>   >  新・海外で働く日本人アーティスト:社会人経験を経て留学後、米国で就職 第43回:冨ケ原美菜子(米大手TVアニメーション制作会社勤務 / Background Designer)
社会人経験を経て留学後、米国で就職 第43回:冨ケ原美菜子(米大手TVアニメーション制作会社勤務 / Background Designer)

社会人経験を経て留学後、米国で就職 第43回:冨ケ原美菜子(米大手TVアニメーション制作会社勤務 / Background Designer)

日本人がアメリカで就職するには、就労ビザが必要である。過去5年以上、ハリウッドのプロジェクトは大部分がカナダに流出してしまい、アメリカの映像業界での就職は大変狭き門であり、ビザ・サポートを得ることが年々難しくなってきている。しかし、そんな中でも確固たるスキルや実力によって、アメリカで見事ポジションを獲得する日本人もいる。本稿ではそのうちの1人、冨ケ原美菜子さんを紹介しよう。

TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

Artist's Profile

冨ケ原美菜子 / Tomigahara Minako(米大手TVアニメーション制作会社勤務 / Background Designer)
文化服装学院を卒業後、日本の企業ファッションデザイナーとして勤務した後、デザイナーからアーティストへとキャリアチェンジすることを決め、一念発起しカリフォルニアの美大アートセンター・カレッジ・オブ・デザインへ留学しアート、デザインを1から学び直す。在学中は奨学生として学費免除を受けながら生活のやりくりをし、CPT制度でNetflix映画 『アウトサイダー』他で実務経験を積んだ後、在学したまま2019年に米大手TVアニメーション制作会社勤務に入社、背景デザイナーとして活躍中
www.linkedin.com/in/minako-tomigahara-53322711b

<1>ファッションデザイナーから"絵描き"を目指しアメリカへ

――日本での学生時代の話をお聞かせください。

文化服装学院でファッションデザインとイラストを学んでいました。幼い頃から絵を描くことや、もの造りがとにかく好きでした。高校時代に将来の進路を考えた時、日本でどちらも活かせる仕事、デザイナーの道へ進もうと決める際には、さほど迷いませんでした。

学生時代はとにかく楽しかった思い出しかなく、服づくりに夢中になり、同じ夢をもつ仲間達と切磋琢磨して過ごしました。学生は服をデザインし、型を起こし縫い上げ、自分のコレクションをつくる、というサイクルを繰り返すのですが、当時から特にデザイン画の制作が好きでたまらず、「ずっと絵を描いていたい」といつも思っていました。

文化服装学院の一大イベントでもある「文化祭ファッションショー」ではパンフレットの絵を描いたり、絵のコンテストに応募し賞をいただいたり、イラストのフリーランスの仕事をしてみたりと、様々な活動をしていました。

いつか海外に留学してもっと絵について学びたいな、とこの時点で思っていたのですが、それまでみっちりとデザイナーになるための教育を受けていたのに「やっぱり絵描きになる!」と思い切れるほど経済的に豊かではなかった上、当時は就職氷河期真っ只中だったため、その気持ちも「とにかく就職して東京で生き抜かなければ」という気持ちに掻き消されていました。

デザイナーになるために有利な資格を取り、就職活動では痛い思いをたくさんした後、株式会社東京スタイル(現在のTSIホールディング)にファッションデザイナーとして就職しました。その後にお世話になった上司には、「あなたはデザイン画で採用されたようなものよ」と教えられ、やはり私の強みは絵なのだな、と確信していました。

――日本でお仕事をされていた頃の話をお聞かせください。

入社当時は、周囲の反対を押し切りデザイナーになることを応援してくれていた母のためにも「とにかく早く一人前になりたい」と思う一心で、与えられた仕事を全力でこなしていました。

生まれて初めての就職、良い先輩と上司に恵まれて一生懸命に働いて、やりがいを感じる傍ら、心のどこかではいつも「留学してアートを学びたい、どうしたら実現できるのだろうか」と考えていました。しかし、その思いも忙しさに掻き消される、の繰り返しでした。

どこかで自分の情熱と現在の仕事のズレを感じながらも"自分が本当にやりたいこと"が何なのかハッキリ見えない日々が続いた中で、大きなキッカケになったのは私の所属していたブランドがコラボしていた、とあるイラストレーターさんとの出会いでした。

私は幸運にも彼女とのコラボの企画の担当を任され、デザイナーとしてイラストレーターと仕事をする経験をさせていただきました。彼女はフランス在住の日本人アーティストで、私は彼女の絵を使いプロダクトのデザインをしていました。彼女も、元々は日本でデザイナーをした後、フランスに留学しイラストレーターとして活躍していました。

「絵の仕事がどんなものなのか」について、とてもぼんやりしていた私にとって、彼女の働き方に触れることができたのはとても良い刺激になりました。視野が広がる機会を得られたことに今でもとても感謝しています。ただぼんやりと夢を見るのではなく、本格的に留学する方法を考え始めたのがこのころです。

――留学時代は、どのような経験をされましたか?

