国産VFXはハリウッドのはるか後塵を拝しているという嘆きの声が聞かれるようになってひさしい。そこで今回は、日本の現場と同様に限られたリソースの下で優れたビジュアルを創り出すことからハリウッドからも注目をあつめるポーランドの雄、Juice.の取り組みを紹介したい。
TEXT_岸本ひろゆき / Hiroyuki Kishimoto
EDIT_沼倉有人 / Arihito Numakura(CGWORLD)
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota
Special thanks to Juice.
ヨーロッパでの実績を武器にポーランドから世界に挑む
日本でも劇場上映がスタートしたリドリー・スコット監督の最新作『オデッセイ』。今回紹介する『Our Greatest Adventure -ARES Live-』は、YouTubeで公開後、わずか1週間で100万PVを突破したバイラル動画である。
天体物理学者であり、2014年に放送された『コスモス:時空と宇宙』のMCを務めたことでも知られるニール・ドグラース・タイソンの語りによって、本編で描かれる近未来の有人火星探査プロジェクトについて紹介するというもの。
映像制作を手がけたのは、ポーランドのJuice.だ。その非常にハイクオリティなVFXはリドリー・スコット監督からも好評だったそうだが、約10名と非常にコンパクトなチームで制作したというから驚きだ。
"Our Greatest Adventure -ARES Live-"
Juice.へのオファーのきっかけは2014年に遡る。『攻殻機動隊』へのオマージュ作品『PROJECT 2501 :HOMAGE TO GHOST IN THE SHELL』にて、監督を務めたアッシュ・ソープ/Ash Thorp氏とJuice.のアートディレクター、ミハウ・ミシンスキ/Michal Misinski氏が意気投合。いずれまたコラボレーションしたいと考えていたところへ本企画が舞い込み、全力で参加すると即答したそうだ。
『ARES』ビジュアルの要は、宇宙探査船「エルメス(Hermes)」と、語り部となるニール氏の周りに描かれる「星雲(Nebula)」の表現。
映画「オデッセイ」予告E
エルメスのアセットは、Framestoreが本編向けに制作したものが支給されたが、700GBという大容量だったため、見た目を損なうことなくダウンサイズさせることが不可避だったという。また、その他のアセットは全てJuice.が内製。
2015年5月にエルメスのアセットや星雲ショットのルックデヴから着手し、8月上旬には納品という、非常にタイトなスケジュールだったそうだ。それを上述した10名規模のチームで映画本編に匹敵するビジュアルを創り出したというのはまさに快挙。Juice.の創作スタイルは日本の制作現場にとっても学ぶべきものが多いはずだ。
<1>プリプロダクション
映画VFXに匹敵するビジュアルを少数精鋭で実現させる
本作の共同監督のクリス・アイヤーマン氏(3AM ※1)とアッシュ氏はLA在住、一方のJuice.の制作現場はポーランドということで、9時間の時差が懸念材料であった。「Juice.(ポーランド)のチームが一日働いてヘトヘトになった頃、L.A.ではちょうどその日の一杯目のコーヒーを飲み始める頃でした」(Juice.スタッフ)。
共同監督のうち、ビジュアル面をリードしたアッシュ氏と、Juice.のVFX兼CGスーパーバイザーのヤクブ・ナピク/Jakub Knapik氏ならびにミシンスキADは、ハーフHD(720p)サイズのQuickTimeをDropboxを介して受け渡すかたちで週2~3回のペースで進捗確認を行なったそうだ(レビュー作業にはHIEROを利用)。両監督とJuice.のメンバーを中心とした制作スタッフの間には確かな信頼関係が築けていたことから並行して行われたSkypeミーティングは始終フレンドリーな雰囲気だったそうで、コミュニケーション面でのトラブルとは無縁だったとのこと。
プリプロ工程におけるエピソードのひとつとして、エルメスのルックデヴ時に最初のテストレンダリング画像をリドリー・スコット監督に提出した際には、「Framestoreに匹敵するルックだ」という極めて好意的なフィードバックがあったとか。Web向けの短尺バイラル動画ということで、映画本編に比べれば非常に限られたバジェットとスケジュールの中で、共同監督たちが求める高いクオリティを実現するというのはかなりの難題であったことは想像に難くないが、早々にリドリー・スコット監督からお墨付きを得られたことは非常に大きな原動力になったという。
