2019年7月25日(木)、「CGWORLD NEXT FIELD」と題したイベントが秋葉原UDXにて開催された。ファッション・ロボット・医療・建築・漫画の5業界において、3DCGを活用している先駆者を招き、現在の取り組みと今後の活用の可能性を語ってもらった。本イベントの終了後、CGWORLD編集部では全登壇者にインタビューを依頼し、イベントで語られた内容をふり返るだけでなく、さらに掘り下げた話も聞いてみた。その模様を、全5回の記事に分けて公開していく。

東京大学医学部脳神経外科で脳神経外科医として19年のキャリアをもつ金 太一氏。CTやMRIによる画像診断が一般的となった現在、1つの症例に対して発行される医用画像は数十種類、数千枚にもおよぶ。金氏はそうした医用データを基に、患者ごとに精巧な頭部3DCGモデルを制作し手術前のシミュレーションに活用することで、これまで手術不可能とされていた症例の根治や、手術スタッフとの情報共有に役立てている。アプリ開発や3DCGモデルの無償提供なども幅広く手がけ、「非連続イノベーションを起こすには、医療者と技術者という異分野間での連携が必要」だと語る氏に、その研究のきっかけや、将来の見通しについて聞いた。

TEXT_戸崎友莉 / Yuri Tozaki
EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)、沼倉有人 / Arihito Numakura(CGWORLD)
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota

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<1>2クリックするとMayaが落ちるマシンからのスタート

CGWORLD(以下、CGW):まずは、金先生が医療の道を選ばれたきっかけを教えてください。

金 太一氏(以下、金):小学生の頃、僕は科学者になりたかったんです。でも、父親に「医者になれば食うに困らないから医者になれ。医者の免許を取ればあとは好きにしてかまわない」と言われて、医者を目指すことにしました。そもそも脳神経外科を選んだのも「頭」に興味があったから。科学者になりたかったのも、頭の機能や意識などを科学したいと思ったからだったんです。


  • 金 太一/Taichi Kin
    東京大学医学部脳神経外科

    2011年東京大学大学院博士課程修了。2001年から東京大学医学部附属病院などで脳神経外科医として臨床医療に従事しつつ、医用画像処理、3DCG手術シミュレーション、アプリケーション開発に従事。ドイツ連邦共和国エアランゲン大学リサーチフェローを経て2014年より東京大学医学部脳神経外科助教。脳神経外科専門医
    www.h.u-tokyo.ac.jp/neurosurg/staff/kin.html

CGW:金先生は3DCGの医療応用のひとつとして、CTやMRIなどの医用画像を基に頭部の3DCGモデルを構築し、手術のシミュレーションに活用する研究を進めていらっしゃいますが、この研究はそもそもどのようにして始められたんでしょうか?

:僕自身は2008年の後半からこの研究を始めたのですが、実は自発的に取り組み始めたのではなく、当時の上司であった齊藤延人先生(東京大学脳神経外科 教授)の提案に従うという受け身のスタートでした。当時は3DCGよりも別の研究テーマに興味があったので、最初の半年くらいは「嫌だなあ、嫌だなあ」と周りに愚痴を言っていました(苦笑)。

作業環境もGPUが載っていない一般的な事務用PCにMayaをインストールしていましたが、メモリも2GBくらいで、2回連続でクリックすると落ちてしまう始末で......。ワンクリック、セーブ、ワンクリック、セーブ、という根気のいる環境で4年くらいCG制作を行なっていました(苦笑)。

CGW:それは大変でしたね。

:また、3Dを勉強するには2Dを知らなきゃいけないと思って、なぜか最初にPhotoshopの勉強もしました。あまり役には立ちませんでしたけど(苦笑)。ただ、今では学会発表用のポスターを作成したりするときにPhotoshopの知識を重宝していますよ。

CGW:そもそも手術シミュレーションとは、どういったものなのでしょうか?

