伊坂幸太郎原作小説『グラスホッパー』の舞台をリアルなインビジブル・エフェクトによって映像化
※本記事は月刊「CGWORLD + digital video」vol. 208(2015年12月号)からの転載記事になりますt
リアルな現代劇を支えるVFXとは
今回は、映画『グラスホッパー』のVFXメイキングを紹介しよう。本作は伊坂幸太郎原作小説の映画化作品で、恋人を裏組織に殺され復讐しようとする元教師の鈴木、ターゲットを自殺させる能力を持った鯨、孤独なナイフ使いの蝉、3人それぞれの物語が裏組織の存在を軸に同時進行していく群像劇だ。本作では物語の核となる事件が起きる渋谷駅前のスクランブル交差点など、撮影困難な舞台の多くがオープンセット撮影やマットペイントで構成されたインビジブル・エフェクトでつくり出されている。
特にスクランブル交差点のショットは撮りきりの実写かと思わせるほどのリアルさで表現されており、ここ数年のインビジブル・エフェクトの技術進歩を実感した次第だ。VFXショットの制作を担当したのは、ピクチャーエレメントの道木伸隆VFXスーパーバイザーを中心に、渋谷スクランブル交差点の制作にマリンポスト、劇中にキーイメージとして登場するバッタの制作を4Dブレイン、マットペイントやショット合成に日本映像クリエイティブ、ロトスコープ作業にアネックスデジタルの橋本公行氏、劇中で使用される携帯機器などのモニタグラフィックスの制作に目崎利幸氏が参加している。
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前列左から、目崎利幸氏、堀尾知徳氏(マリンポスト)、髙塚万理子氏(日本映像クリエイティブ)、後列左から、久村英徹氏(日本映像クリエイティブ)、道木伸隆氏(ピクチャーエレメント)、秋山貴彦氏(4Dブレイン)、橋本公行氏(アネックスデジタル)
「作品全体がリアルな世界の表現なので、内容的にもVFXがなくても通用するぐらいじゃないといけない作品です。いかにリアルに仕上げるかというのが大前提になります。CGプレートと実写プレートの馴染みなど非常に気を遣いながらの作業になりました」と道木氏は話す。リアルなショット制作を行うために、オープンセットでの撮影では、美術部と綿密な打ち合わせが続けられたという。
インビジブル・エフェクトを成功させるポイントを道木氏は「ショットを作成するときにそのショットだけを綺麗につくっても、繋げてみて不自然だったら使えません。ショットの積み重ねの中で、映画作品の中にあるリアルに合わせていくことが大事。そもそも映画は照明からセットまで嘘で構築されているものなので、その中で成立するリアルが何かを見つけないといけない」と話す。道木氏が言うように本作のVFXは物語に溶け込んだ素晴らしいインビジブル・エフェクトとなっている。それでは、特徴的なシーンを基にVFXショットのメイキングを紹介する。
<1>フルCGによるトノサマバッタの群衆相
作品の中では実写がリアルとは限らない
まず最初に紹介するのが、作品のタイトルにもなっており本作のシンボル的なイメージとしてインサートされるトノサマバッタのメイキングだ。本作に登場するトノサマバッタは群衆相と呼ばれる、色が茶褐色になった状態の個体なのだが、この状態のトノサマバッタは撮影が困難であるため、デジタルで群衆相のトノサマバッタに加工することになった。
当初はアップショットも想定されていたので、3DCGではなく緑色のトノサマバッタを色替えして使用する予定だったが、最終的に登場する全てのトノサマバッタを3DCGで作成することになったという。3DCGにした理由を、「CGで作成したバッタと実物のバッタを色加工したバッタを監督に見せたところ、色加工した方の実写のバッタだとやさしい表情になってしまい、群衆相に変異した凶暴な性質が表現できないということで、リアルなものではなく物語の演出に沿った表現に近い3DCGによるバッタの方を使うことになりました」と4Dブレインの秋山貴彦氏は話す。
トノサマバッタは、頭部がアップになるショット用のスーパーハイモデルと、ミドルショット用のモデル、群衆で飛翔するショットに使用されるローモデルの3種類が作成されている。ショットの中で脚を動かしたり飛翔するアニメーションもあるため、モデルにはリグが組まれており、実際のバッタの動きを撮影したリファレンス映像を基にリアルなバッタの動きが再現されている。「このバッタで難しかったのは、撮影現場ではバッタの実物を撮影して使用する予定だったので、HDRなどがまったく撮影されておらず、実写と3DCGを馴染ませるために擬似的にHDR素材を作成しないといけなかったところですね。また、現実的なリアルを追い求めてしまうと監督的には納得しないものになってしまったりと、ケレン味のあるキャラクターとしてバッタをいかに作成するかが、非常に難しいポイントでした」と秋山氏はふり返る。
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▲<1>羽根を付けたトノサマバッタのワイヤーフレーム
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▲<2>シェーディングされた状態のモデル
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▲<3>HDRのテスト画像。地面なしの屋外
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▲<4>地面ありの屋外
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▲<5>撮影現場で撮影された銀球の写真を基に作成したHDRを使ったもの。地面ありのHDR
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▲<6>地面なしのHDR
ベランダにいるトノサマバッタのショット。
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▲<1>実写プレート
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▲<2>実写プレートを色替えして作成したバッタ
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▲<3>飛び立ちのアクションを付けるために脚だけをCGに置き換えたもの
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▲<4>フル3DCGのバッタに差し替えた完成ショット
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▲<5>アップショットのバッタは、ハイメッシュのモデルが使用された
