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プレイヤーの振る舞いを研究し、ゲームデザインに活かす~遠藤雅伸氏・博士号取得記念インタビュー

プレイヤーの振る舞いを研究し、ゲームデザインに活かす~遠藤雅伸氏・博士号取得記念インタビュー

人気ゲーム『ゼビウス』(1983)、『ドルアーガの塔』(1984)などの生みの親として知られるゲームクリエイター・遠藤雅伸氏(東京工芸大学)が、2020年3月に博士号(工学)を取得した。博士論文「ゲーム道に通じるユーザーの振る舞いとゲームデザインへの応用」は、近く国会図書館で公開される予定だ。

本論文には大きく3つの意味がある。第一にゲームデザインについて、工学的な見地から行われた研究成果がまとめられていること。第二に自身のゲームデザイナーとしての知見が、存分に活かされた内容になっていること。そして第三に日本のゲーム文化のユニークさに光を当てていることだ。

今やゲーム業界出身の実務家教員は珍しくないが、遠藤氏のように博士号を取得した例は少ない。特にゲームデザイン分野については、国内で初の快挙と言えるだろう。そこで学位取得を記念して、産業界から学術界に転身した経緯や、研究のモチベーションなどについて話を聞いた。

INTERVIEW_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_小村仁美 / Hitomi Komura(CGWORLD)、山田桃子 / Momoko Yamada
PHOTO_遠藤雅伸 / Masanobu Endo

学位取得で海外の研究者と対等に議論できるようになった

CGWORLD(以下、CGW):学位取得おめでとうございます。率直なご感想というか、お気持ちをひと言お願いします。

遠藤雅伸氏(以下、遠藤):55歳で大学院生になって、そこから6年間かかりました。最初は5年計画(修士2年+博士3年)でしたが、忙しすぎて1年余計にかかっちゃいましたね。小学生と同じだけの時間を費やして、得たものは何なのかといわれるとなかなか難しいんですけど。別に博士号を取っても、それだけでは食えないんで。その一方で、博士号がないと学術では話にもならない。

  • 遠藤雅伸/Masanobu Endo
    東京工芸大学芸術学部ゲーム学科教授博士(工学)
    1959年、東京都出身。1981年に株式会社ナムコに入社し、『ゼビウス』、『ドルアーガの塔』などの開発に携わる。1985年、株式会社ゲームスタジオを設立。幅広いジャンルのゲーム開発を手がけ、「ゲームの神様」の異名を取る。株式会社ゲームスタジオ創業者・相談役、日本デジタルゲーム学会副会長、宮城大学事業構想学部デザイン情報学科客員教授、株式会社JAGMO名誉会長、明治大学総合数理学部客員教授
    evezoo.net
    (写真提供:遠藤雅伸氏)

CGW:遠藤さんがアカデミックの方に進まれた2010年前後というのは、日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)が発足したり、東京工芸大学にゲーム学科ができたりと、国内でゲームのアカデミズムや産学連携が大きく前進した時期だったと思うんですね。

遠藤:そうですね。

CGW:その過程で数多くの方々が産業界から学術界に籍を移されて、ゲーム業界出身の研究者が急増した印象があります。もっとも、その中で学位まで取得されたのは、ことゲームデザインの分野でいえば、遠藤さんが初めてだと思うんですね。

遠藤:はいはい。

CGW:そんなふうに、遠藤さんにとってみれば小さな一歩かもしれませんが、ゲーム業界全体でいえば大きな一歩かなと思うんですが、いかがでしょうか?

遠藤:実際、日本人のゲーム研究者で世界と太刀打ちできるレベルの人って、ゲームデザインの分野ではいないんですよね。博士号を取得してゲームをつくってる人はいます。その一方で、ゲーム開発の実績があって、博士号をもっている人は、日本ではいないんですよ。

僕は自分が実務家教員として大学教授になるとき、准教授だったら修士号、教授だったら博士号をもっているのが前提だと思っていたんです。だから自分も博士号を取ろうと思いました。芸術系の大学だと、学術に準じる業績で教員の資格を担保する傾向もありますが、それだけだと学術がおろそかになってしまいますよね。

そんな中で僕が東京工芸大学が好きなのは、工学と芸術の融合を理念に掲げているところにあります。これって、まさにゲームそのものだと思っているんですよ。自分も作品の実績で先生になったんですが、自分は芸術だけでなく、工学という部分を真面目に捉えています。工学の分野で博士号を取ったのも、ゲームデザインはソフトウェアエンジニアリングだという考え方からです。