:まず、背景としていくつかご説明させていただきたいのですが、脳神経外科手術では数cmという狭い範囲で手術を行います。(直下のスライド画像をモニタに映しながら)左の写真は脳腫瘍の手術のもので、脳幹(延髄)という直径2cm程度の場所を手術している様子です。隣の正常解剖(※1)3DCGモデルと比較するとわかりますが、実際の手術では、この場所に走っている重要な神経線維はほとんど見えません。この部分には非常に重要な神経が密集しているのですが、これを避けて手術を完遂するためには、手先の器用さよりも医学的知識、戦略、判断の3つの方が重要と言われています。僕の師匠も「術前検討がきっちりできれば勝負あり」と言っていますが、その言葉の通り術前のシミュレーションによる戦略が非常に重要になるんです。

※1 正常解剖:大学の医学部や歯学部において、教育・研究を目的として献体を用いて行われる解剖。また、それによる解剖図


: また、「診断」「手術シミュレーション」も明確に分ける必要があります。例えば、診断では、MRIやCTなどの医用画像データを忠実に3次元化したものを見て、病気があるかないかを判断すればおしまいです。そして、どうやってその病気を手術するのかを検討するのが術前検討、手術シミュレーションです。診断に対して、動的・時間的なパラメータが入ってきます。


: そして、病院には医用画像から簡単な3次元データを構築する医用画像処理ソフトというものはありますが、このソフトは医用画像を見るだけのもので、手術シミュレーションはできません。僕がMayaにたどり着く以前の研究では、この複数の医用画像を融合し、細かい組織を検出することで、3次元データを限界までキレイに可視化する、ということをしていました。ここまではDICOMという医用画像フォーマットの中での画像処理でしたが、現在はこれをOBJ形式でMayaに読み込み、Maya上で3DCGモデルを制作しています。


: では、ただとにかくキレイに、高精細に作ればそれで良いのか? という疑問があるかと思いますが、それで良いのです。実際、高精細な3DCGモデルが患者さんを救った例があります。顔面けいれんで、医用画像による診断では血管が顔面神経を貫通しているため手術が不可能だとされ、26年間治療ができなかった患者さんがいました。その方が東大病院で診察を受け僕が脳を3DCG化してみたところ、血管は神経を圧迫しているが貫通はしていないことがわかり、手術可能だと判断され、手術をして完治されました。つまり、高精細につくることは、それだけで医療の現場で直接的な効果があるということなのです。


: しかし、こうした医用画像情報は日々増え続けており、脳腫瘍の検討だけでも神経線維や血管の状態など様々な情報を確認しなければなりません。大学病院では、脳腫瘍の患者1人あたり、術前に得られる医用画像は6,000枚にも上ります。医師はこれを毎日見なければならないわけですが、もはや全て見るのは不可能な量になってきているのが現状です。この膨大な量の医用画像を3DCGモデルとして1つにまとめて、術前検討に活かそうというのが僕の研究です。2008年に研究を起ち上げてから、約1,000人の患者さんで3DCGによる検討を実施してきました。


CGW:3DCGによる手術シミュレーションは、どのような場面において需要があるのでしょうか?

:まず大前提として、医用画像というのは解像度があまり高くないんです。最新のMRI画像でも、白黒で、1枚あたり512✕512ピクセル程度。これは、頭部でいうと1mmの太さの血管がぎりぎり映るくらいの解像度です。ところが、脳神経外科手術において最も重要な血管の太さは1mm前後なんですね。また、分解能も低く、重要な組織は医用画像には実はほとんど映りません。現状では、1症例あたり数千枚にものぼる画像を医師の頭の中でのみ融合させて診断している状況なんです。これでは他の医療スタッフと情報の共有ができませんし、正しく3次元化できているかわからないのでいざ手術をするときのリスクも高くなります。


:根本を覆すようですが、例えば顔面けいれんの手術では、検討に3DCGはいらないんです。手術でやることが決まっているからなんですね。脳を決まった方向にどけて、神経を圧迫している血管をどけるって言うのは、患者が誰であっても絶対に同じやり方なんです。実際、すごく手術が上手い人はほとんど画像を見ません。左右を確認するためだけに見るとか、極論するとそういう感じです。しかし、それでも3DCGの有用性というのはあります。

ひとつは「自分が頭で組み立てた手術手順が正しいかどうかの目視確認」。指さし確認みたいなものです。もうひとつは「自分の頭の中の情報をみんなに共有する」ためです。手術前のカンファレンスでとても需要があるんです。今までは、術前カンファレンスでは手術患部をイラストに描いて情報共有をしていました。

上手い人と若手医師の情報認識格差を均す意味もあるけれど、一番は患者さんのために、みんなで「この人にはこういう手術をします」って情報を共有することが大事です。手術室には看護師さんもいれば助手もいますし、麻酔科の先生もいる。これから僕たちはこういう手術をするぞっていうのが、3DCGがあればみんなに可視化されて、わかりやすく説明できるんです。手術スタッフ全員が6,000枚の医用画像を見ることは不可能なので。


: 3DCGデータは、執刀医の手術への認識を共有するためのツールでもあるわけです。ですから、今はこちらの有用性の方が強いと思います。少なくともうちの大学病院では約10年間、毎日3DCGを手術検討に使っています。

CGW:金先生が3DCGの医療への応用に取り組みはじめた当初、周りの反応はいかがでしたか?

