昨年5月に公開され、2週間限定上映にもかかわらず各館で高い動員数を獲得した劇場長編アニメ『BLAME!』。今年3月のVFX-JAPANアワード2018にて劇場公開アニメーション映画部門最優秀賞を受賞、さらに第21回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員会推薦作品にも選出されるなど、『シドニアの騎士』(2014~2015)から安定してファンを増やし続けている老舗3DCGスタジオ ポリゴン・ピクチュアズ(PPI)が手がけた映像は、本作でさらに磨きがかかっている。そんな本作の映像表現を強力に支えたのが、技術開発企業J Cube(ジェー・キューブ)の開発したレンダリングソリューション「Maneki」だ。開発を主導した同社CEOパオロ・ベルト・デュランテ氏と、PPIの中核スタッフに話を伺った。

TEXT_岸本ひろゆき / Hiroyuki Kishimoto
EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)、山田桃子 / Momoko Yamada
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota

<1>「CG的な手法とアニメ的な手法の統合」からスタートしたManeki

いまやアニメ業界の外からも注目されるPPIが、ハイクオリティな映像を次々と生み出し続ける背景に入念な技術開発があることは、アニメ・映像系に限らない各媒体の取材からも読み取ることができる。過去作でもパイプラインを順次更新することで高いレベルでのコストとクオリティの両立を図ってきた同社だが、本作ではパイプラインの大きな更新は行われていないことは本誌226号でも触れた通り。

劇場アニメ『BLAME!(ブラム)』本予告② BLAME! The Movie Trailer②

ひとつには、実績のあるフローによって制作期間・得られるクオリティを見積もりやすいという利点もあるが、パイプラインの大規模な変更を控えることで、Maneki導入というもうひとつの大きな変更に柔軟に対応し、問題の切り分けを容易にする方策が採られた。Manekiはシェーダ・ライト・レンダラほかのツール群からなる、BLAME!のレンダリング周りを包括的に司るソリューションだ。レンダラについては、これまでPPIが用いていたmental rayから3Delightへと切り替えられた。後半工程における影響範囲は広く、パイプラインを継承することで、万が一の場合には過去作品の手法でも制作を進められるという万全の体制が採られた。

「『シドニアの騎士(以下、KOS)』を2シーズンつくっていく中で、開始当初は3DCG由来の画のニュアンスについて視聴者からの苦言もあったのですが、映像をつくり続けていくなかで、少しずつ3DCG的な立体情報を許容してもらえるレンジが拡がっているのを感じました」と語るのはBLAME!副監督の吉平 "Tady" 直弘氏。「それまで、トゥーンの画を出すのにメインライト1灯で進めていました。生産性を考慮する側面と、ライトを増やすことで露見する立体情報を軽減する意味合いもありました。しかし、KOS2期(『シドニアの騎士 第九惑星戦役』)の最終話では特別にライトを2灯にし、リムライトも増やしてリッチな画づくりにしています。結果的には十分な手ごたえが得られ、これからももっと情報量を増やしていけるんだなと感じました」。

  • 吉平 "Tady" 直弘氏
    (『BLAME!』副監督・CGスーパーバイザー/ポリゴン・ピクチュアズ)

しかしリッチな画づくりは工程の複雑化・コストの増加に直結する。KOSのBD/DVDパッケージ装画(いわゆる「版権イラスト」)は特効をふんだんに盛り込んだ凝った仕上げになっているが、KOS本編映像でこのクオリティまでつくり込むことは現実的ではない。クオリティを追求した結果、現場の負担が過大になってしまうようなことがあってはならない。クオリティ向上とコストの両立、その解決をPPIは根性と体力ではなく技術開発に求めた。


『シドニアの騎士 第九惑星戦役』BD/DVDパッケージ(公式サイトより)

パオロ氏がJ Cubeを立ち上げたのは約5年前の2013年6月。「以前から日本には何度も来ていました。『カウボーイビバップ』『アニマトリックス』『坂道のアポロン』などかねてから日本の漫画・アニメ作品には親しんでいました。『BLAME!』はヨーロッパでは非常によく知られた作品で、これを手がけると聞いたときは興奮しました」。

  • パオロ・ベルト・デュランテ/Paolo Berto Durante氏
    (J Cube CEO)

  • 株式会社ジェー・キューブ/J Cube Inc.
    2013年6月設立。3DCG制作の研究開発サービスやコンサルティングを提供している
    j-cube.jp