トノサマバッタが公園の地面にいるショット。
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▲<1>地面だけの実写プレート
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▲<2>実物のバッタを置いて撮影したもの
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▲<3>2の素材のバッタだけ色を替えたもの
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▲<4>3DCGトノサマバッタのオクルージョン素材
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▲<5>リフレクション素材
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▲<6>ビューティ素材
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▲<7>調整用カラーマスク
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▲<8>完成ショット。<3>に比べると獰猛な感じが表現され、本作のテーマを象徴するようなルックに仕上がっている
次ページ:<2>渋谷駅前スクランブル交差点を再現する&<3>スクランブル交差点を俯瞰で表現
[[SplitPage]]<2>渋谷駅前スクランブル交差点を再現する
実物大のオープンセットで交差点を再現
物語の起点となる渋谷駅前スクランブル交差点のシーンでは、ハロウィンで仮装した人々が交差点上を行き交う中で話が進行していく。実際に交差点で撮影しているようなシーンであるが、実はオープンセットで撮影したプレートと実際の渋谷の街の実写プレートを組み合わせて構築されている。スクランブル交差点のセットは千葉県長生郡にあるロングウッドステーションの駐車場に実物大のセットが組まれた。セットには、交差点から見える交番や地下鉄入口などが、リアルに再現されている。
「作品の中でもスクランブル交差点のシーンはショット数が多かったので、セットを建てて撮影することになっていたのですが、オープンセットを建てるにしても何をどのように建てたら良いのかなど、絵コンテから想定される方向を考えてプランニングしています」と道木氏は語る。プランニングの際には、マリンポストの堀尾知徳氏らがプリビズを作成してカメラワークやエキストラの配置なども検討されている。オープンセットではハロウィンのコスチュームを着たエキストラの群衆もこのオープンセットで撮影されているため大量のマスク切りの作業が発生することになった。このマスク切りの作業は橋本公行氏が中心となり、エム・ソフトのRayBridシステムやアネックスデジタルによって行われた。ある程度までは自動でキーアウトできるのだが、今回は動きの速いショットもあるため、多くは手作業でキーアウトしているという。
「マスク切りの作業は34カットくらいなのですが、ナイターの撮影で、しかも20人くらいの群衆が動いている状態で撮影されているのでとても手間のかかる作業でした。それでも背景の抜けが少なくグリーンでもブルーでもない白スクリーンで撮影してもらっていたのは、とても効率的で良かった。何を残して何を捨てるのかがわかりやすいプレートだったので助かりました」と橋本氏は語る。
スクランブル交差点のシーンのプリビズとオープンセット
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▲<1>群衆がスマホで写メを撮っているショットのプリビズ
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▲<2>109方向を向いている鈴木と比与子のプリビズ
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▲<3>オープニングタイトルの交差点の俯瞰ショットのプリビズ
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▲<4>オープンセットに建てられた渋谷駅前交番
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▲<5>交差点のスターバックス方向のセット
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▲<6>地下鉄入口のセット
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▲<7>落書きなどもリアルに再現されている
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▲<8>スクランブル交差点の横断歩道などもリアルスケールに合わせて作成されている
群衆プレートのマスク作業例。
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▲<1>オープンセットで撮影された群衆のプレート。背景に白スクリーンを建てた状態で撮影されている。群衆の全員が動いているというマスク作業がとても難しい状態のプレートだ
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▲<2>マスク作業後の群衆プレート
スクランブル交差点にクルマが進入するシーンのコンポジット例。
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▲<1>実景を撮影したプレートを組み合わせて作成された背景プレート
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▲<2>オープンセットで撮影された群衆の実写プレート
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▲<3>群衆プレートのマスク処理後の素材
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▲<4>フロントガラスの素材プレート
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▲<5>交差点に進入したクルマの中から見たショットの完成ショット。なるべく背景の地面の境界を見せないようにするなど、画面を構築しやすいようにカメラワークも工夫されている
<3>スクランブル交差点を俯瞰で表現
エキストラによる群衆