:最初は反発もありましたよ。そもそも医用画像の医療応用がなぜ発展しないのかという理由が「医用画像とは人を忠実に可視化するのが目標」だからなんです。当たり前のことですが、これが当たり前になりすぎて「医用画像=いじっちゃいけない」というのが、セントラルドグマ的な存在になっていたんですね。「医用画像を加工するとは何事か!」などと、かなり厳しく言われたこともありました。

また、これは日本らしい話なんですけど「6,000枚の医用画像を見て、瞬時に頭の中で組み立てられないヤツは外科医になるな」という風潮もありました。3DCGを使うと6,000枚の医用画像を読まなくなってしまう、という風に受け止められていたんですね。でも、もう画像を1枚1枚キチンと読む時代は終わっていて、新しい概念を創造したり進歩しないと、そこでイノベーションはストップしてしまうと、僕は考えています。

CGW:その厳しい風当たりが変わったタイミングはどこだったんでしょうか?

:2008年、研究を始めたときにつくった3DCGモデルを見て、齊藤教授が「これはいける」と仰り、本格的にGOサインが出ました。そこがターニングポイントでしたね。当時はCTやMRIなど複数の情報をミックスして必要な情報だけを3DCG化する技術がすでにあったんです。それを応用して3DCG化し、血管などを色分けするなど当時できる限界までキレイにして見せることで、手術検討にものすごく役に立ちました。今見ると全然キレイじゃないプアな表現でしたが、それでも革新的だったんです。

例えば、このスライド(下記)の左下の画像で、紫色で示してあるのが脳腫瘍です。赤い血管が腫瘍に栄養を送っていて、青色の血管は腫瘍から出ていく血を表している。つまり、青の血管から遮断すると腫瘍にどんどん血液が入ってきて破裂しちゃう。だから、赤の血管を先に遮断しなければならないわけですね。実は、この順番が目視でわかるだけでめちゃくちゃ役に立ったんですよ。当時の医用CGには赤/青(動脈/静脈)の概念はありませんでしたから。齊藤教授は未だにこの画像を気に入られていて、学会発表にもお使いです。


: 今見ると「どこがそんなに有用なの?」って思うかもしれないけど、当時はこれがすごくキレイだったんですよ。「見た目」なんですね結局。見た目がキレイなので研究が進んだ。小脳は2つあるんですけど、今までの医用画像の3次元化ではそれが1つの塊になってしまっていたんです。一方、僕がつくった3DCGだと何となく2つあるのがわかります。左側の方、とか目印が付けやすくなるので、それだけで十分なんですよ。

小脳の手術であれば脳を持ち上げて覗くわけなんですが、「どこを持ち上げるか?」というのがこれまでの医用画像による検討ではわからなかった。それが「ここだけちょっと持ち上げれば見える」「最初に見えた血管は、入っていく血管だ」というのが3DCGによってわかっていれば、それでほとんど手術としての勝負はできているんです。

あとは、やはり「キレイに見せたい」という需要もある気がします。学会で珍しい症例や自分の手術経験を発表するときも、手術のビデオは血が映っていなくて、キレイで美しくササッとやったように見えるものを抽出するわけですよね。参考書の執筆や学会発表のときには、キーフレームアニメーションというのはすごく便利なんですよ。「どうやって作ってるんですか?」とよく訊かれます。僕はAfter EffectsとMotionを使っています。

また、トゥーンシェーダを使って3DCGデータを線画でレンダリングして、プリントアウトしたものに色をつけて手術記載に載せる、ということもよくやっています。黙ってると気づかれないですよ。僕がイチから描いたと思われてると思います(笑)。それに、トゥーンシェーダはレンダリングが速いんですよ! 1カットだけなら1分かからないので。

トゥーンシェーダで線画のみレンダリングし(左)、それに金氏が手書きで着色や書き込みを行った手術記載(右)

CGW:現在脳神経外科医として臨床もされながら、色々な分野で活躍されていますね。かなり多忙だと想定されるのですが、教育や研究、開発など、どういう配分で働かれていますか?