こんなふうに芸術と工学の両方が揃うと、国際学会でもバカにされないですみます。自分もゲームクリエイターとしては尊敬される立場にあると自負しています。自分がつくったゲームは、世界の人たちにも知られていますから。だからといって、学術的にどうこうっていうレベルではないんですよね。学術的な裏打ちがないまま発言しても、ゲームのゲの字もつくったことがないような若手の海外の研究者に、「それはまあ、一個人の意見としてはありがたく拝聴します」と言われちゃうんで。

CGW:住んでいる世界がちがいますからね。

遠藤:画面の背景にも映っていますが、「ENDOH, Masanobu Ph.D」このPh.Dがすごく大切なんです。博士(工学)、Doctor of Engineeringですね。アカデミズムでは、これがついていないと人間と見なされないんで。

インタビューはZoom上で行われた

CGW:エンジニアリングという点が重要なわけですね。

遠藤:そうですね。僕は東京工芸大で実務家教員として教授職をやりながら、東京工科大学の大学院で社会人学生をする生活を、過去6年間続けてきました。工科大ではメディア系の学位を取ることもできましたが、ゲームデザインはソフトウェアエンジニアリングだと思っているので、そちらの道は選びませんでした。ゲームを試作して、評価してもらって、分析してという、エンジニアリング的な実験手法を選択したのも、そうした理由からです。

CGW:博士論文のタイトルには「ゲーム道に通じるユーザーの振る舞いとゲームデザインへの応用」とありますが、この研究でどういった知見が得られたのでしょうか?

遠藤:日本人ってゲームの遊び方が変なんですよ。ゲームの遊び方について調べていくと、いろいろなことが見えてくるんですね。それらを深掘りしていくうちに、世界の人たちとちがう遊び方をしていることがわかってきたんです。それが何かを分析していくうちに、ロジェ・カイヨワの書籍『遊びと人間』に行き当たりました。

もっとも、よく引用される「アゴン(競争)」、「アレア(運)」、「ミミクリ(模倣)」、「イリンクス(眩暈)」の4分類ではなく、「ルドゥス」「パイディア」によって分類する考え方です。

CGW:カイヨワはルドゥスを「恣意的だが強制的でことさら窮屈な規約に従わせる力」、パイディアを「即興と歓喜の間にある、規則から自由になろうとする原初的な力」と定義していますね。

そのうえで、遊びを「ルドゥスとパイディアという二つの力を対極として位置づけられた活動」と定義しました。

また、レスリングとじゃれつき遊びのように、本質的には同じ遊びでも、ルドゥス寄りの遊びと、パイディア寄りの遊びがあるといった具合に、濃淡があるとしました。

遠藤:そうですね。ただ、いつの間にか日本ではルドゥスとパイディアよりも、アゴン・アレア・ミミクリ・イリンクスのほうが有名になってしまった。研究を進めていくうちに、実はそれは反対なんじゃないかと思うようになったんです。

僕の博士論文も、そうした考え方がベースになっています。

研究の結果、ビデオゲームではルドゥスの原理で遊ぶプレイヤー「ルドゥサー(Luduser)」と、パイディアの原理で遊ぶ「パイディアン(Paidian)」がいると結論づけました。というのも、日本人は飛び抜けてパイディアンの比率が高いんです。海外ではパイディアンがほとんど見られないのに、日本では50%近くがパイディアンなんですよ。調査によって、そういうデータが出てきました。

  • 遠藤氏の博士論文

CGW:興味深いですね。どこからそうした結論が導き出されたのですか?

遠藤:最初にパイディアンの存在に気がついたのが、2014年に書いた論文「ひとはなぜゲームを途中でやめるのか? ―ゲームデザイン由来の理由―」です。修士課程に入って、初めて行なった研究でした。博士論文では第二章にまとめています。

CGWDiGRA JAPANの2014年度夏期研究大会で発表されましたね。SNSなどを通じて、ゲームを途中で止めた理由について広く体験談を募集されました。

遠藤:1,553件の有効データをもとに、離脱理由を14分類64要素にまとめました。そこから追加調査を行い、離脱理由を重要な順に、15種類に整理しました。トップ3が「ブランク(何らかの理由でゲームを中断後、再開していない)」、「生活変化(結婚・就職・出産などでゲームから離れる)」、「単純作業(同じことのくり返しで作業感が募る)」で、なるほどと。

CGW:改めてデータで示されると、説得感がありますね。

遠藤:その一方で「意図的停滞」「自己目標の達成」という、直感的に理解しにくい理由が統計上、無視できない量で出てきたんですね。前者は「ゲームのクリア直前で意図して止めてしまう」こと。後者は「自分で勝手に目標を設定して、それを達成した時点で止めてしまう」ことに相当します。

CGW:具体的にはどんなことでしょうか?

