記事の目次

    日本人がアメリカで就職するには、就労ビザが必要である。過去5年以上、ハリウッドのプロジェクトは大部分がカナダに流出してしまい、アメリカの映像業界での就職は大変狭き門であり、ビザ・サポートを得ることが年々難しくなってきている。しかし、そんな中でも確固たるスキルや実力によって、アメリカで見事ポジションを獲得する日本人もいる。本稿ではそのうちの1人、冨ケ原美菜子さんを紹介しよう。

    TEXT_鍋 潤太郎 / Jyuntaro Nabe
    ハリウッドを拠点とするVFX専門の映像ジャーナリスト。
    著書に『海外で働く日本人クリエイター』(ボーンデジタル刊)、『ハリウッドVFX業界就職の手引き』などがある。
    公式ブログ「鍋潤太郎☆映像トピックス」


    EDIT_山田桃子 / Momoko Yamada

    Artist's Profile

    冨ケ原美菜子 / Tomigahara Minako(米大手TVアニメーション制作会社勤務 / Background Designer)
    文化服装学院を卒業後、日本の企業ファッションデザイナーとして勤務した後、デザイナーからアーティストへとキャリアチェンジすることを決め、一念発起しカリフォルニアの美大アートセンター・カレッジ・オブ・デザインへ留学しアート、デザインを1から学び直す。在学中は奨学生として学費免除を受けながら生活のやりくりをし、CPT制度でNetflix映画 『アウトサイダー』他で実務経験を積んだ後、在学したまま2019年に米大手TVアニメーション制作会社勤務に入社、背景デザイナーとして活躍中
    www.linkedin.com/in/minako-tomigahara-53322711b

    <1>ファッションデザイナーから"絵描き"を目指しアメリカへ

    ――日本での学生時代の話をお聞かせください。

    文化服装学院でファッションデザインとイラストを学んでいました。幼い頃から絵を描くことや、もの造りがとにかく好きでした。高校時代に将来の進路を考えた時、日本でどちらも活かせる仕事、デザイナーの道へ進もうと決める際には、さほど迷いませんでした。

    学生時代はとにかく楽しかった思い出しかなく、服づくりに夢中になり、同じ夢をもつ仲間達と切磋琢磨して過ごしました。学生は服をデザインし、型を起こし縫い上げ、自分のコレクションをつくる、というサイクルを繰り返すのですが、当時から特にデザイン画の制作が好きでたまらず、「ずっと絵を描いていたい」といつも思っていました。

    文化服装学院の一大イベントでもある「文化祭ファッションショー」ではパンフレットの絵を描いたり、絵のコンテストに応募し賞をいただいたり、イラストのフリーランスの仕事をしてみたりと、様々な活動をしていました。

    いつか海外に留学してもっと絵について学びたいな、とこの時点で思っていたのですが、それまでみっちりとデザイナーになるための教育を受けていたのに「やっぱり絵描きになる!」と思い切れるほど経済的に豊かではなかった上、当時は就職氷河期真っ只中だったため、その気持ちも「とにかく就職して東京で生き抜かなければ」という気持ちに掻き消されていました。

    デザイナーになるために有利な資格を取り、就職活動では痛い思いをたくさんした後、株式会社東京スタイル(現在のTSIホールディング)にファッションデザイナーとして就職しました。その後にお世話になった上司には、「あなたはデザイン画で採用されたようなものよ」と教えられ、やはり私の強みは絵なのだな、と確信していました。

    ――日本でお仕事をされていた頃の話をお聞かせください。

    入社当時は、周囲の反対を押し切りデザイナーになることを応援してくれていた母のためにも「とにかく早く一人前になりたい」と思う一心で、与えられた仕事を全力でこなしていました。

    生まれて初めての就職、良い先輩と上司に恵まれて一生懸命に働いて、やりがいを感じる傍ら、心のどこかではいつも「留学してアートを学びたい、どうしたら実現できるのだろうか」と考えていました。しかし、その思いも忙しさに掻き消される、の繰り返しでした。

    どこかで自分の情熱と現在の仕事のズレを感じながらも"自分が本当にやりたいこと"が何なのかハッキリ見えない日々が続いた中で、大きなキッカケになったのは私の所属していたブランドがコラボしていた、とあるイラストレーターさんとの出会いでした。

    私は幸運にも彼女とのコラボの企画の担当を任され、デザイナーとしてイラストレーターと仕事をする経験をさせていただきました。彼女はフランス在住の日本人アーティストで、私は彼女の絵を使いプロダクトのデザインをしていました。彼女も、元々は日本でデザイナーをした後、フランスに留学しイラストレーターとして活躍していました。

    「絵の仕事がどんなものなのか」について、とてもぼんやりしていた私にとって、彼女の働き方に触れることができたのはとても良い刺激になりました。視野が広がる機会を得られたことに今でもとても感謝しています。ただぼんやりと夢を見るのではなく、本格的に留学する方法を考え始めたのがこのころです。

    ――留学時代は、どのような経験をされましたか?