:働き方改革的にどう答えていいのか、悩む質問ですね(笑)。比率でいえば、いわゆる診療(手術を含む)や外来、その他患者さんと相対するような医療の直接的な業務は3割くらいを占めています。残りの7割が、CGを用いた研究活動などですね。


金氏がこれまでに発表した論文・著書の一覧。氏は「臨床に有用である」「日々使われる」ことからブレないことをモットーにかかげ、研究を進めている

CGW:金先生は、自ら3DCGのソフトウェアも使われますよね。そのような"CG制作"の配分はどれくらいなんですか?

:けっこう長いですよ。複数のソフトウェアを利用しているので、どのツールで何時間作業していると明言するのは難しいですけど、少なくとも毎日1〜2時間は何かのソフトを触っています。現在のメインツールはMaya 2019です。特に多いのは、日々の手術検討のための作業ですね。あとは、研究室でも上の方の立場になってきたので、執筆活動もあります。今は参考書や手術書などを書いていますが、そういった発行物に掲載する写真......というか、レンダリングした画像を用意したりもします。


金氏の発表資料より、使用ツールはMaya、ZBrush、Unity、RealFlowなど多岐に渡る

CGW:金先生と同じように、臨床もしながらツールとしてCGを使われる方は、海外などでは一般的なのでしょうか?

:一般的ではないと思います。欧米の医療シーンでは、内容には非常に興味をもってもらえるけど「モデラーさんや技術屋さんは何の役に立つの?」と医者に言われます。逆に3DCG業界では「私たちの技術で医療に何ができるの?」って......お互いわからないんですよね、何ができるのか。根本部分が理解されていないので、なかなか普及は難しいと思いますね。

海外で発表すると、まず最初に聞かれるのは「(3DCGの)作成時間はどのくらいですか?」ということ。基本的に術前に作らなければならないので、かけられる作業時間はマックス1日なんです。だから「数時間です」と答えれば、アメリカだったら即却下。向こうは1日に何十件も手術をしますので、数時間かけてつくる時点でもうコストパフォーマンスが見合わないということです。

語弊を恐れずに言えば、欧米は日本ほど時間をかけて手術をしないんです。日本はひとりの患者さんが具合が悪くて病院に来たら「検査→結果説明→手術→術後」という、長い場合は数年にもわたる過程を基本はひとりの医者が全て見るんですね。それに対して欧米では、診る人、検査をする人、手術の説明をする人、手術をする人、全部分担制なんです。だから、手術検討をそこまで丁寧にやる必要がないのだと思いますね。

CGW:金先生の研究は、日本だからこそ受け皿がある、とも言えるのかも知れませんね。

:僕は先進性や特許性というよりも、ノウハウやコンテンツをアピールしていきたいと思ってるんです。それは日本が得意としていることのはずだし、すごく重要なことだと思っています。

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<2>「脳みそが溶けてる」と言われるくらい自由な発想で

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<2>「脳みそが溶けてる」と言われるくらい自由な発想で

CGW:研究の広がりは、現在どんな状況なんでしょうか。若手の参入なども増えましたか?

:やっぱり増えてはいると思います。今では研究者が5〜6人になりましたね。あとは共同研究の件数も増えたし、プロジェクトも予算が増えました。また、医療系の学会では発表するセッションの分類が伝統的に決まっているため、「3DCG」というセッションはもともとないんですね。それが最近は「仮想手術シミュレーション」というセッションが追加されることも多いんです。ひとつのジャンルとして認められるまでになってきていて嬉しいです。すごく人気があるし、白熱していますね。


金先生の研究室。ほかの先生方もMayaなどの3DCGソフトを日常的に扱っている

CGW:現在、主な研究チームはどのような体制なんでしょうか?

:現在一緒に取り組むことが多いのは、東京医科歯科大学で教授をされている中島義和先生。あとは東大で臨床情報工学を専門とされている小山博史先生。ユーザーインタラクションや情報理工学が専門の五十嵐健夫先生。五十嵐先生は東大の先生なんですが、実は東大ではなくUnite Tokyo 2018で知り合ったんです。この3名が共同研究者ですね。

あとは、企業としてはKompath(コンパス)さんや、武井デザイン事務所の武井泰門さんと長いことお付き合いさせていただいています。あとは、Unityの開発に関して、ポケット・クエリーズさんにも加わってもらいました。この2〜3年でUnite Tokyoをはじめ、様々なイベントへの登壇のお誘もいいただいているのですが、こうした講演に力を入れていたのは、パートナー探しという目的が大きいです。