遠藤:例えばRPGなどでは、ラスボスと戦って、それに勝つことがゲームの目的ですよね。ラスボスを倒した瞬間が一番面白いわけじゃないですか。ところが、「ラスボスを倒すとゲームが終わってしまうので寂しい」、「いつまでも、この世界で敵と戦い続けていたい」などの理由で、クリアの一歩手前で止めてしまう人たちがいる。これが「意図的停滞」です。

CGW:そういえば、うちの妻もアニメ『カウボーイビバップ』の最終回を観ずに、止めてしまいました。終わってしまうのが嫌だからって。

遠藤:まさにそんな感じですね。僕も最初は「そんなわけないだろう、ラスボスを倒してこそRPGじゃないか」と思っていたんですが、よくよく考えてみれば自分も『FINAL FANTASY VIII』では、ラスボス手前でゲームを止めているんですよ。なんだ、自分もそうだったんだって。

CGW:なるほど。

遠藤:「自己目標の達成」では、これもRPGでたとえれば、ゲームのクリアそっちのけで、延々とレベル上げにいそしんだり、アイテム収集にいそしんだりするプレイヤーがいますよね。そういったプレイヤーにとっては、自分が決めた目標を達成することが重要で、本来の目的であるクリアなんか、どうでも良くなっているわけです。他に恋愛シミュレーションでヒロインを攻略したら、あとは浮気にあたるからといって、そこでゲームを止めてしまうとか。

CGW:特殊な制約を課して遊ぶ「縛りプレイ」や、ゲームセンターでハイスコアではなく、「他人に見せる」プレイを極めようとする人たちもいますね。

遠藤:そうですね。ただ、なぜそうした心理が働くプレイヤーがいるのか、良くわからなかったんです。そんな中、ドイツで2016年に行われたReplaying Japanという学会に招待されて、基調講演を行なったとき、大きなヒントをいただきました。当時東京大学にいて、今は立命館大学の先端総合学術研究科にいらっしゃるマーティン・ロート先生と雑談する中で、「日本人がそうした遊び方をするのはよくわかる。日本人がもつ東洋的な思想だし、禅につながる道だよねって」と言われて、驚いたんです。

英語にも「Self Improving」という言葉がありますよね。自分を高めるための行為です。そういう考え方に日本人は昔から慣れ親しんでいる。相手に勝つためにトレーニングするのではなくて、自分を高めに上げるために鍛錬する、鍛錬の結果として勝利という結果がついてくる、などは好例です。

CGW:そこにつながるわけですね。

遠藤:また、日本の武芸道には「残心」という概念があります。特に茶道における残心が、意図的停滞に近いと考えられます。お茶会が終わって客を見送った後で、お茶会のことを思い出しながら主客が1人でお茶をたてて、相手との絆を深めていくことを指します。この作法がラスボス手前でRPGを止めて、いつまでもその世界に浸っていたいという感覚に近いんじゃないかなあと。

そんなふうに、Replaying Japanでヒントをいただいたことが刺激になって、博士課程でさらに研究を進めていった結果、前述したルドゥサーとパイディアンという考え方にたどり着きました。また、ルドゥサーを3種類に分類しました。

  • DiGRA2019インタラクティブ発表「ゲーム道 日本ゲーム文化の境地」

CGW:ルドゥサーとパイディアンについて、改めて整理したいのですが。

遠藤:「勝つことが正義」と考えて、そのように振る舞うプレイヤーがルドゥサーです。そのうえでルドゥサーを「フェアプレイヤー」「アンフェアプレイヤー」「チーター」に分類しました。

フェアプレイヤーはルールもマナーも守って勝利を目指すプレイヤーで、対戦ゲームであればイコールコンディションが前提。純粋にゲームを競技として楽しむ層ですね。これに対してアンフェアプレイヤーは、ルールが許す範囲であれば、ゲーム内外でのツールの利用や情報戦も辞さない層。オンラインゲームに勝利するためなら、最高スペックのPCと高速回線を用意するのが当たり前だと考えます。最後にチーターは勝つために、ルールとマナーを飛び越えてしまう層。パラメータの改ざんや通信データの割り込みなども気にしない集団です。

これに対してパイディアンは、「面白ければ何でもいい」という感じで、勝利に固執していないプレイヤーです。ゲームに新しい体験を求めたり、癒やし効果やリラックスを求めたり、ゲーム本来の目的とは外れて自己表現を追求する層です。こうしたプレイヤーにとっては、時間制限やゲームオーバーといった、ゲーム本来がもつルールが邪魔になることもあります。