なお、プロジェクトの進行管理にはクラウドサービスAsanaを採用し、後述するエルメス等の大容量ショットのレンダリングにはクラウドレンダーファームRebusを利用したそうだが(50コア規模とのこと)、本プロジェクトのように少数精鋭で制作を進めるケースでは、こうしたクラウドサービスの活用はより一般化していくと思われる。
※1:3AM
2014年秋設立のリドリー・スコット監督自身のプロダクションRSA Filmsと劇場向け広告代理店Wild CardによるJV。新世代のエンタメ系マーケティングの実践を事業活動に掲げており、今回のバイラル企画もその一環である
www.its3am.com
1−1.欧州に3拠点、新たに日本オフィスも開設
Juice.は、2006年にポーランドはヴロツワフで創立した。上図はヴロツワフのオフィス内観、現在70名規模まで成長したという。ワルシャワとハンブルグに数名規模のサテライトオフィスをかまえ、さらに昨年は日本オフィスもオープンさせた。「多くの人たちに『(日本への進出は)商文化が異なり過ぎるのでやめた方がいい』などと反対されました(笑)」とは、創立メンバーでエグゼクティブ・プロデューサーを務めるミハウ・ドヴォヤック/Michal Dwojak-Hara氏。なお同氏のモットーは「絶対に諦めない。今日は大変で、明日はもっと辛くても、明後日にはきっと良くなるから」とのこと。日本での展開も要注目だ
1−2.コンセプトアート
▲「Star Talk」シーン(後述)のコンセプトアート
▲紫外線によるDNAのダメージ表現に関するコンセプトアート
▲太陽シーンのイメージボード
▲ビデオコンテの例(エルメスのカットより)
<2>映画本編向けアセットの最適化
見た目を損なうことなくデータサイズを1/10にまで抑える
有人火星探査船「エルメス」は、映画本編のヒーローアセットとも言える存在だ。それゆえ非常に細かくモデリングされたFBXファイルのセットが各ブロックを形成し、それが複数組み合わさって出来上がっており、Framestoreから納品された時点で、1,0000枚以上の4Kテクスチャを含むデータサイズ700GBという、まさに桁外れの巨大アセットであった。
それを迎え撃つJuice.ワルシャワ オフィスの制作環境は、標準的なグレードのCore i7 CPU、32GB RAM、GeForce GTX 760相当のGPUで構成された作業用PC12台だったため、ショットワークのためにはかなり過激に最適化を施す必要があった。
なおJuice.の本拠地はヴロツワフだが、ポストプロダクションはワルシャワが主要拠点のため一連のCG・VFX作業はワルシャワのチームがリードしたそうだ。
まずは、データ内を探って同様な頻発する形状を把握し、Arnoldのキャッシングのしくみを使ってインスタンス化。次にテクスチャを見直し、大きすぎるものは適したサイズまで縮小した。最後に、エルメスを構成するブロックごとに個別にシェーディングし、同一環境でライティングした状態でASSファイル(Arnoldのレンダリング用中間ファイル)に出力。Softimage(以下、SI)内で簡便なリグによりアニメーション作業を行い、プロシージャル制御によってレンダリング時にASSが読み込まれるようなしくみを構築し、32GBのRAMでも作業が可能になったという。ちなみに最適化後のデータは約70GB(内、テクスチャは30GB程度)とのこと。
レンダリングは上述の通りArnoldで行われ、シェーディングにはアンドレ・ラングランズ/Anders Langlands氏が開発・公開するオープンソースのシェーダ「alShaders」が用いられた。
特筆すべきはモーションブラーで、ポスト処理ではなく全て3D的にレンダリングされたものなのだとか。「Arnoldは非常に優秀で、3Dモーションブラーは高精度かつ高速でした。また、精緻な形状に対してモーションベクターによるポスト処理では十分なクオリティを得ることはできないとの判断もありました」(ヤクブVFX兼CGスープ)。
2−1.有人火星探査船「エルメス」
▲『ARES』向けに調整された「エルメス」モデル。カメラからの距離を下に、細かなネジなどの視認できないパーツを取り除くといった調整を施し、約700GBという大容量の元データを約70GBまでダウンサイズさせることに成功した
▲エルメスの主なレンダーエレメント。上から順に、<1>ワイヤーフレーム/<2>オクルージョン/<3>ベロシティ/<4>ノーマル/<5>AO(Ambient Occulusion)のマスク素材
▲俯瞰ショットのブレイクダウン。上段から順に、<1>(左)テストレンダリング(その1)、(右)同(その2)/<2>(左)レンダリングイメージ最終形、(右)レタッチ処理を施した状態/<3>(左)大元の背景素材、(右)背景素材の最終形/<4>(左)ショットとしてのテストレンダリング、(右)全要素を素組みした状態/<5>(左)コンポジットとしての最終形、(右)グレーディング処理を施した完成ショット