大学も"産学連携"というか、ビジネスを意識するべきフェーズに来ているんですね。研究をして「すごいだろう?」で終わるのはもうやめにして、それを社会に還元して自分たちも相応の取り分をもらう、という風にしていかなければならない。そうなるとどうしても脳外科という閉じられた中でやっていくには限界を感じていたんです。おかげさまでここ数年で様々なパートナーさんに恵まれて、研究も進んでいますよ。

CGW:今年1月には頭部の正常解剖3DCGモデルを無償で提供する「東京大学脳神経外科 頭部3DCGデータベース」が公開されましたね。

:実はこれには、元となる3DCGデータがあるんです。そのデータをつくられたのは柿澤幸成先生という、当時信州大学医学部附属病院にいらした方で、現在は諏訪赤十字病院の脳神経外科部長を務めていらっしゃいます。


: 柿澤先生は、アメリカの脳神経外科の権威であるアルバート・L・ロートン先生(Albert L. Rhoton Jr., M.D.)の指導の下、2006年に"Three-Dimensional Computerized Anatomy"※2)という研究を発表されました。この研究では、Maya 6.0 Unlimited(※2004年6月リリース)を使って頭蓋骨と脳神経の3DCGモデルを作成されたのですが、謙遜でも何でもなく、僕の10倍くらい大変な作業だったと思います。

※2:"Three-Dimensional Computerized Anatomy" , Yukinari Kakizawa, Kazuhiro Hongo, Albert L Rhoton Jr, Skull Base 2006; 16 - A074

CGW:当時としては世界的にも新しい研究だったということでしょうか?

:研究って「実験して何かの役に立った」までいかないと、普通は論文にならないんですけど、頭部の3DCGモデル化は「作った」というだけで当時は論文になる価値があったと言うことです。試みとしても相当新しいですし、今でも十分通用するくらい詳細につくられていました。

ただ、当時は柿澤先生のこの発表は知る人ぞ知る状態で、僕も4〜5年前に偶然知ったんです。さっそく信州大学を訪問して、「一緒にやりませんか?」と提案しました。そうした貴重なデータをベースにして出来上がったのが「東京大学脳神経外科 頭部3DCGデータベース」なんです。

先ほど海外では3DCGによる手術検討にはあまり需要がないとお話ししましたが、この頭部3DCGデータベースは、実は海外でもかなりダウンロードされているんですよね。アメリカ、オーストラリア、中国とか。教えていただけた範囲の用途としては、トロフィーの造形に使うという企業がいたり、ヨガの先生も欲しいって言ってくれたり(笑)

ほかにも、iPhoneでDICOM画像を表示できるアプリ「eMma」や、正常解剖3DCGモデルの表示できるアプリ「iRis」などもリリースしました。様々なアプリやソフトを開発して、「CGWORLD NEXT FIELD」の講演でも申し上げたとおり8つの特許も取得しました。興味をもっていただく幅は広がっていると実感しています。

医用画像閲覧アプリ「eMma」

高精細頭部解剖アプリ「iRis」


Unityアセットストアにて、DICOM画像をUnity上で表示する「Simple DICOM Loader」、DICOM画像から3次元データを構築する「High Speed CPU-Based Marching Cubes」も販売中

CGW:3DCGの作成にあたって、課題はありますか? 例えば、もうちょっとレンダリングが速くならないのか、とか。

:課題はやっぱり、時間ですね。僕が今使っているツールがMaya、ZBrush、医用画像から3DCGをつくるソフトが2つくらい、全部で5つくらいを使い分けて、そのほかにもPhotoshop、After Effectsなども使いますし......常時7〜8つのソフトを使い分けなければならない。そうすると、毎月何かのアップデートがあって、そのたびにお気に入りの設定が消えたり、昔のデータが開けなくなったりするんです。ソフトの数が増えると、それだけで追いつかなくなっちゃう。

もちろん、僕もソフトを開発しているのでアップデートが必要であることは理解しています。ですが、毎日2時間ほどの作業時間の中ではアップデートに対応しきれないので、いくつかのツールに関しては外部の企業さんなどに委託せざるを得なくなってきて、そこは少し残念ではあります。

CGW:でも、そうした外部との交流から新しい職業が生まれる余地があるかもしれませんね。

:そうなんです、間を取りもつ人、通訳みたいな人が必要だと思うんです。自分で言うのはおこがましいですが、僕が世間からやや注目されているのは、3DCG側と医療側の両方をたまたま知っている通訳みたいな役割だからだと思うんですね。そういう人種が増えると、すごく良いと思いますね。異分野間での非連続イノベーションを進めるためのポイントは、やっぱりコミュニケーションだと思うので。