    留学資金を貯めた後に渡米、最初に降り立ったのはNYでした。プライベート・アートスクールに入りアートを1から学び始めました。当時はとにかく貧乏(!)でしたが、長年の夢だったアメリカの地でアートを学べることの喜びで満たされていました。このときは全てが手探りで、自分が絵描きとして「どうなりたいのか」はまだ明確ではなく、興味があるものは全てやってみました。

    モヤモヤと悩んでいたときにアートセンター・カレッジ・オブ・デザインと言う大学の存在を知り、その広範囲なコースと、元々は働いている人がキャリアを変えるための就職訓練所だった歴史から由来するプロフェッショナルな教育方針に魅力を感じ、すぐに見学に行きました。

    このときにエンターテインメント・アートと言う分野を知り、その可能性の高さに感銘を受け、これしかない! と思い本格的に入学を目指し始めました。......がしかし、アメリカのアート大学はとにかく学費が高い! ......そのため、奨学生になれなければ入学は不可能な上、英語力が皆無だった私にとっては相当ハードルが高いTOEFLのスコアを取らなければならなかったので、ひたすら良いポートフォリオをつくること、英語力を上げることに一心不乱でした。

    睡眠時間を削り、寝れない日々が続きましたが、この当時に出会い、分野はちがえど同じようにアメリカ大学留学を目指していた友達と共に、ひたすら学び続けた日々はとても良い思い出になっています。人生で1番勉強に集中した1年だと思います(笑)。アートセンターから奨学生としてのオファーレターをもらったときは本当に感動しました。このときに出会った仲間達はみな現在NYでそれぞれの分野で活躍しています。LAに移動した人は少なかったので離れてしまいましたが、今でも定期的に会い、近況を報告し合っています。刺激しあえる友達に恵まれたことに、今でも本当に感謝しています。

    2016年にカリフォルニアに移動し、アートセンターのイラストレーション、エンターテインメントアート学科に入学しました。晴れて入学できた喜びはつかの間で、そのタフなスケジュールと、日本人が全くいない環境での語学の問題に入学当初はとても苦労しました。最初はうまく話すことができなかったので、とにかく良い作品をつくって、存在をアピールすることに専念しました。

    語学の壁と資金面の問題、そしてビザのプレッシャーが常にあったので、自分が今できることを常に考えて実行していました。とにかく、早く仕事を得られるようになりたかったので、アートセンターの1年目からシニアのクラスに潜り込んだり、自分の尊敬する教授にアシスタントのお願いをしたり、メンターになってもらうお願いなどをして、人の二倍、三倍、学べるよう工夫していました。

    そうしているうちに友達も増え、英語もいつのまにか苦ではなくなっていました。今、思えば、様々な問題を抱えていたからこそ、そこまで頑張れたのではないかと思うので、逆によかったのかもしれません。

    ――海外の映像業界での就職活動はいかがでしたか?

    2年目から、仕事のチャンスを探し始めました。このときにCPT(※)制度を利用した実地研修での経験を経て、自分の"アピール力"の弱さを実感しました。日本で言えば謙虚で良い姿勢なのですが、謙虚過ぎるとチャンスが掴めないことも学びました。交渉がうまくできずに痛い思いを何度かしました。

    ※CPT(カリキュラー・プラクティカル・トレーニング):アメリカで学生ビザをもつ外国人留学生が、専攻学科のカリキュラムの一環として、企業で実地研修を行える制度。大学の許可を必要とするが、研修時間は週20時間まで、また期間も1年間までとなっている。詳細は留学先の学校に確認してみると良い

    クリエイティブな側面以外での問題点を見つけることができたのは、この実地研修の経験のお陰でしたし、素晴らしいアーティストが周りにゴロゴロといる場所で、どうやったら自分を見つけてもらえるのかを真剣に考え始めたのもこの時期でした。

    コンベンションや展示会に参加するなどして、自分の作品のプロモーションを始めたり、Webサイトやソーシャルメディアを使って本格的に就職の準備を始めたのは大学2年目の終わり頃でした。3年目の夏にインターンシップの機会を探していたのですが、ちょうどその頃に、現在の勤務先である、米大手TVアニメーション制作会社のアートディレクターから仕事のオファーをいただきました。

    ソーシャルメディアを通して連絡をいただいたので「準備をしておいてよかった」と痛感しました。テストを受けた後、CPTを利用してフリーランスデザイナーとして働き始めたのですが、その後すぐにフルタイムのオファーをいただき、カラーデザイナーとして入社しました。

    入社直後はカラーとデザインの仕事を兼任していたのですが、3ヵ月間で昇進し、背景デザイナーになりました。最初のキッカケをつくるために、良い作品をつくること以外での活動の大切さを実感した出来事でした。

    最初のキッカケさえ掴めれば、全力で向き合った仕事は必ず評価してもらえると思います。ビザの問題と資金の問題を抱えていたため、卒業前に就職できたことはとても幸運でした。現在は仕事と学校の両立をしています。


    同僚と

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    <2>アメリカの大手TVアニメーション制作会社で背景デザイナーとして活躍中