CGW:先ほど日本人はパイディアンの割合が半数にのぼると言われていましたね。

遠藤:その後の研究で、日本人41人と外国人20人に対して、意図的停滞に関するインタビュー調査を行いました。それによると日本人の20人が「理解はできるが自身は行わない」、21人が「理解できるし、自分も行なった経験がある」と回答しました。それに対して外国人は18名が「理解できない」、2名が「理解はできるが自身は行わない」と回答し、対照的な結果になりました。また、この2名は日本語に堪能な日本文化の研究者と、日本のポップカルチャーのジャーナリストであり、意図的停滞は日本に固有な概念だとコメントしました。

ただ、ひとくちに海外といって括ることもできないと思っていて。博士論文を発表した後、海外の人とディスカッションしていく中で、それぞれの国や地域でいろいろな事例が聞かれたんです。その結果、北欧の人たちには、比較的パイディアン的な遊び方をする人が多いような印象を受けました。ルドゥサーとパイディアンの国際比較については、引き続き研究していきたいですね。

CGW:ものすごく乱暴にまとめてしまうと、博士論文で得られた知見は、「日本人ゲーマーの中にあるパイディア性の再発見」みたいな感じでしょうか?

遠藤:そうですね。そのため草稿では「ルドロジー・イズ・ノット・イナフ」と書いたんですよ。ルドゥスとはちがう、パイディア的な要素が日本人には多くて、それが日本の特徴になっていることがわかったので。その一方でゲーム研究の多くは、ルドロジー(ルドゥス/遊び・ゲームについて研究する学問分野のこと)に立脚しているんですね。でも、ルドロジーだけでは計れないものが、そこにはあるだろう。それがパイディオロジーみたいなものではないかと考えたんです。

ただ、その話を元東京大学の馬場 章先生にしたところ、苦言を呈されました。もともとルドロジーも、ナラトロジー(物語論)という概念から分化して成立した経緯があるんです。ゲーム研究がこれまで蓄積してきた成果なんですね。それに対していきなりパイディオロジーと言ってしまうと、ルドロジーとのちがいを、全て論理的に説明していく必要がある。「この一文だけで世界から叩かれますよ」って。

CGW:なるほど。

遠藤:それよりもルドロジーを広く捉えて、日本のゲーム文化をより深く理解するための、ルドロジーの別の一面だとした方が良いだろう。幸いにして日本には良い言葉がある。それが「道」である。だから「ゲーム道」と言った方がいい。日本人だったら、誰でもうすうす想像がつくし、世界の人にもわかりやすいからって。

CGW:それで論文のタイトルに「ゲーム道」という単語があるんですね。

遠藤:最初は「そんなカッコ悪い名称は使いたくないです」って断ったんですが、「そのカッコ悪い名称を使った論文が、世界で認められる可能性があるとするならば、遠藤さんしかいない」と言われて、理解しました。だから自分で「ゲーム道」と言っておきながら、いまだに恥ずかしかったり、気持ち悪かったりするんです。

DiGRA2019インタラクティブ発表

CGW:立命館大学で2019年の夏に開催された国際学会「DiGRA 2019」で、ポスター(インタラクティブ)発表をされたとき、初めて「ゲーム道」という用語を使われましたね。

遠藤:世界中の研究者が参加するので、良いタイミングだと思って。ポスターだけでなくハンズアウトにして、いろいろな人に配りました。ルドゥサーのフェアプレイ・アンフェアプレイという分類に共感してくれた人がいたり、今まで説明が付かなかった遊ばれ方が、ゲーム道ということで説明がつくため、すごく良いとコメントしてくれた人がいたりと、おしなべて高評価でした。そこで、もう少しちゃんと取り組む必要があるなと思って。最終的に博士論文にまとめました。

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教えるよりも、学生から教えられた講師生活

Profileプロフィール

遠藤雅伸/Masanobu Endo

遠藤雅伸/Masanobu Endo

東京工芸大学芸術学部ゲーム学科教授博士(工学)
1959年、東京都出身。1981年に株式会社ナムコに入社し、『ゼビウス』、『ドルアーガの塔』などの開発に携わる。1985年、株式会社ゲームスタジオを設立。幅広いジャンルのゲーム開発を手がけ、「ゲームの神様」の異名を取る。株式会社ゲームスタジオ創業者・相談役、日本デジタルゲーム学会副会長、宮城大学事業構想学部デザイン情報学科客員教授、株式会社JAGMO名誉会長、明治大学総合数理学部客員教授
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