>   >  新・海外で働く日本人アーティスト:ビザの取得に難航し、5年間7社で働くうち巡りあったSIE 第28回:大竹将士/Masashi Otake(SIE / Art & Outsource Supervisor)
ビザの取得に難航し、5年間7社で働くうち巡りあったSIE 第28回:大竹将士/Masashi Otake(SIE / Art & Outsource Supervisor)

ビザの取得に難航し、5年間7社で働くうち巡りあったSIE 第28回:大竹将士/Masashi Otake(SIE / Art & Outsource Supervisor)

「アメリカで日本人が3人集まると、必ずビザとグリーンカードの話が出る」と言われる程、アメリカにおける就労ビザは在米の日本人にとって大きな課題である。特に留学生の場合は「卒業後に、如何にビザ・スポンサーとなってくれる企業に採用されるか」で多大な苦労を強いられることが多い。今回、紹介する大竹将士氏もそんな1人だろう。これまでを振り返って「全て巡りあわせだった」と語る大竹氏に、お話を伺ってみることにしよう。 

TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

Artist's Profile

大竹将士/Masashi Otake(Sony Interactive Entertainment / Art & Outsource Supervisor )
岐阜県出身。2000年に語学留学のために渡米、その後Academy of Art Colleg(現Academy of Art Universitye)に入学し2004年に卒業。3D背景アーティストとしてサンフランシスコベイエリアを中心に複数のゲームスタジオで経験を積み、2009年にSony Computer Entertainment America(現Sony Interactive Entertainment、以下SIE)にLead Artistとして入社。2013年に同社のArt & Outsource Supervisorに就任し、現職。近年は『MLB The Show』シリーズや『KNACK』シリーズ、9月7日に発売したPlayStation 4(PS4)用ソフトウェア『Marvel's Spider-Man』、PS4用ソフトウェア『DAYS GONE』などに携わる。

<1>大学では物理専攻、留学時にはじめて3DCGにのめり込む

――日本では、どんな学生時代を過ごされましたか?

日本の大学では物理を専攻しました。子供の頃、美術は得意な方でしたが、当時は美術を専攻したり美術関連の仕事をすることになるとは、全く想像もしていませんでした。また、特に明確な将来の目標があって物理を専攻したわけではなく、高校で物理が得意だったことや、「とりあえず上京しておこう」という安易な理由で進学したのが正直なところです。

そんな経緯もあり、2年次の終わりまで過ごした大学生活は、充実したものではありませんでした。同時に、将来に対する漠然とした不安も膨らんでいきました。何の取り柄もない自分が、何の取り柄も必要のない職に就き、そうして生きていくのだろうかと......。だからと言って、都合良くやりたいことが見つかるはずもありませんでした。

当時できたことと言えば、語学留学を両親への口実に休学し、とりあえず一度現状から抜け出すことだけでした。1年間の留学の予定で休学したのですが、結局は留学後半年で日本の大学を退学し、アメリカでやっていこうと決心しました。

――留学中は、どんな勉強をしていたのでしょうか?

語学留学先のESL課程を終了後は、日本の大学から単位をトランスファーする形で、サンフランシスコにある美大Academy of Art Colleg(以降、アカデミー)に入学しました。ハリウッド映画などのCGに少しは興味をもっていましたが、当時はMayaも知らないほど知識がなく、まずはアメリカに残るという目的でとりあえず美大に入学した感は否めません。

3DCGにのめり込んでいったのは、美大で3DCGの授業を受け始めてからでした。4年制大学なので専攻の3DCG以外にもデッサンや彫刻、パースなど、基礎のアートクラスも多く受講しました。私の美術の経験といえば小中学校の美術の授業だけでしたので、ほぼ全てが新しい経験でした。中でも、初日の最初の授業がヌードデッサンだったのには面食らいました。何をどうしてよいかわからず、邪念を抱く余裕もありませんでしたが(笑)。

美大生活の思い出は大きく別けて2つ、猛勉強とその合間の酒です。大学の授業で半日、その後は4~6時間を宿題に費やし、さらに4~6時間は自ら設定した課題に取り組みました。「人の倍勉強しないとCGの職に就けない」という先生の言葉を信じて、とにかく実行してみたわけです。勉強は楽しくも苦しいものでしたが、同じくアーティストを目指す周りの友人達と酒を酌み交わす時間が、勉強以外の大切な時間でした。

――海外での就職活動はいかがでしたか?

米国も人材の流動が激しく、私自身は現職のSIEに約9年間在籍していますが、それまでは大学卒業後5年間で、延べ7社で働きました。

卒業後に就労ビザをスポンサーしてくれる会社を見つける期間は、OPT(※)を利用した1年程度しかありませんが、卒業したばかりで仕事の経験がない私に、最初から就労ビザをスポンサーしてくれる会社は見つかりませんでした。「就労ビザをスポンサーできない」と口頭で伝えられ、採用されなかったことを不条理に思ったこともあります。

※OPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング):アメリカの大学を卒業すると、自分が専攻した分野と同じ業種の企業において、実務研修を積むため1年間合法的に就労できるオプショナル・プラクティカル・トレーニングという制度がある。専攻分野によっては、1年以上の就労が認められるケースもあるので、留学先の学校に確認してみると良い

ただ、就労ビザのスポンサーをしてくれる確約はないものの、幸いにもOPT期間中は常に仕事に恵まれ、非常に短期の契約だったり、開発中のゲームが中止になりレイオフということもありながら、複数の会社で働くことができました。そうしてOPT期間が終わるころ、最後に働いていた会社で就労ビザをスポンサーしてくれるという話になりました。こうして就労ビザを取得し、その後グリーンカード(アメリカ永住権)も取得できたのは、就職活動を上手く進められたからと言うよりは、「全て巡りあわせだった」と感じます。OPT期間中のレイオフや、非常に短期の契約も一見不運な状況にも思えますが、上手くタイミングがあい、期限内に就労ビザをスポンサードしてくれる会社に巡りあえたわけですから。

また、グリーンカードのスポンサーは、就労ビザが有効な間に見つけなくてはなりませんが、これにも良い巡りあわせがありました。アカデミーに通っていたSIEの元上司が、在学中に私のことを噂で聞いたのを覚えていて、当時働いていた会社から私を引き抜いてくれたお陰で、無事にグリーンカードを取得できたのです。その前職の会社は採用時の契約にグリーンカード取得のサポートも盛り込まれてはいたのですが、私がSIEに転職してから数ヵ月後にその会社は閉鎖してしまったので、もし転職していなかったら......と考えると、恐ろしいですね。


アウトソース業界の仲間達と

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<2>SIEのアート支援グループで数多くのゲームタイトルに従事

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