J Cubeのコアメンバー。写真左からボウ・シュウ/Bo Zhou氏(CTO)、アギレス・ケファッシュ/Aghiles Kheffache氏(社外取締役/DNA Research・CTO)、ホルヘ・アドルニ/Jorge Adorni氏

原型となるトゥーンシェーダは、2013年ごろから存在していた。中核となるアイデアはパオロ氏のひとつの疑問に基づいている。すなわち「なぜCG的な手法とアニメ的な手法、2つのシステムを混在させているのだろう」というものだ。往年のアニメ制作のフローに対して後発であるCGは、部分的な置き換えや手法の模倣で合流を図ってきた。このため「2つのシステムを混在させるということは、ワークフローも2つ、コストも2倍。CGをメインツールとしてつくるのであれば、CGツールの得意な手法・考え方で統合した方がシンプルではないか」という思いがかねてからあったとパオロ氏は語る。「技術的には可能だという確信がありましたし、頭の中にはソリューションがありました」。それがのちのManekiとして具体的に動き始めたのは2015年8月。KOS2期の放映後、BD/DVD版のリリースも終盤に差しかかったころである。


『BLAME!』より

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<2>Manekiのライティングフロー構築に大きな影響をもたらしたBD/DVDパッケージ再現テスト

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<2>Manekiのライティングフロー構築に大きな影響をもたらしたBD/DVDパッケージ再現テスト

「新しい手法の導入にはどうしても抵抗感が生まれますので、KOSと同じ画では現場のアクションが得られません。これを抑えるだけの説得力を得るためにも、より高品質な仕上がりをよりシンプルなワークフローで実現してほしいと要望しました」(吉平氏)。Manekiの仕上がりイメージの指標として、2期BD/DVDの2巻・5巻のパッケージアートの2点が選ばれた。前者は「明るい(光源が強い)」、「背景が2D美術」、後者は「暗い(光源が多い)」、「背景が3Dモデル」という特徴がある。

「具体的にお互いにとって必要なものをつくるためには、多くの話し合いが必要でした。私にはアニメ制作に関するバックグラウンドがなく、一方PPIの片塰(満則)さんはスタジオジブリ出身という最高のバックグラウンドをおもちです。まずは『アニメの画』がどういうものかを徹底的に教わりましたが、このやり取りには延べ半年ほどを要しました」(パオロ氏)。

DVD2巻(左)、5巻(右)用のカバーアート

まず取りかかったのは5巻のパッケージ。パオロ氏は、キャラクターも背景も3DCGでつくられているこちらの方が難易度が高く、より興味深いと感じたという。しかし、実際には美術で背景が描かれている2巻パッケージの方により多くの時間を割くこととなった。パオロ氏の見込みとは異なり、パッケージアートを手がけた片塰満則氏は当初からこちらの方が難易度が高いと考えていた。

「部屋が白く、シーツもあるためバウンス(照り返し)を考慮する必要があり、さらに窓のブラインドからの光......極めて複雑な光源で構成されています。パッケージアート制作時にも、ライティングを替えて2種類レンダリングし、さらにコンポジット時にリライトでリムライトを足すなど手を加えていました。これがコンポジットなしに得られるならとても素晴らしいと考えていました」(片塰氏)。

「5巻パッケージの後に2巻の方に取りかかり、ライティングの複雑さ、難易度の高さに気づきました。実は、この2つの課題に取り組むまで、なぜパッケージアートを再現したいのか疑問に思っていました。これらがスペシャルな工程で仕上げられているとは知らなかったのです。実際、2巻パッケージの再現を行なったことがManekiのライティングフロー構築に大きく貢献しました」(パオロ氏)。

●片塰氏によるパッケージアートの制作工程


  • 2巻のパッケージをmental rayでレンダリングした未加工の画像。背景は2Dで、後ほどAfter Effectsでコンポジットする


After Effectsでのコンポジット画面


  • 5巻のパッケージをmental rayでレンダリングした未加工の画像。パフォーマンスの点から、背景は別レンダリングとしている


After Effectsでのコンポジット画面

●Manekiによるパッケージアートの再現工程

【5巻パッケージ】


  • Manekiでレンダリングした未加工の画像。背景も一緒にレンダリングされている


  • コンポジットは非常にシンプル。NUKEで光学エフェクトとグロウを追加する


NUKEでコンポジットしたManekiでの最終結果

【2巻パッケージ】


  • Manekiでレンダリングした未加工の画像。背景は3Dジオメトリにカメラマッピングしている


  • 未加工の画像にレンズディストーションをかけたもの


NUKEで光学エフェクトとグロウを追加


  • Manekiで再現したシーンは3DCG空間になっているため、カメラを動かすことができる

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<3>Manekiが掲げる"フォト・シュールレアリスム・レンダリング"