<3>星雲や火星などの表現
真のチームワークの実現こそがツールの混在を可能にする
前述のとおりワルシャワチームがエルメスなどのショットを担当。その一方では、"Star Talk"(※2)と名付けられたシーンの要の表現である星雲VFXについては、ヴロツワフのチームが担当した。SIのICEにて生成されたボリューメトリックな雲を画像として出力した後、3ds Maxにてシンプルなジオメトリにプロジェクションしてレンダリング。さらにマットペイント等でディテールを付加し、ワルシャワチームでのコンポジット作業へと引き継がれた。また、火星へカメラが降下していく(俗にいう"コズミックズーム")ショットは、Juice.にとってチャレンジングなショットになったというが、こちらは3Dスキャンによる火星の地形データを基に、3D-Coatを用いてスカルプトした高密度ジオメトリをMayaに読み込み、Arnoldでレンダリングして仕上げている。
その他の火星のショットでは、火星のテクスチャを1枚に繋いだものからSIにてプロシージャルに地形を生成するフローを採用。レンダリングは同じくArnoldだ。ちなみに、本作冒頭の火星の地表カットのみMPCが制作した本編のショットが流用された。Star Talkシーン内で描かれる宇宙飛行士のホログラム映像については、Juice.がZBrushでスカルプトした宇宙飛行士スーツに対して、3Dスキャンした役者たちの顔面のジオメトリを当てはめて作成。そしてCINEMA 4Dプラグイン「X-Particles」にて、モーショングラフィックスレイヤーのセットとしてレンダリングされている。そんなStar Talkパートのモーショングラフィックスを担当したのはリードデザイナー兼アニメーターを務めたマイケル・リグリー/Michael Rigley氏とのこと。
このほか、DNAが崩壊するショットではMaya(SOuP、 nParticles)が、エルメスに対するダメージ表現についてはthinkingParticles for 3ds Maxが用いられるなど、本プロジェクトではアーティストごとに様々なツールが使われているが、その選定は各アーティストに委ねられていた。
「担当アーティストはそれぞれに気に入ったツールを用います。監修するという観点では、クレイジーなミックスに思われるでしょうし、実際にクレイジーです(笑)。ですが、目指すビジュアルをしっかりと共有することでコントロールされた、真にチームワークと呼べるものがあってこそ成り立つ、まさにJuice.独自の作業スタイルですね」(ヤクブVFX兼CGスープ)。
※2:Star Talk
本作の語り部であるニールが現実の米National Geographic Channelでホストを務めるトークショーの名称でもある。つまり、『ARES』はモキュメンタリー(モック・ドキュメンタリー)として描かれた
3−1.DNAのダメージ表現
▲太陽光の紫外線によってDNAが崩壊するエフェクトはMaya上でSOuPとnParticles、nClothを組み合わせて表現された
▲ダメージFXのアニメーション
▲完成ショット
3−2."Star Talk"の星雲エフェクト
▲ICEで作成された星雲のベース素材となるボリュームエフェクト。これをレンダリングして2D化させた素材を3ds Maxに読み込み、シンプルな3Dジオメトリに対してプロジェクションさせることでデータ負荷が軽減された
▲「StarTalk」シーンのブレイクダウン。上段から順に、<1>(左)実写プレート、(右)マットペイント/<2>(左)パーティクル素材、(右)コンポジット処理を施したパーティクル素材/<3>(左)宇宙飛行士キャラクター素材、(右)星雲素材等を合成した状態/<4>完成形。ニール博士の実写プレート以外は全てCGで構成されていることがわかる
"Our Greatest Adventure -ARES Live-" ブレイクダウン映像
movie courtesy of Juice.
[credits]
制作:3AM&RSA Films監督:Chris Eyerman and Ash Thorp/撮影監督:Tony Wolberg/ アート・ディレクター:Michal Misinski(Juice.)/VFX・CGスーパーバイザー:Jakub Knapik(Juice.)/オンサイトVFXスーパーバイザー:Anthony Scott Burns/リードデザイナー兼アニメーター:Michael Rigleyほか Mars Opening VFX:MPC Hermes VFX:Framestore and Juice. Nebula VFX:Juice.
youtu.be/-fdKyszL1Zo
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