留学資金を貯めた後に渡米、最初に降り立ったのはNYでした。プライベート・アートスクールに入りアートを1から学び始めました。当時はとにかく貧乏(!)でしたが、長年の夢だったアメリカの地でアートを学べることの喜びで満たされていました。このときは全てが手探りで、自分が絵描きとして「どうなりたいのか」はまだ明確ではなく、興味があるものは全てやってみました。

モヤモヤと悩んでいたときにアートセンター・カレッジ・オブ・デザインと言う大学の存在を知り、その広範囲なコースと、元々は働いている人がキャリアを変えるための就職訓練所だった歴史から由来するプロフェッショナルな教育方針に魅力を感じ、すぐに見学に行きました。

このときにエンターテインメント・アートと言う分野を知り、その可能性の高さに感銘を受け、これしかない! と思い本格的に入学を目指し始めました。......がしかし、アメリカのアート大学はとにかく学費が高い! ......そのため、奨学生になれなければ入学は不可能な上、英語力が皆無だった私にとっては相当ハードルが高いTOEFLのスコアを取らなければならなかったので、ひたすら良いポートフォリオをつくること、英語力を上げることに一心不乱でした。

睡眠時間を削り、寝れない日々が続きましたが、この当時に出会い、分野はちがえど同じようにアメリカ大学留学を目指していた友達と共に、ひたすら学び続けた日々はとても良い思い出になっています。人生で1番勉強に集中した1年だと思います(笑)。アートセンターから奨学生としてのオファーレターをもらったときは本当に感動しました。このときに出会った仲間達はみな現在NYでそれぞれの分野で活躍しています。LAに移動した人は少なかったので離れてしまいましたが、今でも定期的に会い、近況を報告し合っています。刺激しあえる友達に恵まれたことに、今でも本当に感謝しています。

2016年にカリフォルニアに移動し、アートセンターのイラストレーション、エンターテインメントアート学科に入学しました。晴れて入学できた喜びはつかの間で、そのタフなスケジュールと、日本人が全くいない環境での語学の問題に入学当初はとても苦労しました。最初はうまく話すことができなかったので、とにかく良い作品をつくって、存在をアピールすることに専念しました。

語学の壁と資金面の問題、そしてビザのプレッシャーが常にあったので、自分が今できることを常に考えて実行していました。とにかく、早く仕事を得られるようになりたかったので、アートセンターの1年目からシニアのクラスに潜り込んだり、自分の尊敬する教授にアシスタントのお願いをしたり、メンターになってもらうお願いなどをして、人の二倍、三倍、学べるよう工夫していました。

そうしているうちに友達も増え、英語もいつのまにか苦ではなくなっていました。今、思えば、様々な問題を抱えていたからこそ、そこまで頑張れたのではないかと思うので、逆によかったのかもしれません。

――海外の映像業界での就職活動はいかがでしたか?

2年目から、仕事のチャンスを探し始めました。このときにCPT(※)制度を利用した実地研修での経験を経て、自分の"アピール力"の弱さを実感しました。日本で言えば謙虚で良い姿勢なのですが、謙虚過ぎるとチャンスが掴めないことも学びました。交渉がうまくできずに痛い思いを何度かしました。

※CPT(カリキュラー・プラクティカル・トレーニング):アメリカで学生ビザをもつ外国人留学生が、専攻学科のカリキュラムの一環として、企業で実地研修を行える制度。大学の許可を必要とするが、研修時間は週20時間まで、また期間も1年間までとなっている。詳細は留学先の学校に確認してみると良い

クリエイティブな側面以外での問題点を見つけることができたのは、この実地研修の経験のお陰でしたし、素晴らしいアーティストが周りにゴロゴロといる場所で、どうやったら自分を見つけてもらえるのかを真剣に考え始めたのもこの時期でした。

コンベンションや展示会に参加するなどして、自分の作品のプロモーションを始めたり、Webサイトやソーシャルメディアを使って本格的に就職の準備を始めたのは大学2年目の終わり頃でした。3年目の夏にインターンシップの機会を探していたのですが、ちょうどその頃に、現在の勤務先である、米大手TVアニメーション制作会社のアートディレクターから仕事のオファーをいただきました。

ソーシャルメディアを通して連絡をいただいたので「準備をしておいてよかった」と痛感しました。テストを受けた後、CPTを利用してフリーランスデザイナーとして働き始めたのですが、その後すぐにフルタイムのオファーをいただき、カラーデザイナーとして入社しました。

入社直後はカラーとデザインの仕事を兼任していたのですが、3ヵ月間で昇進し、背景デザイナーになりました。最初のキッカケをつくるために、良い作品をつくること以外での活動の大切さを実感した出来事でした。

最初のキッカケさえ掴めれば、全力で向き合った仕事は必ず評価してもらえると思います。ビザの問題と資金の問題を抱えていたため、卒業前に就職できたことはとても幸運でした。現在は仕事と学校の両立をしています。


同僚と

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<2>アメリカの大手TVアニメーション制作会社で背景デザイナーとして活躍中

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