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<3>Manekiが掲げる"フォト・シュールレアリスム・レンダリング"


『BLAME!』より

複数のライトを配置した上でアニメの画をつくる意義について片塰氏は次のように語る。「トゥーンスタイルの3DCGは誤解されているな、と感じることがあります。トゥーンは、フォトリアルな表現と比べると、情報を削ぎ落として単純化している分、ルックデヴやライティングは手間がかからない、と思っているアーティストが多いです。例えばライティングは1灯だけで良い、と考える人も多いでしょう。もちろん作品のスタイルによっては1つの光源で充分な場合もあります。でも、『シドニアの騎士』や『亜人』の目指す画づくりにおいては、それでは不十分だと考えていました。特に問題だと感じていたのは、カゲ色の面積が多くなる逆光や、あるいは闇の中といった状況のライティングです。こういった場合、作画のアニメーションでは、リムライトや2号カゲといった塗りを増やしたり、特殊効果としてエアブラシでグラデーションを追加したりします。これを3DCGに置き換えると、リムライトやカゲの中の階調は、複数のライトによって表現する、あるいは従来よりも階調数の多い特別なトゥーンシェーダで描画する、という方法が考えられます」。

制作現場に蔓延する「ライトは1灯」という考え方と、複数のライトで階調を増やしたいという欲求、ここでも2つのシステムが混在している事実があった。この問題意識を吉平氏とも共有する。「現代のCGでは環境・照明演出のために多様なライトを必要なだけ置くというのは当然のアプローチですので、"アニメ"を意識した手法がCG制作フローの中でガラパゴス化していたわけです。本来CGというツールが発揮できるはずのポテンシャルを活かしきれない状況がありました」。

  • 片塰満則氏
    (『BLAME!』ディレクター・オブ・フォトグラフィー/ポリゴン・ピクチュアズ)

このようなライティングへの高度な要求は、ただリッチな画面を得るためだけのものではない。遠未来を舞台とするBLAME!は、異常増殖した都市の中でストーリーが展開するため、屋外であっても背景は大小様々な建造物で埋め尽くされることになる。こうした現実から大きくかけ離れた"異世界"の中では見る側は世界観へ入りこむ取っかかりを失い、作品世界に没入することができない。そこで手がかりとなるのがライトである。キャラクターが受ける光、照り返しや、背景の照明が照らす範囲などを現実と同じように忠実に描き、異世界への没入の手引きとするためにも、実写のような情報量で画面に落とし込む必要があったのだ。

「その環境にいるような感覚を呼び起こすためにも、アニメ的なアプローチとCG的なアプローチの2つの考え方を内包できるようなパッケージが求められました。VFX作品の画づくりに比べればアニメは情報が削がれているかもしれませんが、その分、映し出されているディテールには意識が向きやすいという特性があります。画面に映るもの一点一点にフォーカスされて見られてしまうのです。この点ではフォトリアルな画づくりよりも難しいと言えるでしょう」(パオロ氏)。


『BLAME!』より

Manekiを用いたフローでは、画づくりに必要なだけライトを配置することができる。計算は物理ベース(PBR)で行われ、照度に基づいた塗り分け結果となる。つまり「フォトリアルなレンダリング(PBR)と非現実的なレンダリング(Non-Photoreal Rendering = NPR)の統合」がManekiの根幹となるコンセプトであり、両者の間で柔軟にルック開発を行うことができる。実際、Manekiのサンプルページには、フォトリアルなルック、いわゆるトゥーンシェーディング、さらに塗り分け境界を大胆に省略したルックまで様々なレンダリング結果が掲載されている。

「Manekiの特徴はPBRとNPRを統合したことにあり、ここから生まれるルックはトゥーン表現に限らず無限の可能性があると考えています。両者のインターセクションにあるこの表現を、私は"フォト・シュールレアリスム・レンダリング(Photo-Surreal Rendering = PSR)"と名付けました」。「超現実」、「現実離れ」などと訳されることの多いシュールレアリスムだが、立体的でありつつ平面的でもある、アニメの画づくりはまさにシュールレアリスムそのものだとパオロ氏は語る。「このPSRという呼び方は自分で考えました。様々なルックを実現できるManekiのための新しい言葉です」。