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    <2>アメリカの大手TVアニメーション制作会社で背景デザイナーとして活躍中

    ――現在の勤務先は、どんな会社でしょうか。簡単にご紹介ください。

    現在、勤務しているスタジオはロサンゼルスにあります。スタジオはとてもオープンな雰囲気です。制作スタッフは全員同じフロアに個人の部屋があり、いつでも直接行き来して話し合うことができるようになっています。ランチタイムにはチームで外に出かけたり、スタジオ内にある展望スペースで昼食を取りながら親睦を深めています。特にアート・チームは同じ大学の卒業生の方が多いので、繋がりが多く、すぐに打ち解けることができました。才能あるアーティストに囲まれて、毎日絵が描けるこの環境にはとても感謝しています。

    ――現在のポジションの面白いところは何でしょうか

    TVのプロジェクトは進行スピードがとても早いです。そのため、毎週どんどん先に進んで行くので、最初はついて行くのに苦労しましたが、今はそのスピード感と、毎週異なるエピソードなので様々なロケーションのデザインをできるところがとても面白いと感じています。

    TVには、その番組毎のスタイルがありますが、私たちのショー(作品)ではスタイルに固執し過ぎず、新しいことにも挑戦させてもらえる環境なので、飽きることがなく、とても充実しています。

    ――英語や英会話のスキル習得はどのようにされましたか?

    私が思う1番早い英語のスキルアップの方法は「とにかく英語圏に自分の身を置くこと」、「恥ずかしさを捨てて、とにかく何か話すこと」だと思いました。

    日本にいた頃から少しずつ英語の勉強をしていたのですが、あまり伸びませんでした。自分の英語力をかなり甘く見積もっていて、NYで初めてTOEFLを受けた時の点数が13点、合格点が80点以上だったので、絶望的なスタートでした(笑)。NY時代はまず最初に単語を3ヵ月ほど集中して勉強しました。書いて覚える、アプリを使って覚えるなど様々な方法を試しましたが、私には書いて覚える方法が一番合っていました。

    その後はTOEFL取得のため、1日18時間机に向かって、過去問題を解くことを繰り返していました。しかし、必要なスコアを取得できるまでには、半年ほどかかりました。集中的に勉強できる時間が確保できたので、英語力はこのときにグッと伸びましたが、TOEFLで使用されているような英語を使うことは実際の大学生活ではほぼなく、入学当初は日常会話の部分でつまづきました。

    NYの学校とはちがって、入学当時、私の学科には日本人が全くおらず、なおかつ授業と会話のスピードがとても速かったので、思うことを上手く伝えられなかったり、言われていることが理解できないことがよくあり、それを恥ずかしいことだと思ってしまい、発言すらしないという状態に陥った時期もありました。

    しかし、それでは友達もできないし、学びたいことを学べないと思い、間違ってても良いから、とにかく何か発言すること、簡単な英語で人に話しかけるようにすることを心掛けるようにしました。また、理解できなかったときは素直に、「理解できなかったので、もう一度教えてください」と言うようにしました。

    そうしてみたら、周りの人たちは私が話せないことや聞き取れないことなど、さほど気にしていないということに気づきましたし、逆に「話せないから、もっと話したいんだ」と言うと親切に教えてくれる人達ばかりでした。

    緊張を解いて、ありのままにいるようにしてから一気に友達も増えましたし、会話力も伸びました。文法や単語は机に向かって勉強すれば伸びますが、会話の部分はとにかく話してみることが一番だと思います。

    ――将来、海外で働きたい人へのアドバイスをお願いします。

    ありきたりですが、もし「海外で働くこと」に興味があるのでしたら、まず現地に行ってみてほしいと思います。私も日本で働いていた頃は長いこと迷っていましたが、そのときには想像もしなかったことを5年間のアメリカ生活で学んできました。

    何が起こるかは人それぞれとは思いますが、日本に居ては何も起こらないのは皆一緒だと思います。もっていたものを思い切って捨てなければ行けない上に、ビザの不安が常につきまといますが、私の場合はそのプレッシャーが逆によい方向に働いたなと感じています。

    ここまで前のめりに生きたことは日本ではありませんでしたし、新しい自分を発見することもできました。自分の本当にしたいことを見つけて実現するために来たのですが、今ではそれ以上のことを学んだと実感しています。

    やりたいことが海外にある人はもちろんですが、そうでない人も、ぜひ一度挑戦してみてほしいと思います。日本を離れると、日本の素晴らしさも身に染みますし、日本人としての自分と向き合うこともできます。その時間は、夢を実現することよりも大きな価値があると私は思っています。


    ファッション・ブランドのポール・スミス ビバリーヒルズ店にて、個人作品を展示した際に撮影

    【ビザ取得のキーワード】

    1.文化服装学院を卒業
    2.株式会社東京スタイルへ、ファッションデザイナーとして就職
    3.一念発起し、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインへ留学
    4.CPTを利用して、在学中から米大手TVアニメーション制作会社勤務へ就職、現在は就労ビザを申請中

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