせ、実環境シーンを解析したり、利用者の意図を推定したりして、疾患特有の視覚特性を補整する刺激を光学的シースルー/ビデオシースルー型HMDを介して提示することを目指しています。この技術の実現によって、従来の光学的器具や単純な画像変換の利用では困難だった、個人に適応した視力増強の効果が期待できます。
・片眼失明者の距離感獲得支援
疾患や外傷などによって片眼の視機能が消失、もしくは著しく低下した患者は、両眼視機能が失われるため、対象物の距離感獲得に困難が生じます。これが対象物の把持などの近方作業を困難にし、見え方の質(Quality of Vision, QOV)の低下をもたらします。
私たちは、両眼視機能を一部代行する片眼鏡を試作しました[1]。この片眼鏡は、近方作業や片眼失明直後の生活支援を想定して設計しています。片眼鏡は2台のカメラとHMDで構成されており、利用者の目線の先を撮影する2台のカメラで得た画像から、被写体までの距離を計算し、距離に応じて焦点ぼけを強調した画像を生成します。利用者には、1枚の画像内の焦点ぼけの有無を通して、強調された距離情報が提示されます。
▲HMDによる、距離情報の強調
実験の結果、観測画像をそのまま提示するよりも、距離に応じて焦点ぼけを強調した画像を提示する方が、距離感をより獲得できる被験者が多くいることを確認しました。ただし製品化を実現するには、HMDの視野角が狭い、画像の生成精度が高くないなどの課題を解決する必要があります。そのためにも、ハードウェアの発展が待ち望まれます。
・色覚障がい補償
人間の網膜には3種類の錐体細胞(L錐体、M錐体、S錐体)が存在し、それぞれ赤、緑、青に対応する波長の光にもっとも敏感に反応します。それぞれの細胞の反応の強さにより、様々な色を認識できます。しかし、遺伝子異変によって錐体細胞に異常が生じると、色を正しく認識できなくなります。これを色覚障がいと呼びます。
色覚障がいによるコントラストロスを補償するためには、コントラストを強調した支援画像の提示が有効です。同時に、色覚障がい者が本来見えている世界から大きく色を変えることなく、自然な画像に変換することが望まれます。コントラスト強調と自然さ保持の両方を同時に考慮したアプローチは、これまでにもいくつか提案されてきました。しかし、ひとつの錐体の機能が完全に失われた2色覚者を想定した方法であるため、色覚障がい者の大多数を占める異常3色覚者(ひとつの錐体の機能が低下している人)には、必ずしも有効ではありませんでした。
私たちは、色覚障がい補償のための新しい色変換アルゴリズムを提案しました[2]。提案手法では、異常3色覚の度合いに適応した、コントラスト強調と自然さ保持の両方を実現しています。提案手法に対し、シミュレーションに基づく定量評価と、被験者による主観評価を行い、既存手法よりも、異常3色覚者の支援技術として有効であることを示しました。
▲【左上】元画像/【右上】2色覚者がを見た場合をシミュレーションした画像/【左下】色変換アルゴリズムを適用した画像/【右下】2色覚者がを見た場合をシミュレーションした画像。赤色の花と緑色の葉のコントラストが強調され、両者の境界が区別できるようになっています
また、提案手法による支援を受ける方法としては、光学的シースルーHMDを用いて、見えている世界の色を変化させることが考えられますが、通常のHMDでは光の加算しかできないため、液晶ディスプレイ(Liquid Crystal Display, LCD)を追加することで、光の減算を可能にするHMDの設計にも取り組んでいます[3]。
・変視の定量的な検査装置
近年、高齢化による加齢黄斑変性(Age-related Macular Degeneration, AMD)の患者数が増加しています。AMDは、目の網膜の中心部に位置する黄斑に疾患が生じるため、変視(歪視)、視力低下、中心暗点、色覚異常などの視覚異常を引き起こす病気です。特に、視界が歪んで見える変視は、QOVを大きく低下させることが知られています。AMDによる変視の症状は硝子体手術によってある程度改善しますが、患者の期待するほどQOVが向上しないことがあり、問題となっています。医師の認識と患者の感じ方を一致させるために、患者の自覚する変視を定量的に評価することが大きな課題となっています。
私たちは、仮想的な1本の線を変形することで、変視をより詳細に検査する方法を提案しました[4]。本検査では、変視患者は直線を曲線(歪んだ線)と知覚することを利用しており、患者が「直線である」と知覚するまで線変形をくり返すことで、歪みの様子を調べる方法だと言えます。反復操作の導入により、高齢者にも利用可能な変視検査になっていることが、実験で確かめられています。
▲変視の検査装置のシステム概要
・参考文献
[1]豊浦正広, 柏木賢治, 茅 暁陽: "片眼失明者に距離情報を強調提示する片眼鏡の開発", 日本バーチャルリアリティ学会論文誌, Vol. 18, No. 4, pp. 475-486, 2013
[2]Zhenyang Zhu, Masahiro Toyoura, Kentaro Go, Issei Fujishiro, Kenji Kashiwagi, Xiaoyang Mao: "Naturalness- and Information-Preserving Image Recoloring for Red-Green Dichromats", Signal Processing: Image Communication, Vol. 76, pp. 68-80, 2019
[3]Ying Tang, Zhenyang Zhu, Masahiro Toyoura, Kentaro Go, Kenji Kashiwagi, Issei Fujishiro, Xiaoyang Mao: "Arriving Light Control for Color Vision Deficiency Compensation Using Optical See-Through Head-Mounted Display", ACM SIGGRAPH International Conference on Virtual-Reality Continuum and its Applications in Industry (VRCAI), Article 6, 2018
[4]Hiromichi Ichige, Masahiro Toyoura, Kentaro Go, Kenji Kashiwagi, Issei Fujishiro, Xiaoyang Mao: "Visual Assessment of Distorted View for Metamorphopsia Patient by Interactive Line Manipulation", Proc. Cyberworlds, 2019
info.
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