Maneki and "Photo Surreal Rendering"

Manekiの開発では、片塰氏からはアニメの画づくりについてスケッチを交えたレクチャーがくり返し行われ、技術陣とともに様々な課題を乗り越えていったという。開発当初、片塰氏はPBRの考え方に基づく3Delightの特質が、求めているアニメの画とは馴染まないのではないかと危惧していた。「自由にグラデーションの階調を制御したり、任意の場所に特効を加えたりするといったことが、PBRの観点からすれば"嘘をつく"、すなわちPBRの利点を損ねているのでは、というネガティブな印象をぬぐえなかったのです。でもパオロは我々の要求を柔軟に解釈し、『アーティスティックな制御が必要なんだね』と理解を示してくれたのです。この言葉は、フェイクではないかという私の中にあったモヤモヤした感情を拭い去ってくれました」(片塰氏)。

これはまさにPBRとNPRを統合するManekiの本質を表すエピソードと言えるだろう。ただ2次元に落とし込んだだけではない、アニメの中のリアリズムを追求する「PPIの目指す理想のアニメ表現」のためのソリューションなのである。

『BLAME!』より

ちなみに「Maneki」という名前の由来についてだが、パオロ氏は「今日はこの質問に答えるのを一番楽しみにしていたんだ!(笑)」と笑いながら次のように語ってくれた。

「私が思うに、"招き猫"というのは日本が発明した理想的なキャラクターだと思っています。謎めかした表情、ミニマリスティックな要素で構成された造形など、余分なものを配した日本のデザインを感じます。そして、遊び心があってかわいらしい。これらは、日本のアニメのエッセンスをも表しているように私には感じられ、このツールを表すものとして最高にふさわしいと考えました。もちろん、この名前が元来もっている『幸福を招く』という意味も意識し、これを使えば美しいビジュアルを招くことができるよ、ハッピーになれるよというメッセージも込めています」。

「デフォルメされた造形や、白を基調とした配色の美しさがあり、招き猫とはいいところに目を付けたなと非常に納得しました」(片塰氏)。「造形的にも、レンダリングサンプルにするのにちょうどいい複雑さですね。ユタティーポットやハッピーブッダに並ぶ存在になってくれるのではないでしょうか(笑)」(吉平氏)。


Manekiのトゥーンシェーディングサンプル

Maneki公式サイトでレンダリングサンプルに用いられている招き猫のモデルは、BLAME!でモデリングスーパーバイザーを務めた綿引 健氏が空き時間を見つけて3ヵ月ほどバージョンアップを重ねつつ作成、その後はJ Cubeのホルヘ・アドルニ/Jorge Adorni氏に引き継がれ、各種マテリアルの計算結果を確認するため細かい修正が重ねられた。「綿引はBLAME!のサナカン、KOSではつむぎなど、重要なキャラクターを担当してもらうことの多いモデラーです」(片塰氏)。「彼だったんだね! 今度ご飯をおごってあげなきゃ」(パオロ氏)。「それがいいね。彼、痩せてるから」(片塰氏)。「チャンコ鍋にしよう、太ってもらおう!」(パオロ氏)。

『BLAME!』より

<後編に続く>

  • 劇場アニメ『BLAME!』
    Blu-ray DISC発売中!


    原作:弐瓶 勉『BLAME!』(講談社「アフタヌーン」所載)
    総監修:弐瓶 勉
    監督:瀬下寛之
    副監督・CGスーパーバイザー:吉平"Tady"直弘
    アニメーション制作:ポリゴン・ピクチュアズ
    配給:クロックワークス
    製作:東亜重工動画制作局

    www.blame.jp

  • 対応アプリケーション:Autodesk Maya 2015 SP6 以降(NUKE対応版開発中)
    価格(1ライセンスあたり):
    ●3Delightライセンス付き
    70,000円(20~50ライセンス)、60,000円(51~100ライセンス)他
    ●3Delightライセンスなし
    35,000円(20~50ライセンス)、30,000円(51~100ライセンス)他
    ※メンテナンス・サポート&製品アップデート含む
    問い合わせ:support@j-cube.jp
    maneki.sh