例えば、この研究を1人でやっていたとき、様々な企業さんに協力していただいて、DICOMデータの3DCG化を進めていたんですが、あるとき、1年ほどお付き合いした某企業の方から、作業の末に3DCGが出来上がろうとしたタイミングで「もしかしてこれって脳ですか?」と聞かれました。こちらは当然伝わっているものと思っていたので、本当に衝撃でした。

CGW:それくらい、お互いの分野がかけ離れているということですよね。

:医療分野外の方からしたら「今MRIって進んでるから、何もかも全部映ってるでしょ?」って感じなんですよね。MRIには手術検討に必要な情報がほとんど映っていないこととか、想定すらしないから質問もされません。こちらとしても当たり前すぎることなので、(聞かれないので)説明もしないし。だから、注意するのは"しっかりコミュニケーションを取ること"。しかも、自分が当たり前だと思っていることは、相手にとってはそうではないということを意識して接することですね。

CGW:お互いにわからないことだらけの中で、手探りで共同開発をするわけですからね。

:当たり前のことなんだけど、お互いのメリットというか、やりたいことをやってもらえるように気をつけなきゃいけない。こちらが「役に立つ」と思うことでも、無理にやってもらわないようにはしているつもりです。

CGW:この研究の、ご自身で想定する目標はありますか?

:あまり明確なゴールというか、これでOKというところはないと思います。当たり前ですけど、Mayaの機能は1/100も使ってないと思うので。そういう意味ではゴールはないんじゃないかと思うんですね。でも、究極は医用画像を見ないで3DCGだけで手術検討が済んじゃうのが希望ではあるかな。

CGW:CGWORLD NEXT FIELDの講演の中で、AIが医用画像から3DCGを自動生成する研究が進んでいるとのお話もありましたが、そういう技術進歩も視野に入ってますか?

:そうなんです、ちょうど今月に受注開始しました。AIが医用画像から3DCGを自動生成してくれるソフトで「LIVRET」という名称です。東大の中では、もうすでに実用されています。このAIは、医用画像を3〜4枚読み込んで、1分そこそこで3DCGデータにしてくれる。人間がつくると1時間はかかりますよ。ある程度の精度まで仕上げたら、細かい血管などは人間が手でつけないといけないんですが。細かい血管などを付けたら、OBJで書き出してMayaに読み込み、レンダリングします。


: 価格はサブスクリプションで年間100万円を想定しています。買い切りが300万円。医用画像ソフトって1本1,000万くらいが相場なので、それを考えると破格ですね。こういう技術をより普及させて発展させるために、儲けるよりも普及を目標として販売にふみきりました。

CGW:それでは、CGWORLD読者世代の若いCGクリエイターに、金先生がアドバイスすることはありますか?

「目的を明確にした方がいい」ということですね。漠然と「MayaでCGを使って手術検討したい」ではなく、どの機能を使って何がしたいかという明確な目標を立ててください。学術的には、そのような大きなモチベーションのことを「リサーチクエスチョン」と言うんです。僕だったら「医療でCGを使って何かしたい」ということですよね。

そのリサーチクエスチョンから1つ仮説を立てます。すごく簡単に言うと「Mayaのレンダリング画像が、僕が連載している教科書の図版として役に立つんじゃないか?」という仮説などですね。そこに向かってやっていけば良い。なので、大きなリサーチクエスチョンの中から仮説を立てて、それを検証し、評価する、というやり方をオススメしますね。論文執筆や研究の際のテクニックなんですけどね。


CGW:若いデジタルアーティストやビジネスマンたちが、医用CGの開発というところに商機を見出して医療業界にアプローチしてくることがあるとしたら、金先生はどう思われますか?

:大歓迎ですね! 実際たくさん問い合わせをいただいています。いろんな人にどんどん関わってもらわないと、研究は進まない。ぜひ、医学的知識がない人にこそ来てほしいと思っていますね。

僕は「脳が溶けてるんじゃないの!?」ってくらいの奇抜な発想の方が好きで、例えば正常解剖も、われわれが研究に携わっているセンサ付精巧人体モデル「バイオニックヒューマノイド」で行えるようになればいいんじゃないか、と思ってるんです。それくらいの奇抜な発想ができる方が、必ず発展していくものがあるはず。僕のPhotoshopですら役に立ってるんですから(笑)。なので、敷居を感じずにどんどん参入してきてほしいと思います。