渋谷スクランブル交差点のショットの合成は、マリンポストが担当している。背景ショットに映るネオンの明減に応じて、オープンセットで撮影された群衆への照り返しなどもマッチしており、コンポジットされているとは思えないクオリティだ。とても複雑な作業が必要なコンポジットに見えるが、マリンポストの堀尾知徳氏によれば、カメラの傾きなどを調整するなど若干の補正はかけているが、ロトスコープによるマスク素材の精度が良かったことと、オープンセットで群衆を撮影する際にネオンの点滅などの影響を考えて照明をセッティングしているため、それほど手間な作業にはならなかったのだとか。
本作のVFXはインビジブル・エフェクトでは素材の撮影時から的確なプランニングを行うことで、クオリティの高いコンポジット作業が効率良くできるというインビジブル・エフェクトの好例と言える作品だ。「実写の背景だけでは表現が難しいかもしれないと思い、差し替え用の3DCGによる渋谷の背景素材なども用意していたのですが、撮影してもらった素材だけで使える背景が用意できたのでコンポジットの作業自体はとても楽でした」と道木氏は話す。
唯一3DCGによる建物などのデータを利用したのは、タイトルバックに登場する渋谷スクランブル交差点の俯瞰ショットだ。交差点には非常に多くの人々が行き交う様子が描かれているが、これら群衆はクラウドツールを使ったシミュレーションではなく、エキストラを場所ごとにまとめて分割して俯瞰でドローン撮影した素材を、コンポジットで上手く1つの画面に収めて大量の人々が行き交うハロウィンの夜のスクランブル交差点が作り出されているのだが、その群衆の周囲を囲む建物に3DCGが利用された。
タイトルバックの背景で使用している素材の構成。
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▲<1>3DCGで作成作成されたスクランブル交差点を囲む建物のデータ
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▲<2>オープンセットで撮影された群衆の中央部分用実写プレート
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▲<3>左上および交差点を渡っている人用実写プレート
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▲<4>下部用実写プレート
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▲<5>左側用実写プレート
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▲<6>全ての素材を合成して完成した背景プレート
タイトルバックでは、スクランブル交差点の俯瞰映像に無数に飛び交うトノサマバッタが合成された演出になっている。このトノサマバッタのプレートは4Dブレインが制作した。
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▲<1>遠景用バッタのローモデル
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▲<2>パーティクルオブジェクトには羽ばたいた状態のバッタのレンダリング画像が使用されている
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▲<3>羽ばたいている状態のバッタのマスク素材
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▲<4>遠景用バッタの群衆アニメーション素材
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▲<5>中景用バッタの群衆アニメーション素材
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▲<6>遠景、中景のバッタ素材にハイメッシュで作成したバッタのモデルを追加してコンポジットしたバッタのみの素材
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▲<7>背景素材にバッタの素材を合成した状態
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▲<8>建物のライティングなどを調整した完成ショット
[[SplitPage]]<4>マットペイントで現実を加工する
マットペイントで廃工場を作り出す
現代劇ではあるが、作品のもつ世界観を具現化するために様々なシーンでマットペイントやコンポジットによるシーン構築がなされている。このようなVFXによるショット制作は日本映像クリエイティブが担当している。ここでは廃工場のマットペイントと、蝉の相棒である岩西が事務所から飛び降りるショットを紹介する。このような単純に背景を合成しているだけに見えるようなショットも、リアルさを求めて多くの試行錯誤が行われている。
日本映像クリエイティブの久村英徹氏によれば、この岩西の事務所のシーンでは、背景の明るさなどかなり細かく撮影監督からオーダーがあり、事務所内の照明に合わせて背景の明るさの調整を何度もリテイクしているという。また監督のオーダーの中でも難しかったのが廃工場のマットペインティングだ。「現存の工場をマットペイントで廃工場にするというオーダーだったので、それほど時間のかかる作業ではないと思っていたのですが、実は監督が廃工場マニアで現存する廃工場の写真を見ながらリアルな廃工場を目指して何度もリテイクしています」と久村氏は話す。
「監督からは築20~30年くらいの古い工場を目指してくれというオーダーだったので、錆び素材などを使って実写素材にペイントしていったのですが、チェックを受けるたびにもっと汚してほしいというオーダーがあってどんどんエスカレートしていき(笑)、最終的には廃工場というよりは廃墟に近い感じになっています」とマットペイントを担当した髙塚万理子氏は語る。完成ショットを見てもらえばわかるように、細部までつくり込まれた汚し素材によって、なんの変哲もない工場が、どこかに存在していそうなリアルな廃工場に加工されている。同時に登場する鯨のキャンピングカーの色合いと共に印象的なシーンに仕上がっている。
廃工場のマットペイント。
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▲<1>現存する工場の実写プレート
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▲<2>使用した雨だれのテクスチャ素材
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▲<3>使用した錆びのテクスチャ素材
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▲<4>実写プレートに施されたマットペイントから汚しのレイヤーだけ表示したもの
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▲<5>道路部分のマスク素材
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▲<6>猫のマスク。このシーンでは黒猫が登場するのだが、実は白猫のマスクを切って黒猫に加工されている
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▲<7>鯨のキャンピングカーの実写プレート
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▲<8>完成ショット
岩西が窓から飛び降りるショットのブレイクダウン。
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▲<1>マットペイントで作成された背景プレート
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▲<2>ブルーバックで撮影された実写プレート
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▲<3>背景合成用のマスク素材
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▲<4>完成ショット。撮影監督のチェックによって、実際に撮影したらこのような露出になるのだろうと思わせるリアルなショットになっている
[[SplitPage]]<5>モニターグラフィックスの制作
現代劇では欠かせないデバイス画面を作る
最近の現代劇では、スマートフォンなどの携帯デバイスが小道具として使われることが非常に多い。本作でもSNSを使って事件の拡散するシーンやGPSを使った位置検知など、多くのシーンで携帯デバイスを利用した演出が登場する。これらの携帯デバイスのインターフェイスは、多くの作品のデバイス画面を制作している目崎利幸氏によって作成された。「これまでの映画作品では、何も映っていない携帯デバイスを使って撮影を行い、ポストプロセスで画面を合成するということが多かったのですが、最近では実際に操作できるアプリを作ってもらったり、撮影現場で実際にモニタの映像を表示して撮影していることが多くなっています」と道木氏は語る。
「実際にある携帯アプリなどを撮影に使ってしまうと、権利やタイアップの問題があります。また実際のものを使ったとしても余分な情報が映り込んでしまい、ポスプロで消すなどの加工が必要になってしまいます。そこで今回は全てオリジナルのデザインで動くものを作りました」と目崎氏。使用されている携帯の画面は目崎氏がデザインしたもので、Flashを使ってオーサリングされているため、役者が実際に操作して動かすことができるようになっている。
このようなモニタグラフィックスは昔は美術や装飾部が担当する要素だったが、デバイスに表示される内容が複雑になってきているため、美術部では対応できないことが多く、最近ではVFXの範疇に入る作業として扱われているのだという。「この分野は非常に需要が多く、デバイスに映像が表示されるような内容がある場合は早めにチェックして制作をお願いしています。そうすることでポスプロでの作業が少なくなることで、結果的にコストダウンにつながることも多いので」と道木氏は話す。
架空のSNSアプリの画面。
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▲<1><左><中><右>のように撮った写真がSNSに投稿される様子が役者の演技に合わせてアニメーションされる
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▲<2>実際にショットの中で使われたシーンの完成ショット
TVに流れる天気予報の画面。演出に合わせて細かく天気が設定され表示されている。
▲<1>全国の天気図
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▲<2>関東地方の天気図
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▲<3>実際に使用されているシーンの完成ショット
GPS発信器で相手の居場所を探知するアプリの広域画面。
▲<左>携帯電話のメニュー画面▲<右>メニュー画面の中のターゲットの位置を表示するメニューボタンをタップすると、画面がスライドして広域地図が表示されるというアプリの動作がFlashアニメーションで作成されている
▲<左>広域地図の表示に切り替わった画面▲<右>ターゲットの位置が表示された画面。これらの画面が操作する芝居に合わせて切り替わっていく
パソコン用GPS探査ツールの画面。
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▲<1>広域地図表示の画面。位置情報など細かいデータがアニメーションする
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▲<2>拡大地図表示の画面。ターゲットの動きなどもアニメーションが付けられている
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▲<3>実際に使用されたシーンの完成ショット
GPS発信器で相手の居場所を探知するアプリの拡大画面。
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▲<1><左><中><右>役者の移動に合わせて地図がスクロールしていくアニメーションが作成されている
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▲<2>画面の下部には、ターゲットの現在地が北緯と東経で表示され、移動に応じて変化するターゲットまでの距離もアニメーションで変化していく
TEXT_大河原 浩一(ビットプランクス)
PHOTO_弘田 充
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映画『グラスホッパー』
11月7日(土)新宿ピカデリーほか全国ロードショー
監督:瀧本智行/脚本:青島武/原作:伊坂幸太郎「グラスホッパー」(角川文庫)/VFXスーパーバイザー:道木伸隆/出演:生田斗真、浅野忠信、山田涼介ほか/配給:KADOKAWA、松竹
©2015「グラスホッパー」製作委員会 grasshopper-movie.jp
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